第38話:コミュ障、海外進出する
グリーンピース事件から、三日が経った。
正確に言えば。
三日も経った。
「……まだ増えてる」
朝。
出社して自分の席へ着いた私は、パソコンの画面を見ながら呟いた。
見なければいい。
それは分かっている。
姫野さんからも、九さんからも、清白さんからも言われた。
今は自分から検索しに行かなくていい。
必要なものはこちらで拾う。
余計なものを見て勝手にダメージを受けるな。
全部、正論だった。
だから検索はしていない。
していないのだけど。
「遠藤。検索してねぇよな?」
隣から姫野さんの声が飛んできた。
「……してないです」
「じゃあ何見てんだ」
「社内共有の……問い合わせ件数」
「それも見なくていいだろ」
「業務資料なので……」
「マジメか」
仕事なので。
仕方ない。
画面には、ここ三日間にVSPへ届いた問い合わせ件数がグラフになって表示されている。
初日。
増えた。
二日目。
もっと増えた。
そして今日。
「……これ、今日が一番多くないですか?」
「……分かってるよ」
姫野さんが頭を抱えた。
「まだ午前だぞ」
「だから……」
「言うな」
言わないことにした。
どうやら、今日がピークらしい。
昨日も聞いた気がする。
一昨日も聞いた気がする。
この会社における『ピーク』という言葉は、私の知っている日本語とは意味が違う可能性がある。
原因の一つは分かっていた。
昨日、VSPから短い公式発表が出た。
豊臣ツバサさんの歌枠で歌唱した人物は、VSPに勤務する運営スタッフであること。
本人のプライバシー保護のため、氏名や顔などの個人情報は公開しないこと。
そして。
今後、外部でその人物を扱う際の名義を――
グリーンピース
とすること。
たったそれだけだった。
歌手デビューしますとも。
配信を始めますとも。
今後も歌いますとも書いていない。
むしろ、現時点ではタレント活動の予定はないと明記されていた。
それなのに。
発表後、騒ぎは一段階大きくなった。
「名前つけたの失敗だったんじゃ……」
思わず呟く。
「いや、要るから付けたんだろ」
姫野さんが即座に返す。
「分かってますけど……」
名前がなかった頃、世間では
『謎の運営スタッフ』
『歌姫スタッフ』
『裏方セイレーン』
などと呼ばれていた。
正直、全部嫌だった。
だから名前ができれば、少しは落ち着くのではないか。
そう、ほんの少しだけ期待していた。
現実は違った。
『グリーンピース、マジで運営スタッフだった』
『公式が裏方認定してて草』
『VSPは何を基準に社員採用してるんだ』
『歌唱力で採用されたわけじゃないの怖い』
『何でこの人がデビューしてないんだよ』
『グリーンピースの追加情報ください』
『グリーンピース公式アカウントまだ?』
『グリーンピース次いつ歌う?』
名前がついたことで、謎のスタッフだった何かが、急に一人の人物として認識され始めたらしい。
名前とは、恐ろしい。
恐ロシア。
「遠藤」
「……はい」
「今すっげぇ嫌そうな顔してる」
「気のせいです……」
「いや、してる」
放っておいてほしい。
昼前。
九さんがこちらのフロアへやってきた。
「おつ~」
「お疲れ様です」
「……キューちゃん、今日寝た?」
姫野さんが聞く。
九さんは笑った。
「三時間」
「帰れ」
「ムリぽよ。今日いろいろ決めるからさ」
笑っている。
でも目が笑っていない。
この三日で、九さんの令和感が三割くらい失われた気がする。
「アオちゃん」
「……はい」
「一個、面白い話あるけど聞く?」
嫌な予感しかしない。
「……聞かない選択肢は」
「あるよ」
「じゃあ……」
「でも業務に関係ある」
「聞きます……」
罠だった。
九さんがスマホをこちらへ向けた。
