第36話:コミュ障、自己分析をする
「遠藤、そろそろ行くぞ」
「……はい」
姫野さんが動画編集部まで迎えに来てくれた時、私は心底ほっとした。
結局、避難先だったはずの動画編集部でも蓮見さんから昨日の歌を延々と分析され続けた。
前門の百人組手
後門の蓮見さん。
安住の地などなかった。
「蓮見。遠藤借りるからな」
「はい」
蓮見さんは素直に頷いた。
助かった。
「昨日の歌について、あと三点ほど確認したかったのですが」
助かっていなかった。
「明日にしろ」
「分かりました」
分かってくれた。
私は椅子から立ち上がる。
「遠藤さん」
「……はい」
呼び止められた。
「二番の47秒付近ですが」
「明日にしろっつってんだろ!」
姫野さんに回収された。
そのまま姫野さんに連れられて、私は会議室へ入った。
中には九さんと清白さんがいる。
九さんは椅子の背にもたれながら、見るからに疲れた顔をしていた。清白さんもいつもの柔らかな笑顔ではあるものの、その横にはノートパソコンと何枚もの資料が積まれている。
嫌な予感しかしない。
「……あの」
「座れ座れ。別に怒る話じゃねぇから」
姫野さんに促され、恐る恐る椅子へ座る。
怒られるわけではない。
朝から何度もそう言われている。
それでも、今日一日会社が騒がしかった原因の中心に自分がいる以上、安心できるはずもなかった。
「まず、今日あったことをざっくり説明するぞ」
「……はい」
姫野さんが私の向かいに腰を下ろす。
「朝の時点じゃ、SNSで昨日の歌枠がとんでもなく話題になってるくらいだった。そこはお前も見たよな」
「……少し」
1位から20位くらいまで。
精神的には十分すぎるほど見た。
「で、昼過ぎから外部の問い合わせが入り始めた。最初は国内の音楽事務所とかレーベル。そのあと制作会社、作曲家、メディア、イベント関係」
そこまでは、午後に少しだけ聞こえていた。
「夕方からは海外も混じり始めた」
「…………」
そこは知らなかった。
「問い合わせの内容も、最初は『昨日歌ってたスタッフは誰ですか』くらいだったんだけどさ」
九さんが机の上の資料を指先で叩く。
「途中から普通に仕事の話になってんの。歌手活動の予定あんのか、所属契約どうなってんのか、楽曲提供したい、コラボできないか、ゲストボーカル頼めないか、面談できないか。そんなのがずっと来てる」
「…………え」
意味が分からない。
「取材のお話も増えてるね~」
清白さんが穏やかに付け加える。
「昨日の歌唱についてお話を伺いたいとかそういうの。もちろん、今のところ全部こっちで止めてるよ~」
「…………」
昨日。
私は豊臣さんの歌枠で、一曲一緒に歌った。
それだけだ。
確かに、Vtuber事務所の運営スタッフが所属タレントの配信へ突然出て歌うのは珍しいと思う。
だから、話題になること自体は分かる。
トレンド1位になったことも、1位から20位くらいまで関係する話題で埋まっていたことも、普通だとは思わないけれど。
でも。
音楽事務所。
レーベル。
海外。
そこまで行くと、もう私の理解できる範囲を越えている。
「……どうしてですか?」
3人が止まった。
姫野さんがこちらを見る。
「何が?」
「その……昨日、私が歌ったから、ですよね?」
「そうだな」
「でも……」
どう言えばいいのか分からず、私は机の上の資料へ視線を落とした。
「そんなに……大変なことですか?」
「…………」
九さんが姫野さんを見る。
姫野さんも九さんを見る。
清白さんまで、少し困ったように私を見ていた。
「いや……」
姫野さんが額を押さえる。
「お前、朝のトレンド見たんだよな?」
「見ました」
「今日ずっと会社騒がしかったよな?」
「……はい」
「外から問い合わせ来てんのも分かってたよな?」
「はい」
「それでも分かってねぇの?」
「…………はい」
だって、本当に分からない。
「運営スタッフが豊臣さんの配信で歌ったのが珍しいのは分かります。だから、話題になるのも分かります」
「うん」
「でも、九さんたちが1日中こんなになるほどですか?」
「こんなって言うな」
「すみません……」
九さんが小さく笑った。
「いや、まあ、合ってるけどさ」
「それに……音楽事務所の人が、私に何の用があるんですか?」
また沈黙した。
今度は少し長かった。
そのあと、姫野さんが九さんの方へ手を出した。
「……見せた方が早いな」
「ウチもそう思う」
