第39話:コミュ障、逆オファーを受ける
グリーンピース事件のピークは、どうやら本当に昨日だったらしい。
「あ、減ってる……」
朝。
パソコンに表示された問い合わせ件数を見て、思わず呟いた。
昨日より少ない。
いや、普通に考えれば十分おかしい数だけど、それでも減ってきてはいる。
右肩上がりではない。
「姫野さん」
「ん?」
「……減ってます」
「ああ」
「……本当に減ってきてます」
「だから昨日言っただろ」
姫野さんは鬱陶しそうにこちらを見る。
「今日から落ちるって」
「三日間ずっと今日がピークって言われたので……」
「今回は当たったじゃねぇか。良かったな」
三回目で。
でも終わりが見えた。
グリーンピースという名前がついて。
公式発表が出て。
なぜか余計に騒ぎが大きくなって。
海外にまで切り抜きが流れ始めて。
一時はどうなることかと思ったけれど、ようやく日常が。
「あ、遠藤」
「……はい」
「これ、収録フロア持ってって」
資料を渡された。
日常が戻ってきた。
なんとも素晴らしい。
問い合わせでもない。
歌でもない。
海外でもない。
普通の雑務だ。
ビバ雑務。
「第三スタジオ前。ノゾミいるから渡して、変更箇所だけ確認してきて」
「……ノゾミさん」
知っている。
もちろん、VSPのタレントなのだから名前は知っている。
でも。
その名前は私にとって、ただ知っているだけの名前ではなかった。
「分かりました」
資料を受け取って立ち上がる。
久しぶりに。
本当に久しぶりに。
ただ仕事を頼まれた。
第三スタジオの前へ行くと。
いた。
「あ」
向こうも私に気づいた。
「あ、遠藤さん」
その顔を見た瞬間。
思い出す必要すらなかった。
明野ノゾミさん。
VSPでは、下の名前である『ノゾミ』の名で活動しているタレントだ。
VSPでは基本的に、タレントは本名の下の名前をそのまま活動名として使っている。
だから、明野ノゾミさんは、ノゾミ。
そして、私にとってはもっと分かりやすい覚え方があった。
そう、他でもないあの人だ。
私がVSPに入って。
最初に大きな騒ぎへ巻き込まれた時。
その中心にいた人。
あの炎上事件のときのタレントさんだ。
「お久しぶりです」
ノゾミさんが笑った。
「……お久しぶりです」
私も頭を下げる。
あの時は、こんなふうに落ち着いて話せる状況ではなかった。
ノゾミさんは炎上の真っ只中で。
私は入社したばかり。
周りでは偉い人たちが走り回って。
私は、何でか知らないけどそこにいた。
今思い返しても何でいたんだろう。
「これ、姫野さんから……」
「あ、今日の資料ですね」
渡す。
ノゾミさんがその場で開いた。
「変更ってどこですか?」
「あ、えと、二ページ目の……収録後です。打ち合わせが三十分後ろに」
「あー、了解です。じゃあ移動も余裕ありますね」
「はい」
終わった。
普通の仕事。
なんか感動した。
「ありがとうございます」
「いえ……」
帰ろう。
そう思ったところで。
「あの」
呼び止められた。
「……はい?」
「ちょっといいですか?」
……嫌な予感。
最近、誰かから『ちょっといいですか』と言われると、大体ロクなことがない。
ノゾミさんはスマホを取り出した。
「これ」
画面を見せられる。
「…………」
私だった。
正確には私ではない。
豊臣さんしか映っていない。
でも、聞こえている声は私だった。
海外の切り抜き。
タイトルも説明欄も英語。
そして再生数。
……様子がおかしい。
見なかったことにする。
「……何ですか」
「海外でもすごいですね」
「見せないでください……」
