第40話:コミュ障、新たなる怪物を目の当たりにする
歌枠から四日。
豊臣ツバサさんの例の配信アーカイブは、再生回数6000万を突破した。
「…………」
6000万。
もう一回見る。
6000万。
上から見ても、下から見ても、何回見ても6000万。
「……姫野さん」
「何だ」
「これ……本当に6000万ですか?」
「昨日から何回確認すんだよ」
「だって……」
世界中で最も再生された配信アーカイブでも、3000万には届いていないらしい。
それを、たった4日で倍。
「キューちゃんが言うには、ギネスとかその辺も確認してるらしいぞ」
「…………」
入社した。
一般的な会社員になった。
なのにどうして1か月もしないうちに、ギネス記録という単語と縁ができたのだろう。
人生って難しい。
「まあ、理由はいくつかあるけどな」
姫野さんがモニターを見る。
事件翌日。
私の歌唱部分を切り抜いた動画が大量に投稿された。
ほとんど手を加えていない動画でも、翌日には100万回再生を突破。
ただし、歌唱部分をほぼそのまま転載したようなものが多く、VSPの公式ガイドラインには抵触していたため、順次削除。
結果、現状グリーンピースのあの歌を聞こうと思ったら、豊臣さんの90分近い歌枠アーカイブへ行くしかなくなった。
「海外でもタイムスタンプだけ拡散されてるらしい」
「……ここから聞け、みたいな?」
「そう」
世界中の人が、日本語のVtuberの90分近い配信へ来て、最後の数分だけを聞いている。
なぁにそれぇ。
「だから公式で切り抜く」
姫野さんが立ち上がった。
それはすでに決まっている。
公開日時も、昨日のうちに正式告知された。
明日の21時00分。
世界規模で待たれている動画だからこそ、慎重に。
制作。
各部署確認。
権利確認。
字幕確認。
最終チェック。
全部を行えるよう、余裕を持ったスケジュールが組まれている。
つまり、今日から本格的に制作を始める。
「お前も確認あるから来い」
「え……どこへ?」
「動画編集部」
「…………」
嫌な予感がした。
動画編集部。
以前静かな避難所だと思って逃げ込んだ結果。
蓮見さんに数時間、自分の歌を分析された場所。
もう安全地帯ではない。
そして、入った瞬間分かった。
何かがおかしい。
「アオちゃん、おはよ~」
「……おはようございます」
清白さん。
いつもの笑顔。
ただ、ほんの少し、顔が引きつっている。
その理由はすぐ隣にいた。
「遠藤さん」
蓮見さん。
「おはようございます」
「……おはようございます」
普通だった。
声も。
表情も。
姿勢も。
いつもの蓮見さん。
なのに怖い。
何が怖いのか、数秒考えて気づいた。
あの目だ。
目が異様なほど冴えている。
前に私が歌った映像を何時間も見続けていた時も、まあまあ怖かった。
でも、今日の比ではない。
焦点が合いすぎている。
「こちらへ」
「……はい」
3枚のモニター。
いや、よく見るとタブレットも二台ある。
全部、違うものが表示されていた。
動画編集ソフト。
音声波形。
字幕管理。
サムネイル。
何かの一覧表。
「まずサンプルを確認してください」
「サンプル……ですか」
「はい」
フォルダが開かれる。
日本語。
英語。
中国語簡体字。
中国語繁体字。
韓国語。
スペイン語。
ポルトガル語。
フランス語。
ドイツ語。
タイ語。
インドネシア語。
その下。
まだある。
「…………」
数えるのをやめた。
「何ですか、これ」
「公式切り抜きの各言語版です」
「これぇ……何か国語?」
「現時点で13です」
現時点。
現時点と言ったか、いま。
清白さんを見る。
清白さんも笑う。
「ね~?」
何が『ね~』なのだろう。
「カンナちゃん」
清白さんが改めて蓮見さんを見る。
「確認なんだけどさ~」
「はい」
「今日から本格制作の予定……だったと思うんだけど」
「はい」
「昨日は素材整理と方向性決めだったよね?」
「そうです」
「じゃあこれは?」
「サンプルです」
「…………」
「姫野さん」
「アタシに聞くな」
「サンプルって……」
「……アタシらの知ってるサンプルとは違ぇな」
ですよね。