九さんがノートパソコンを操作し、昨日の配信アーカイブを開く。
嫌な予感がした。
「遠藤」
「はい」
「昨日、自分がどう歌ってたか覚えてる?」
「……豊臣さんに合わせてました」
「それ以外」
「…………」
一回目のサビ。
豊臣さんの声。
そこから先は、細かいところになるとあまり思い出せない。
「途中から……あんまり」
「だろうな」
姫野さんは画面をこちらへ向けた。
「じゃあ、1回自分で聞け」
「…………」
嫌だ。
かなり嫌だ。
自分の歌声を人と一緒に聞くという行為だけで、もう逃げたい。
ただ、自分の声を聞くこと自体は初めてではない。ヒトカラでは時々録音して、音程や癖を確認するために聞き返している。
自分がどれくらい歌えるのかも、それなりには分かっている。
「……分かりました」
覚悟を決めると、九さんが再生した。
最初は、豊臣さんの声。
そのあと、私のパートが入る。
「…………」
硬い。
すぐに分かった。
明らかに緊張している。普段のヒトカラより喉へ余計な力が入っていて、声の抜けも悪い。
ただ、音程は取れている。
入りも合っている。
豊臣さんの声を邪魔しないように引くところも、それなりにできていた。
自分で言うのも変だけど。
普通に上手いと思う。
でも、ここまでは知っている。
緊張して、本来より声が出ていない私。
それでも、長く歌ってきた分だけ技術で何とかしている私。
聞き慣れた自分の範囲だった。
「ここまでは?」
姫野さんが聞く。
「……いつもより硬いです」
「だよな」
「ヒトカラの時の方が、声は出てます」
「やっぱそうか。そこも、こっちの認識と一緒」
少しだけ安心した。
やっぱり、そこまでは分かる。
曲が進む。
一回目のサビ。
豊臣さんの声へ、私の声が重なった。
その後半。
「…………?」
眉が動く。
何か違う。
最初より明らかに喉の力が抜けていて、響き方が変わっている。
普段のヒトカラで歌っている時の声に近づいてきた。
そう思った。
最初は。
さらに数秒。
「…………ん?」
違う。
近づいているんじゃない。
通り過ぎている。
二番へ入った。
私は無意識に画面へ少し身を乗り出した。
知らない。
この声。
歌い方は分かる。
ここで息を深く吸っている。
豊臣さんが前へ出たから、私は少し引いている。
その次は逆に自分が支えへ回っている。
どれも、自分ならやりそうなことだった。
なのに。
声だけが、知らない。
自分の声なのは分かる。
声の芯も、癖も、間違いなく私のものだ。
けどこれは、私が知っている私の声ではない。
私はヒトカラで、自分の調子が良い日も知っている。
今日は声が出る。
高音が楽。
何を歌っても気持ちいい。
そういう日はある。
録音を聞き返して、自分でもかなり上手く歌えたと思ったこともあった。
その中で一番良かった日を持ってきても。
この歌声の足元にも及ばない。
「…………」
曲が進む。
さらに良くなる。
透明なのに、薄くない。
高い音へ抜けても細くならず、かといって強すぎもしない。
豊臣さんの声へ重なっているのに私だけが浮かず、むしろ二人で歌った時の方が豊臣さんの声まで鮮明に聞こえる。
おかしい。
そんなこと。
できたっけ。
二回目のサビ。
「…………」
いつの間にか、息をするのを忘れていた。
自分の歌なのに。
聞いているだけなのに。
次の一音を待ってしまう。
そして、もう1つ気づく。
豊臣さんまで変わっている。
前半だって上手い。
でも後半になるほど、豊臣さんの声から余計な力が抜けている。
伸ばし方も、息の使い方も自由になっている。
私が豊臣さんへ合わせている。
なのに、その私の声を受けて。
豊臣さんまで、どんどん良くなっている。
「…………」
何だこれ。
最後。
2人の声が重なり、長い余韻だけを残して消えていく。
九さんが再生を止めた。
会議室が静かになった。
私はしばらく、画面から目を離せなかった。
姫野さんたちも何も言わない。
「…………これ」
ようやく声が出た。
「うん」
「……誰ですか?」
「うぬだけど?」
九さんが口元を押さえた。
「そこ疑う?」
「だって……」
停止した画面を見る。
映像の中には豊臣さんしか映っていない。
だから余計に、自分の声だという実感がない。
「いや、あの……私の声、ではあるんですけど」
「あるんだけど?」
「こんな声……知らないです」
謙遜ではない。
自分が歌えることは知っている。