そこには、緑色の丸い何かがいた。
「…………?」
顔がある。
目がある。
小さな手足もある。
手にはマイク。
頭には。
たぶん。
葉っぱ。
「……何ですか、これ」
「グリーンピース」
「違います」
即答した。
私はこんな形ではない。
モルモット認定された身ではあるが。
一応、かろうじて、ギリ人類である。
「ファンアート」
「誰の?」
「アオちゃん」
「違います」
「二回言った」
「だって違うので……」
九さんが画面を横へ送る。
次。
緑髪の女の子。
その次。
豆の莢を頭に被った女の子。
「え、これ、ただのずんだもn」
「アオちゃん、ステイ」
その次。
全身がほぼ豆。
その次。
妙に神々しい緑色の女性。
背中に羽まで生えている。
『裏方セイレーン想像図』
と書いてあった。
「……閉じてください」
「まだあるよ?」
「閉じてください」
「結構かわいいのも」
「閉じて」
「あ、ちょっと強くなった」
限界だった。
九さんが笑いながらスマホを引っ込める。
「まあ、こうなるよね」
いつの間にか清白さんもいた。
「何がですか……」
「姿がないから~」
「なくていいです」
「でもグリーンピースって名前だけ出たでしょ?」
「……はい」
「声は知ってる。名前も知ってる。でも姿だけない。だからみんな勝手に想像するんだよ~」
「想像しなくていいです……」
「そう言ってもねぇ」
清白さんが困ったように笑う。
「もう止められないんじゃないかな~」
怖いことを言う。
「そこでなんだけど」
九さんが椅子を引いて座った。
嫌な接続詞だった。
「今すぐじゃないけど、こっちで公式のビジュアル用意する案が出てる」
「ビジュアル……ですか」
ビジュアル
「アイコン程度にするか」
一
「イラストにするか」
二
「アバターまで作るか」
三
「…………」
最後だけ妙に耳へ残った。
アバター。
「別に配信させるって意味じゃねぇぞ」
姫野さんがすぐに言う。
「……はい」
「お前、顔出す気ねぇだろ?」
「ないです」
即答。
「なら、今後グリーンピース名義で何か外に出すことになった時、本人の代わりになる絵があった方が楽って話」
それは分かる。
Vtuberでなくても、会社の公式番組や動画に声だけ出演するスタッフが、専用のキャラクターを使うことは稀だがある。
本人の顔を出さずに済む。
個人情報も守りやすい。
理屈としては、とても合理的だ。
合理的なのだけど。
アバター。
その言葉を聞いた瞬間、頭の中に昔見たオーディションページが浮かんだ。
画面の向こう側に立つ人たち。
自分ではない姿。
その姿を借りて、たくさんの人へ声を届ける。
私もほんの少し前までは、そこへ行きたかった。
「アオちゃん?」
「……はい」
清白さんに呼ばれて顔を上げる。
「大丈夫?」
「……何がですか?」
「いや。ちょっと止まってたから」
「大丈夫です」
清白さんは少しだけ私を見た。
でも、それ以上は何も言わなかった。
「まあ、急ぎじゃないよ~」
「……はい」
「本人の希望も聞かないとね」
少し安心する。
「ただ」
清白さんがにこっと笑った。
「豆そのものはやめようね」
「作る前提になってません?」
「さやから顔だけ出てるの、ちょっとかわいくない?」
「嫌です」
「アタシは見たい」
姫野さんまで参加した。
「姫野さん……」
「いや、想像したらおもろくて」
「本人の意思最優先ね?」
九さんが止めてくれた。
味方。
「でも豆型は候補に残しとこ」
ブルータス、お前もか。
午後。
問い合わせのピークは、本当にピークだった。
電話。
メール。
問い合わせフォーム。
全部。
ただ、初日とは少し中身が変わっていた。
「海外比率上がってんな」
姫野さんが画面を見ながら言った。
「昨日から一気に増えた」
