幕間:姫野ミカンのざっくりVSP組織図講座①
席に戻った私は、議事録をまとめていた。
正確には、まとめようとしていた。
画面には、先ほどの打ち合わせ内容が並んでいる。
告知用ショート動画。
十五秒版。
三十秒版。
字幕ニュアンス。
本人確認。
素材差し替え。
音源確認。
配信・動画制作チーム。
タレントマネジメント部。
……いや、多いって。
あまりにも情報が多い。
もはやこれは議事録などではなく、ただの情報の闇鍋では?
しかも具材がどれも硬ったい。
噛み切れない。歯が折れそう。
「……えっと、確認事項は……タレントさん本人のニュアンス確認と、字幕案と、あと……配信・動画制作チームさんへの戻しが……」
私はメモを見返した。
やばい、脳がパンクしそう。
頭の中で文字が踊りだした。
ひらがなはステップを踏み、カタカナは横滑りし、漢字はトリプルアクセルを決める。
――日本語がオドループしている。
助けてクレメンス。
その時、背後から声がした。
「おーい、遠藤」
「ひゃい」
やせいのアオ語録があらわれた。
『ひゃい』『ひょっ』『ミ゛っ』『ひんっ』の一角。
その中でも、『ひゃい』は最もエンカウント率が高い。
――つまり、ヤツは四天王の中でも最弱。
「お、出た」
姫野さんが私の隣に立っていた。
後ろには蓮見さんもいる。
無表情。
ザ・省エネ。
でも、目だけが少し輝いている。
嫌な予感がする。
「これが件の『ひゃい』ですか……良い」
蓮見さんが小さく呟いた。
「保存しました」
「何をですか!?」
「心のメモリーに」
「そんなもの保管してどうするんですか……!」
姫野さんが吹いた。
「ぶはっ、ひゃいって何だよ。事故多すぎだろ、お前の発声器官」
「私の喉に罪を着せないでください……」
「喉も困ってるよ、たぶん」
ひどい。
私の喉は私と一緒に日々戦っているのに。
たまに敵前逃亡するけど。
「議事録、進んでるか?」
「え、えっと……進んでは、います……たぶん……」
「その“たぶん”が怖ぇんだよ」
姫野さんは私の画面を覗き込んだ。
私は反射的に背筋を伸ばす。
画面を見られるのは緊張する。
文章を見られるのは、ほぼ内臓を見られるのと同じだ。
いや、さすがに違うか。
でも、心情的には近い。
「……内容は悪くねぇな。確認事項も拾えてる」
「ほ、本当ですか……?」
「ただ、お前、部署の関係性で迷ってるだろ」
「………ぎくっ」
「口で言うな」
ばれていた。
さすが姫野さん。
謝罪警察であり、迷子発見機でもある。
「配信・動画制作チームさんが、タレントマネジメント部と別の部署なのは分かったんですけど……どこまでがどこの担当なのか、まだ頭の中で整理できてなくて……」
「まあ、入って数日ならそんなもんだろ」
姫野さんは私の机にあった紙を一枚取った。
そして、ペンでざっくりと線を書き始める。
「せっかくだ。ここらで迷える子羊ちゃんに、ざっくりとVSPの組織図について教えといてやるか」
「ほう、子羊ですか……姫野さんも、あのモコモコがお好きなようで」
「いや、言葉狩りすんのやめてくんない?もう動物だったら何でもいいじゃん、お前」
「そ、組織図……ちゃんと覚えられるかな……」
「ま、そう難しく考えんなよ。いっぺんに覚えなくていいから」
姫野さんは紙の一番上に大きく書いた。
「まず一番上にいるのが社長な。まぁ、これに関しちゃ今は説明不要か」
――社長。
その字面があまりにも強い。
まあ、実際めっちゃエライのだが。
強靭、むてき、サイキョー。
「で、その下が大きく三つに分かれる。運営統括プロデューサー、ビジネス統括、コーポレート統括」
「三つ……」
「そう。ざっくり言うと、運営統括はタレント活動そのものを回すところ。ビジネス統括は金とか案件とかグッズとか、外向きの商売を回すところ。コーポレート統括は会社そのものを支えるところ」
「あ……はい」
私は急いでメモを取った。
運営統括。
タレント活動を回す。
ビジネス統括。
商売を回す。
コーポレート統括。
会社を支える。
少し見えてきた……かもしれない。
三本の柱。
いや、三つの巣穴?