「すみません」
すぐ閉じてくれた。
あ、いい人だ。
どこぞの蓮見さんとは違う。
「私、VSPに入る前は個人で配信してたんですけど」
「……はい」
それは知っていた。
ノゾミさんは、VSPへ入る前から配信界隈ではかなり名前を知られていた人だ。
完全な新人としてデビューしたわけではない。
個人で長く配信を続けて。
すでに相当数の視聴者を持って。
そこからVSPのオーディションを受けて所属した。
VSPの中でも少し変わった経歴の人。
「個人でやってると、数字がどう広がっていくか結構見るんですよ」
「数字……」
「切り抜きとか、クリップとか。最初はいつもの視聴者しか見てないのに、どっかで別の界隈に拾われて、そこから急に知らない人が増える時があって」
ノゾミさんがスマホを軽く振る。
「今回、それの規模がめちゃくちゃ大きい版ですね」
「……嫌な例えです」
「でも分かりやすくないです?」
分かりやすい。
だから嫌だ。
「最初はVSPの視聴者とかVTuber好きな人が見てたんですよ。でも今は違います」
「……違う?」
「歌として見られてます」
昨日、九さんも似たことを言っていた。
「VSPも豊臣先輩も知らない人が、普通に『この歌ってる人誰?』って聞いてるんですよ」
「…………」
「たぶん、ここから先は今までとちょっと違うと思います」
「……何がですか?」
「広がり方」
さらっと怖いことを言われた。
「日本で流行ってるものを海外のVTuberファンが見るのと、海外の音楽好きが歌として拾うの、全然違うので」
「…………ヒンッ」
帰りたい。
普通の仕事だったはずなのに。
どうして海外の話になっているのだろう。
「まあ」
ノゾミさんが笑った。
「遠藤さんが今すぐ何かする話じゃないですけど」
「……そうですよね」
「たぶん」
「たぶん付けないでください」
「すみません」
笑っている。
この人、炎上していた時は気づかなかったけれど。
意外と人をからかう。
「でも」
ノゾミさんが少しだけ声を落とした。
「遠藤さん、少し変わりましたね」
「……え」
急に別の話になった。
「何だか垢抜けたような?前に会った時より、普通に喋ってる」
「…………いや、その」
言われて固まる。
言われた瞬間に喋れなくなった。
「あ」
「…………」
「戻った」
「言わないでください……」
笑われた。
「すみません」
全然反省していない。
でも確かに、あの時よりは話せる。
今だって緊張している。
相手はタレントだし。
人だし。
私を見ているし。
けど仕事だと割り切れたなら。
多少前よりはマシになった……のかな。
「私も、あの時は余裕なかったですけどね」
ノゾミさんが言った。
「……そう、ですよね」
「めちゃくちゃでしたから」
本人が言うと重い。
「でも」
ノゾミさんは少しだけ笑った。
「遠藤さんがいてくれて、助かりました」
「…………」
困るなぁ。
そういうの。
「私……そんなに何も」
「出た」
「……何がですか」
「自分がやったこと少なく言うやつ」
「そんなこと……」
ある。
気がする。
「少なくとも、私は助かりましたよ」
「…………」
「だから」
ノゾミさんが少し周囲を見る。
廊下にはスタッフが何人かいる。
少し離れたところを通っているだけで、こちらの話を聞いている様子はない。
ノゾミさんが急に一歩近づいた。
「……?」
さらに顔を寄せる。
距離が近いです。
密です。
無理。
「遠藤さん」
小さな声。
耳元。
「実は私、遠藤さんに専属でついてほしいって、逆オファー出したんですよ」
「…………」
何を。
言われた?