「まだ完成ではありません」
蓮見さん。
「英語版は字幕表示時間に7か所修正が必要です。簡体字版が9か所。繁体字版が12か所。韓国語版は語順変更に伴って画面上の情報密度が――」
「待て」
姫野さんが止めた。
「はい」
「これ全部、お前が作ったんだな?」
「はい」
「いつ」
「昨日の夜からです」
沈黙。
「寝たか?」
「必要量は」
「何時間」
「今回は伏せます」
「寝てねぇ奴の回答だろそれ!」
「作業精度に影響はありません」
「精度の話してねぇ!」
姫野さんが怒っている間にも、蓮見さんの右手はマウスを動かしていた。
「……今、何してるんですか?」
「フランス語版のサムネイルを修正しています」
「姫野さんと話しながら?」
「はい」
「…………」
怖い。
まず日本語版を見る。
映像が始まった。
豊臣さんの歌枠、その終盤部分。
画面の端に小さく、
《歌唱協力 グリーンピース/VSP運営スタッフ》
「…………」
名前があった。
「表記はこちらで問題ありませんか」
「……はい」
「では確定します」
カタ。
「確定しました」
判断が速い。
映像は意外なほど静かだった。
大きなテロップや派手な演出、煽るような字幕はない。
歌だけ。
豊臣さんの声と私の声。
二つが綺麗に残っている。
「もっと……ガッツリ編集するのかと思ってました」
「しています」
「いや、そうじゃなくて……」
伝わらない。
「派手に、とか」
「ああ」
蓮見さんは。
少しだけ首を傾けた。
「必要ありません」
即答。
「素材の価値が編集の主張を上回っています」
「…………」
「この映像で、私が目立つ理由はありません」
それだけ言って、また画面を見る。
「配信時の音源は、生放送として成立させるためのバランスです。切り抜きでは単独動画になるので、音像のみ調整しています」
「……はい」
「ただし遠藤さんの歌唱については、補正をほぼ行っていません」
「どうしてですか?」
「触るほど劣化するので」
「…………」
それ、褒められているのだろうか。
「特に二番以降。あの歌唱は人間が手を加えて良い領域を超えています」
いや流石に表現が壮大すぎるのでは?
けど他の人が聞いたらそういう解釈になるのかな。
自分のことながら恥ずかしい。
一番のサビの部分。
私の声が変わり始める。
そして二番。
自分で聞いても、未だにどうやって出したのか分からない声。
そこで蓮見さんが止めた。
「ここです」
「……私ですか?」
「いいえ」
蓮見さんは画面を指さした。
「豊臣さんです」
「…………」
「ここから、豊臣さんの歌唱も明確に変化します」
また再生。
確かに分かる。
最初から豊臣さんは上手かった。
でも、途中からもっと自由になっている。
「今回、最も注意したのはここです」
「……豊臣さんを?」
「二人を、です」
蓮見さんは淡々と言う。
「遠藤さんの声だけを強調すると、この歌唱で起きたことを誤認させます」
「誤認……」
「遠藤さんだけが突出したように聞こえる」
「…………」
「ですが、そうではない。豊臣さんも良くなっています」
そこには迷いがなかった。
「二人とも、残さなければ意味がありません」
「…………」
何か少しだけ胸に残った。
その間にも蓮見さんの左手が動く。
「……何してるんですか?」
「英語字幕の修正です」
「今?」
「はい」
「動画見ながら?」
「はい」
「私と話しながら?」
「はい」
「…………」
何でできるの。
そしてさらに、おかしいことが始まった。
「韓国語版、翻訳修正届きました~」
清白さん。
「確認しました」
蓮見さん。
「今?」
「はい」
「でも英語版直してたよね?」
「直しています」
「日本語版も開いてるよね?」
「開いています」
「サムネも触ってない?」
「触っています」
「…………」
清白さんが姫野さんを見る。
姫野さんも見る。
蓮見さんの手は止まらない。
1つ、字幕を修正。
別の画面へカットを数フレーム移動。
別のサムネイルに戻る。
字幕。
音。
画面。
概要欄。
その全てが異常に速い。
でも、本当に異常なのはそこではなかった。
「あれ」
清白さん。
「英語版、さっきより良くなってない?」
「はい」
