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第50話:コミュ障、VSPの本質を知る


「…………


意識が、ゆっくりと浮上してきた。


最初に感じたのは、背中の柔らかさだった。

次に、頭の下にある枕。

それから白い天井。


「…………知らない天――」


「言わせないよ?」


「…………」


言い切る前に潰された。


アオの身体がびくりと跳ねる。勢いよく顔を向ければ、ソファの横に姫野がいた。その後ろには、大澄、清白、九、蓮見。5人全員が揃っている。


「…………」


アオは何度か瞬きをした。


何だろう、この光景。何だか、ものすごく既視感がある。

というより、ついさっきまで何をしていたんだっけ。


社長室へ来て、クビじゃないと分かって安心して、それから海外のアーティストから共演の申し出があると言われて――その相手が。


「…………」


アオの顔から血の気が引いた。


「アリエラ・グレイス……」


「思い出した!!」


姫野が叫んだ。


「遠藤! いいから寝てろ! 起き上がんな!!」


「で、でも……!」


「まず水飲め!!」


「は、はい!」


差し出されたペットボトルを両手で受け取ると、蓮見が横から冷静に補足した。


「意識消失は短時間でした。現在、会話と認知に明らかな異常はありません。ただし、少し休んでください」


「……はい……」


アオは恐る恐る水を飲んだ。


冷たい。

現実である。

夢ではなかった。


つまり、アリエラ・グレイスも現実である。


「…………ひぇ」


小さな声が漏れた瞬間、姫野がすぐさま大澄を睨んだ。


「社長」


「まだ何も言ってないよ!?」


「念のためです」


「信用がない……」


「さっき使い切りました」


「はい……」


大澄がしゅんと縮こまる。九が少し笑いかけたが、姫野の視線が飛んできたため即座に真顔へ戻った。


しばらくして呼吸も落ち着き、水も半分ほど飲み、アオがようやくソファへ身体を起こしたところで、大澄は改めて椅子へ座った。


ただし、先ほどとは配置が違う。

真正面から5人で囲むような形にはせず、大澄と清白は少し離れた正面へ座り、九と蓮見はその横。姫野だけがアオの隣へ残っている。


明らかに、先ほどの反省が反映されていた。


「……遠藤」


大澄が呼ぶ。


「は、はい」


「今から続きを話すんだけど、その前に今日は一番大事なことを最初に伝えるね」


アオの肩が僅かに強張る。すると姫野が横から軽く背中を叩いた。


大丈夫。

そう言うように。


「今日、君に何かを決めてもらうつもりはない」


「…………え?」


アオが瞬きをした。


「歌うかどうかも決めなくていい。Green Peasを今後どうするかも決めなくていい。アリエラと会うかどうかだって、今すぐ答えなくていい」


「…………」


「今日は、私たちがここまで何を確認して、何を準備したのか。それを一つずつ説明するだけ」


大澄はそこで1度言葉を止め、アオが理解できているかを待った。先ほどのように、一気に次へ進むことはしない。


アオは少し考えてから、小さく頷いた。


「……はい」


「よし」


その返事を確認してから、大澄はようやく次の話へ進んだ。


「まず、アリエラ・グレイス本人が君と一緒に歌いたいと言っている。これはさっき話した通り」


「……はい」


ここまでは、何とか耐えられた。

名前を聞いた瞬間に1度意識を失ってはいるけれど、今度はもう知っている。


アオは両手でペットボトルを握りながら、必死に話を聞いた。


「ただし、私たちはその場では受けなかった」


アオが顔を上げる。


「……え?」


「デュエットの話」


「…………」


「アリエラ本人がわざわざ来てくれたけど、それでもVSPとして『やります』とは言ってない」


アオは目を丸くした。


世界的歌姫からの直々の申し出。

それを、受けなかった。


「……な、なんで……」


「遠藤が決めることだから」


大澄は、あまりにも当然のことのように答えた。


「…………」


アオは言葉を失った。


「君は歌手じゃない。VSPのタレントでもない。会社員としてここで働いている。Green Peasだって、今のところ君が一度歌った時に使った活動名だ」


「……はい」


「そんな君の人生を、会社が勝手に変える権利はないよ」


静かな声だった。そこに交渉の場で見せたような威圧感はない。ただ、自分の中ですでに答えを決めている人間の声だった。


「だから、まず私たちがやったのは、この話を遠藤へ持っていっても大丈夫なのかを確認すること」


「……私に……?」


「そう」


今度は清白が引き継いだ。


「アリエラさんが本当にアオちゃんと歌いたいのか。それとも、一時的な話題性を求めているだけなのか。アオちゃんが断った時に、それを尊重してくれる相手なのか。そういうところを、先に私たちで確認しました」


