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第41話:怪物2人、一夜を共にする


公式切り抜きを公開してから、約30分。

モニターに表示された再生回数は、すでに300万回を突破していた。


「……300万」


思わず声に出した。

更新するたびに数字が増えている。


305万。

309万。

314万。


「……増え方、おかしくないですか?」


「おかしい」


姫野さんが即答した。


「でも元配信が6000万だからな」


「だからって、30分で300万再生いきます?」


「アタシに聞くな」


最近、姫野さんに数字の話を聞いても大体これだった。


「海外版も回ってるね~」


清白さんは別のモニターを見ている。


「英語圏だけじゃないなぁ。南米もかなり見てる」


「キューちゃん、これ全部ちゃんと人間か?」


「何その確認」


九さんが呆れた。


「再生監査は普通に通ってる。少なくとも、誰かが機械でぶん回してる数字じゃないよ」


「じゃあ人間が300万?」


「そう」


「そっちの方が怖ぇよ」


分かる。

世界のどこかに、今この動画を見た人が何万人といる。


私と豊臣さんの歌を。


「……うへぇ」


変な声が出た。


「アオちゃん」


清白さんがこちらを見る。


「はい……」


「今の顔、すごく良かった」


「何の話ですか」


「何でもないよ~」


絶対に何かある。

怖い。


「でもこれ、マジで出来いいね」


九さんがイヤホンを片耳だけ外した。


「元配信見てんのに、普通にまた最後まで聞いちゃった」


「だろ?」


姫野さんも頷く。


「音、全然違うんよね。派手じゃないのに、何かずっと聞きやすい」


「カンナちゃん、めちゃくちゃこだわってたからね~」


清白さんが笑う。


「アオちゃんの声だけ前に出しちゃダメだって」


「…………」


知っている。


豊臣さんも、ちゃんと残す。

私だけがすごかったようには見せない。


蓮見さんは最後まで、そこを守った。


モニターの中で豊臣さんが歌い、そこへ私の声が重なる。


一番のサビ。

二番。


自分でも何度聞いてもよく分からない声なのに、前より少しだけ聞くのが嫌ではなくなっていた。


これは私だけの歌ではない。

そう思えるから。


「しかし30分で300万か」


姫野さんが再生回数を見る。


「今日中にどこまで行くかな~」


「考えたくないです……」


「アオちゃんの動画だよ?」


「豊臣さんの動画です」


「二人のだよ~」


「…………」


そういうことなら、まあ。

少しだけ、悪い気はしないかな?


