第10話:ケモナー、独占欲を抱く
「で、入社してからも見てたのか」
「はい」
「……マジで?」
「はい」
「怖いって」
「ちゃんと業務の範囲内です」
「どの範囲だよ」
「廊下ですれ違った時。フロアを通りかかった時。そして――」
「ガッツリ範囲から出てんじゃねーか」
「――観葉植物に会釈していた時」
「…………今なんて?」
「……?ですから、入社初日の遠藤さんが置いてある観葉植物にヒヨり散らかしてた時です」
「『あ、あの……今日から、お世話に……なりましゅ……』とか何とか。あの時の遠藤さんといったらもう――」
「……ぶっ、ぶふっ」
「――何と表現したらいいのやら。強いていうなら……ん?どうかしましt」
「ぶははははははははっ!!!」
「!?」
「や、やってた!ほ、本当に観葉植物に…………うはははははっ!!」
「えっ、ちょっ……な、何ですかいきなり……」
「ふはははっ……わ、笑いすぎて……頭と背中が痛い……!」
「……えぇ(ドン引き)」
え、こわ。何この人。
流石に病院に連れて行った方がいいかもしれない。
精神科?脳神経外科?それとも整骨院?
……もういいや、ほっとこ。
めんどくさいし。
「で、遠藤さんのことなんですけど」
「ふぅーっ、ふぅーっ……遠藤が何だって?」
「入社してから見ていて、分かりました」
姫野さんが、笑い疲れた目をこちらへ向ける。
「オーディションの時に見たものは、偶然ではありませんでした」
「ミーアキャットってやつか」
「それもあります」
「それも?」
私は、今日の打ち合わせを思い出した。
遠藤さんは、短尺動画から切り落とされた前後の言葉に気づいた。
字幕そのものは間違っていない。
本人確認も取れている。
それでも、切り取る場所によって、本人の言葉が別の意味に見えていた。
「遠藤さんは、問題の場所を見つけました」
「原因まで当てたわけじゃねぇだろ」
「はい。編集上の原因を特定したのは私です」
前後を切った文章。
元の流れを残した文章。
遠藤さんが同じ声で読んだことで、二つの印象の違いがはっきりした。
「遠藤さんの声がなければ、判断にもう少し時間がかかっていました」
「声が綺麗だったからか?」
「それだけではありません」
遠藤さんの声は、言葉を必要以上に飾らない。
明るく読んで、重い言葉を誤魔化すこともしない。
余計な演技を足さず、書かれている意味をそのまま前へ出す。
だから、一文だけを残した時の重さも、前後を加えた時の軽さも、隠れなかった。
「遠藤さんの声で差が見えた。私が切る位置を決めた。本人確認で、その方向が合っていたと分かりました」
「二人で一個の答えを出したってことか」
「はい」
遠藤さん一人で、編集上の原因を特定したわけではない。
私一人でも、映像を見すぎて判断が鈍っていた。
どちらかだけでは、あの時点で修正案を決められなかった。
「ただ、二回目は出なかったんだろ」
「出ませんでした」
「じゃあ、まだ安定して使える声じゃねぇな」
「それも同意します」
同じ声で。
そう要求された瞬間、遠藤さんの喉は閉じた。
それでも、必要な比較は終わっていた。
出なくなったことも、謝罪で誤魔化さずに報告できていた。
「前回は、仮音声として編集を進めた。今回は、編集で言葉の意味が変わっていないか確かめた」
私は言った。
「少なくとも、二つ目の使い道は見つかりました」
姫野さんが、少しだけ眉を上げる。
「それを確かめるために、打ち合わせへ呼んだのか」
「はい」
「最初から、声の検証が目的だったと」
「それと、オーディションで見たミーアキャットが、たまたまではないか確認したかったので」
「観察目的も入ってんじゃねぇか」
「失礼ですね。ほんの八割ほどです」
「大半じゃねえかバカヤロー」
姫野さんが即座に突っ込んだ。
私は頷いた。
これは、嘘ではない。
遠藤さんはモルモットみたいで、確かにカワイイ。
――でも、本当でもない。
正確ではない、という方が近い。
私はそのことを、姫野さんには言わなかった。
「遠藤さんは、自分で自分を低く見ています」
「まあ、そうだろうな」
「今日も、役に立ったことより、二回目に同じ声を出せなかったことを気にしていました」
姫野さんが、少しだけ黙った。
「……あいつ、できた方は偶然にして、できなかった方だけ実力扱いするからな」
「はい」
声が出たこと。
比較が成立したこと。
タレント本人の意図を守れたこと。
それらより、最後に再現できなかったことばかりを覚えている。
「私は、何でも褒めればいいとは思っていません」
「意外だな」
「失礼ですね」
私は少し間を置いた。
「ただ、できたことと、まだできないことは分けて認識してほしいです」
声は、限定された条件でしか出ない。
仕事として安定運用できる段階でもない。
それでも、今日の確認作業に役立ったことまで消えるわけではない。
「一回できたから天才、ではありません」
「うん」
「二回目にできなかったから、最初の一回も偶然だった、でもないです」
「遠藤本人に聞かせてやりてぇな」
「本人に言ったら処理落ちします」
「めんどくせぇモルモットだ」
「そこが良いんです」
「食い気味に言うな」
姫野さんは少し笑った。
