第7話:コミュ障、ダウナー職人と出会う
――入社して、数日が経った。
数日。
たった数日。
けれど、アオの体感では半年くらい経っていた。
――VSPの時間はおかしい。
朝イチに出社して、姫野さんにヒィヒィ言わされてたら昼で、資料を見ていたら夕方で、チャット通知に追われていたら退勤時間で、家に帰る頃には魂が消えかかっている。
間違いない。この場所は明らかに時空が歪んでいる。
きっとアクセルワールドか何かだ。
けど――
「……慣れてきた、のかな」
自分の席で小さく呟く。
慣れてきた。
そう言っていいのかは分からない。
少なくとも、初日のようにオフィスへ入った瞬間、魂が宙を舞うことはなくなった。
チャット通知の音を聞いて、反射的に謝ることも少し減った。
姫野さんに話しかけられたとき、毎回心臓が階段から落ちるような感覚になるのも、随分とマシになってきた。
すごい充実感を感じる。今までにない何か熱い充実感を。
「おい、遠藤」
「ひんっ」
――はい、噓ぴょーん。
開幕から完全に声が裏返った。
人間としてまるで成長していない。
姫野さんが「おぉ」と謎の感嘆を出しながら、隣の席からこちらを見た。
「お前、朝イチで新作出したな」
「お、おはようございます……」
「ん、おはよ」
出ました。新キャラの登場です。
『ひゃい』、『ひょっ』、『ミ゛っ』。
そして今回、新たに加わった『ひんっ』。
アオ語録の四段活用。
またの名を、出涸らしカルテット。
新メンバー絶賛募集中。
「ああ、そうだ。今日の予定についてだが……」
姫野さんは、相変わらず少しガサツで、言葉遣いも荒っぽい。
でも、ここ数日で分かったことがある。
この人は、怖そうに見えて、ちゃんと見てくれる人だ。
私が抱え込みそうになる前に声をかけてくれる。
間違えそうなところは先に止めてくれる。
そして、変な声を出したら絶対に拾ってくる。
……そこだけは本当に見逃してほしかった。
「今日、午後から打ち合わせな」
「う、打ち合わせ……ですか?」
「ああ。配信・動画制作チームと」
「配信・動画制作チーム……」
私はメモ帳を開いた。
えーと、配信・動画制作チームは……あった、これだ。
――配信・動画制作チーム
同じ運営統括プロデューサー配下にある別部署。
配信の技術面、動画素材、編集、告知用ショート動画、配信演出などを扱っている。
ということは、つまり――
別部署。別の生物。
つまり、未知との遭遇。
人類には早すぎる。
「……姫野さん」
「あ?」
「む、無茶です。別部署の方と打ち合わせなんて……人類にはまだ早すぎます……!」
「いや何ドラマチックな感じ出してんの?お前の参加はもう決まってんだよ」
「なん……だと……」
姫野さんは呆れたようにため息をついた。
「心配すんな。進行はアタシがやる」
「は、はい……」
「お前には、資料を見てもらうのと、もう一個頼みたいことがある」
「もう一個……?」
嫌な予感がした。
仕事で頼みたいことがある。
つまり、仕事をする必要がある。
当たり前なのに怖い。
「前に告知動画の仮音声を読んだだろ」
心臓が跳ねた。
「えっ、あっ……はい」
「あの動画の最終調整を担当したのが、今日会う蓮見だ」
「そう、なんですか……?」
「お前の声を入れたら、止まってた編集が一気に進んだ。それで、別の動画でも確認したいことがある」
「また、声を……?」
「できるかどうかの確認からだ。無理に出せとは言わねぇ」
姫野さんは、少しだけ声を落とした。
「防音ブース。決まった文章。社内確認だけ。前と同じ条件を作る」
この間、声が出た時の状況。
一人で。
自分を評価される場ではなく。
書かれている文章へ集中する。
それでも、同じ声が出る保証はない。
「できなかったら、どうなりますか……?」
「別の方法で確認する」
「怒られたり……」
「しねぇよ。出るか分からないって条件は、蓮見にも伝えてある」
少しだけ息が戻った。
「今回のアタシらと打ち合わせするのは、配信・動画制作チームの蓮見って奴だ」
姫野さんは手元の資料を見せた。
「腕はいい。仕事も早い。基本無気力。ダウナー系の職人だな」
「ダウナー系の職人……」
「あと、あんま人と関わるタイプじゃない」
「……なんだか、急に親近感が」
「バカたれ。お前と違って真っ当に喋れる」
「ぐふっ……」
ダウナー系。
職人肌。
あまり人と関わらない。
何となく、勝手に仲間意識が芽生えかけた。
ただし、きっと蓮見さんは仕事ができるタイプの無気力。
私は仕事ができないタイプの低燃費。
同じ省エネでも、電気自動車と電池切れのリモコンくらい違う。
「ま、お前を同席させるのは、アタシの提案じゃねぇんだけどな」
「え?」
「蓮見からの要望。『もしよければ遠藤さんも是非』って」
「…………ヱ?」
アオは完全に停止した。
別部署の人。
まだ会ったこともない人。
その人が、自分を打ち合わせに呼んだ。
なぜ。
どうして。
ホワイ?
