第31話:コミュ障、天下人に休戦を申し込む
「この頑固者を、どうやって休ませる?」
姫野さんから出された第二問。
私は、豊臣さんを見る。
豊臣さんも、穏やかな笑顔でこちらを見ていた。
「私でしたら、大丈夫ですよぉ」
早速、信用してはいけない言葉が出た。
「昨日は三時間しか寝ていないんですよね」
「はいぃ。でも、三時間も眠れましたのでぇ」
「三時間“も”ではなく、三時間“しか”です」
「感じ方には個人差がありますねぇ」
睡眠時間に多様性を持ち込まないでほしい。
「それに、今夜の配信を待ってくださっている方がいます。私の都合で休むわけにはいきません」
「体調も、豊臣さんの都合に含まれると思います……」
「ですがぁ、配信できないほど悪いわけではありませんよぉ」
それでも、休む気がないことだけは伝わってくる。
歌の収録を延期する。
配信を休止する。
その二つを、姫野さんはすでに提案した。
そして豊臣さんは、即座に拒んだ。
同じ言葉を繰り返しても、おそらく結果は変わらない。
「遠藤」
姫野さんが言う。
「時間は五分やる」
「五分……」
短い。
天下人を説得するには、あまりにも短い。
一夜城さえ築けない。
「アタシが命令すれば、予定は止められる」
「では、それで……」
「それじゃ課題にならねぇだろ」
逃げ道を潰された。
「今後、お前が一人で異変に気づくこともある。そのたびに、アタシが隣にいるとは限らない」
「はい……」
「豊臣が納得して休む方法を考えろ」
命令ではなく、納得。
難易度が一段上がった。
私は豊臣さんの予定表へ目を落とす。
十六時から歌の収録。
二十時から定例配信。
今は十四時前。
休ませるなら、少なくとも歌の収録までの時間を空ける必要がある。
でも、豊臣さんは待っている人がいるから休めないと言った。
スタッフ。
視聴者。
関係者。
自分の都合で迷惑をかけたくない。
だから、自分を削る。
「豊臣さん」
「はいぃ」
「今夜の配信では、何をする予定ですか?」
「視聴者の皆さんからいただいたお便りを読んで、最近の出来事についてお話ししますぅ
「歌ったり、大きく動いたりは?」
「今日は雑談だけですねぇ」
「では、体力的には問題ないと考えているんですね」
「はいぃ」
豊臣さんが微笑む。
その返事に迷いはない。
自分ならできる。
本人は本気でそう思っている。
「配信中に、眠そうな声が出る可能性はありませんか?」
「気をつけますぅ」
「言葉を読み間違える可能性は?」
「いつもより丁寧に確認しますねぇ」
「途中で集中力が切れたら?」
「最後まで切らさないようにいたしますぅ」
何を言っても、努力で解決しようとする。
できない可能性を認めず、さらに自分へ負荷をかける。
この人に「無理です」と言わせるのは難しい。
なら。
別の方向から考える。
豊臣さんが休まないことで、一番困るのは誰なのか。
本人。
それでは動かない。
姫野さんたちスタッフ。
迷惑をかけないために、むしろ無理をする。
視聴者。
そこなら。
「豊臣さんは、配信で嘘を言うのが嫌なんですよね」
豊臣さんの表情が、ほんの少し変わった。
「もちろんですぅ」
「商品紹介の台本も、事実と違うから読めないと言っていました」
「はい。間違ったことを伝えるわけにはいきませんからぁ」
「では、今夜の配信で視聴者から『体調は大丈夫ですか』と聞かれたら、何と答えますか?」
豊臣さんが瞬きをした。
「大丈夫です、と」
「本当に大丈夫ですか?」
「配信はできますよぉ」
「配信ができるかではなくて、体調が大丈夫かです」
初めて、豊臣さんの返事が止まった。
私は続ける。
「昨日は三時間しか寝ていません。昼食も十分に取っていません。姫野さんも休ませる必要があると判断しています」
「ですが、活動には支障を――」
「視聴者は、配信できるかだけを聞いているのでしょうか」
豊臣さんが黙る。
「豊臣さんが元気なのか。無理をしていないのか。心配して聞いているんだと思います」
「……そうですねぇ」
「その人に、大丈夫ですと答えるんですか?」
柔らかな笑顔が、少しずつ消えていく。
豊臣さんは曲がったことが嫌いだ。
嘘を嫌う。
正しくない言葉を、企業案件でも読まない。
なら、自分自身についても同じはずだ。
「体調が悪いとまでは思っていません」
「でも、良いとも言えませんよね」
「それは……」
