笑顔
――その日の夜。御影は冷たい床に倒れ込んだ。昼間の出来事を思い出し、顔を顰める。誰も居ない真っ暗な部屋で、ただ一人。考えを巡らせていた――
「……あいつが……あの事件の犯人。どうして……今まで、何で気が付かなかったんだ……!俺と一緒に居て……あいつは何を考えていたんだ……。それに……」
御影の目の前が歪む。考えても考えても旭が、何を考え、どうして共に働いていたのかが分からない。
あの事件のことを何度か旭には話をしていた。なのに旭は、あたかも第三者であるかのように話を聞いていた。その意味が、御影には分からない。
そして、最後に旭が言った言葉を思い出す。
——……もしそうなら……貴方は、僕を殺してくれる——
その言葉の裏には何があるのか。本当に言葉通り、殺して欲しいと願ったのか。その意味を考えるだけで、頭が痛む。
「……あぁ……何で……あいつを信じようと……したんだろ……人間なんて……信じなかったのに……。殺したいほど……憎い相手だったのに……!」
床に蹲り、拳をドンッと叩きつける。
胸が苦しい。心拍数が上がり、呼吸が荒くなる。辛い過去の記憶が鮮明に蘇る。
爆発音、煙の匂い、人々の悲鳴、目の前で消えた愛する人。そして、拳銃で旭を撃ったあの感覚。思い出すだけで、手の震えや吐き気が止まらない。
御影は吐き気が一気に込み上げ、口を手で抑えながら急いで、トイレへ駆け込んだ。
食道が熱く焼ける様だ。最近は吐くことは減っていたのに。口内に気持ちの悪さだけが残る。
御影はおぼつかない足取りでトイレを出て、キッチンに向かった。コップに水を注ぎうがいをした。
——俺は……いつも笑って過ごしてる旭が羨ましかった……。俺はあの事件から……心から笑った事が無い。でも、あいつも……心から笑ってはいなかった……。貼り付けたような嘘の笑顔……本当のお前は何なんだ——
部屋に戻りふと、日和の写真を見つめた。その写真を手に取り眺める。写真の中の彼女は、満面の笑みを浮かべていた。
「日和……」
日和の死亡後、笑うことが出来なくなった。無理をして愛想笑いはしていたが、心から笑えたことはここ数年、全く無かった。楽しいや面白いといった感情が、御影の心からすっぽり抜けてしまっていた。
そして御影は、写真を見つめながら、日和と再会した日の事を思い出す。
春風が心地よい、大学の入学式が行われた日。御影は、用事を終え大学を出ようとしていたタイミングだった。
「あ、あの!……み、みか君?」
御影は背後から名前を呼ばれ、驚き振り返る。そこには、昔の愛らしい面影を残しつつ、綺麗な大人になった日和の姿があった。
日和とは御影が、十三歳の頃に児童養護施設で出会った。日和は両親を事故で亡くし、受け入れてくれる親戚が中々見つからず、二年ほど児童養護施設で暮らしていた。 その後は、遠い親戚に引き取られ、御影とは疎遠になっていた。
「……ひ……より……?」
「……!そう!日和!覚えててくれたの?」
日和は御影が自分の事を覚えていた事に嬉しくなり、表情がパッと明るくなった。
そして御影は、戸惑いつつも再会を喜んだ。
「……ほ、本当に……日和か……?懐かしいな……。君こそ、小さかったのに俺を覚えてたのか」
「久しぶりだね!覚えてるよ〜!だってみか君だけが、私を慰めてくれたり、遊んでくれたんだもん!」
「……そうだったな……。今日、入学か?」
「そうそう!まさか、みか君もここの大学とは驚いたよ〜!」
「俺も驚いた。あれから会えずじまいだったから……また会えて嬉しいよ」
「私も〜!それにしても……みか君、相変わらずだね〜!」
日和にそう言われ、御影は首を傾げる。
すると日和は笑顔で言う。
「クールでかっこいいところ!」
御影は驚きと恥ずかしさで、顔が熱くなる。
その様子を見た日和は、ニコニコしながら御影の顔を覗き込む。
「へへ〜!照れてるね(笑)」
「……照れてない」
「本当……全然変わらないね。……夢みたい」
