第46話:九ナルミ、1日限定クソ会社を設立する
「というわけで、今日は私がクソ会社になります」
会議室が静まり返った。
ホワイトボードの前に立つ九ナルミを、大澄、清白、姫野、蓮見の四人がそれぞれ違う顔で見ている。
最初に口を開いたのは大澄だった。
「……九、会社辞めんの?」
「何でそうなるんですか」
「クソ会社になるって言ったから」
「私が会社になるんじゃないです。今日はVSPが最悪の会社だった場合を想定して考える、って意味です」
「なるほど」
大澄は納得したように頷いた。
姫野が横からジト目で見る。
「1回で理解しましょうよ」
先日、世界最高峰の交渉人を相手に、一歩も引かなかった社長である。
しかし、今やその面影はもうない。
清白が小さく笑ってから、九へ視線を戻した。
「それで、どうして最悪の場合から考えるのかな?」
「今の私たちがアオちゃんを守る気なのは、別に疑ってないです」
九は振り返り、ホワイトボードの中央へ大きく書いた。
【Green Peas】
昨日まで、その名前は遠藤アオが一度だけ外の世界へ出るために使った活動名に近いものだった。
それが今や、世界のアリエラ・グレイスとのデュエット候補になっている。
専用ビジュアルを用意する。
専用ホームページも作る。
公式チャンネルも開設する。
必要なら3Dモデルまで制作する。
完成した楽曲は日本だけでなく世界へ配信され、MVも制作される。将来的には、ライブでその姿を使う可能性さえある。
ただし。
当の本人はまだ何も知らない。
「昨日の会談で、大澄社長たちが守る線は決めてくれました」
九が続ける。
「アオちゃん本人の意思が最優先。歌手活動は保証しない。Green Peasとして活動を続けることも保証しない。あの日と同じ歌をもう一回出せるとも言わない。それで本人が嫌なら、企画そのものを止める」
大澄が頷いた。
「うん」
「でも、それだけじゃ足りないんですよ。今の社長がそう思ってても、5年後、10年後に誰が会社を動かしてるかは分からない」
大澄の眉が少し上がった。
九は構わず続ける。
「担当だって変わります。会社の経営状態も変わる。Green Peasが私たちの想像以上に売れるかもしれない。そうなった時に、会社が『儲かるから手放したくない』って思わない保証はない」
清白がゆっくり頷いた。
「人を信用するんじゃなくて、信用しなくても守れる形にしておくんだね~」
「そういうことです」
九はペンを持ち直した。
「だから今日は、私がアオちゃんを骨までしゃぶる最悪のVSPになります」
「言い方どうにかならねぇのか」
姫野が呆れた。
「分かりやすさ優先です」
「限度があんだろ」
「じゃあクソ会社その一」
「そのまま行くのかよ」
九は無視した。
最初の項目を書く。
【名前】
「Green Peasが、めちゃくちゃ売れました」
大澄の顔が少しだけ明るくなる。
「いいね」
「まだ喜ばないでください」
「でも売れた方がいいじゃん」
「それはそうですけど」
九は続けた。
「世界中で曲が売れて、ライブにも呼ばれるようになった。企業からも案件が来る。Green Peasって名前だけで金が動くようになりました」
そこで九は1拍置く。
「でも3年後、アオちゃんが言いました。もうGreen Peasはやりたくありません」
大澄の表情から笑みが消える。
「じゃあ終わり」
「今の社長なら、ですよね」
九はホワイトボードへ【VSP】と書き足した。
「でも今日のVSPはクソ会社です。終わらせたくありません。儲かるんで」
「嫌な設定だなぁ」
「自分で決めた会社ですよ」
「私が決めたの?」
「代表取締役なんで」
姫野が吹き出しかけた。
九は話を戻す。
「もし“Green Peas”って名前そのものを会社が完全に持ってたら、どうします?」
「どうするって?」
姫野が眉を寄せる。
「新しい人、連れてくればいいです」
数秒。
誰も口を開かなかった。
「歌が上手い人をオーディションして、同じ名前を使わせる。ビジュアルも同じ。で、『二代目Green Peasです』」
「却下」
大澄の返答は早かった。
「絶対ダメ」
「ですよね。じゃ1個決まり」
九は書く。
