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第29話:コミュ障、おっとり武者との邂逅を果たす

――二日後。

私は姫野さんと一緒に、小会議室で待っていた。


「一応、最後に確認するぞ」


姫野さんが、机の上で指を組む。


「補助業務を経験してみる。それでいいんだな?」


「……はい」


返事をするまで、ほんの少し間が空いた。


怖くなくなったわけではない。

一昨日から胃は痛いし、今朝は緊張のあまり食パンの味がしなかった。


それでも、断らなかった。


画面の向こうではなく、タレント本人と向き合った時、自分に何が見えるのか。

それを、少しだけ知りたいと思ってしまったからだ。


「ただし、今日のは顔合わせだ」


姫野さんが念を押す。


「お前が補助に入るかどうかは、豊臣の意見を聞いてから決める」


「分かりました……」


「あと、質問集はしまえ」


私は手元のメモ帳を押さえた。


「なぜ分かったんですか……?」


「さっきから開いたり閉じたりしてるからだよ」


昨夜考えた質問は二十三個。

そのうち半分は、姫野さんから「採用面接か」と却下されていた。


仕方なくメモ帳を閉じた直後、会議室の扉がゆっくりとノックされた。


体が跳ねる。

来た。


この二日間、頭の中で育て続けた天下人。

凛々しい顔写真。

真っ直ぐな眼差し。

曲がったことが嫌いな、悪・即・斬の古株タレント。


私の脳内では、すでに甲冑姿である。


「どうぞ」


姫野さんが声をかけた。

扉が開く。


「失礼いたしますぅ」


春風のような声がした。


「…………」


入ってきた女性の顔は、確かに写真と同じだった。

長い黒髪。

整った顔立ち。

背筋の伸びた、美しい立ち姿。


なのに。


「姫野さん、こんにちはぁ」


声が、ものすごく柔らかい。

歩き方もゆっくり。

浮かべている笑顔は、縁側で日向ぼっこをする猫のように穏やかだった。


「こんにちはじゃねぇ。もう夕方だぞ」


「あらぁ」


豊臣さんは壁の時計を見上げた。


「本当ですねぇ」


「今気づいたのか?」


「明るかったので、まだお昼かとぉ」


「窓のない廊下から来ただろ」


「そうでしたねぇ」


私は二人を見比べた。

写真の中にいた武士が、跡形もなく消えている。


代わりに現れたのは、清白さんにも勝るとも劣らない、ド級のおっとりマイペース星人だった。


「…………」


情報の処理が追いつかない。

頭の中で、甲冑姿の武将と、目の前のふわふわした女性が交互に点滅する。


「遠藤?」


姫野さんに呼ばれた。


「顔が宇宙行ってるぞ」


「……はっ!?」


「戻ってこい」


豊臣さんが、不思議そうに首を傾げる。


「あのぉ、私が何か驚かせてしまいましたかぁ?」


「い、いえ!」


私は立ち上がり、勢いよく頭

を下げた。


「遠藤アオです! 本日はよろしくお願いします……!」


語尾だけが急激にしぼんだ。


「豊臣ツバサですぅ。よろしくお願いいたしますねぇ」


豊臣さんも丁寧に頭を下げる。


雰囲気はふわふわしているのに、所作には少しの乱れもない。

やはり武士なのだろうか。


おっとり系武士。

新種である。


三人で席につく。


姫野さんが、今回の顔合わせについて簡単に説明した。


私が姫野さんの補助として、定例面談や資料確認、希望事項の整理などに入る案が出ていること。

ただし、正式決定ではないこと。

豊臣さんにも断る権利があること。


「というわけだ」


姫野さんが説明を締める。


「豊臣はどう思う?」


「私は構いませんよぉ」


即答だった。


「早くないですか……?」


思わず口から出た。

豊臣さんが、ゆっくり瞬きをする。


「早かったでしょうかぁ?」


「まだ私と、ほとんど話していませんし……」


「姫野さんが必要だと判断されたのでしょう?」


「会社側の候補としてだ」


姫野さんが口を挟む。


「アタシの判断に従うかじゃなく、お前自身がどう思うかを聞いてる」


「姫野さんのご判断は、信頼していますのでぇ」


「だから、それはアタシの意見だ」


豊臣さんは怒りもせず、困った様子もなく、穏やかに姫野さんを見ていた。

そのやり取りに、わずかな引っかかりを覚えた。


姫野さんの判断を信頼している。

だから受け入れる。


一見すると、素直で協力的だ。

でも、豊臣さん自身の気持ちは、まだ一度も出てきていない。


「……豊臣さん」


声を出した瞬間、心臓が跳ねた。

二人の視線がこちらへ向く。


逃げたくなる。

それでも、続けた。


「姫野さんが決めたからではなくて……豊臣さん自身は、私が補助に入ることをどう思いますか?」


会議室が静かになった。


出すぎた質問だったかもしれない。

新人が、古株タレントへ意見を求めている。


けれど、豊臣さんはすぐに答えなかった。

ゆっくり目を伏せ、しばらく考えてから口を開く。


「正直に申し上げますと、まだ分かりません」


柔らかい声だった。

それでも、言葉は驚くほど真っ直ぐだった。


「私は遠藤さんのことを、まだ何も知りませんのでぇ。良いとも悪いとも判断できません」


「……はい」


「ですが」


豊臣さんは、ほんの少し笑った。


「今の質問は、とても誠実だと思いましたぁ」


「誠実……?」


「私がどう思っているのか、確認してくださったのでしょう?」


「はい……たぶん」


考えるより先に口が動いた。

それでも、聞きたかったことに違いはない。


