第9話:ケモナー、モルモットについて語る
打ち合わせが終わったあと、遠藤アオさんは一足先に席へ戻っていった。
議事録をまとめるため、とのことだった。
資料を両手で抱え、ぺこりと頭を下げて、少し早足で会議室を出ていく。
その背中を見ながら、私は思った。
小さい。
けれど、逃げているわけではない。
巣穴に戻る小動物みたいで。
それでいて、自分の役目をちゃんと果たそうとしている。
とてもイイ。
「……はぁー……」
休憩スペースのソファで、姫野さんが背もたれに倒れ込んだ。
「笑いすぎて頭痛ぇ……」
「何してるんですか」
「酸素が足りん……」
「ただ自滅しただけですよね」
「お前、もうちょい心配しろよ……」
「水でも飲みますか」
「そこはちゃんとしてんのな」
私は自販機で買った水を、姫野さんに渡した。
姫野さんはそれを受け取ると、まだ肩を震わせながら口を開ける。
「いや、だってよ……あいつの顔……」
「あのFXのやつですか?」
「そう、それ……っ、ふ、ふはっ……!」
「またやってるし」
「だ、だって……お前が正面からモルモットとか言うから……!」
「事実なので」
「いや、お前が言うと怖いわ。ホントに人間扱いしてなさそうで」
「………え?」
「えっ、嘘だよな?嘘だと言ってくれよそこは。人としてさぁ」
姫野さんは水を飲みながら、深く息を吐いた。
私はその隣で、スマホを開いていた。
画面に映っているのは、二匹の白いモルモットが餌を取り合っている動画。
片方のモルモットが葉っぱを咥え、もう片方が横から引っ張る。
しばらく綱引きのようになったあと、突然、片方が動きを止めた。
完全停止。処理落ち。
その隙に、もう片方が葉っぱをこれ見よがしに咀嚼する。
「……イイ」
私は呟いた。
「何見てんだ?」
「モルモットが餌の取り合いをしていて、片方が突然処理落ちする動画です」
「なんで今それ見てんだよ」
「さっきの遠藤さんを思い出したので」
「ふはっ……ちょ、マジやめろ……まだ頭に酸素が回ってねーんだよ」
姫野さんはそう言いながら、また口元を押さえた。
かなり気に入っている。
本人は否定しそうだけど、分かりやすい。
「……そういやさ、蓮見」
「はい」
「お前、なんで遠藤を打ち合わせに呼んだ?」
姫野さんの声が少し変わった。
笑いの余韻が引いて、仕事の時の声になる。
「ずっと引っかかってたんだよ。他人に興味を示さないお前が、わざわざ名指しで指名するなんて」
「それも、入社して数日の新人を、だ。……そこんとこ、どうなんだよ」
「……まぁ、元から気になっていたので」
「やっぱりか……で、いつから?」
私はスマホを伏せた。
「最初に見たのは、この間のオーディションです」
「えっ……お前、審査員やってたのか」
「いました」
「マジか、意外だわ。お前そういうのもやるんだ」
「ボーナス出るって聞いたので」
「うん、知ってた。そういうヤツだよな、お前」
――私は、怠惰な人間だ。
とにかく面倒なことが嫌いだ。
そして何よりも一人の時間を好んでいる。
自由に作業して、早く終わらせて、誰にも邪魔されずに動物動画を見たい。
仕事が早いと言われるのも、効率がいいと言われるのも、理由は単純。
面倒なことをさっさと片づけたいから。
それだけ。
なのに周囲は勝手に「寡黙な職人肌」とか「配信・動画チームのエース」と呼ぶ。
理解できない。
私はただ、早く帰りたいだけなのに。
「私は、オーディション自体に興味はありません」
「身も蓋もねぇな」
「有望株とか、ダイヤの原石とか、そういう言葉も苦手です。磨けば光る、みたいな言い方は少し乱暴だと思っています」
「……まあ、分からなくはない」
「人の本質を見抜くことはとても難しい。にも関わらず、世の中にはそれを形容する言葉が蔓延っている」
「………」
「何よりそれらを石に例えてるのが許せない」
「……えっ、そこ?」
「宝石なんて磨いて何が楽しいんです?動物のブラッシングの方が遥かに有意義です。そもそも――」
「蓮見、ステイ。いきなり論点が大気圏をブチ抜けたって」
動物は素晴らしい。
怖がる理由がある。
逃げる理由がある。
近づいてくる理由がある。
鳴く理由がある。