ヒトカラは長い趣味だし、自分が平均よりかなり歌える方なのも分かっている。
だからこそ。
これは違うと分かる。
私が知っている自分の上限より、明らかに向こう側にある。
「普段、一人で歌う時もこれくらい出る?」
姫野さんが聞く。
私は即座に首を振った。
「出ません」
「調子いい時でも?」
「無理です」
そこは迷わない。
「……どうやって出したのかも分かってないです」
「だろうなぁ」
姫野さんが腕を組んだ。
「昨日のお前の歌、外じゃ『歌の上手いスタッフが出てきた』で済んでない」
「…………」
今なら分かる。
さっきまで本当に分からなかった。
音楽事務所が。
レーベルが。
海外からまで。
どうして連絡してくるのか。
でも。
もし私が昨日の切り抜きを偶然見ていたら。
知らない人が、最初からかなり上手く歌っていて。
その人が途中から、こんな声を出し始めたら。
きっと、もう一回聞く。
別の切り抜きも探す。
誰なのか調べる。
何をしている人なのか。
他にも歌っていないのか。
気になる。
そう考えた瞬間。
今日一日の出来事が全部つながった。
朝のトレンド。
大量の切り抜き。
出社した私を囲んだ社員の人たち。
午後から鳴り続けていた電話。
国内の音楽事務所。
レーベル。
海外。
そして、疲れ切った顔で座っている九さん。
「…………」
なんだか急に力が抜けた。
椅子の背にもたれる。
「……そりゃあ」
3人がこちらを見る。
「これだけの騒ぎにも……なるかぁ」
姫野さんが一瞬黙った。
「急に達観すんじゃねぇよ」
「だって……」
もう笑うしかない。
「これ、知らない人が歌ってたら……きっと私も調べます」
「だろ?」
「何者なんだろうって……思います」
「それがアオちゃんなんよ」
九さんが言った。
「…………」
そこだけは、まだ少し納得できない。
でも。
世間が大袈裟なのではなかった。
昨日、自分が出していた声が。
私自身から見てもおかしかった。
そこまでは、ちゃんと理解できた。
「でも……」
「ん?」
「これ、もう1回出せる気がしないです」
今度は3人とも笑わなかった。
「そう。それな」
姫野さんがすぐに頷く。
「……はい」
「そこが、こっちも一番慎重になってるところ」
姫野さんは閉じられていない画面を指した。
「昨日できたからって、今日もできる。明日もできる。そんな前提で扱う気はない」
「…………」
「お前自身が、どうやって出したか分かってねぇんだからな」
「はい」
九さんも頷く。
「外からは、もう1回聞きたいとか、何か歌わせたいとか、そういう話が死ぬほど来てる。でも、それ全部受けてさ。昨日と同じの期待されて、出なかったら一番キツいのアオちゃんじゃん」
「……はい」
想像するだけで胃が痛い。
「だから当面、そういう話は受けない」
清白さんも静かに頷いた。
「アオちゃん自身がどうしたいのかも、まだ何も決まってないしね~。昨日の一回だけを基準にして、この先まで決めるつもりはありませんよっと」
いつもと同じ柔らかな話し方。
けれど。
そこに迷いはなかった。
姫野さんがノートパソコンを閉じる。
「で。改めて、ここからの話」
「……はい」
「ウチらの予想だと、この騒ぎはここから2、3日がピーク」
さっきまでなら、どうしてと思っていたかもしれない。
今は、その理由も少し分かる。
「切り抜きも記事もまだ増える。昨日リアルタイムで見なかった連中が今日見て、今日知った連中が明日また広げる。音楽業界とかの反応も、たぶんまだ増える」
「……はい」
「一番ひどいところを越えても、一週間くらいはこの状態が続くと思っとけ」
「……1週間」
長い。
ものすごく長い。
「1週間ずっと朝みたいに囲まれるって意味じゃねぇぞ。そうならないように、今から会社側で手を打つ」
姫野さんは指を1本立てる。
「まず、しばらく外部との面会は絞る。必要のない来客は断るし、入館確認もいつもより厳しくする」
「はい」
「次、情報統制。お前の本名、顔、細かい所属とか、今外に出てない情報は出さない。社員にも改めて共有する」
九さんが話を引き継ぐ。
「外から来た問い合わせも全部こっちで止めるから。アオちゃんに直接案件回したり、連絡先教えたりとかは絶対ないから、そこは安心していいよ」
「……はい」
「所属タレントにも共有しといた方がいいかも~」
清白さんが言う。
「しばらくは配信でアオちゃんについて聞く方も増えるだろうし、話していいことと、いけないことも改めて確認しておくよ~」