そう思ってもう一度モニターを見た時、ふと気づいた。


「あれ」


「ん?」


姫野さんが振り返る。


私は隣を見た。


「……蓮見さん」


返事がない。


モニターの前。

椅子に座ったまま、背もたれへ少し身体を預けている。


目は閉じていた。


「蓮見さん?」


やっぱり返事はない。

呼吸だけが、ゆっくり聞こえる。


「あれ……寝てる」


「は?」


姫野さんと清白さんも蓮見さんを見る。


「あ」


「カンナちゃん寝てるね~」


完全に寝落ちしていた。


「いつから?」


「分かりません……」


さっきまで普通にいたはずだ。


再生数も見ていた。

それなのに今は、まったく動かない。


昨日、何時間寝たのか聞かれて答えなかった。

今日は6時間寝るように言われていたけれど、本当に6時間眠ったのかは怪しい。


その前からずっと、あの動画を作っていた。


「……まあ、そりゃ落ちるわな」


姫野さんがため息をついて立ち上がる。


「仮眠室連れてくか」


「あ、私も手伝うよ~」


「いい。スズちゃん細いだろ。アタシが背負う」


姫野さんが蓮見さんの前へ行く。


そこで、声が出た。


「あの」


二人がこちらを見る。


「……私が」


「ん?」


「私が、負ぶります」


「…………」


姫野さんが止まった。

清白さんも止まった。


「……お前が?」


「……はい」


「アオちゃんが?」


「はい……」


「カンナちゃんを?」


「はい」


二人が顔を見合わせる。


「……そんなに驚きます?」


「驚くだろ」


即答された。


「驚くよ~」


清白さんまで同意している。


少し前の私なら、たぶん言わなかった。


そもそも誰かに近づくこと自体、できるだけ避けていた。

ましてや背負うなんて距離が近すぎる。

今だって、人が近いのは普通に怖い。


でも。


「……何で?」


姫野さんに聞かれて、少し考えた。


「蓮見さんが……」


モニターを見る。


300万という数字ではない。


その中身。


社長室まで行って担当させてほしいと頼み、辞表まで出して、寝る時間まで削って、何か国語も何度も何度も修正して。


最後には、


『現時点で、これ以上は作れません』


と言った。


私は、その全部を隣で見ていた。


「……私の歌を、一番いい形にしてくれたので」


それだけ言った。


「だから……せめて」


姫野さんは少し黙り、清白さんも何も言わなかった。

それから姫野さんが、少しだけ笑う。


「……そうか。じゃあ頼む」


「はい」


「無理ならすぐ言えよ」


「はい」


「落とすなよ」


「それは怖いです」


「アタシも怖ぇよ」


姫野さんに手伝ってもらって、蓮見さんを背中に乗せる。


「…………」


近い。

背中があったかい。

腕が肩の前に回っていて、顔もすぐ横にある。


怖い。

怖いけれど、思ったより平気だった。


たぶん蓮見さんが寝ていて、こちらを見ていないからだ。


「大丈夫か?」


「……大丈夫です」


「重くない?」


清白さんが聞く。


「大丈夫です」


「カンナちゃん軽そうだからね~」


「人を荷物みたいに言うな、スズちゃん」


「言ってないよ~」


仮眠室まで、ゆっくり歩く。

数十メートルしかないのに、妙に長く感じた。


蓮見さんの寝息がすぐ近くで聞こえる。


昨日あんな目をして、何個も何個も同時に仕事をして、誰も見たことのないところまで行った人が、今はただ寝ている。


少し安心した。


怪物でも寝るらしい。


当たり前だけど、よかった。


仮眠室。

ベッドは2つある。


片方へそっと寝かせ、布団をかける。


「よし。これで起きるまで放っとけ」


「……はい」


蓮見さんは起きない。

本当に限界だったらしい。


「アオちゃん、ありがとね~」


「……何で清白さんが」


「なんとなく」


なんとなく。


「じゃ、戻るぞ」


姫野さんが言う。


「はい」


返事をしたものの、少しだけ動けなかった。


ベッドを見る。


「……どうした?」


「…………」


起きたら、また編集を始めるのでは。


普通にあり得る。


「私、少しここにいてもいいですか?」


「は?」


また姫野さんが止まった。

今日、何回止めるんだろう。


「起きたら水とか……あと、また編集始めそうなので」


姫野さんと清白さんが蓮見さんを見る。


「あり得るな」


「あり得るね~」


信用ゼロ。


「でも、お前まで徹夜すんなよ」


「しません」


「絶対だぞ」


「はい」


「1時になっても起きなかったら、お前も寝ろ」


「……私も?」


「仮眠室なんだから寝ろよ」


「…………」


「泊まり用の寝巻きあるだろ」


ある。


非常時や深夜対応用。


VSPには色々ある。


「分かりました……」


「あと」


姫野さんが私を見る。


「お前、自分が原因だからとか考えて残るんじゃねぇぞ」


「…………」


「蓮見が勝手にやった。お前が返したいと思ったから残る。それなら好きにしろ」