まさか、私は何かやらかしたのでは。
いや、やらかしたなら打ち合わせではなく呼び出しでは。
呼び出し?
これ呼び出し?
「姫野さん」
「何」
「私、何かしましたか……?」
「成果出したからって話してんだろ」
「でも、別部署の方が私を指名するなんて……きっと裏があります……」
「仕事の打ち合わせに陰謀論持ち込むな」
「あぁ、やっぱ私は実験動物なんだぁ……」
「……もしかしてモルモット呼ばわりしてるの、結構根に持ってる?」
――午後。
会議室の前で、私は深呼吸をした。
一回。二回。三回。
まだ足りない。
四回。五回。
「その辺にしとけ。過呼吸になるぞ」
横から姫野さんが言った。
「こ、呼吸の適量が分からなくて……」
「普通に吸って吐け」
「普通が一番難しいです……」
「ハイハイ、ムズイムズイ」
「ざ、雑……!」
とうとう姫野さんにテキトーにあしらわれ始めた。
「大丈夫だ。進行や手引きはアタシがやる。お前は言われた通りにやればいい」
「は、はい……」
「謝罪は禁止な」
「すみま――あっ」
「開幕前からダウト。早えっつーの」
「気を付けます……」
そして、姫野さんがドアを開けた。
会議室には、すでにひとりの女性が座っていた。
黒っぽい服。
少し眠そうな目。
無駄のない姿勢。
手元にはタブレット。
その雰囲気は、確かに姫野さんの言う通りだった。
ダウナー系。
職人。
あまり喋らなさそう。
でも、仕事は速そう。
そんな印象を受ける人だった。
「お疲れ、蓮見」
「お疲れさまです、姫野さん」
蓮見さんは、ゆっくりと顔を上げた。
そして、私を見る。
目が合いそうになった瞬間、私は視線を机の角へ逃がした。
机の角、こんにちは。
今日もたいへん鋭利ですね。
「……はじめまして」
蓮見さんは、静かな声で言った。
「配信・動画制作チームの蓮見カンナです」
「あ、あの……タ、タレントマネジメント部の、遠藤アオ、です……本日は、その……よ、よろしくお願いします……」
言えた。
ぎりぎり言えた。
声は細かったが、挨拶の形は保っていた。
大丈夫、これは挨拶。
鳴き声には分類されない……ハズ。
「よろしくお願いします」
蓮見さんは、すっと手を差し出してきた。
握手。
握手だ。
人類の友好を示す儀式。
しかし、私はその儀式に慣れていない。
握手という行為は、私にとっては上級者向けのコミュニケーションである。
手を出す。握る。離す。
簡単に見えるが、実はその全てに絶妙なタイミングがある。
――人間業ってもしかして、まあまあ離れ業?
「……あ、はい」
私はおそるおそる手を差し出した。
蓮見さんの手が、私の手を包む。
冷たい。
細い。
でも、握り方は丁寧だった。
よかった。
普通の握手だ。
そう思った。
思ったのだが。
「……」
蓮見さんは、手を離さなかった。
…………ん?
あれ、おかしいな。離れない。
もしかして、手に接着剤でも付いちゃってたかな。
「……」
さらに、蓮見さんは私の手を両手で包み直した。
そして、にぎにぎし始めた。
にぎ。にぎ。にぎ。
私はフリーズした。
脳が止まった。
目の前の世界がスローモーションになる。
「おい、蓮見」
姫野さんの声が聞こえた。
遠い。
遠くから聞こえる。
私は今、精神だけ天井付近に浮かび上がっている気がする。
「何してんだお前」
「……いや」
蓮見さんは、私の手をにぎにぎしたまま言った。
「肉球が……」
「何言ってんだコイツ」
姫野さんの声が、会議室に響いた。
「人間に肉球はねぇよ。離せ。遠藤の魂が半分出てる」
「もう少しだけ」
「ダメだっつってんだろ」
姫野さんが私と蓮見さんの間に手を入れ、強制的に握手を終了させた。
私の手が解放される。
戻ってこい、魂。
ここはまだ現世ぞ。
「……す、すみません……」
「はいダウt……いや、今回ばかりはノーカンだな」
あ、姫野さん優しい。
「おい蓮見。お前、仮にも遠藤とは初対面だろ」
「はい」
「はいじゃないが」
「柔らかかったので」
「理由になってねぇ」
私は自分の手を見つめた。
他部署の人に、初対面で肉球認定された。
しかも、人間なのに。
人間としての境界が、日に日に崩れていく。
最初は姫野さんにモルモットと言われた。
今日は蓮見さんに肉球と言われた。
このままでは、社内全体に小動物認定される日も近い。
「……あの、私は一応、人間で……」
「はい。把握しています」
「把握されてるのに……!?」
蓮見さんは、表情をほとんど変えなかった。
だが、その目だけが、少しだけ輝いているように見えた。
――気のせいであってほしいなぁ。