その笑いには、さっきまでの爆笑とは違う湿度があった。
「そういう姫野さんも、かなり重くないですか?」
「はァ?アタシは普通だろ」
「普通の先輩は、入社数日の新人を隣の席に固定して、謝罪を取り締まって、ご褒美を与えて、他部署の女が近づいたときに威嚇しません」
「威嚇してねぇ!」
「してました」
「してねぇよ」
「番犬みたいでしたよ。バウバウって」
「お前が初対面で肉球とか言うからだろ!」
「それはそう」
「認めるんかい」
姫野さんは頭をかいた。
少し照れているようにも見える。
「……別に、大した理由じゃねぇよ」
「はい」
「ただ、あいつは危なっかしい。優しくされたら、そのぶん返さなきゃって思う。褒められたら、期待に応えなきゃって思う。失敗したら、全部自分のせいにする」
「そうかもしれません」
「そういうタイプは、見てないと沈んじまう」
「えぇ、間違いなく」
「だから見てるだけだ」
「……やっぱり、重いです」
「うるせぇよ」
否定はしなかった。
私は少し満足した。
「けど、ご心配なく。私も見てます」
「いや、別の意味で心配なんだけど」
「違います。別に浮わついた意味ではないです」
本当の理由を、私は姫野さんには言わなかった。
遠藤さんが評価されることは、正しいと思う。
あの人の声も。
あの人の目も。
恐怖の中で、それでも行動しようとする勇気も。
もっと多くの人に知られるべきだ。
会議へ呼んだのも、そのためだった。
役に立てると知ってほしかった。
自分の言葉で誰かを守れると、少しずつ信じてほしかった。
だから。
誰にも気づいてほしくない、わけではない。
誰にも渡したくない、というのも少し違う。
それでは、小動物を狭い檻へ閉じ込めるのと同じだ。
ただ。
できることなら。
最初に気づいたのは、私でありたかった。
あの人がただ怯えているだけではないと。
逃げたくてたまらないのに、それでも立ち向かえる人なのだと。
誰よりも先に見つけた人でいたかった。
そしていつか。
遠藤さん自身が、自分の声や勇気を認められるようになった時。
その瞬間を、一番近くで見ていたい。
これを独占欲と呼ぶのなら。
――否定する気はなかった。
「お前、何かヤバいこと考えてない?」
姫野さんが、訝しげに私を見る。
「別に」
「目が怖ぇんだよ」
「失礼ですね」
「遠藤に直接言うなよ」
「何をですか」
「今考えてたこと全部」
「…………言いません」
「ちょっと葛藤してんじゃねぇよ」
「してないです」
「可愛いは?」
「正義」
「おいコラ」
「すいません。勢い余りました」
「余りすぎだろ。トップギアじゃねぇか」
あのモルモットの処理落ち顔は見たい。
でも、小動物は急に近づくと逃げる。
距離の詰め方が肝心。
安心できる場所になることこそが命題なのだ。
「さて、そろそろ戻るか」
姫野さんが立ち上がった。
「遠藤、議事録で詰まってるかもしれねぇし」
「もう助けに行くんですか」
「様子見だ、様子見。面倒見ろって言われてるしな」
私も立ち上がった。
スマホをポケットに入れる。
遠藤さんには、まず手頃な小動物の動画をオススメしよう。
そしてゆくゆくは、ミーアキャットのを――
――ふふ、楽しみ。
「おい。やっぱお前、さっきからロクでもないことばっか考えてんだろ」
「何ですかいきなり。酷い言い草ですね」
「……気づいてなかったのか?お前、さっきから結構ヤバい顔してたぞ」
「……おっと、危ない危ない」
「まぁ、何考えてたかは聞かないでおく。……なんか怖いし」
「動物の動画の送付順について考えてました」
「えっ、いま聞かないでおくってアタシ言ったよな?なんで喋った?」
休憩スペースを出ると、タレントマネジメント部のフロアが見えた。
遠藤さんは席に座り、画面と資料を交互に見ている。
背中は小さい。
肩にはまだ力が入っている。
でも、オーディションの日より、少しだけ前を向いている。
「……やっぱり強い子だ」
「……?何か言ったか?」
「何でもないです」
「どうせ遠藤のことだろ」
「はい」
「隠す気ねぇな」
「面倒なので」
姫野さんは呆れたように笑った。
私は、もう一度だけ遠藤さん――遠藤アオを見る。
姫野さんには言わなかった。
8割が動物的なカワイさ。
それは嘘ではない。
――けれど、本当でもない。
私が遠藤アオを指名した本当の理由は、もっとずっと湿っていて、ずっと重い。
誰にも言えない。
姫野さんにも。
もちろん、遠藤アオ本人にも。
言えばきっと、この感情は名前を持ってしまう。
名前を持った瞬間、私はもう、ただの配信・動画制作チームの職人ではいられなくなる。
だから今は、言わない。
言えない。
だから、いまはただ、その内に秘めた想いをハムスターやモルモットの動画に圧縮して送る。
私の独占欲も、執着も、あの日見た小さな勇気への熱も。
全部、何でもない顔をして、カワイイ動画の中に隠しておく。
遠藤アオ。
たとえ貴女が、まだ自分の強さを知らなくとも。
――私だけは知っている。
あの日、誰よりも臆病で。
そして、誰よりも勇敢だった貴女のことを。
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