「……はい」


やっぱり姫野さんはよく見ている。


怖い。


「じゃあ行こっか、ミカンちゃん」


「そうだな……ミカンちゃん言うな」


2人が出ていく。


仮眠室は静かになった。

私はもう一度ベッドを見る。


「……お疲れさまでした」


聞こえていない。

けど、今はそれでいい。






――翌日。


目が覚めた。


見覚えのある天井。

VSPの仮眠室だった。


時計を見る。

11時26分。

午前、というより、ほぼ昼。


最後の記憶を探す。


動画を公開した。


遠藤さんに満足したかと聞かれて、

『現時点で、これ以上は作れません』

そう答えた。


そこまで。

その後がない。


どうやら椅子で寝落ちしたらしい。

誰かがここまで運んだのだろう。


身体を起こす。


服は昨日のまま。

最低限、靴と上着だけは外されている。


そこで隣を見る。


仮眠室には、もう一つベッドがある。

誰かが寝ていた。


「…………」


黒い髪。

布団。

職場備え付けの寝巻き。

顔。


「…………」


遠藤さん。


なぜ。


ここに。


少し近づく。


完全に寝ている。


普段、人の視線があるだけですぐ身体が固くなる遠藤さんが、何の警戒もなく寝ている。


「…………」


見る。


寝顔。

かなり良い。


前髪が少し乱れている。

口元も、ほんの少し緩んでいる。

呼吸は静か。


「…………」


もう少し見る。


別に起こす理由はない。


なので見る。

かなり見る。


昨日、あの動画を完成させた。


今の自分に作れる最高を出した。

かなり満たされたつもりだった。


でも今、それ以上のものが目の前にある。


「…………」


メロい。

かなりメロい。

メロすぎるにも程がある。


これは想定外。


「……ん」


遠藤さんが少し動く。

眉が動き、目がうっすら開いた。


「んぇ……?」


寝ぼけている。


「…………」


良い。

非常に。


「おはようございます」


普通に挨拶する。

距離はかなり近い。


「んぅ~……?」


まだ目が半分も開いていない。


「おはようございましゅ……」


「…………」


破壊力が高い。

昨日の動画を完成させた時以上の充実感。


しばらく互いに顔を見る。


10秒。

20秒。


遠藤さんの目が少しずつ開いていく。


私を見る。

距離を理解する。


そして顔が一気に赤くなった。


「…………」


「…………」


「は」


「はい」


「は、はは」


「はい」


「ははははははは蓮見さん!!!!????」


本当に跳ねた。


「はい」


「なななな何で!?」


「起きたので」


「そうじゃなくて!」


遠藤さんが布団を掴み、一瞬こちらを見てから反転した。


背中を。

いや。

お尻をこちらを向けながら、そのまま頭まで毛布に包まる。


「…………」


丸い。


「無理無理無理無理無理……!」


布団の中から声がする。


「…………」


モルモット。

かなりモルモット。

カワイイ。


「遠藤さん」


「今ちょっと待ってください!」


「はい」


待つ。

30秒。


「まだですか」


「早いです!」


「分かりました」


さらに1分。


「…………」


「蓮見さん」


「はい」


「……何で、そんな近くに」


「寝顔を見ていました」


布団が止まった。


「…………」


「遠藤さん?」


「何で言うんですか……」


「聞かれたので」


「そうですけどぉ……」


完全に声が死んでいる。


「ところで」


「はい……」


「なぜ遠藤さんがここに?」


「…………」


少し間が空く。


「昨日……蓮見さん、寝ちゃったので」


「はい」


「仮眠室まで……」


「姫野さんが運んだんですか?」


「…………」


「遠藤さん?」


布団の中から小さい声が返る。


「あ……私です」


「……ほう」


私が止まる。


「遠藤さんが?」


「はい……」


「私を?」


「…………はい」


昨日の動画を納得のいく形に仕上げることができて。

そして貴重な遠藤さんの寝顔を見れて。


さらに、遠藤さんに背負われた。


「…………」


素晴らしい。

赫々たる結果だ。


「ありがとうございます」


「いえ……」


「なぜ?」


「え」


「なぜ私を?」


布団が少しだけ下がり、片目だけ見える。


「……蓮見さんが、私の歌をあんなにちゃんと作ってくれたので」


「…………」


「だから……その、少しくらい返したかっただけです」


また隠れた。


「…………」


そこまで恩義を感じる必要はない。


昨日、私は確かにあの動画へ自分の持てるものを全部注ぎ込んだ。

遠藤さんという最高の素材を、できる限り最高の形で残したかった。


それも本当。


でも、一番の理由は少し違う。


あの歌には、世界を席巻できるだけの力がある。


それを目の前に置かれた時、思った。

――私は、これをどこまで引き出せる?