「…………」


アオは清白を見る。

清白は、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。


「アオちゃんへ伝えたあとで、『実は断れませんでした』なんてことになったら困りますからねぇ」


「……それは……」


困る。

とても困る。

というより、死ぬ。


「なので、アオちゃんへ話す前に、こちらで確認できることは全部確認しておこうってことになったんです」


「…………」


アオの視線が自然と九へ向かうと、九が小さく笑った。


「そこから先が、私の仕事っす」


テーブルの上には、かなり分厚い資料が置かれていた。

嫌な予感しかしない厚みである。


「……全部、読まないと駄目ですか……?」


「今は読まなくていいっす」


「よかった……」


心の底から声が漏れた。

九が少し笑う。


「アオちゃんに読ませる前に問題潰すのがこっちの仕事なんで」


そして九も、今度は言葉を選びながら説明を始めた。


「今回、一番面倒だったのが、Green Peasが何者なのかってところなんすよ」


「……何者……」


「歌手じゃない。VTuberでもない。でも歌は出す。顔も出さない。しかも本業はVSPの社員」


「…………」


言われてみれば、確かに意味が分からない。

自分のことなのに。


「既存の契約をそのまま使うと、色んなところで事故るんすよ。歌手扱いしたらプロモーション義務とかライブとか色々くっついてくる可能性あるし、VTuber扱いしたら今度は配信活動とかキャラクター運用の話が出てくる」


「……はい……」


「なので、作り直しました」


「…………何を?」


「前提から」


「…………」


アオは黙った。

聞かなかったことにしたい言葉だった。


「Green Peasは、遠藤アオが音楽活動をする時に使える名義。でも、それを理由にアオちゃんの本業や生活を縛らない。歌う時だけ使ってもいい。使わなくなってもいい。配信もしなくていい。顔出しもしなくていい」