「…………んえ?」
「しー」
口元に指を立てられた。
「まだ内緒です」
内緒。
いや。
その前に。
「………………ワタシ?」
「はい」
「専属……?」
「はい」
「……誰の?」
「私の」
そこは分かっていた。
分かっていたけど。
聞きたかった。
理解が追いつかなかったので。
「清白さんにお願いしました」
「…………」
頭の中で言葉を並べる。
明野ノゾミさん。
タレント。
私。
新人運営スタッフ。
専属。
希望。
逆オファー。
「…………なんで?」
やっと出た。
「そこからですか?」
ノゾミさんが笑う。
「だって……」
ナンデ。
ホントにナンデ。
「私、マネージャーでも……まだ」
「だから希望ですって」
「…………」
「すぐ遠藤さんが専属になるとか、そういう話じゃないですよ。私がお願いしただけ」
「ア、ハイ」
「清白さんにも、すぐ決められる話じゃないって言われました」
なるほど。
ならまだ大丈夫……か。
何が大丈夫なのか分からないけど。
「でも、希望を聞かれたので」
ノゾミさんが私を見る。
「遠藤さんがいいですって言いました」
「…………」
視線を逸らしたい。
でも、逸らしたら失礼な気がする。
結果、中途半端に斜め下を見る。
「歌が……」
口から出た。
「はい?」
「昨日の歌があったから、とか……」
「ああ」
ノゾミさんは。
すぐに首を振った。
「違いますよ」
「……違う?」
「私がお願いしたの、あの歌枠より前です」
「…………」
そうだった。
考えてみれば、あの炎上が終わったのは豊臣さんの担当補助に入るより前だ。
いろんな事がありすぎて、自分でも訳が分からなくなってた。
「なので、遠藤さんがあんな歌うたうとか知りませんでした」
「…………」
「あれは普通にびっくりしましたけど」
そこは言わなくていい。
「私がお願いしたのは、遠藤さんだからです」
「…………」
さらに困るやつが来た。
歌が理由なら、まださっき自分でも聞いた。
あれなら誰かが興味を持つことは分かった。
でも、歌う前の私。
「……私、何しました?」
「それ、聞きます?」
「……はい」
本当に分からない。
ノゾミさんは少しだけ考えた。
「私が勝手に間違った方へ走りそうになった時に、止めてくれました」
「…………」
「でも、遠藤さんが正解を決めたわけじゃなかった」
あの時。
私はノゾミさんが何を言いたいのか。
それだけを探していた。
「最後は、私に選ばせてくれたじゃないですか」
「……それは」
「そういう人がいいなって思ったんです」
言い切られた。
「私、個人でやってた期間が長いから、自分で何でも決める癖がまだ結構あるんですよ」
ノゾミさんは苦笑する。
「VSPに入ってからも、それで何回か怒られてます」
「……そうなんですか」
「姫野さん怖いですよ」
「知ってます」
即答してしまった。
ノゾミさんが吹き出した。
「遠藤さんも怒られてるんですか?」
「……よく」
「じゃあ仲間ですね」
仲間なのだろうか。
「だから」
ノゾミさんが続ける。
「全部私の好きにさせる人でもなくて、全部代わりに決める人でもなくて。一緒に考えてくれる人がいい」
そして。
「遠藤さんがいいなって思いました」
「…………」
重いって。
マッシブすぎ。
歌姫スタッフ。
裏方セイレーン。
海外の音楽業界。
世界から飛んでくる問い合わせ。
そういうものとは全然違う重さだった。
「まだ決まってませんからね」
私の顔を見て。
ノゾミさんが念を押す。
「……はい」
「本当に希望出しただけです」
「はい」
「そんな人生終わったみたいな顔しないでください」
「してません……」
「してます」
最近顔に出るらしい。
困る。
「あと、これ」
ノゾミさんがまたスマホを出した。
「……もう見ません」
「歌じゃないです」
「なら……」
少しだけ見る。
英語。
また英語。
「昨日くらいから、こういう投稿が増えてます」
「……読めないです」
「私も全部は無理です」
じゃあなぜ見せた。
「翻訳すると、大体『この人は誰?』とか『他の歌はないの?』とか」
「…………」
「あと、『どうしてスタッフなの?』」
「海外でも……」
「そこは世界共通みたいですね」
世界。
広いはずなのに、意見は意外と狭い。