九さんが答える。
私は少し離れた席で、別の資料をまとめていた。
聞かないつもりだった。
でも耳に入る。
「最初はアジア圏が多かったんだけど、今は北米とヨーロッパも結構ある」
「何で急に?」
「翻訳切り抜きが回り始めたのと、海外の音楽系アカウントに拾われた」
「音楽系?」
「そう。VTuber界隈じゃないやつ」
手が止まった。
今まではまだ分かった。
VSP。
Vtuber。
歌枠。
その周辺の人たち。
そこから話題が広がっている。
そう思っていた。
でも。
「昨日くらいから、純粋に歌の動画として回ってんのよ」
九さんが続ける。
「元配信の事情とか、アオちゃんが運営スタッフだとか、そこ知らない人まで聞き始めてる」
「……そんなことある?」
「あるっしょ」
九さんは何でもないように答えた。
「歌聞くのに、日本語分かる必要ないじゃん」
「…………」
その一言が妙に残った。
歌に言葉はいらない。
当たり前のことだ。
歌詞の意味まで理解しようとすれば、言葉は必要かもしれない。
でも。
声を聞く。
音を聞く。
上手いとか。
綺麗だとか。
何かすごいとか。
そう感じるだけなら、日本語を知らなくてもいい。
「海外のコメント、見ます?」
突然、背後から声がした。
「ひっ」
振り返る。
蓮見さん。
いつからいたのだろう。
「蓮見、お前出現の仕方どうにかしろ」
姫野さんが言う。
「普通に歩いてきました」
「音出せ」
無茶を言っている。
蓮見さんはタブレットをこちらへ向ける。
「英語圏の反応を分類しました」
「何で」
「必要かと思いまして」
「誰に」
「私が」
通常運転だった。
「最も多いのは歌唱力への言及です。次に声質。三番目が――」
「待ってください」
止めた。
「……私、見なくていいって」
「あ」
蓮見さんが止まる。
思い出したらしい。
「姫野さんに言われてました」
「じゃあ見せんな!」
「すみません」
素直。
「では姫野さんに送ります」
「アタシにも送んな!」
大変そうだった。
その日の夕方。
社内の空気は朝より少しだけ落ち着いていた。
問い合わせ件数は相変わらず多い。
でも。
増加率は、ようやく下がり始めたらしい。
「たぶん今日が山だな」
姫野さんが言った。
「……本当ですか?」
「疑うなよ」
「三日連続で聞いたので……」
「今日はガチ」
九さんも頷く。
「国内は一巡した感じある。明日からはたぶん減るよ」
今度こそ。
信じたい。
「じゃあ……終わりますか?」
「何が?」
「この騒ぎ」
二人が。
少し黙った。
嫌な沈黙だった。
「国内は」
九さんが言う。
「……国内は?」
「落ち着くと思う」
「…………」
海外。
頭に浮かんだ。
九さんは画面を見ながら、少しだけ眉を寄せる。
「たださ」
「……はい」
「北米の伸び方、ちょっと変なんよね」
「変?」
「切り抜き一個が伸びてるとかじゃない。複数の音楽系コミュニティに同時に広がり始めてる」
私は何と返していいのか分からなかった。
「まあ、今すぐアオちゃんが何かする話じゃないから」
九さんがすぐに続ける。
「外はこっちで見る。アオちゃんは普通に仕事して」
「……はい」
普通に仕事。
とてもありがたい言葉だった。
私は机の上の資料へ戻る。
数字を確認して、入力して、保存する。
いつもの仕事。
私は今もただのVSP運営スタッフだ。
顔も出していない。
配信もしていない。
歌手でもない。
タレントでもない。
名前だけ。
グリーンピースという名前だけが。
なぜか私よりずっと遠くまで進んでいる。
三日前。
日本中を騒がせたらしい私の声は。
今度は海の向こうへ渡り始めていた。
その先にいる誰かが、もうこちらを見ていることなんて。
この時の私はまだ知るはずもなかった。




