↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
57/61

第48話:グリーンピース、定義される

「One more thing.(もう1つ)」


2時間を越えた協議の終盤。

画面の向こうにいるアリエラ側の法務担当が、資料を1枚切り替えた。


九は手元のペットボトルへ伸ばしかけていた手を止める。


「まだあるんすか」


「There is always one more thing.(いつだって、もう1つある)」


「それ法務の人が一番言っちゃダメなやつじゃないです?」


通訳を挟んで伝わると、相手はほんの少しだけ笑った。

今日だけで何度、このやり取りを繰り返しただろう。


遠藤アオ本人。

Green Peasという名義。

Green Peasの姿。

Green Peasが残す作品。


4 つに分けてから、あれほど複雑だった権利関係は急速に整理され始めた。


どこまで世界へ広げられるのか。

どこから本人の許可が必要なのか。

何を会社が管理し、何だけは会社にも触らせないのか。


大枠はもう見えている。

だから九は、次に来るのも細かな契約条件の1つだと思っていた。


「We need an approved public profile.(対外的に使用できる公式プロフィールが必要だ)」


「プロフィール?」


九が聞き返す。


「For press kits, distributors, platforms, event organizers and promotional partners. What information about Green Peas are we authorized to provide?(プレスキット、配信事業者、プラットフォーム、イベント主催者、宣伝パートナーに対し、Green Peasについて何を公表してよいのか決める必要がある)」