「でも、面白いのはこっち」
別の投稿を出される。
また英語。
「これ、海外の音楽系のアカウントです」
「……はい」
「VTuberの話、普段ほとんどしてません」
「…………」
「なのに遠藤さんの歌、取り上げてる」
昨日、九さんが言っていた。
VTuber界隈の外へ出た。
その言葉が少しだけ具体的になる。
「私が個人で配信してた時も、一番怖いのってこういう時だったんですよ」
「怖い……?」
「いつもの界隈から外へ出た時」
ノゾミさんが言う。
「普段見てくれる人たちとは、広がる速さも見方も全然違うので」
「…………」
「まあ今回は」
少し笑った。
「私の時とは規模が違いすぎますけど」
笑いごとではない。
「今のところ、海外じゃ『日本の謎の歌うまスタッフ』ですね」
「……グリーンピースです」
思わず言った。
自分でも驚いた。
ノゾミさんも少し目を丸くした。
「名前、ちゃんと使うんですね」
「まぁ、一応……決めたので」
言ってから、少し恥ずかしくなる。
でも自分で決めた。
グリーンピース。
昔、一度だけ使った名前。
今は外から私を呼ぶための名前。
「そっか」
ノゾミさんが笑った。
「じゃあ、海外にも早くグリーンピースって覚えてもらわないとですね」
「それは……別に」
「どっちですか」
分からない。
「おい、遠藤!」
遠くから姫野さんの声がした。
「テメェ、いつまでかかってんだ!」
「ヒェッ……!しゅ、しゅみましぇん!」
やっばい。
時間のこと、完全に忘れていた。
「じゃあ、内緒の話は内緒で」
ノゾミさんが小声で言う。
「……はい」
「姫野さんにはまだ言わないでくださいね」
「はい」
私も今知った。
というか知りたくなかった。
いや嬉しくないわけでは。
でも怖い。
でも。
「あと」
「……はい?」
「専属になれたら、その時はよろしくお願いします」
「…………」
「希望ですからね?」
「分かってます……」
分かっている。
まだ決まっていない。
そもそもスタッフ同士の議題にすらなっていない。
ノゾミさんが清白さんへ希望を出した。
ただそれだけ。
なのに、妙に頭に残った。
私は、世界から歌えと言われているらしい。
音楽事務所からも。
海外からも。
知らない人たちからも。
でも、そのずっと前に。
歌なんて知らなかった人から。
裏方として、自分のそばにいてほしいと言われていた。
「遠藤!」
「今行きましゅ!」
今度こそ走る。
途中、ふと思う。
世界では、グリーンピースという名前が、私の知らないところまで広がり始めている。
その一方で、ここでは遠藤アオという名前を選んでくれた人がいる。
何だか、方向が真逆だった。
席へ戻ると、姫野さんが呆れた顔でこちらを見た。
「資料渡すだけで何十分かかってんだよ」
「……すみません」
「何話してた?」
「…………え」
言えない。
内緒。
「……世間話デス」
「お前が?」
「…………デス」
「遠藤が?」
二回言われた。
「しました……」
「へぇ」
何だその反応。
「まあいいや。次これ」
新しい資料を渡される。
仕事。
普通の仕事。
安心する。
「あとキューちゃんから連絡。海外からの問い合わせ、今日も増えてるって」
普通ではなかった。
「…………」
「その顔すんな。お前に回す話じゃねぇよ」
「……はい」
「ただ、向こうの音楽関係からの連絡が増えてるらしい」
さっきノゾミさんから聞いたばかり。
いつもの界隈から外へ出た時、広がり方が変わる。
「まあ」
姫野さんがパソコンへ視線を戻す。
「しばらくしたら、そっちも落ち着くだろ」
「…………」
「何だよ」
「いえ」
今回は何も言わないことにした。
ピーク。
落ち着く。
もう何度も聞いた。
それでも、国内の騒ぎは。
本当に少しずつ静かになり始めていた。
だからたぶん、姫野さんの言う通り。
海外もそのうち静かになる。
そう思って私は目の前の仕事へ戻った。
まだ、グリーンピースという名前を知ったばかりの海外で。
その声を聞いた人たちが、ただ「すごい」と言う段階を少しずつ越え始めていることを。
私は知らなかった。
ましてや。
その先に世界中の誰もが知っているような人がいるなんて。
知るはずもなかった。