「でも今直したの、韓国語版だよね?」
「韓国語版で文字密度が上がったことで、英語版にも不要な余白があることに気づきました」
「…………」
「なので両方変更しました」
「中国語版も変わってる」
「英語版を直した際、画面切り替えを2フレーム早めた方が全言語で自然だったので反映しました」
「…………」
1つ、タスクを増やすと、別のタスクの精度が良くなる。
そこで見つけた改善点が、さらに別へ戻る。
そしてタスク全体の精度が向上する。
――通常、仕事を増やせば一つに使える時間は減る。
速度を上げれば精度は落ちる。
精度を上げるなら時間がかかる。
それが当然の道理だ。
無論、私もそういうものだと思っていた。
だが今、目の前では逆のことが起きている。
仕事が増えるほど速くなる。
にも関わらず、速くなるほど完成度が上がっていく。
「……カンナちゃん」
清白さんの声が、少し変わった。
「はい」
「今、いくつ同時にやってる?」
「数えていません」
「数えてみよっか」
「必要ですか?」
「……必要じゃない?」
「1つずつ処理すると精度が落ちます」
「…………」
清白さん完全に止まった。
「いや、逆だろ」
姫野さん。
「今は逆です」
「今はって何だよ」
「今はそう感じてます……私もよく分かりませんが」
どうやら本人も説明できないらしい。
――ギフテッド。
その言葉なら私でも知っている。
生まれつきある分野で、人より大きく突出した能力を持つ人。
一方で、生まれ持った資質そのものではなく、経験や訓練を通して磨き上げられた突出した技能を意味する、タレンテッドと分けて呼ぶ考え方もあるらしい。
厳密な定義は一つではない。
でも、今なら何となく、違いが分かる。
蓮見さんは元からおかしい。
普通の人が努力して届く場所。
そのずっと先から、たぶん始まっている。
1人で一般的なクリエイターの2、3人分。
それを平然とこなして、しかも一つ一つの出来が誰よりも良い。
マルチタスクという、複数のことを同時にやるという意味を表す言葉があるが。
そんな言葉では足りない。
足していない。
掛けている。
映像。
音。
文字。
翻訳。
構成。
サムネイル。
公開導線。
一つの作業が別の作業を強くする。
強くなったそれが、また別を押し上げる。
<多才:マルチ>じゃない。
敢えて言うなら、<多重:デュアル>。
いくつもの能力が同時に走って、互いを加速させている。
ギフテッド。
その上で何年も何本も何百本も作って、積み上げて磨いたタレンテッド。
今、その2つが、同じ場所で完全に噛み合っている。
ギフテッド×タレンテッドのハイブリッド。
――いま目の前にいるのは、傑物すらも超えた、まさに正真正銘の怪物だった。
「……スズちゃん」
姫野さんが。
低い声で呼んだ。
「何~?」
「アンタ、こいつ昔から見てるよな」
「うん」
「元からこんなんだったか?」
清白さんがしばらく蓮見さんを見る。
「……すっごく仕事できる子だったよ」
「だよな」
「私も、カンナちゃんより動画上手い人ってほとんど見たことない」
「だよな」
「でも」
少しだけ笑顔が消えた。
「これはちょっと知らない……かも」
「…………」
その瞬間、背中がぞわっとした。
清白さんでも知らない。
姫野さんでも知らない。
そして蓮見さん本人も、たぶん知らなかった。
いま、蓮見さんの中で、誰も見たことのない何かが目覚め始めている。
「英語版、修正完了しました」
蓮見さん。
「中国語2種も同時に反映済みです」
姫野さんは何も言わない。
「タイ語版の字幕再配置も終わりました」
清白さんも何も言わない。
「追加でポーランド語版のサンプルを――」
「「増やすな!」」
二人同時だった。
「ところで」
私はずっと気になっていた。
「どうして……蓮見さんが担当になったんですか?」
空気が止まった。
姫野さん。
「…………」
清白さん。
「…………」
蓮見さん。
「私が希望しました」
「……希望ですか」
「はい」
それだけ。
でもなぜか姫野さんが遠い目をした。
「希望、ねぇ……」
「何ですか?」
「いや」
「何かあったんですか?」
「……知らなくていい」
えっ、何?