「今の状態で大丈夫と言ったら、少なくとも、全部を伝えてはいないと思います」
豊臣さんが、ゆっくり視線を落とした。
責めたいわけではない。
豊臣さんは視聴者を騙そうとしているわけではない。
心配をかけたくないだけだ。
でも、心配をかけないために事実を隠すことを、この人は正しいと思えるのだろうか。
「では、正直に寝不足だと伝えますぅ」
「そうしたら、視聴者の方はどう思うでしょうか」
「心配されるかもしれませんねぇ」
「配信を見ながら、休んでほしいと思う人もいるかもしれません」
豊臣さんの指が、膝の上でわずかに動いた。
「豊臣さんが配信をしてくれることより、豊臣さんが無理をしていないことを喜ぶ人もいると思います」
「ですが、楽しみに待ってくださっていますぅ」
「待っているのは、今日の配信だけでしょうか」
私は自分の声が震えていることに気づいた。
古株タレントに対して、何を偉そうに言っているのだろう。
それでも、止めなかった。
「明日も、その次も。これから先も、豊臣さんの活動を見たいから待っているんじゃないでしょうか」
会議室が静かになった。
豊臣さんは、何も言わない。
姫野さんも口を挟まなかった。
「今日一回の約束を守るために、明日以降の活動へ影響が出たら……それは、視聴者の方が望んでいる約束の守り方ではないと思います」
言い切った。
怖かった。
豊臣さんは怒っているだろうか。
正義を語るなと、言われるかもしれない。
私は恐る恐る顔を上げる。
豊臣さんは、怒っていなかった。
ただ、ひどく真剣な顔で私を見ていた。
おっとりとした空気も。
柔らかな笑みも。
今だけは消えていた。
「遠藤さん」
「はい……」
「私は、約束を破るのが嫌いですぅ」
「はい」
「待ってくださっている方を、裏切りたくありません」
「はい」
「ですが」
豊臣さんは一度、目を閉じた。
「無理をしていることを隠して配信をするのも、誠実ではないのかもしれませんねぇ」
その言葉に、胸の力が少し抜けた。
届いた。
少なくとも、聞いてはもらえた。
「じゃあ、休止を――」
「ですが、配信はしますぅ」
「…………あれぇ?」
届いていなかった。
私は宇宙へ放り出されかけた。
「豊臣」
姫野さんの声が低くなる。
「最後まで聞いてくださいなぁ」
豊臣さんは、いつもの穏やかな笑みを少しだけ取り戻した。
「今夜の配信は休みません。ただし、歌の収録は延期していただきますぅ」
「配信は残すんですか……?」
「はいぃ。今日の雑談配信は、私一人だけの約束ではありませんからぁ」
豊臣さんは、机の上に置かれた予定表を見る。
「すでにお便りを送ってくださった方がいます。準備をしてくださったスタッフさんもいます」
やはり、簡単には曲がらない。
けれど。
「その代わり、配信まで休みます」
私は目を瞬いた。
「今から、ですか?」
「はいぃ。歌の収録を延期すれば、三時間ほど時間が空きますねぇ」
豊臣さんが姫野さんを見る。
「仮眠を取って、食事をします。その後、姫野さんに体調をご確認いただき、問題があれば配信も休止します」
姫野さんは、すぐには答えなかった。
「そこまで譲るとは思わなかった」
「譲ったわけではありませんよぉ」
豊臣さんの声は柔らかい。
でも、その奥にはいつもの硬さがある。
「今日だけではなく、これからも配信を続けるために必要だと判断しただけですぅ」
正しいと思う形を変えた。
休まないことが正しいと思っていた人が。
続けるためには休むことも正しいと、自分で判断した。
「条件付きで認める」
姫野さんが言った。
「仮眠は最低二時間。食事は補助食品以外。起きたら体温と喉の状態を確認する」
「承知しましたぁ」
「配信時間は一時間短縮。延長なし」
「視聴者の皆さんには――」
「寝不足だったことも含めて、無理のない範囲で正直に話せ」
豊臣さんは少し考え、頷いた。
「分かりましたぁ」
決まった。
私は息を吐く。
天下人を完全に休ませることはできなかった。
でも、歌の収録を延期させ、三時間の休息を確保できた。
これは成功なのだろうか。
「遠藤」
姫野さんが私を見る。
「合格」
「えっ」
あまりにも突然だった。
「でも、配信は休ませられませんでした……」
「課題は、豊臣を言い負かすことじゃねぇ」
姫野さんは言う。
「本人が納得できる形で、必要な休息を取らせることだ」
「では……」
「初回としては上出来だ」
褒められた。
まずい。