「…………」


「会社辞める必要も当然なし」


その言葉に、アオの指が僅かに動いた。


「……ほんとに……?」


「ほんとっす」


九は即答した。


「むしろ、そこ変える必要ある? って感じなんで」


「…………」


アオは少しだけ俯いた。


歌うことは好きだ。

ずっと好きだった。

でも今の仕事も、好きになっていた。


どちらかを選ばなければならないと言われたら、きっとすぐには答えられなかった。

なのに目の前の人たちは、最初からどちらも捨てなくていい形を作ろうとしていた。


「それから」


今度は蓮見だった。


アオの肩がほんの少しだけ強張る。


3D。

先ほどの記憶が蘇った。


蓮見はそれに気づいたのか、いつもより少しゆっくり話し始めた。


「Green Peasには、外部へ出すためのビジュアルを用意する案があります」


「……はい」


「ただし、遠藤さん本人の姿を公開するという意味ではありません。顔も出しませんし、本人の外見へ寄せる必要もありません」


蓮見はタブレットを操作した。

まだそこに完成した絵はない。あるのは、文字だけで整理された企画案だった。


「今後、Green Peasとして楽曲を出した場合、ジャケット、ミュージックビデオ、公式サイトなど、視覚的な表現が必要になります。そのための姿です」


「……VTuber、みたいな……?」


「似ている部分はあります。ただ、通常のVTuber活動を前提にはしません」


「…………」


「配信を義務にしない。雑談もしない。定期活動も必要ありません。音楽を表現するための姿、と考えてください」


アオは少し考えた。


不思議だった。


名前がある。

歌声がある。

そこに姿ができる。


けれど、自分自身は今まで通りここにいる。


「将来的にライブなどへ進む場合は、3Dモデルを作ることもできます。ただ、それも必要になってから考えることです。今、決める必要はありません」


「……はい」


今度は、ちゃんと理解できた。

気絶もしなかった。

姫野が横から、ものすごく分かりやすく安堵の息を吐いた。


「……よし」


「姫野さん?」


「何でもねぇ」


どうやら今日は、1つ話を聞くたびに生存確認されるらしい。

次は清白だった。


「もし今後、Green Peasとして本当に動くことになったら、専用のホームページと公式チャンネルを作る案もあります」


アオの目が大きくなった。


「…………私の?」


「Green Peasの、ですね」


「…………」


危ない。

ちょっと危ない。


アオは水を1口飲んだ。


今度は耐えた。

偉い。

自分で自分を褒めたい。


「でも、そこにもアオちゃんの個人情報を載せるつもりはありません。名前も、年齢も、普段どんな人なのかも、アオちゃん自身が出したくないものは出さなくていいんです」


「……何も、ですか?」


「何も」


「…………」


「その代わり、歌とGreen Peasとしての姿だけを外へ届ける」


アオは少しだけ、その姿を想像した。


誰なのか分からない。

どんな人なのかも分からない。


ただ、歌声だけがある。

そして、その歌声に一つの名前と姿が与えられる。


Green Peas。

自分でつけた、あの名前。


何だか、自分なのに自分ではない誰かの話を聞いているようだった。


「ここまで、大丈夫?」


大澄が確認する。


アオは数秒考えた。


アリエラ・グレイス。

デュエット。

Green Peas。

公式ビジュアル。

ホームページ。

公式チャンネル。

3D。


さっきなら、確実に2度目の意識消失を起こしていた。


けれど、1つずつ何のために必要なのか、何をしなくていいのか、自分の何が変わらないのかを順番に説明してもらったことで、少なくとも話の意味は理解できていた。


「……はい」


アオは頷いた。


「……まだ、ちょっと……現実感は、ないですけど」


「それはまあ、そうだよね」


大澄も苦笑した。


「でも……何をしようとしてるのかは……分かりました」


その言葉に、5人が揃ってほっとした顔をする。


「……何ですか」


アオが不安になる。


「いや」


姫野が答えた。


「今日はもう、それだけで大成功だ」


「……?」


何だか基準が低い。


いや。

さっき1度倒れたので、妥当なのかもしれない。


そこで大澄は少し姿勢を変えた。


「で、遠藤」


「はい」


「ここからが、一番大事な話」


アオの身体が僅かに固まる。


「大丈夫。怖い話じゃない」


「……はい」


「さっきまで説明したものは、全部まだ『案』なんだ」


「…………」


アオが瞬きをした。


「案……?」


「そう。公式サイトも、チャンネルも、ビジュアルも。アリエラとのデュエットも、まだ何一つ遠藤がやると決まってない」


アオは黙った。

そこで九が口を開く。


「契約も同じっす」


「……はい」


「昨日まで私らがやってたのは、アオちゃんがもし『やってみたい』って思った時に、ちゃんと選べる状態まで持っていく作業です。契約を成立させたわけじゃないっす」


アオの目が動いた。


「……でも」