何ですか、その感じ。
――昨日。
VSP本社の社長室。
「担当はぜひ私にお願いします」
蓮見カンナはいつもの平坦な声で言った。
正面には大澄カガリ。
言わずもがな、VSP社長。
その隣、清白メイカ。
こう見えて、運営統括。
「私もカンナちゃんで問題ないと思います~」
清白が続ける。
「例の配信もずっと追っていますし、アオちゃんの歌について現状一番理解している編集スタッフです。実力面でも適任かと」
業務中。
清白の口調は柔らかい。
しかし相手は社長。
言葉遣いは崩さない。
「うん」
大澄も最初からほぼ同じ意見だった。
蓮見カンナ。
VSP動画編集部。
エースという言い方ですら少し足りない。
1人で通常のクリエイター数人分をこなす。
品質。
速度。
構成力。
音。
映像。
どれを取っても社内トップ。
蓮見ほどのクリエイターは、業界全体を見ても5人と居ない。
まさにエース・オブ・エース。
今回の担当としても、これ以上ないほどの人材だ。
「私も蓮見でいいとは思ってる」
「ありがとうございます」
「ただ」
大澄は社長だった。
何でもその場の勢いで決めるわけにはいかない。
「一応、制作体制と他案件への影響は確認する。候補として検討しておくよ」
普通。
極めて普通。
至極真っ当な社長としての返答。
「分かりました」
蓮見が右手を胸元へ入れた。
紙を一枚取り出し、机の上へ置いた。
「…………?」
大澄がそれを見る。
「何、この紙」
「辞表です」
「…………え」
清白が横を見る。
「カンナちゃん?」
「はい」
「それは一体、何に使うのかな~?」
「必要であれば提出します」
大澄がもう一度紙を見る。
正式な書式で、署名・日付も全部入っている。
「これ……本物?」
「はい」
「………何で?」
「担当者について交渉するためです」
「…………」
交渉という単語について。
この場にいる三人の認識は一致しなかった。
「私以外の方を担当にするのであれば」
蓮見が言う。
「今、この場で辞表を提出します」
平坦。
静か。
脅しの色など声には一切ない。
「…………」
大澄が固まる。
清白もさすがに止まった。
「カンナちゃん」
「はい」
「大澄社長は、蓮見にしないとは仰っていないけど?」
「承知しています」
「念のためにまだ確認が必要っていう意味だよ?」
「承知しています」
「じゃあ、それしまおうか?」
「担当が確約さえすれば、喜んで」
「…………」
しまわない。
大澄は蓮見を見る。
目が異様に澄んでいた。
迷いなし。
冗談なし。
本気と書いてマジ卍。
ここでもし、別の人間を選ぶと言えば、この女は本当に辞表を置いて帰る。
大澄には分かってしまった。
そして、蓮見カンナが辞めた場合。
動画編集部の制作能力が具体的にどれだけ吹き飛ぶかも分かった。
5秒ほどの沈黙。
「…………蓮見でお願いします」
即決。
「ありがとうございます」
蓮見は辞表を胸元へ戻した。
「では失礼します」
「う、うん」
「清白さん。ありがとうございました」
「うん。お疲れさま~」
蓮見が出ていく。
扉閉じる。
カチャ。
沈黙から。
1秒、2秒。
「…………」
大澄がゆっくり立ち上がった。
そして。
「メイカぁ……」
「ん?」
清白へ抱きついた。
「怖かったぁ……」
「…………」
清白は一瞬黙ったあと、大澄の背中をぽんぽん。
「よしよし、カガリちゃん」
もう運営統括ではない。
社長でもない。
義姉妹同士の、昔からの呼び方。
「怖かったね~」
「目がぁ……目がマジだったぁ……」
「うん。あれは私もちょっと怖かった~」
「蓮見辞めるってぇ……」
「辞めなくてよかったね~」
「私、検討するって言っただけなのにぃ……」
「そうだね~」
とにかく、全面的に大澄が可哀想なだけだった。
――そして現在。
「……改善点、あと14です」
蓮見さんが言った。
「減ったね~」
清白さん。
「代わりに2言語増えました」
「増やしちゃったね~」
清白さんの目が死んだ。
「スズちゃん」
姫野さん。
「はい」
「止めろ」
「分かってるよ~」
清白さんが蓮見さんの肩へ両手を置く。
「カンナちゃん」
「はい」
「今日は絶対に寝ようね」
