12.『ただいま』
「…………チカ。チカ!」
名前を呼ばれて、目を開ける。
すぐ近くで見下ろしているイオの顔が見えた。
「イ、オ……?」
掠れた自分の声が、ここが現実だと教えてくれる。
視界に入る天井も部屋も、住み慣れたお城の風景だ。
(そうか……私、夢を見てたんだ)
夢の中で、高校生の頃に戻って。
そして、幼いイオに会った――。
いま傍にいる彼は、私がよく知る大人の男性の姿。
ただし、こんなに歪んだ表情の彼は見たことがない。
「ど……したの。ないてるの……?」
尋ねてから、夢の中と同じ問いかけだと気づく。
整った顔をくしゃくしゃにして、イオは泣いていた。
「な……泣いてねえよ!」
大人のイオは素直じゃない。紫色の瞳から溢れる涙を拭おうともしないくせに。
『チカー!』
『ヨカッター、チカ、生キ返ッタァァァ』
『心配シタンダヨ〜!』
枕の縁に鈴なりに並んだ妖精ちゃんたちも号泣してる。
少しずつ頭がはっきりしてきた。
そうだ。
私、散歩の途中、森で人間の少年に石を投げられたんだった。
額から血が出て、それを見たイオが怒って――
「あ! あの子……ロニーはっ!?」
「おい、動くなって」
跳ね起きようとして止められる。
「い、痛たた……」
体じゅうが痛い。
試しに少し片腕を上げてみると、白い包帯が目に入った。
結構な大怪我だわ、これ。生きててよかったレベル。イオの放った炎の塊、ものすごいサイズと熱さだったもんね……。
頭を触ると、そこにも包帯が巻かれていた。イオが手当をしてくれたんだと悟る。
「まったく、他人のことより自分の心配しろよ。お人好しめ」
「ねえ、イオ……あの人間の男の子は、どこに?」
おそるおそる尋ねる。
まさか……まさか、ね……。
心臓がバクバクする。
怯えながら答えを待つ私に、イオは憮然と言った。
「あのガキなら泣きながら逃げていったぞ。盗んだ実もしっかり持っていきやがった」
「え……見逃して、くれたの……?」
「それがお前の望みだったんだろ? あんな人間のために体張りやがって」
「よかった……イオ、ありがとう!」
体の力が抜け、安堵の笑みがこぼれる。
イオが息をのむのがわかった。
「……イオ?」
眉間の皺をかくすようにイオが下を向く。
「礼なんか言うな。お前をこんな目に遭わせたのは俺なのに」
「でも、嬉しいの。ロニーを傷つけないでいてくれたこと。イオが優しいこと、邪竜なんかじゃないってこと、いつかみんなわかってくれるはずだよ」
ばっかじゃねえの。
絞り出すように言ったあと、彼はまた顔を歪めて大粒の涙を零した。
「俺……チカを死なせるところだった。お前の気も知らないで……俺のせいで……!」
膝の上で拳を握り、肩を震わせて泣いている。
申し訳ない気持ちになって、包帯に包まれた手を伸ばした。
濡れたイオの頬に、そっと触れてみる。
「泣かないでよ。あなたは悪くない。私を守ろうとしてくれたんだよね」
「……チカ……ごめん。本当に、ごめん。きらいにならないでくれ。頼むから……」
消え入りそうな声でイオが呟く。
まるで小さな子どもみたい。ほんとに心細かったんだな。
「嫌いになんて、ならない。置いていかない」
驚いたような、怒ったような表情で見返すイオの大きな手が、わたしの手を包んだ。
それから目を閉じ、震える声で囁く。
「名前、呼んでくれよ」
ああ、やっぱり。
夢の中で会った男の子は、彼だったのね。
「……ただいま」
言ってしまってから「ただいま」は変かなって思ったけど。
まあ、いいか。
「おかえり」って、イオも笑ってくれたから。
・
・
・
私は実に、七日間も眠り続けていたらしい。
竜人であるイオには、癒しの力もあるそうだ。でも、眠る私は彼が何をしても意識を取り戻さなかった。
私を焼いたのはイオ自身が放った炎だから、癒しの力が効かなかったのだ。
意識が戻ったあとは、不思議と回復が早かった。
「生きる運命が廻り出したからだ」と、イオは言う。
正直よくわからないけど、そういうものなのかな。火傷も綺麗に治っていったし。
眠っている間、私の魂は、死の淵の奥深くまで迷いこんでいたんだろうと思う。
あの暗い夢は、きっと、生死の境界線。
イオが呼び戻してくれなかったら、本当に死んでしまっていたんだろうな。
ところで、意識が戻った私に、イオ様が真っ先におっしゃったこと。
「チカ、何か食え! 俺が元気の出る料理つくってやる」
「え? イオ、お料理したことあるの?」
「ない」
「ちょっと……不安なんですけど!」
「チカが普段やってるみたいにやればいいんだろ? 俺にかかれば楽勝だ、まあ任せとけって」
ああ。これ、よくある。
家事を甘くみてる人特有のパターン。楽勝とか言ってると凄いものが出てきちゃう、あのパターンです。
案の定、イオのつくる手料理は見た目も味も個性的だった。そりゃそうよ、普段は食べる専門なんだから。
「あれ? チカがやってる通りに作ったつもりなんだけどな。どうして上手くいかないんだ?」
それでもイオは頑張って、毎日毎日、ごはんをつくってくれた。妖精ちゃんたちにからかわれながら、ズルをせず、ちゃんと自分の手で。
彼の手料理は不恰好で、正直あんまり美味しくもなく、あらゆる意味で過不足ありありだったけど……
なんていうか。
とてもとても、優しい味がした。
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