警戒するのも、甘えるのも、隠れるのも、それら全てが素直で、ちゃんと意味がある。
――だから私は、動物が大好きなのだ。
本質の見えない、人間よりもずっと。
「その日も、私は早く終わらないかなと思っていました」
「最低限の審査員だな」
「義務は果たしたはずです。資料も見ました。配信適性も、動画映えも、画面内での声の抜けなどもチェックしました」
「仕事ができるのが余計ムカつくな」
「面倒なことを長引かせたくないので」
「あーハイ、そうですか」
姫野さんは水のペットボトルを振った。
「で、そこで遠藤を見つけたわけね」
「はい」
私は、少しだけ目を伏せた。
思い出す。
あのオーディション会場。
緊張した応募者たち。
明るい声。
強い自己PR。
見せ方を分かっている人。
キャラクターを作ってきた人。
その中で、遠藤アオさんは明らかに浮いていた。
肩をすぼめ、手を膝の上で強く握っている。
呼吸は浅い。
声もほとんど出ていない。
今にも椅子の下へ潜り込みそうだった。
「第一印象は」
「おう」
「モルモットみたいでカワイイ、でした」
「飼育員かテメェは。審査員の目線どこ行った」
「正直な感想です」
「知ってたけどよ」
「でも、それだけでした」
最初は、本当にそれだけだった。
カワイイ。
小さい。
怯えている。
守りたい。
でも、オーディションには通らない。
画面の向こうへ届かせる以前に、目の前の審査員にすら声が届いていなかった。
彼女は、この場所では生き残れない。
私はそう判断し、興味を失いかけた。
可愛いものは好き。
でも、壊れていく可愛いものを見るのは嫌い。
この業界は、可愛いだけで守ってくれるほど優しくない。
「でも」
私は言葉を続けた。
「ただ怯えているだけのモルモットじゃなかった」
姫野さんは黙って聞いていた。
「彼女はミーアキャットでした」
「……ここで人類だろって言ったら負けなんだよな、たぶん」
――ミーアキャット。
小さくて、愛らしい。
警戒心が強くて、臆病に見える。
でも、群れのために見張り役をする。
天敵を見つけると、仲間に警報を出す。
必要なら、自分より大きな相手にも立ち向かう。
彼女は、それに似ていた。
「遠藤さんは、すぐにでもあの場から逃げたかったはずです」
「だろうな」
「顔に全部出ていました。怖い。帰りたい。消えたい。無理。助けて。床になりたい」
「最後はお前の解釈だろ」
「合っていると思います」
「……合ってるよ。たぶん」
それでも、遠藤さんは席を立たなかった。
質問を聞き、何度失敗しても、自分の声を出そうとしていた。
勇気がある人とは、怖がらない人ではない。
怖いまま、それでも逃げなかった人だ。
「だから、ミーアキャットです」
姫野さんは、しばらく何も言わなかった。
「……声も聞いたのか」
「一瞬だけですが」
部屋を出る直前。
緊張が少しだけ解けたのか、遠藤さんの声が空気に触れた。
小さく、震えていて、すぐに消えた。
けれど、透き通っていた。
「とても綺麗でした」
私は即答した。
「でも、私が気になったのは、声だけではありません」
「じゃあ、何だよ」
「声が出なくても、最後まで出そうとしていたことです」
綺麗な声を持つ人なら、ほかにもいる。
映像に映える人も、話すことが得意な人も、演じることが上手い人もいる。
けれど。
あれほど怯えながら、それでも椅子から逃げなかった人は、ほかにいなかった。
「きっと彼女は落選する。でも、ここで終わるような人じゃないとも思いました」
「……それをスズちゃんも見てたわけか」
「おそらく」
私は動物に置き換えないと分からない。
でも、清白さんは、そのまま人を見る。
普段はフワフワしているのに、人間のより深いところまで見通す。
「だから、声をかけたんでしょうね」
「……なるほどな」
姫野さんは、空になりかけたペットボトルを揺らした。
「スズちゃんも大概だけど、お前も相当だな」
「何がですか」
「入社前から、そこまで見てたんだろ」
「審査員として必要な範囲です」
「絶対範囲からはみ出してるだろ」
否定はしなかった。
自分でも、少しだけ分かっていたからだ。
あの時から。
――遠藤アオという人間は、私の中で、ただの不合格者ではなくなっていた。