日和は御影の顔をまじまじと見ながら、そう呟いた。御影はその言葉の意味が分からず、首を傾げる。
「夢……?」
「うん……だって、ずっと会いたいって思ってたから。あの時、約束してくれたから」
「……また必ず会いに行く」
「フフッ……覚えててくれたんだね」
「当たり前だ……俺もずっと……会いたかったから」
御影は改めて自覚した。幼い頃のこの思い。間違いじゃない。あの頃からずっと日和を好きと言うことを。
「……そうだ、これからお昼一緒に食べない?」
「うん……いいよ」
御影は照れくさそうにそう言った。その返事を聞いた日和は、御影の袖を掴み、走り出した。
「やった、じゃあ行こ!私、パスタ食べたい!みか君は?」
「う〜ん、ハンバーグかな」
「じゃあ、近くのファミレス行こう!」
「分かった分かった、あんま引っ張るな!転ぶなよ」
「大丈夫だって〜!」
御影は、そんな日和の背中に懐かしさと心地良さを感じていた。昔と変わらない、太陽のようなその笑顔と無邪気な振る舞い。その姿を見ているだけで、暖かい気持ちになる。
――そんな幸せな時間を思い出した直後、最悪の出来事がフラッシュバックしてしまう。スクランブル交差点爆破テロ事件後、日和が病院に運ばれた時――
「馬酔木さん、貴方も爆発の影響が、少なからずあるかも知れません。ですので、検査だけでも……受けてくれませんか……?」
看護師は、手術室前の椅子に座り、項垂れている御影にそう話しかけた。
「……いえ……俺の事より……日和の方をお願いします……。必ず、助けて下さい……!」
御影はその看護師に向かって、崩れる様に土下座をした。
「馬酔木さん……!頭を上げて下さい!今、先生達が全力で橘さんの事を助けてくれてます。信じて待ちましょう」
「はい……お願いします……」
御影は信じた。日和が生きていて、また笑顔を見せてくれる事を。
そして五時間の大手術が行われた。だが、その後日和の容態が回復する事は無かった。やがて、日和の死亡が確認された。
「……全力を尽くしましたが……残念ながら……。橘日和さんは……息を引き取りました……。我々の力不足で、申し訳ございません……」
医師や看護師達が頭を下げ、御影に日和の死亡を伝える。
それを聞いた御影の手から、持っていたお茶のペットボトルが滑り落ちた。そして勢いよく立ち上がり、医師の胸ぐらを掴む。
「……必ず!助けて欲しいと……!なんで……!なんで日和が死ななきゃならないんだよ……!おい……!日和を返せよ!!!」
「落ち着いて下さい……!」
御影は医師に向かって怒鳴りつける。その様子を見た、他の看護師達は、御影は取り押さえられた。
「日和……!!!」
手を伸ばしても、日和はもう帰って来ることはなかった。帰らない日々を思い出す度、涙が溢れて止まらない。 日和の笑顔はもう二度と見れない。
——御影は日和の遺影の前に蹲る。嗚咽を漏らしながら、大粒の涙を流す。様々な事を考えて、頭がおかしくなりそうだった。
そんな時、来栖からメールが送られているのに気がついた。それを見た御影は昔、来栖に言われた言葉を思い出す——
「馬酔木、何かあったらすぐ連絡しな。吹っ飛ばして、あんたん家行くからさ」
御影は震える手でスマホを取り出し、来栖に電話をかけ始める。来栖はすぐに電話を取ってくれた。
「馬酔木?どうしたの」
無言で鼻をすする御影。その様子から来栖は、御影に何かあったのだとすぐに察した。
「馬酔木、何があったの……?ゆっくり話して……」
御影は息をゆっくりと吸い、言葉を絞り出す。
「……来栖……次の非番日は……いつだ」
「え?……えっと確か、三日後だけど……」
「……じゃあ、その日飲みに行かないか。……直接、話がしたい」
「話?……分かった」
「……ありがとう、また連絡する」
「あ、ちょ……」
来栖が何か言いかけたが、御影は来栖との電話を切った。電話を切った後、御影は全身の力が抜け倒れる様に横になった。
もう、何も考えたくない。
――次回へ続く――




