第8話:コミュ障、告知素材の違和感を拾う
しかし、本題に入ると、蓮見カンナという人の印象は一変した。
「では、週末企画配信の動画素材について確認します」
タブレットを操作しながら、蓮見さんは端的に話し始めた。
「対象素材は三本。うち一本は尺調整が必要。二本目は使用許諾確認済み。ただし、サムネイル転用は不可。三本目は音源差し替え前提です」
「告知用ショートの方向性は?」
姫野さんがすぐに聞く。
「十五秒版と三十秒版を作ります。十五秒版はテンポ重視。三十秒版は企画内容を見せる構成。どちらも冒頭二秒で配信テーマが伝わるようにします」
「出演タレントの確認は?」
「仮編集後に本人確認。セリフ字幕のニュアンスはマネジメント側で一度見てほしいです」
「了解。こっちで見る」
会話が速い。
速すぎる。
私の脳内で、小さな私が全力疾走している。
今、何本目?
十五秒?
三十秒?
音源差し替え?
本人確認?
字幕ニュアンス?
情報が光の速度で流れていく。
けれど、蓮見さんの説明は無駄がなかった。
短い。けど分かりやすい。
必要な情報だけが、綺麗に並んでいる。
先ほど私の手をにぎにぎして「肉球が……」と言っていた人物と、同一人物とは思えない。
すごい。
この人、変だけど、すごい。
いや、VSPでは「変だけどすごい」が標準装備なのかもしれない。
姫野さんも、清白さんも、蓮見さんも。
逸材には変人属性が付属するのだろうか。
だとしたら、私は逸材ではないただの変人だ。
――悲しい。
「遠藤、資料見えてるか」
「あ、はい……!」
姫野さんに声をかけられ、私は慌てて画面に集中した。
資料には、週末の企画配信で使用する予定の動画素材一覧と、告知用ショート動画の構成案が並んでいた。
出演タレント。
企画テーマ。
使用予定シーン。
字幕案。
音楽。
テンポ。
投稿タイミング。
目が滑りそうになる。
でも、見逃さない。
姫野さんに言われた。
気づいたことがあったら言え、と。
前の告知文も、文字で見ているだけでは何が変なのか分からなかった。
声に出して初めて、本人の言葉と運営の言葉が繋がっていないと分かった。
だから今回は、字幕だけを見ない。
表情。声。言葉の前後。切り替わるタイミング。
それらを一緒に見る。
一つずつ。
文字を拾う。
構成を見る。
出演タレントの配信アーカイブで見た雰囲気を思い出す。
すると、一か所だけ、引っかかった。
告知用ショートの中盤。
タレントさんが、配信中の失敗について笑っている場面だった。
画面には、大きな字幕が表示されている。
【――私って、本当にこういうところ駄目だよね】
文言そのものは間違っていない。
実際に本人が口にした言葉だ。
それなのに、十五秒の動画だけを見ると、ひどく重く感じた。
「その……確認、なんですけど」
声を出すと、会議室の視線がこちらへ集まった。
喉が縮む。
けれど、黙って流した方がもっと怖い。
私は問題の場面を指差した。
「字幕だけなら、間違っていないと思います。でも……この前の部分を切ると、本人が言った時とは違う意味に見える気がして……」
「前の部分?」
姫野さんが動画を少し巻き戻す。
元の配信では、失敗した直後に本人が笑い、その場にいた視聴者へ語りかけていた。
【――あ、またやった。私って、本当にこういうところ駄目だよね。次こそちゃんとするから、今のは忘れて】
ショート動画では、最初の笑い声と最後の一言が切られている。
「ここだけ残すと……本気で自分を責めているように見えます」
言い切った。
合っているかは分からない。
けれど、気になった場所と、そう感じた理由までは伝えられた。
蓮見さんは、しばらく二本の映像を見比べていた。
「……私も、そこが気になっていました」
「え」
「ただ、何度も映像を見ているので、自分の感覚を信用できなくなっています」
蓮見さんが、タブレットに二つの文章を表示した。
一つ目は、ショート動画に残した一文だけ。
【――私って、本当にこういうところ駄目だよね】
二つ目は、元の配信に近い前後を含めたもの。
【――あ、またやった。私って、本当にこういうところ駄目だよね。次こそちゃんとするから、今のは忘れて】
「遠藤さん。前回、告知動画の仮音声を担当したと聞いています」
心臓が跳ねた。
「あ、あれは……たまたまで……」
「はい。再現できる保証がないことも聞いています」
蓮見さんは淡々と続けた。
「今回は映像を外し、この二つを同じ人の声で聞き比べたいです」
「私の声で……?」
「確認用です。公開はしません。録音も、作業が終われば削除します」
自分を見せるためではない。
声を評価してもらうためでもない。
二つの文章が、同じ意味に聞こえるかを確かめるだけ。
姫野さんが、横から私を見る。
「無理なら別の方法でやる。どうする?」
怖い。
でも、できなかった時の逃げ道は用意されている。
それなら。
「……やって、みます」
私は二枚の原稿を持って、防音ブースへ入った。
扉が閉まり、会議室の視線が見えなくなる。
一人。
読む文章も決まっている。
私はマイクの前で息を整えた。
「私って、本当にこういうところ駄目だよね」
最初は、いつもの小さな声だった。
それでも、文章の意味だけを追って読み切る。
短い言葉が、ブースの中へ静かに残った。