違う。
組織を動物園にしてはいけない。
蓮見さんが喜んでしまう。
「今、お前とアタシがいるのは、運営統括プロデューサーの下にあるタレントマネジメント部」
「そうですね……」
「で、さっき打ち合わせした蓮見がいるのは、同じ運営統括側の配信・動画制作チーム。つまり、同じ“運営側”ではあるけど、役割が違う」
蓮見さんが小さく頷いた。
「私は画面を作る側です」
「画面を作る側……」
「動画、サムネ、配信演出、字幕、構成などですね」
「な、なるほど……」
姫野さんがペンで、タレントマネジメント部に下線を入れる。
「タレントマネジメント部は、タレント本人に近い。スケジュール、本人確認、活動サポート、メンタルやコンディションの管理、炎上やトラブルの一次対応。つまり、“この表現で本人に無理がないか”、“活動上まずくないか”を見る」
姫野さんは、ペン先で紙を軽く叩いた。
「あと、タレントの声が、本人のものじゃない形で外に出ないように見る。これも大事だ」
「声が、本人のものじゃない形……」
「言葉だけ切り抜かれたり、字幕で温度が変わったり、告知文で別人みたいに見えたりな。表に出るのは一文でも、その裏に本人がいる」
「そこを失念しようもんなら、めでたく大炎上だ。忘れんじゃねぇぞ」
「は、はい……!」
「配信・動画制作チームは、コンテンツとしてどう見せるかを見る。配信企画、動画編集、サムネ、台本、構成、ライブ演出、歌ってみた制作とかだな」
「つまり……タレントさんの内側や状態を見ているのがマネジメントで、配信や動画としての形を作るのが制作……?」
姫野さんが少しだけ目を丸くした。
「お、いいじゃん。思ったより理解が早くて助かる」
「あ……」
褒められた。
嬉しい。
でも、処理落ちするほどではない。
たぶん。
「ありがとうございます……」
「謝らなかったな」
「はい……!」
「よし」
姫野さんが満足そうに頷く。
蓮見さんも、静かにこちらを見ていた。
「今の感じ、良いです」
「えっ」
「保存しました」
「だから何をですか!?」
「成長記録」
「私の観察日誌がある……!?」
「はい」
はいじゃない。
否定してほしかった。
心の底から。
「で、運営統括の下には他にもある」
姫野さんは話を続けた。
「ライブ・イベントチームと、新人育成チーム」
「ライブ・イベント……」
「オンラインライブとかリアルイベントとか、チケット、会場、配信業者、物販管理あたりを扱うところだな。タレントがステージに立つ時は、こことの連携が増える」
「イベントって、すごく大変そうです……」
「大変だぞ。スケジュール、リハ、会場、配信、物販、トラブル対応。全部同時に炎上することだってある」
「炎上する前提……」
「ま、当然炎上しないようにするのが仕事だけどな」
姫野さんはさらっと言った。
さらっと言う内容ではない。
VSP、やっぱり火山なのでは。
「新人育成チームは、その名の通り新人募集とか研修、デビュー準備、配信や歌唱、トーク指導。新人タレントを表に出すまでの道を作るところ」
「オーディションもそこですか?」
「具体図で言えば、オーディション・育成部だな。新人募集、選考管理、研修、デビュー準備って感じ」
私は少しだけ、手を止めた。
オーディション。
その言葉を聞くと、まだ胸の奥が少しだけきゅっとなる。
落ちた場所。
届かなかった場所。
でも、今はその先に、ここがある。
タレントではなく、運営スタッフとして。
「……遠藤」
姫野さんの声が少しだけ柔らかくなった。
「はい」
「さっきも言ったが、別に全部を今すぐ理解しなくていい。必要になった時に、どこと話すか分かれば十分だ」
「……はい」
「お前はまず、自分のいるタレントマネジメント部と、よく連携する制作側を覚えろ」
「分かりました」
蓮見さんが静かに手を上げた。
「私のところです」
「そ、そうですね」
「また打ち合わせしましょう」
「ひ、ひゃい……」
「是非」
「……蓮見、圧が出てる」
「平常通りです」
「嘘つけ」
私は少しだけ笑ってしまった。
その瞬間、蓮見さんがこちらを見る。
じっ。
「笑いました」
「み、見なくていいです……!」
「良い笑顔でした」
「褒め方が直球すぎます……!」
「少し外せって言っただろ、蓮見」
「では、外角低めの良い笑顔でした」
「誰もナイスピッチなんて求めてないんだわ」
姫野さんがため息をついた。
でも、何だかいつもより楽しそうだった。