言葉が止まる。

清白は急かさず、その続きを待った。


「……ここまで……皆さん、色々……」


やってくれた。


会談までした。

世界的スターを相手に交渉した。

九は契約を一から作った。

蓮見は制作案を考えた。


清白も。

大澄も。

姫野も。


そこまでされて。

自分が。


「やりません」


なんて。


「…………」


言えるわけがない。

言っていいはずがない。


アオの胸の奥に、いつものものが生まれ始めた。


申し訳なさ。

責任。

期待に応えなければという焦り。


そして、その変化を今度は清白が見逃さなかった。


「アオちゃん」


「……はい」


「今、『ここまでやってもらったから、断れない』って思いました?」


「…………!」


アオの肩が跳ねた。

図星だった。


清白は柔らかく微笑んだ。ただし、その声にははっきりとした意思がある。


「それ、違いますよ」


「……え?」


「私たちが勝手にやったんです」


「…………」


あまりにも身も蓋もない言い方に、アオは目を丸くした。

九も頷く。


「マジでそうっすよ」


「で、でも……」


「仕事なんで」


「…………」


「アオちゃんから頼まれてやったわけじゃない。会社が必要だと思ったから調べて、会社の責任で交渉して、会社の判断で準備した」


九はアオを真っ直ぐ見た。


「だから、これをアオちゃんへの請求書にする気はないっす」


「…………」


その言葉が、すとんと胸へ落ちた。

大澄も続ける。


「そもそもね、遠藤。私たちは、アリエラから話が来た瞬間に君へ持ってくることだってできた」


「……はい」


「でも、しなかった」


「…………」


「もし調べた結果、君を守れない話だったら、私のところで断って終わりにするつもりだったから」


アオの目が見開かれた。


「……私に……言わずに?」


「うん」


「…………」


「だって、知る必要ないでしょ。できない話なら」


あまりにも簡単に言った。


世界的歌姫からの申し出を。

社長判断で、本人へ伝えることすらなく断る。


「アリエラ・グレイスだからって、遠藤の生活を壊していい理由にはならないよ」


「…………」


「相手が誰かは関係ない」


あの日、世界的スターの側近を相手に「こちらが判断する」と言い切った女は、アオ本人の前でも何一つ姿勢を変えなかった。


「調べて、話して、条件を詰めて。これなら遠藤へ選択肢として渡せる。そう思えたから、今日ここで話してる」


アオは、何も言えなかった。

隣から、姫野の声がした。


「遠藤」


「……はい」


「お前、何か勘違いしてねぇか?」


「…………」


「会社ってのは、お前に恩返しさせるためにあるわけじゃねぇぞ」


「…………」


「拾ってもらったから。育ててもらったから。皆が頑張ったから。だからやらなきゃ、なんて考えんな」


「…………」


アオの指が、ペットボトルを強く握る。


「でも……」


「でもじゃねぇ」


姫野は即答した。


「お前が歌いたいなら、歌え。歌いたくねぇなら、歌うな。裏方続けたいなら続けりゃいい」


アオの目が揺れる。


「歌いながら裏方やりたいってんなら、そん時はこいつらが何とかする」


「…………え?」


突然投げられた4人が、一斉に顔を上げた。

九が最初に反応する。


「まあ、やりますけど」


蓮見。

「制作上の調整は可能です」


清白。

「考えましょうねぇ」


そして大澄。

「うん。何とかする」


あまりにも普通に、4人が答えた。

姫野がアオを見る。


「ほら」


「…………」


「そういう会社なんだよ。ここ」


その一言に、アオの胸の奥がぎゅっと締まった。


かつて私はVTuberになりたかった。

けど、なれなかった。


あの時、1度終わったと思った。

でも、清白に拾われた。


VSPへ入り、運営スタッフになった。

そこから、今まで知らなかったことをたくさん知った。仕事を覚え、人と関わった。怖いことも、大変なことも山ほどあった。


それでも。

ここにいたいと。

今ではそう思っている。


だから、歌うか、ここで働くか。

もしそんな2択を出されたら苦しかった。


なのに、この人たちは最初から2択にしていなかった。


遠藤アオとしてここで働く自分も。

Green Peasとして歌うかもしれない自分も。


どちらも捨てなくていい場所を作ろうとしていた。


「…………」


アオは、ゆっくり5人を見た。


姫野。

九。

蓮見。

清白。

大澄。


ああ。

そうか。


この会社は、自分に何かをさせたいわけじゃない。


自分が何かをしたいと思った時に、それをできるようにしてくれているんだ。


その事実が、ようやく腑に落ちた。


「だから」


大澄が言った。


「今日は決めなくていい」


「……はい」


「というか」


少し笑う。


「今、決めないで」


「…………え?」


「情報量多いから」


「……あ」


姫野が即座に頷いた。


「それはマジでそう」


九も続く。


「1回寝た方がいいっす」


蓮見も頷いた。


「十分な検討時間を設けるべきです」