前後がない。
笑い声もない。
ただ、自分を責める言葉だけが残っている。
続いて、二つ目の原稿へ目を移す。
「あ、またやった。私って、本当にこういうところ駄目だよね。次こそちゃんとするから、今のは忘れて」
文章を追ううちに、喉の引っかかりが消えていった。
無理に声を張っているわけではない。
それなのに、一音一音が透き通り、マイクの向こうへ真っ直ぐ届いていく。
同じ一文が入っている。
けれど、聞こえ方はまるで違った。
一つ目は、自分を責めている。
二つ目は、失敗を視聴者さんと笑い合い、次へ進もうとしている。
読み終えると、二つの音声が会議室で続けて再生された。
短い沈黙が落ちる。
『……違いますね』
姫野さんの声が、ヘッドホンから聞こえた。
蓮見さんが一つ目の映像を停止する。
『原因は字幕ではありません。発言を切る位置です』
「……はい」
『遠藤さん。一つ目は、どう聞こえましたか』
私は、もう一度文章を見た。
「本人が……本気で自分を責めているように聞こえました」
『二つ目は?』
「失敗を、視聴者さんと一緒に笑っているように聞こえます」
『同意します』
蓮見さんの手で、一つ目の編集案が候補から外された。
元の笑い声。
発言前の短い間。
最後のフォロー。
それらを残した形で、再編集が始まる。
「この案で、本人確認へ回します」
止まっていた判断が決まり、作業が動き出した。
この間の読み合わせは、私の声が動画の尺を決めた。
今回は、切り取られかけていたタレントさんの言葉を、元の意味へ戻すために使われた。
私の声が公開されるわけではない。
名前が出るわけでもない。
それでも、誰かの言葉が違う意味で届くことを防げた。
『遠藤さん』
「はい」
『念のため、一つ目をもう一度、先ほどと同じ声でお願いします』
同じ声。
その言葉を意識した瞬間、外で二人が聞いていることを思い出した。
喉が閉じる。
「わ、私って……ほんとうに、こういうところ……」
出ない。
何度息を整えても、先ほどの声には戻らなかった。
謝りそうになり、口を閉じる。
謝罪ではなく、報告。
「……今は、同じ声では読めません」
短い沈黙。
『分かりました』
蓮見さんは、あっさり答えた。
『必要な比較は終わっています。録音も確認後に削除します』
「はい……」
しばらくして、修正版を確認したタレントさんから返信が届いた。
――こちらの方が、配信時の空気に近いです。ありがとうございます。
「遠藤さん」
防音ブースを出ると、蓮見さんがこちらを見た。
「助かりました」
真正面から、礼を言われた。
私の声が、タレントさんの言葉を守る役に立った。
その事実を理解した瞬間、私の脳は処理を放棄した。
画面が暗転する。
脳内の全社員が一斉退勤した。
閉店ガラガラ。
「おい、遠藤」
姫野さんの声。
「遠藤。再起動しろ」
「……はっ」
私は我に返った。
「す、すみま――」
「ダウト」
「あっ……」
「今のはありがとうございますだろ」
「あ、ありがとうございます……!」
姫野さんは満足げに頷いた。
「だそうだ、蓮見……蓮見?」
しかし、蓮見はその様子をじっと見ていた。
じっと。
かなり、じっと。
そして、タブレットに何かを打ち込み始めた。
「……蓮見」
姫野さんが怪訝そうに目を細める。
「お前、なにしてんの」
「議事録です」
「……本当か?」
「処理落ち……モルモット……良い」
「心の声はダダ漏れなんだけど?」
「後であの動画、見直さなきゃ……!」
「もう隠す素振りすらねぇや、コイツ」
蓮見さんは一切悪びれなかった。
それどころか、真顔のまま私を見た。
そして――
「この子、やっぱりモルモットみたいでカワイイ」
ついに言った。
正面切って、完全に言い切りやがった。
私は椅子の上で完全に固まった。
――テッテレー。
あなたはVSPの公認モルモットに認定されました。
遠藤アオ:VSP事務所タレントマネジメント部所属。
霊長目ヒト科テンジクネズミ属モルモット種。
「……も、モル……」
「遠藤?」
「……他部署の人にまで、モルモット認定……」
「おい、遠藤。しっかりしろ」
私の顔から表情が抜け落ちていく。
目は虚空を見つめる。
口元は力なく開く。
それはまさに――
「ぶっ」
姫野さんが吹いた。
「ぶはははははははっ!」
次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「お、お前、その顔!ほ、ホントにFXで有り金全部溶かして……!」
「…………」
私は何も言えなかった。
有り金は溶かしていない。
けれど間違いなく、人としての尊厳は溶けた。
「ははははははっ!……や、やばい、笑い殺される!……助けてスズちゃん!」
姫野さんは床の上でのたうち回っていた。
唯一のストッパーが機能していない。
果てには、あのVSPが誇る狂人・清白さんにさえ助けを求めだす始末。
「その顔もまた……イイ」
その傍らで、蓮見さんは真顔で妄言を呟いている。
ひどい。これはひどい。
京都人がド直球に、「死ねどす」と暴言を吐くレベルでひどい。
――控えめに言って、この空間は終わっていた。
アオが今日も無事に社会で息をしていけるよう、そっとブックマークや評価で見守っていただけると嬉しいです。