【Green Peas名義を本人から切り離して継承させない】
姫野がそれを見る。
「つまり、会社の商品名にはしねぇってことか」
「完全な商品名には、ね。会社が管理する必要はある。でも本人がいなくなったのに、名前だけ残して他の人に使わせられる状態にはしない」
その時。
会議の端から、静かな声が入った。
「九さん」
九が振り返る。
「はい」
蓮見カンナが手元のタブレットから顔を上げていた。
「名前だけでは足りないと思います」
「というと?」
蓮見は席を立った。
「ホワイトボード、お借りしてもよろしいですか?」
「どうぞ」
蓮見は九からペンを受け取ると、Green Peasの横へ2つの項目を書いた。
【立ち絵】
【3Dモデル】
「Green Peasという名称を第三者へ引き継がせなくても、会社側にビジュアルの利用権が残れば、似たことはできます」
姫野が眉を寄せる。
「例えば?」
「名前だけ変えて、同じ3Dモデルを別の歌手へ使わせる」
「ああ……」
「『これはGreen Peasではありません。新しいプロジェクトです』と言えば、名称の継承禁止だけでは止められません」
九が頷いた。
「確かに」
蓮見はさらに1つ書く。
【モーションデータ】
「あと、こちらもです」
「モーション?」
姫野が尋ねる。
「3Dモデルを動かすために取得した本人の動作データです。高精度のモーションキャプチャーを使えば、歩き方、首の傾け方、手の動き、歌っている時の癖まで残る可能性があります」
姫野の表情が少し変わった。
「モデル変えても、その動きだけ使えるってことか」
「技術的には可能です」
蓮見の声は淡々としている。
完全に制作の専門家として話していた。
「見た目を変えれば別物に見える。でも、中身の動きは遠藤さんのものを使い続けられる。それでは本人を切り離したことになりません」
九はすぐに書き足した。
【ビジュアル・モーションを本人の代理表現として扱う】
「本人以外に使わせない、と」
「はい」
蓮見が頷く。
そこまでは冷静だった。
「特に別人を入れて、遠藤さんの動きだけ残すようなことは絶対に認めないでください」
「もちろんです」
「契約上、確実に禁止してください」
「します」
「抜け道もないように」
「やりますって」
「会社が所有しているから自由に使える、という解釈もできない形にしてください」
九が蓮見を見る。
「蓮見さん」
「はい」
「大丈夫です。まだ逃げてません」
一瞬。
蓮見が止まる。
「……失礼しました」
姫野が口元を押さえた。
「お前、もう歯止めが利かなくなってんじゃねーか」
「……失礼な」
「暴走」
「してません」
蓮見は真顔だった。
「私は制作上必要な懸念事項を申し上げています」
「そういうことにしといてやるよ」
「実際そうです」
清白が柔らかく笑う。
「カンナちゃん、まだ先は長いよ」
「承知しています」
「ちゃんと最後まで持つの?」
「問題ありません」
返事は完璧だった。
ただし目だけが少し怖い。
九は何も言わずにペンを取り戻した。
――アリエラ・グレイスがGreen Peasとのデュエットを求めている。
そう伝えられた時。
蓮見は、しばらく意味を理解できなかったらしい。
あの蓮見カンナが。
編集の締切が3本重なろうが、世界規模の公開作業になろうが、ほとんど表情を変えない女が。
本当に数秒、止まった。
そして。
なぜアリエラがGreen Peasを知ったのか。
その大きなきっかけの1つが、VSP公式から公開された歌唱映像だったと聞いた。
蓮見自身が編集した映像。
さらに遡れば。
アオがVSPのオーディションを受けていた頃から、蓮見は彼女を知っている。
人前に出ることを誰より怖がって。
それでも最後まで逃げ切れなかった。
臆病なのに。
肝心なところで、どうしても逃げられない。
あの少女。
その遠藤アオを、自分が作った映像が世界へ届けた。
そして。
とうとう世界に見つかってしまった。
それを知ってから、蓮見は少しだけおかしい。
普段から普通かと言われれば、それも難しい人ではある。
ただ今回は、いつもと方向が違った。
「じゃ、次」
九が話を進める。
【声】
「クソ会社その二です」
「まだ二なのかよ」
姫野が言う。