自分がクリエイターとして積み上げてきた技術も、感覚も、経験も、全部。

そのすべてを使った時、自分はどこまで行けるのか。


あの映像を任された瞬間から、ずっと試されている気がしていた。


遠藤さんに、ではない。

あの素材に。


そして何より、自分自身に。


だから辞表まで持って社長室へ行った。


誰かのためだけに、あそこまでしたわけではない。

あれは私にとって、一世一代の腕試しだった。


クリエイターとしての自分が、どこまでやれるのか。

その答えが欲しかった。


そして私は、自分なりの最高を出せた。


だから。

遠藤さんが、こんなに申し訳なさそうにする必要はない。


「…………」


ただ。

それはそれとして。


毛布から片目だけ出してこちらを見ている遠藤さんは、すごくカワイイ。

これは遠慮なくいただきます。


「遠藤さん」


「はい……」


「また必要なら作ります」


「寝てください」


即答された。


「分かりました」


今日は素直に聞こうと思った。




――午後。


通常業務。

私も遠藤さんも仕事へ戻った。


睡眠は十分。

頭もかなり冴えている。


「カンナちゃん」


清白さんがこちらを見る。


「はい」


「元気になったね~」


「はい」


「何かいいことあった?」


「ありました」


即答。

横で遠藤さんの肩が跳ねた。


「…………」


姫野さんが遠藤さんを見て、次に私を見る。


「……何があった?」


「何もないです!」


遠藤さん。

珍しく反応が早い。

そして声も大きい。


「何もねぇ奴の声量じゃねぇだろ」


「何もないです……」


縮んだ。

昨日までより明らかに小さい。


やはり見ていて飽きない。


「カンナちゃん?」


清白さん。


「はい」


「本当に何があったの?」


「よく眠れました」


「……それだけ?」


「遠藤さんの寝顔も見ました」


「はすみさぁぁぁん!?」


遠藤さんが崩れた。

机に顔を伏せる。


「…………」


姫野さん。


「お前ら何してたんだ?」


清白さん。


「一晩で何があったの~?」


「何もありません」


事実。

寝ただけ。


遠藤さんだけが、なぜか入社初日以上に借りてきた猫状態になっている。

猫になったり、モルモットになったり。

忙しい人だ、本当に。


まぁカワイイからヨシ。


「遠藤」


姫野さん。


「……はい」


「生きてる?」


「…………ぎりぎり」


何だか今日は、とても気分の良い1日だった。






――その日の夕方。


VSP。


権利・法務関連の問い合わせを集約している部署。


「九さん」


「んー?」


「ちょっと、これ見てもらっていいですか」


「何?」


スタッフが画面を向ける。


「海外からなんですけど」


「海外?」


「はい。でも本文は日本語です。自動翻訳されたような文章でもありません」


「ふーん……」


スタッフの声には、驚きと困惑が混ざっていた。


九が椅子ごと近づいて画面を見る。


VSP公式窓口へ届いた一通のメッセージ。

件名は、


『Green Peasに関するお問い合わせ』


最近では珍しくない。


海外の音楽会社。

レーベル。

制作会社。

作曲家。

プロデューサー。

歌手。


今日だけでも大量に来ている。


九は本文を読む。


『VSPの動画を見たこと。

豊臣ツバサとGreen Peas、二人の歌唱について。

特にGreen Peas本人と、一度話をする機会がほしい。


そして、もし本人が望むのであれば。

一緒に歌ってみたい。』


そこまで読んだ。


「…………」


普通なら、『またですか』で終わる。


問題は差出人だった。


九が見る。

もう一回見る。


「…………え?」


スタッフが小さく頷く。


「やっぱり、そうなりますよね」


「待って」


九が画面へ近づく。


「これ……なりすましとかじゃなく?」


「最初そう思いました。けど、認証も通ってます」


「送信元は?」


「確認しました。米国側の公式窓口です」


「…………」


九が黙る。



――差出人の名前を知らない人間はいない。


音楽に詳しいかどうかは関係ない。

新曲を追っているかどうかも関係ない。

その人自身を好きか嫌いかすら関係ない。


世界中で最も有名な女性歌手の1人。


世界各国のチャートを何度も席巻し、世界規模のファンを持つ。


スタジアムを埋める世界ツアー。


そして、何より代表曲。


歌手本人を知らなくても、その曲は知っている。


テレビ。

映画。

広告。

街。

店。

スポーツ会場。


どこかで一度は聞いたことがある。

まさに世界中で文化を築いた、そういう曲を持つ人間。



九がもう一度本文を見る。


『Green Peasと話がしたい。

そして、できれば一緒に歌ってみたい。』


「…………」


完全に固まる。


「九さん?」


返事がない。


「九さん?」


「……いや」


ようやく声が出た。


「ちょっと待って」


頭を押さえる。

笑えない。


「これ、マジで?」


スタッフが頷く。


九は差出人欄をもう一度見た。

見間違いではない。


そして小さく呟いた。


「……なんでこんな世界的大スターが?」


その日の夕方。

VSPへ、一通の正式な問い合わせが届いた。


グリーンピース事件が日本のVTuber業界を飛び出したことを、誰の目にも分かる形で証明する。


たった1通の問い合わせが。

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