「モデレーターも増やしておく」
姫野さんが続ける。
「他のタレントの配信まで『昨日のスタッフ誰?』で埋まったら迷惑だからな。必要なら整理する」
そこまでする。
さっき聞く前なら、やりすぎではないかと思ったかもしれない。
今は。
あの声が、世の中に出ている。
そう考えると、何も言えなかった。
「……すみません」
それでも、口から出た。
姫野さんの眉が動く。
「何で謝る」
「私が……歌ったから」
「歌わせたのはこっちだ」
「でも、私があんな……」
自分で聞いてしまったからこそ、余計に思う。
私があれを出さなければ。
今日一日、みんながあれだけ忙しくなることもなかった。
「遠藤」
少し強い声に、口を閉じた。
「昨日、お前が歌わなきゃ豊臣は一番歌いたかった曲を諦めてた。お前はそれが嫌で、自分から歌うって言った」
「…………」
「そこまでだ」
姫野さんは真っ直ぐこちらを見る。
「そのあと世間がどう反応したかまで、お前が責任取ろうとすんな」
返す言葉がない。
清白さんが、そんな私を見て柔らかく笑った。
「それに、悪いことばかりでもないんじゃない?」
「……というと?」
「昨日のアオちゃんの歌を、こんなにたくさんの方が素敵だと思ってくれたんだよ?そのこと自体はとってもいいことだと思うな~」
本当にそうなのだろうか。
「スズちゃん、今日ずっと機嫌いいもんな」
姫野さんが呆れたように言う。
「そりゃそうですよぉ」
「電話切るたびに顔緩んでたぞ」
「フンスフンス」
清白さんは少しだけ胸を張った。
「フンスじゃねぇよ」
「私がアオちゃんを最初に見つけました」
「もうええて」
「もうちょっと褒めてくださってもいいんですよぉ?」
「アンタ、オーディションで歌わせてもねぇだろ」
「でも声は聞きましたぁ」
「歌は知らなかったってことじゃねぇか」
清白さんは、なおも満足そうだった。
けれど。
次に私を見る目は、少しだけ真面目になった。
「でも、それとアオちゃんに何をさせるかは別のお話」
「…………」
「評価されたから歌手になりましょう。世界から声がかかっているから表に出ましょう。そんな決め方はしないよ」
声音は穏やかなまま。
「アオちゃんがどうしたいのか。昨日の歌がどのくらい再現できるのか。やることでアオちゃんにどれくらい負担がかかるのか。ちゃんと見てから決めようね」
「……はい」
「大切なことですから。そこは急ぎません」
舞い上がっている。
たぶん、ものすごく。
それでも。
浮かれていることと、私の今後を軽く扱うことは清白さんの中ではまったく別らしい。
少しだけ肩の力が抜けた。
「で」
姫野さんが私を見る。
「お前自身にも頼みがある」
「……はい」
「しばらくヒトカラ控えろ」
「…………」
今日。
色々なことを言われた。
海外から問い合わせが来た。
一週間は騒ぎが続く。
会社の防備まで固める。
その中で一番早く意味を理解した。
「…………え」
「その顔すんな」
「でも……」
「一生行くなって話じゃねぇ。今だけ」
「……どのくらいですか?」
「最低でも、今の騒ぎが落ち着くまでは」
1週間。
「…………」
頭の中から。
何かが消えた。
「ぶっ」
姫野さんが吹き出した。
「……?」
次の瞬間。
「はははははははは!」
腹を抱えた。
「お、お前、その顔……!そこで出すのかよ!」
「え、えぇ……?」
清白さんも私を見た。
1秒。
2秒。
「あははははっ!」
笑った。
いつもの、ふわふわした笑い方ではなかった。
普通に爆笑している。
「え、えぇ……」
九さんだけが。
私と二人を交互に見る。
「え、何?何なん?」
姫野さんが笑いながら私を指す。
「これ! 前に言ったろ! FXで有り金全部溶かした顔!」
「あっ!」
九さんの目が輝いた。
「これが噂の!?」
「噂にしないでぇ……」
「うわ、ガチじゃん!思ってた3倍それっぽい!」
「こっち見ないでぇ……」
九さんまで笑い始める。
清白さんは目尻を押さえながら、まだ笑っていた。
「だ、だってアオちゃん……そんなにヒトカラ大事だったの……」
「数少ない……趣味なので……」
「ははっ、そこなんだよなぁ!」
姫野さんが机を叩く。
笑いすぎだと思う。
私は何も面白くない。
「……家で歌います」
「壁薄かったら近所には気ぃつけた方がいいっしょ」
「…………うへあ」
世界が急に狭くなった。
どうやら私の安住の地は自室の7畳程度しかないらしい。