「必要量は」
「最低でも6時間」
「4時間で」
「いやだから6時間ね」
「では5時間」
「6時間未満はダメだってば」
「…………」
「カンナちゃん?」
「分かりました」
勝った。
さすが運営統括。
「じゃあ今日2時間前倒しで切り上げれば――」
「その2時間で3言語追加しよっか」
「おいコラ管理職」
姫野さんと清白さんはギリギリ理性は残っている。
そのため、公開日時は変えなかった。
蓮見さんなら今日出せた。
というか今すぐでも出せた。
でも出さない。
告知した日時がある。
世界中で待っている人がいる。
確認工程もある。
だから明日の定刻。
その時間まで決定版を作る。
蓮見さんはそこだけはきちんと守った。
その代わり、余った時間全部改善へ使った。
1つ改善するたび、他も改善される。
全部が改善されることで、次の一つが見える。
また改善する。
速度が上がり、精度が上がり、量が増える。
普通なら、どれかが取りこぼされるはずなのに。
一つたりとも落ちない。
「……遠藤さん」
「はい」
「確認お願いします」
また新しい修正版。
とりあえず確認。
「…………」
分からない。
前のも十分すごかった。
なのに、今の方が明らかに聞きやすい。
豊臣さんの声と私の声。
どちらも近くなっている。
でもぶつからない。
「……何したんですか?」
「少し」
「少し……とは?」
「43か所ほど」
「それ少しじゃないです」
「全体から見れば少しです」
基準がおかしい。
そしてふと思う。
あの歌枠。
周りの人たちは、途中からこういう気持ちだったのだろうか。
昨日まで知っていた人が、突然昨日までの範囲を越える。
何が起きたのか本人にも分からない。
周りにも分からない。
ただ目の前に結果だけがある。
アオの中の怪物。
そう言われた。
あの時私はよく分からなかった。
今、少し分かった気がする。
目の前にもいる。
怪物と称された人物がもう1人。
翌日。
20時59分。
予約公開10秒前。
9。
8。
7。
清白さんが。
楽しそうに数える。
3。
2。
1。
公開。
VSP公式チャンネル。
豊臣ツバサとグリーンピースのデュエット。
その歌唱部分の公式切り抜き。
そしてデュアルタスクの怪物、蓮見カンナが己の全てを叩き込んだ動画。
「……出ました」
私が呟く。
「はい」
蓮見さんは画面を見る。
その顔は昨日までとは少しだけ違った。
静か。
「どうですか?」
聞いてしまった。
「何がですか?」
「……満足、しました?」
数秒。
蓮見さんが。
考える。
「いいえ」
「…………」
まだ。
「ですが」
画面。
公開された動画。
「現時点で、これ以上は作れません」
「…………」
それはこの人にとって。
たぶん最高という意味だった。
数字が動き始めた。
そして公開から10分足らずで、すでに50万回再生を突破した。
でも蓮見さんは再生数を見ていなかった。
完成した自分の映像を、ただ見ていたのだった。
――その動画が海を越え、国を越え、言葉を越えて。
公開からさほど時間も経たないうちに、ある一人の女性のところまで届いた。
日本語は分からない。
豊臣ツバサも。
知らない。
VSPも知らない。
1度目。
最初から最後まで聞く。
2度目。
2番から聞く。
3度目。
一番のサビ後半で止めた。
巻き戻す。
今度は声ではなく画面に映る豊臣を見る。
「……ここから」
もう1度。
2番。
女性の視線が鋭くなる。
「こっちの子まで変わってる」
隣にいた人物が画面を見る。
「画面の歌手?」
「そう」
そしてもう一人。
姿のない声だけの人物。
概要欄にその名があった。
Green Peas.
女性が初めて名前を読んだ。
「……Green Peas」
少しして隣の人物が調べた情報を伝える。
日本。
VTuber事務所。
VSP。
所属歌手ではない。
所属タレントでもない。
女性が顔を上げる。
「じゃあ、この人は?」
答え。
「スタッフらしい」
沈黙。
「……Staff?」
4回目の再生。
もう1度、最初から。
その女性が、世界中の誰もが知るほどの歌手であることを。
VSPの誰も、まだ知らなかった。