処理が追いつかない。
顔が熱くなる。
視線が机の角へ落ちる。
「ありがとうございます……」
どうにか、それだけ言えた。
「遠藤さん」
今度は豊臣さんに呼ばれる。
「はい」
「一つ、謝らなければなりません」
「謝る……?」
「私は、遠藤さんのお仕事について少し誤解していましたぁ」
豊臣さんは、まっすぐ私を見る。
「姫野さんの補助として、予定を記録したり、資料を整理したりする方だと思っていました」
間違いではない。
むしろ、私もそう思っていた。
「でも、違いましたねぇ」
「何がでしょうか……」
「私が間違った頑張り方をしていた時に、止めてくださる方でしたぁ」
胸の奥に、何かが落ちた。
透明で。
小さくて。
でも、確かな重さのある言葉だった。
「まだ、今日だけです……」
「今日、止めてくださいましたぁ」
豊臣さんは、穏やかに微笑んだ。
「でしたら、次もお願いしてよろしいでしょうか」
次。
その言葉に、心臓が跳ねる。
私はまだ、正式な担当ではない。
OJTを始めたばかり。
できないことの方が多い。
それでも。
「……はい」
今度は、考える前に答えていた。
「できるかは分かりませんけど……間違っていると思ったら、伝えます」
「ありがとうございますぅ」
豊臣さんが、ゆっくり頭を下げた。
「それでは、休んでまいりますねぇ」
「仮眠室は反対側だ」
豊臣さんは、会議室の出口で逆方向へ進もうとしていた。
「そうでしたかぁ」
「本当に寝ろよ」
「努力いたしますぅ」
「努力じゃなくて寝ろ」
姫野さんが豊臣さんを連れていく。
私はその背中を見送りながら、力の抜けた腕を机へ置いた。
疲れた。
社長面談より疲れたかもしれない。
だが。
初めて、タレント本人の行動を変えられた。
違和感を見つけただけではない。
画面の向こうの言葉を拾っただけでもない。
目の前にいる人へ言葉を渡し。
その人が、自分で別の選択をした。
それが、少しだけ嬉しかった。
二時間後。
仮眠室の扉を開けた姫野さんが、無言で戻ってきた。
「どうでした……?」
「爆睡してる」
「起きませんか?」
「全然起きねぇ」
本当に限界だったらしい。
「配信は?」
「休止だ」
「豊臣さん、納得しますか……?」
「起きないやつに配信はできねぇ」
正論だった。
その日の夜。
豊臣ツバサの公式アカウントから、配信休止のお知らせが投稿された。
そこには、本人の言葉でこう書かれていた。
【本日は体調を整えるため、配信をお休みいたします。楽しみにしてくださっていた皆様には申し訳ありません。今後も長く活動を続けるための休息として、ご理解いただけましたら幸いです】
コメント欄には、
『ゆっくり休んで』
『長く続けてくれる方が嬉しい』
『休む判断できて偉い』
『ツバサ様が休むだと!?』
そんな言葉が並んでいた。
心配する声はある。
残念がる人もいる。
でも、責める人はほとんどいなかった。
豊臣さんが恐れていたような裏切りには、ならなかった。
私は画面を見ながら、そっと息を吐く。
今日、私が豊臣さんを説得したわけではない。
最終的に休止を決めたのは姫野さんだ。
それでも。
豊臣さんが休むことを、正しくない選択だと思わなくなった。
そこには、少しだけ関われた気がする。
タレントマネージャー補助としての、最初の成果。
それは、予定を増やすことでも。
仕事を成功させることでもなく。
一人のタレントを、きちんと眠らせることだった。
そして、明日7月30日(木)12時より、新連載を開始します。
タイトルは、
『演技一位、共演希望ゼロ――観客全員を泣かせた少女が「一緒に演じたい」と選ばれるまで』
演技の実力は一位。
けれど、共演希望はゼロ。
相手の心の傷を見抜き、本人の意思を無視して本物の涙や怒りを引き出してきた少女・水城イオリが、誰かと一緒に舞台を作ることを覚えていく物語です。
舞台は、大手芸能事務所が開催する一年間の新人俳優選抜。
候補生二十人のうち、正式契約を得られるのは三人だけ。
イオリが指名した相手は、誰よりも彼女を嫌っている篠崎マヒロでした。
他人を動かす方法は分かる。
けれど、自分が舞台で何をしたいのかは分からない。
そんな少女が初めて、
「あなたと一緒に演じたい」
と選ばれるまでを描きます。
明日7月30日(木)16時、連載開始です。
興味を持っていただけましたら、こちらも読んでいただけるとうれしいです。