九の視線が止まる。


横では大澄が「なるほど」という顔をしていた。

清白も頷く。

蓮見だけは、少し違う。


何かを考えるように、黙って画面を見ている。


「じゃ、項目ください」


九が言う。

相手法務が資料を読み上げた。


「Legal name.(本名)」


「非公開」


即答。


「Age.(年齢)」


「非公開」


「Nationality.(国籍)」


「非公開」


「Place of residence.(居住地)」


「論外」


通訳が一瞬だけ九を見る。


「……『非公開』で訳しますね」


「お願いします」


相手法務は気にせず続ける。


「Professional background.(経歴)」


「出さない」


「Education.(学歴)」


「出さない」


「Previous musical activity.(過去の音楽活動歴)」


九が少し止まる。


正確にはほとんどない。

しかし、それを「ありません」と公表すること自体が情報になる。


「非公開で」


「Date of birth.(生年月日)」


「もちろん非公開」


「Photograph.(本人写真)」


「絶対出さない」


「Interview availability.(インタビュー対応)」


「本人への義務にはしない」


「Personal social-media accounts.(本人SNS)」


「作らない前提」


「Spoken commentary.(本人肉声によるコメント)」


九が口を開くより先に。


「不要です」


蓮見が言った。


全員が蓮見を見る。

蓮見はいつもの落ち着いた顔で続ける。


「Green Peas本人の肉声コメントは、現状では出さなくていいと思います」


九が確認する。


「安全面で?」


「それもあります。ただ、それだけではありません」


蓮見の視線が、机の中央に置かれた資料へ落ちる。

そこにはGreen Peasという文字がある。


「普段の声を出せば、それだけで本人について分かることが増えます。喋り方、語彙、話す速度、感情の出し方、癖。長く話せば、性格までかなり見えてくる」


清白が頷いた。


「アオちゃんの場合、特に分かりやすそうですね~」


九も否定できなかった。


ものすごく分かりやすい。

叩けば埃が出るとかいうレベルじゃない。

素で撒き散らしている。


たぶん3分喋れば、人見知りなのはバレる。

5分で自己評価が低いのもバレる。

褒めればもっと早い。


「でも、普通のアーティストならインタビューとかしますよね」


大澄が言う。


「はい、社長」


蓮見は答える。


「でもGreen Peasは、普通のアーティストである必要がありません」


その言葉に九が少しだけ目を細めた。


ここ数日。

ずっと同じところを回っていた気がする。


歌手として扱おうとして。

違う。


VTuberとして扱おうとして。

違う。


キャラクターとして扱おうとして。

それも違う。


昨日ようやく、それらのどこにも押し込める必要がないと分かった。


なら。

外から見た時だって。

普通である必要はない。


「現在、外部がGreen Peasについて知っていることを整理してみませんか」


蓮見が言った。

九はホワイトボードへ向かう。


「じゃ、書きます」


最初。


【Green Peas】

「名前」


次。


【歌声】

豊臣ツバサとの歌枠。


そして蓮見が編集した公式映像。

世界中の人間が、あの声だけは知っている。


次に九の手が止まる。


「あと何だ?」


大澄が言う。

清白が少し考える。


「VSPの人、ということくらいですかねぇ」


正確には、豊臣の配信にスタッフとして参加した人物。

VSPの所属スタッフであるらしい。

それ以上の詳細は出していない。


九が書く。


【VSP所属スタッフと思われる人物】


「……少な」


大澄が呟いた。


「少ないですね」


清白も同意する。


九はホワイトボードを見る。


確かに少ない。


名前。

歌声。

所属らしきもの。


今の時点では、それだけ。


顔も知らない。

年齢も知らない。

出身も知らない。

どんな人生を歩んできたのかも知らない。


性格さえ分からない。

普段どんな声で喋っているのかも。


何を好きなのかも。

何を嫌いなのかも。

休日に何をしているのかも。


そもそも、次にまた歌うのかすら分からない。


普通のVTuberなら、顔が見えなくても配信を見れば、その人物についてかなりのことを知れる。


笑い方。

怒り方。

好きな食べ物。

苦手なゲーム。

友人関係。

口癖。

価値観。


何年も活動していれば、視聴者の方が本人の癖に詳しいことさえある。


Green Peasには。

それが1つもない。


「……VTuberより正体分かんないじゃん」


大澄が言った。


「今さら気づいたんすか」


九が返す。


「だってウチの会社、顔出してない人ばっかだし」


「顔以外ほぼ全部出してるでしょうが」


「あ、そっか」


「社長……」


九は額を押さえた。

清白が笑う。


だが。

蓮見は笑っていなかった。


ホワイトボードを見つめている。


「九さん」


「はい?」


「ここに、もう一つだけ足せます」


蓮見が言った。


「公式ビジュアルです」


九の目が動く。


まだ存在しない。

しかし作る予定はある。


遠藤アオ本人の容姿を出さずに、Green Peasを世界へ立たせるための姿。


さっきのまでのやりとりで決めた。


本人ではない。

しかし、誰でも使えるキャラクターでもない。


Green Peas本人の視覚的な代理表現。


九は4つ目を書く。

【公式ビジュアル】


その瞬間。

ホワイトボードが妙に完成したように見えた。


Green Peasという名前。

公式ビジュアル。

世界を席巻する可能性を見せた、あの歌声。


そして。

VSPにいるスタッフらしい人物。


それだけ。


「……これしか出さない?」


大澄が聞いた。

九はすぐには答えなかった。

画面の向こうの法務担当も、静かに待っている。

清白が口を開いた。


「カンナちゃんは、どう思う?」


蓮見は少し考えた。


「私は、これでいいと思います」


「足りないんじゃなくて?」


「はい」


蓮見の返事に迷いはなかった。


「むしろ、増やさない方がいいと思います」


大澄が首を傾げる。


「何で?」


蓮見はホワイトボードを見たまま答える。


「今、Green Peasを見ている人たちは、何も分からないから考えているんです」


誰なのか。

なぜVSPにいるのか。

普段からあの声なのか。

なぜ今まで表に出てこなかったのか。

次はあるのか。


分からない。

だから探す。

だから何度も聴く。


少ない情報の1つ1つへ、意味を見つけようとする。


「公式ビジュアルが一枚出れば、その一枚を見ます。新しい曲が一曲出れば、その1曲を何度も聴く。もし10秒だけ3Dで動いたら、その十秒が情報になる」


蓮見の声は落ち着いていた。

だが、少しだけ熱がある。


「本人が自分のことを全部説明する必要はありません。Green Peasは、作品だけでも存在できます」


九が蓮見を見る。


「歌う時だけ出てくる、みたいな?」


「そうです」


蓮見は頷いた。


「雑談をしなくてもいい。毎日SNSを更新しなくてもいい。自己紹介動画も必要ないと思います。本人が喋らなくても、歌が出ればGreen Peasはそこにいる」


その言葉に九は少しだけ背筋を伸ばした。


それはアオにとっても都合がいい。


人前へ出るのが苦手。

注目されることも得意ではない。

自分自身を売ることなど、もっと苦手。


でも、歌だけなら。

1度、世界へ届いた。


その届いた部分だけを外へ出す。

遠藤アオの全部を、芸能人にしなくていい。


歌だけが必要な時。

Green Peasとして世界へ立たせる。


「……アリだな」


九が呟いた。

画面の向こうの法務担当が尋ねる。


「Then we should distinguish secrecy from obligation.(ならば、“非公開”と“秘密保持義務”は分けるべきだ)」


九が画面を見る。


「どういう意味です?」


「If the company decides mystery is commercially valuable, that cannot become a permanent restriction on Endo herself.(会社が神秘性に商業価値があると判断したとしても、それを遠藤本人への恒久的な制約にしてはならない)」


清白の表情が変わった。

ちょうど聞こうとしていたことだった。


「そうですねぇ」


清白が言う。


「アオちゃんが、いつか自分のことを話したいと思ったら?」


蓮見も黙る。

大澄が九を見る。


九は、ほとんど考えなかった。


「それは本人が決めます」


即答だった。


「会社が『謎のままの方が売れるから喋んな』って言うのは無しです」


九はホワイトボードへ、新しく一行書く。


【非公開でいる権利】


その下。

少し考えてから。


【非公開でいる義務ではない】


「これっすね」


清白がゆっくり頷く。


「それなら安心です」


蓮見も同意する。


「私も賛成です」


画面の向こうの法務担当が言う。


「Good. Then the contract should protect her right not to disclose, not impose a duty never to disclose.(いい。なら契約は“明かさない権利”を守るべきであって、“決して明かしてはならない義務”を課すべきではない)」