「ですので、まずはお話ししてみたいですぅ」


豊臣さんは改めて私へ頭を下げる。


「よろしくお願いいたしますねぇ、遠藤さん」


「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」


私も頭を下げた。

まだ互いに、何も決めていない。


ただ、相手を知るために話す。

まずは、そこからだった。


「じゃあ、あとは簡単な顔合わせだ」


姫野さんが言う。


「互いに聞きたいことがあれば聞け」


私はメモ帳へ手を伸ばしかけて、止めた。

用意した質問を順番に読むのではなく、目の前にいる豊臣さんを見る。

何を聞けば、この人のことを知れるだろう。


「豊臣さんは、このあともお仕事ですか?」


「はいぃ。収録が二本と、打ち合わせが三件ありますぅ」


「それ、今日中に全部ですか?」


「もちろんですぅ」


豊臣さんは、何でもないことのように微笑んだ。

姫野さんのこめかみが、わずかに動く。


「夕食は?」


嫌な予感がして尋ねる。


「移動中に、栄養補助食品をいただこうかとぉ」


「それは夕食ではありません」


反射的に言ってから、私は固まった。


初対面。

古株タレント。

それを新人スタッフが、真っ向から否定した。


終わった。

今度こそ無礼討ちである。


恐る恐る豊臣さんを見る。

彼女は怒っていなかった。

本当に不思議そうに、首を傾げている。


「必要な栄養は摂れますよぉ?」


「食事そのものが消えてんだよ」


姫野さんが額を押さえた。


「前にも言っただろ。仕事の隙間に補助食品突っ込んで終わりにするなって」


「ですがぁ、食事の時間を取ると、スタッフさんをお待たせしてしまいますのでぇ」


豊臣さんの声は穏やかなままだった。


迷いもない。

自分が我慢すれば、誰にも迷惑をかけない。

その考えが、彼女の中では当たり前なのだろう。


「予定は誰が組んだんですか?」


「私ですぅ」


「姫野さんには相談を……?」


「ご報告するほどのことではないかと思いましてぇ」


姫野さんのこめかみに、はっきりと青筋が浮かんだ。


「豊臣」


「はいぃ」


「今日の予定、全部出せ」


「ですがぁ」


「出せ」


「分かりましたぁ」


素直に従う。

でも、言われるまで相談しない。


協調性がないわけではない。

頼まれれば応じるし、指示も聞く。


ただ、自分から助けを求めるという発想だけが、初めから抜け落ちている。

姫野さんたちが手を焼いてきた理由が、ほんの少し分かった。


「遠藤」


「はい」


「初手としては悪くない」


「夕食の話がですか……?」


「ああ。アタシが何度言っても流されてた問題を、開始早々に引っかけた」


「偶然です……」


「最初はそれでいい」


豊臣さんだけが、まだ納得していない顔をしていた。


「栄養は足りていると思うのですがぁ」


「時間を取って食べてください」


「遠藤さんまでぇ……」


豊臣さんは、少しだけ寂しそうに眉を下げた。

その顔を見ると、こちらが悪いことをしている気分になる。


危険だ。

この人のマイペースさは、相手の罪悪感までゆっくり包み込んでくる。


「では、今度は遠藤さんのことを教えていただけますかぁ?」


「わ、私ですか?」


「はいぃ。私だけ質問されるのは、不公平ですのでぇ」


不公平。

その言葉だけは、ひどくきっぱりしていた。


私は膝の上で手を握る。


何を話せばいい。

長所らしい長所は、すぐには出てこない。


なら、分かっていることから言うしかない。


「私は、人と話すのが苦手です」


「はいぃ」


「目を見るのも苦手で……今も、豊臣さんの鼻の辺りを見ています」


「鼻ですかぁ?」


「すみません……」


「私の鼻でよろしければ、どうぞぉ」


「許可をいただくものなんでしょうか……?」


「私の鼻ですのでぇ」


独特の理屈だった。

姫野さんが横で笑いを堪えている。

少しだけ、肩の力が抜けた。


「できないことも、たくさんあります」


私は続ける。


「なので、豊臣さんのお役に立てるかは、まだ分かりません」


「はいぃ」


「でも、分からないことを、分かったふりはしないようにします」


声は震えた。

それでも、最後まで言えた。

豊臣さんは私をしばらく見つめ、穏やかに笑った。


「それは、とてもありがたいですぅ」


「そうなんですか?」


「分かったふりをされると、私は何を説明すればよいのか分からなくなってしまいますのでぇ」


「では……分からない時は、聞いてもいいですか?」


「もちろんですぅ」


あまりにも自然な返事だった。


他人が分からないと言うことは、受け入れられる。

困ったと言われれば、おそらく手も貸す。


なのに、この人自身は言わない。


まだ会ったばかりだ。

分かったつもりになってはいけない。


それでも、その矛盾だけが胸に残った。


豊臣ツバサ。


名前と写真から想像した、鋭い武士ではなかった。

実際に現れたのは、清白さん顔負けのおっとりマイペース星人。


でも、その柔らかさの奥には、誰よりも真面目で、頑固で、真っ直ぐな何かがある。


そして私は、まだ知らなかった。

その真っ直ぐさが、とんでもなく曲がらないことを。


豊臣さんも、まだ知らない。

自分よりも先に他人の異変を気にしてしまう新人スタッフが、これから隣に立とうとしていることを。


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