清白も微笑む。


「お家に帰ってから、ゆっくり考えてください」


「…………」


全員、決断させる気がなかった。

むしろ、今決めようとしたら止められそうだった。


アオは少しだけ肩の力を抜いた。


「……分かりました」


「うん」


大澄が頷く。


「それでね、1つだけ次の段階を用意してある」


アオが僅かに緊張する。


「次の……」


「アリエラ本人と話す機会」


「…………」


再び出てきた、世界的歌姫の名前。


だが。

今度は意識を失わなかった。


大澄は急がず続ける。


「会ったからって、歌うことにはならない。返事もしなくていい。ただ会って、話をするだけ。それも嫌なら、無理に会わなくていい」


そこで、アオは黙った。


アリエラ・グレイス。

どうして、自分なのだろう。


世界中に歌が上手い人なんていくらでもいる。

自分より技術のある人も、経験のある人も、華のある人も、きっと数え切れないほどいる。


なのに、あの人は自分と歌いたいと言った。


わざわざVSPまで来て、大澄たちとあれだけの話をして、それでもGreen Peasと歌いたいと言ったらしい。


「…………」


怖い。

当然、怖い。


世界的歌姫。

会うだけでも、想像するだけで胃が痛くなる。まともに目なんて合わせられる気がしないし、英語だってまともに話せない。

何を話せばいいのかも分からない。

できることなら、逃げたい。


いつものアオなら、そう思う。

でも。


「…………あの」


気づけば、声が出ていた。

大澄が待つ。


「うん」


「……アリエラさんは」


「うん」


「……どうして……私と歌いたいんでしょうか」


誰も、すぐには答えなかった。

アオは続ける。


「……あの歌を聴いたから……というのは、分かるんですけど。でも……わざわざ日本まで来て、大澄社長たちとたくさん話して、それでも私と歌いたいって……」


アオは自分の胸元を握った。


「……そこまでして……何を、したいんだろうって」


大澄と清白が、静かにアオを見る。


「……私、それを……知りたいです」


姫野の目が僅かに動いた。


「……遠藤」


「はい」


「それは」


姫野が少しだけ笑う。


「本人に聞かねぇとな」


「…………」


アオは、ゆっくり頷いた。


怖い。

今でも、本当に怖い。


会いたいか、会いたくないか。

それだけで言えば、たぶん会いたくない。


世界的歌姫なんて、自分には遠すぎる。


でも、その人が自分の歌に何かを感じ、何かを望んでいる。

だったら、知りたい。


何を望んでいるのか。

どうして自分なのか。

自分の声に何を見つけたのか。


それを知らないまま、怖いからという理由だけで背中を向けるのは、なぜか少しだけ嫌だった。


「……大澄社長」


「うん」


アオは一度だけ息を吸った。


声はまだ小さい。

目だって少し泳いでいる。


さっきのような怪物の姿ではない。

いつもの臆病な遠藤アオだった。


それでも。


「……会ってみたいです。アリエラさんに」


社長室が静かになった。


「まだ……歌えるかは、分かりません」


「うん」


「私に……できるのかも……」


「うん」


「でも」


アオは今度こそ顔を上げた。


「……アリエラさんが、何を望んでるのか。本人から……聞いてみたいです」


大澄は、しばらく何も言わなかった。

そして、ほんの少しだけ笑った。


「分かった」


それだけだった。


やれとも。

頑張れとも。

期待しているとも言わない。


「じゃあ、会ってみよう」


「…………はい」


その横で清白が柔らかく笑い、九が小さく息を吐く。蓮見はタブレットへ何かを書き込み、姫野は隣にいるアオの頭へぽん、と手を置いた。


「ま」


「……?」


「ヤバくなったら逃げてこい」


「…………」


「そん時はアタシらが何とかする」


九が笑う。


「契約は私が止めるっす」


蓮見も続く。


「制作も止められます」


清白も微笑んだ。


「アリエラさんへの説明は私たちがします」


最後に、大澄。


「全部、会社の仕事だからね」


「…………」


アオは5人を見た。


胸の奥に、何とも言えないものが広がった。

温かくて。

少しだけ、苦しくなるような。


「……はい」


小さく返事をする。


この場所なら、もしかすると。

自分が何かを望んでも、いいのかもしれない。

叶うかどうかなんて分からなくても、やってみたいと口にしてもいいのかもしれない。


そして。

もし誰かの願いに、自分の歌が何かできるのなら。

その時は。


「…………」


アオは、ほんの少しだけ。

Green Peasという名前の向こう側を、見てみたいと思った。


まだ、歌うとは決めていない。

世界の歌姫と肩を並べる覚悟など、もちろんない。


ただ、その人が自分へ何を望んでいるのかを聞いてみたい。

それだけだった。


けれど、遠藤アオにとっては、それだけで十分すぎるほど大きな1歩だった。

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