「これからです」
九は皆を見る。
「デュエット曲、世界中で大ヒットしました」
また大澄が嬉しそうな顔をする。
「やったあ」
「社長、そこ毎回喜ぶんですね」
「売れたら嬉しいじゃん」
「まあいいです。で、売れました。当然会社は次も欲しくなります」
「本人に頼めばいいだろ」
姫野が言う。
「断られました」
「じゃ終わり」
「だから今日はクソ会社なんですって」
九は笑う。
「Green Peasの歌唱データ、もう大量にあります」
姫野の笑みが消えた。
「……おい」
「過去音源を学習させます」
大澄の顔も変わる。
「本人が歌ってない新曲作ります」
「ダメ」
「声はGreen Peasです」
「絶対ダメ」
九は頷いた。
「はい。だから先に潰しておきます」
ホワイトボードへ書く。
【本人の個別同意なしに、歌声・音声をAI学習、合成、新規生成へ利用しない】
清白もそれを見ていた。
「1度歌ったからって、その声そのものを何にでも使っていいわけじゃない、ということだね~」
「そうです」
「九さん」
また蓮見だった。
「はい」
「映像側も同じです」
蓮見は今度は席を立たず、タブレットを操作しながら話す。
「既存映像からモーションを学習させたり、遠藤さん本人が実際には行っていない動作を生成したりする利用も想定した方がいいと思います」
「確かに。入れましょう」
九がすぐに追記する。
「他には?」
「未使用素材です」
「未使用?」
「完成したMVに使わなかった映像やモーションキャプチャーの素材です。制作会社側が保持したままになると、後から別編集、メイキング、広告、短尺動画などへ転用される可能性があります」
姫野にも意味が分かった。
「最初のMVに使わせただけのつもりが、素材そのものまで好きに触れる状態になるってことか」
「はい、姫野さん」
蓮見が頷く。
九は新しく2項目を書いた。
【完成作品を使う権利】
【制作素材を使う権利】
「これ、分けます」
「その方がいいと思います」
蓮見は再びタブレットへ視線を落とした。
冷静だ。
この辺りは、本当に頼りになる。
映像を作る側だからこそ、九には見えにくい危険が見えている。
「増えてきたね~」
清白がホワイトボードを眺める。
名前。
立ち絵。
3Dモデル。
モーション。
歌声。
素材。
まだ始まったばかりなのに、すでに通常の歌手契約とは違う場所へ来ている。
姫野も同じことを思ったらしい。
「これさ」
「はい」
「普通の契約書に入れんの、無理じゃねぇの?」
九はまだ答えなかった。
「そこ、もう少し後で考えます」
次の項目を書く。
【宣伝】
「クソ会社その三」
「楽しそうだなお前」
「楽しくはない。でもちょっとオモロくはなってきた」
「楽しんでんじゃねぇか」
九は通常の契約文を読み上げた。
「“Green Peasは、本作品のプロモーション活動に合理的な範囲で協力する”」
大澄が首を傾げる。
「普通じゃない?」
「めっちゃ普通です」
清白も頷く。
「よくありそうな文章ですね~」
「ですよね。でも今日の会社はクソなんで、最大限広く読みます」
九は指を1本立てる。
「インタビュー」
2本目。
「ラジオ」
3本目。
「SNS」
4本目。
「テレビ」
5本目。
「海外イベント」
もう片方の手で6本目。
「ライブ前の本人コメント動画」
7本目。
「毎月Green Peas本人からファンへのメッセージ投稿」
「待て待て待て」
姫野が止めた。
「途中から完全にタレント活動じゃねぇか」
「そうなんすよ」
九は頷いた。
「“プロモーションに協力する”だけなら、契約上どこまでを指すのか決めない限り、こういう方向へ広がる余地があります」
「本人の声を出すのも?」
大澄が聞く。
「入れようと思えば」
「ダメ」
「ですよね」
九は線を引く。
【プロモーション協力の方法を事前に限定】
【本人の肉声・人格情報を伴う新規露出は別途本人同意】
そこで。
「そこは、むしろ使えると思います」
蓮見が口を開いた。
九が見る。
「どういう意味です?」
「本人を出さないことです」
蓮見は少し考えてから、言葉を選んだ。
「Green Peasの場合、無理に本人を表へ出す必要はないと思います」
