第2話:コミュ障、初陣を飾る②
姫野ミカンは、すぐにモニターを指差した。
「これ、今週末の企画配信の確認資料。タレント名、配信枠、コラボ相手、使用素材、権利チェック、全部紐づけてある。まずはこの一覧を見て、抜けがないか確認する」
「は、はい……」
「あと、タレントの本名とか個人的な情報は、たとえ内部資料にあっても必要ない場所には絶対書かない。外に出す資料には当然載せない。スクショ、共有リンク、ファイル名、全部気をつけること」
「はい……」
アオは真剣に頷いた。
ここだけは、絶対に間違えてはいけない。
Vtuberタレントは、表に立つ存在だ。
けれど、表に出しているのはあくまで活動上の姿であって、現実のすべてではない。
その境界線を守るのが、運営の仕事でもある。
アオはそこに、強い責任を感じていた。
自分は表に立てなかった。
でも、表に立つ人たちを守ることなら、できるかもしれない。
「じゃ、これ見て。分からないとこあったら聞け」
「は、はい……!」
アオは席に座り、資料を見始めた。
タレント名。企画タイトル。素材確認。権利表記。
サムネイル案。告知文。配信枠の時間。
想像以上に項目が多い。
画面の情報量がすごい。
目が滑る。
頭が追いつかない。
アオの脳内で、小さなアオたちが会議を始めていた。
まずいです、隊長。
情報量が多すぎます。
落ち着いて。ひとつずつ処理するんだ。
ひとつずつってどれからですか。
知りまへん。
はい、解散。
脳内会議が役に立たない。
それでも、アオはメモを取った。
分からない単語を書き出す。
ファイル名のルールを書く。
確認済みの項目に印をつける。
抜けがありそうな部分は、すぐに聞けるようにまとめる。
緊張で手は震えている。
姫野に質問するたびに、心の中で一回深呼吸が必要になる。
いや、三回。いや、五回。
でも、聞かなければ仕事にならない。
「ひ、姫野さん……すみません……この、素材確認のところなんですけど……」
「あ? どれ」
「こ、これ……使用許諾の欄が空欄なんですけど、前回の企画資料には、同じ素材に確認済みって書いてあって……今回も、そのまま使っていいものなのか、それとも企画ごとに再確認が必要なのか……」
姫野は少しだけ目を細めた。
「……そこ気づいたのか」
「えっ。あ、す、すみません、変なこと聞きましたか……?」
「いんや。そこは再確認。素材自体は同じでも、使う企画内容が変わると条件変わることがあるから」
「な、なるほど……ありがとうございます……」
アオは急いでメモした。
姫野さんは、たぶん思っている。
――大丈夫か、こいつ。
そう思われても仕方ない。
私は人と目が合わせられない。
声も小さい。
挨拶だけで生命力を半分くらい使う。
オフィスに来ただけで、すでに虫の息だ。
ここは天下のVSPだ。
人気タレントを何人も抱える事務所で、仕事の流れは速い。
昨日決まった企画が今日動き、今日のトラブルが明日の会議に積まれる。
配信は待ってくれない。
SNSも待ってくれない。
リスナーも待ってくれない。
タレントの安全も、情報管理も、ちょっとした気の緩みが命取りになる。
そんな場所に、私みたいな根暗なキョド女が耐えられるのか。
自分でも分からない。
分からないけれど、逃げたくはなかった。
清白さんが声をかけてくれた。
妹が背中を押してくれた。
そして何より、私自身が、ここで働いてみたいと思ってしまった。
だから、怖くても、今は画面を見る。
メモを取る。
分からないことを聞く。
たとえ声が蚊より小さくても、聞く。
「ひ、姫野さん……」
「今度はなんだ」
「あの……ここの告知文、タレントさんの配信内での口癖を入れているんですけど……これ、本人確認前に出しちゃうと、その……意図と違うキャラ付けになったり、しませんか……?」
姫野の指が止まった。
「へぇ……お前、中々鋭いな」
「あ、す、すみません……余計なことを……」
「余計じゃねぇよ。そこは本人確認いる。よく見たな」
「えっ……」
褒められた。
たぶん。
口調は荒い。
顔も少し怖い。
でも、今のは褒められた気がする。
アオの中の小さなアオたちがざわめいた。
これは褒めですか。
褒めです。
いや、油断するな。罠かもしれない。
職場で罠って何。
分からない。人類は怖い。
――やっぱり脳内会議は役に立たなかった。
「お前、さっきからすぐ謝るな」
「す、すみま――あっ」
「ほら」
姫野が指を差した。
アオは口を押さえた。
「ご、ごめ……あっ」
「二段構えやめろ。燕返しすんな」
「つばめがえし……」
なぜか、姫野が吹き出した。
「ぶはっ」
「えっ」
「燕返しって、なんだそれ。自分で言っといてなんだけど、なんだそれ」
姫野は肩を震わせて笑っていた。
アオは固まった。
笑いのポイントが分からない。
今、何が面白かったのだろう。
謝罪?
つばめがえし?
それとも私の存在?
最後だったらちょっと泣く。
「お前、なんか動きが変だな」
「そ、それは……よく言われます……」
「だろうな」
「にべもなし……」
また姫野が笑った。
笑いの沸点が低い。
低すぎる。
床に置いたら沸騰しそう。
それから数日、アオは必死に仕事を覚えた。
資料整理。
スケジュール確認。
会議の議事録。
配信素材のチェック。
タレントへの確認事項のまとめ。
どれも初めてのことばかりで、結局は新しい単語とのキャットファイトで初日が終わってしまった。
朝、出社する。
昼、情報量に溺れる。
夕方、脳が薄焼きせんべいみたいになる。
夜、家に帰って妹に「顔が死んでる」と言われる。
で、そのまま布団に入ってエンドロール。
――チャンチャン。