九がすぐに書き込む。


「それ使います」


「Please do.(どうぞ)」


「助かります」


一瞬だけ法務担当の口元が緩んだ。


昨日まで。

守るとは隠すことだと思っていた。


本名を隠す。

顔を隠す。

普段の声を隠す。

私生活を隠す。


でも違う。


本人が隠れていたい間は。

誰にも暴かせない。


本人がいつか自分から扉を開けたいと言った時は。

会社が鍵をかけない。


それが今回作るべき仕組みだった。

九はもう一度、ホワイトボードを見る。


「じゃあ、対外プロフィール決めます」


ペンを持つ。


「名前」

【Green Peas】


「公式ビジュアル」

【今後制作】


「公開される声」


少しだけ考え。


【歌唱のみ】


「所属情報」


ここは清白が補足する。


「VSP所属であること以上は、出さなくていいと思います。スタッフであること自体は、もう配信からかなり知られていますけど」


「じゃあ詳細部署、役職、経歴は非公開」


九が追記する。

その横にさらに大きく書く。


【本人プロフィールなし】


大澄が目を丸くした。


「なし?」


「なしです」


「年齢とかも?」


「なし」


「出身地」


「なし」


「好きな食べ物」


「いらないです」


「趣味」


「社長、何でちょっとプロフィール作りたそうなんすか」


「だって寂しくない?」


「寂しいくらいでいいんです」


蓮見が言った。

九と大澄が同時に蓮見を見る。


蓮見は真剣だった。


「分からない部分があるから、作品を見てもらえると思います」


「……なるほど」


大澄がもう一度ホワイトボードを見る。


情報量だけなら異常に少ない。


なのに。

弱く見えない。


むしろ。

名前の周りに何もない空白が広がるほど。


Green Peasという文字だけが強く見える。


九は試しに、パソコンで仮プロフィールを作った。


【Green Peas】


【VSP】


そこまで入力する。


次。


年齢、削除。

出身、削除。

経歴、削除。

本人写真、なし。

本人SNS、なし。

インタビュー、原則なし。

自己紹介、なし。

普段の音声、非公開。


残った画面を見て大澄が笑った。


「ほんとに何にもないね」


「ありますよ」


蓮見が言う。


「歌があります」


その一言で誰も何も言わなくなった。


ある。

世界中を騒がせたものが。


たった1度。

豊臣ツバサの隣で歌っただけで。


音楽業界を。

海外を。


そして。

アリエラ・グレイスまで動かしたあの歌声がある。


他に何が必要なのだろう。

九は仮プロフィールを見ながら、ふと笑った。


「これ、すごいっすね」


「何が?」


大澄が聞く。


「こんだけ何も分かんないのに」


九は画面を指す。


「もう世界中が、この名前知ってるんですよ」


Green Peas。

VSPに所属する正体不明の歌い手。


何歳なのかも、どんな顔なのかも、どんな性格なのかさえ非公開。

普段どんな声で喋っているのか分からない。

次にいつ現れるのかすらも知り得ない。


それでも。

歌えば誰もが分かる。

あの声だ、と。


清白が、どこか楽しそうに言う。


「随分、不思議な子になりましたねぇ」


「元から不思議ですけどね」


九が答える。


「遠藤さん本人とは、また違う不思議さだと思います」


蓮見が言った。

その言葉が一番しっくり来た。


遠藤アオは。

人見知りで。

褒められれば固まって。

人前では声まで小さくなって。

それでも誰かのためなら、怖がりながら前へ出てしまうVSPの社員。


けれど。

世界はそんな遠藤アオを知らなくていい。


世界が知るのは。

Green Peas。


名だけを持ち。

これから姿を与えられ。

歌う時だけ世界に現れる。


人柄も。

日常も。

普段の声すら知られない。


存在していることだけは間違いないのに、その人物について知ろうとすればするほど、何も掴めない。


それでも。

1度歌えば世界中が振り向く。


九はホワイトボードの中央にある名前を見る。


昨日までこれはただの活動名だった。


今日少し違うものになった。


遠藤アオを隠すための仮面ではない。

遠藤アオとは切り離せない。


けれど。

遠藤アオそのものでもない。


世界へ音楽だけを届けるために。

彼女から切り出された、もう1つの存在。


九はペンを置いた。


「じゃ、決まりっすね」


大澄が尋ねる。


「何が?」


九は笑った。


「遠藤アオは、表に出さない」


そして。

ホワイトボードの名前を指す。


「世界に出すのは、Green Peasだけです」


誰も反対しなかった。


その日。

VSPの中で初めて。

Green Peasが何者なのかが、はっきり決まった。


正体不明の歌い手。

世界が知るのは、名前と、これから与えられる姿と、歌声。そしてVSPにいる誰かだということだけ。


顔も知らない。

人柄も知らない。

普段の声すら知らない。

活動していない時、その存在は世界からほとんど見えない。


けれど。

歌う時だけGreen Peasは現れる。


それで十分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。