「宣伝するのに?」
「はい」
蓮見がタブレットを机へ置いた。
「専用ビジュアルがあれば、ティザーを作れます。楽曲の一部を使った映像も作れる。MVもある。3Dモデルを用意するなら、本人の肉声を使わなくても短尺映像は成立します」
それから蓮見は、ごく自然な調子で続ける。
「九さん。公式サイトの制作チームには私も入れてください」
「まだそこ正式決定してないですよ」
「必要になると思います」
「まあ、作る方向ではありますけど」
「公式チャンネルも必要です」
「それも検討中です」
「最初の告知映像は私が作ります」
「蓮見さん?」
「Green Peasが世界へ向けて初めて正式に姿を出す映像です。他の方へ任せる合理的な理由がありません」
「カンナちゃ~ん」
清白が呼ぶ。
「はい、清白さん」
「ちょっとだけ戻ってきましょうか」
「私は冷静です」
「たぶん今、あんまり冷静じゃないよ~?」
蓮見は数秒黙った。
「……ですが、私が作るのが最適だと思います」
「そこは譲らないんだね」
大澄が笑った。
「はい、社長」
「強いなぁ」
「品質の問題です」
「本当に?」
「…………品質だけではないかもしれません」
「認めた!」
姫野が吹き出した。
蓮見が僅かに視線を逸らす。
「失礼しました」
「いや、お前それ謝れば戻れると思ってるだろ」
「姫野さん、会議を続けましょう」
「逃げたな?」
九も思わず笑った。
ただ。
今のやり取りで、1つ大きなものが決まった。
Green Peasは.。
活動するにあたって、本人情報の開示を必要としない。
九はホワイトボードへ新しい枠を作った。
【公開するもの】
Green Peasという名前。
歌声。
公式ビジュアル。
楽曲。
許諾した映像。
必要に応じた3D表現。
清白が先に口を開いた。
「だいぶ形になってきましたね~」
「ですね」
九も頷く。
最初はGreen Peasを何者として扱えばいいのか分からなかった。
歌手。
違う。
VTuber。
違う。
キャラクター。
それも違う。
VSP社員。
それだけでも足りない。
だから既存の何かへ押し込めようとしていた。
でも。
必要ないのかもしれない。
名前は誰のものか。
声は誰が使えるのか。
姿は。
映像は。
3Dは。
何を外へ出すのか。
何を絶対に出さないのか。
誰が何を使えるのか。
誰が何をしてはいけないのか。
そして。
どこから先は本人にしか決められないのか。
それを1つずつ決めていけばいい。
九は新しく3つ書いた。
【誰が何を持つか】
【誰が何をしてはいけないか】
【本人が何を断れるか】
大澄がそれを見る。
「分かった?」
「多分」
九は少し笑った。
「これ、普通の契約書にGreen Peasを入れようとするから無理なんですよ」
姫野が腕を組む。
「じゃあどうすんだ?」
「逆です」
九はホワイトボードの中央を指した。
【Green Peas】
「Green Peasに合わせて、契約を作ります」
会議室が静かになる。
誰も否定しなかった。
むしろ。
ようやく全員が、同じものを見始めていた。
まだGreen Peas本人には、何も知らされていない。
だからこそ。
今ここで。
本人が知らなくても作れる安全だけは、全部作る。
九はペンを持ち直した。
「じゃ、クソ会社その四」
姫野が天井を仰ぐ。
「まだあんのかよ」
「山ほどあります」
九は新しい項目を書く。
【遠藤アオがVSPを退職した場合】
大澄の表情が露骨に嫌そうになる。
「これやる?」
「やります」
「嫌だなぁ」
「嫌な未来ほど先に潰すんです」
九はそこで少しだけ笑った。
「全部潰さないと、アオちゃんに話持ってけないんで」
その言葉には、誰も茶化しを入れなかった。
本人に選ばせる。
そのためには。
選んだ先に何が待っているのかを、本人より先にこちらが知っていなければならない。
そして。
断った先にも、何も壊れない道を作っておかなければならない。
九はホワイトボードを振り返った。
「じゃあ続けましょう」
今日だけは。
VSPが遠藤アオを食い物にする最悪の会社だったら、何ができるのか。
それを全部考える。
全部見つける。
そして。
その全てを、九ナルミが先に潰す。




