第27話:社長、コミュ障をタレントマネージャーに推挙する
――「んじゃ、面談はここまで。今日はありがとね」
私がそう告げると、遠藤は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。
「い、いえ、こちらこそ、貴重なお時間をいただき……」
「いやいや、『貴重なお時間』だなんて。そう畏まることはないよ」
「そうだよ、アオちゃん」
メイカが横から、にこやかに口を挟んだ。
「大寝坊かました人の時間なんて、貴重でも何でもないよ」
「…………ぐふっ」
い、良いパンチ持ってやがる……。
流石にクラっと来たぜ、今のは。
社長という肩書きも、積み上げてきた威厳も、まとめてノックアウトされた気分だ。
反論しようとしたものの、大寝坊をしたのは紛れもない事実だった。
ぐうの音も出ないとは、こういうことを言うのだろう。
「それじゃあ、遠藤、蓮見、九は戻って大丈夫」
「承知しました」
「りょーかいです」
「あ、ありがとうございました……!」
「清白と姫野は残って」
三人が立ち上がる。
遠藤は最後まで何度もこちらへ頭を下げ、退出する直前には扉にまで小さく会釈していた。
社長室の扉が閉まった。
「……さて」
メイカは、そのまま来客用のソファへ沈み込んだ。
姫野は一度立ち上がり、退室した三人を見送ってから、改めて椅子へ座り直す。
「悪いね、残ってもらって」
「お話というのは、遠藤の件でしょうか」
「うん」
姫野は、すでに察していたらしい。
メイカも驚いた様子はない。
「遠藤を、今後タレントマネージャーの仕事へ入れたい」
私が言うと、姫野の表情がわずかに引き締まった。
「正式な異動でしょうか」
「そこまでは考えてない。まずは補助から」
「私は賛成だよ」
メイカが即座に手を挙げる。
「清白さん」
姫野が横を見る。
「まだ社長のお話は終わっていません」
「はい」
メイカは素直に手を下ろした。
姫野に怒られる時だけ、反応が妙に速い。
「まず、二人に残ってもらった理由から話すね」
私は机の上に置かれた報告書へ手を伸ばした。
「メイカは遠藤を見つけた人間で、運営統括としてタレント側の人員配置を見ている」
次に、姫野を見る。
「姫野は遠藤を現場で一番近くから見てきた。実際に育てることになれば、中心になるのも姫野」
だから、この二人を抜きに決めるつもりはない。
社長が思いつきで人を動かし、現場へ後始末だけを渡す。
そんな会社にするつもりはなかった。
「遠藤をタレントの近くへ置くことについて、二人の意見を聞きたい」
姫野はすぐには答えなかった。
「社長が、その案を考えられた理由を伺ってもよろしいでしょうか」
丁寧な言葉だった。
だが、賛成する前に根拠を求める声でもあった。
「今回の炎上対応を見たから」
「……というと?」
「経営側から見れば、あの五人はそれぞれ違う役割を果たしてる」
私は報告書を開いた。
ただし、遠藤が炎上を見抜いたから、次も同じように使いたいわけではない。
「ただ、遠藤だけを動かせば済む話じゃない。あの五人がどう噛み合ったのかを整理しないまま、次の配置は決められない」
メイカが、少しだけ姿勢を起こした。
姫野も黙って聞いている。
「まず蓮見は、感覚を根拠へ変えられる」
遠藤が「何となく変だ」と言ったものを、時刻、引用元、拡散経路へ落とし込んだ。
曖昧なものを曖昧なまま放置しない。
制作だけでなく、判断する側にとっても貴重な人材だ。
「ただし、対象への執着が強すぎるところは要管理」
「遠藤に関しては、もう手遅れかもしれません」
「あっ、そう……」
次に、九。
「九は、危険だから全部止める法務じゃない。どこまでなら進めるかを考えられる」
炎上時に必要なのは、すべてを閉じる人間ではない。
危険を分けた上で、使える道を残す人間だ。
言葉は軽いが、越えてはいけない線は外さない。
「ああ見えて、かなり真面目だよね」
メイカが言う。
「ああ見えては本人の前で言わないで」
「今度言ってみる」
「やめて。社長の悪口として処理されるから」
次に、メイカ。
「メイカは、人を見る目がある」
「ドヤァ」
「ただし、見つけたあとの説明が雑」
「……しょぼんぬ」
相変わらず忙しい顔だ。
「遠藤を連れてきた判断は正しかった。ただ、本人へ自分の肩書きすら伝えてなかった件は、かなり減点」
「それは結果オーライということで」
「会社経営に結果オーライを持ち込まないで」
メイカは人の能力だけを見ない。
その人が何を怖がるか。
どこに置けば動けるか。
誰となら力を出せるか。
そこまで含めて配置を考える。
遠藤を拾った時も、おそらく声だけを見ていたわけではない。
最後に、姫野を見る。
「今回、配置の要になったのは、姫野が遠藤の報告を流さなかったことだと思ってる」
「私は、確認する価値があると判断しただけです」
「その判断ができる人が少ないんだよ」
新人の思い込みかもしれない。
先方は確認済みと言っている。
納期も迫っている。
現場を進める理由はいくらでもあった。
それでも姫野は止めた。
遠藤を無条件に信用したわけではない。
確認が必要だと判断して、止めた。
それが現場責任者の仕事だった。
「姫野がいなければ、VSPはここまで大きくなってない」
姫野の表情が、ほんのわずかに止まった。
「買いかぶりです」
「経営者としての評価」
「でしたら、ありがたく頂戴いたします」
言葉も姿勢も崩れない。
メイカ相手なら、平気でため息をつく。
雑に止める。
必要なら怒鳴る。
だが、私へ向ける言葉は、何年経っても丁寧なままだ。
「ミカンちゃん、照れてる~?」
「清白さん。少し黙っていてください」
「……私のときとは随分対応が違うね」
思わず口から出た。
姫野とメイカが、同時にこちらを見る。
しまった。
「カガリちゃん」
メイカの口元が、ゆっくりと上がる。
嫌な顔だ。
「もしかして、ミカンちゃんに雑に扱われたいの?」
「違う」
「遠慮しなくていいよ。ミカンちゃん、社長にも一回くらい」
「お断りします」
姫野が即答した。
「社長は社長ですので」
「だってさ」
メイカが楽しそうに笑っている。
分かっている。
姫野が距離を守るのは、私を信用していないからではない。
立場を混同すれば、下の社員にも影響すると知っているからだ。
そういう人間だから、私は現場を任せられる。
ただ、ごくごくたまーに。
その線を簡単に飛び越えて、姫野から雑に怒られているメイカが、少しだけ羨ましくなる。
もちろん、本人たちへ言うつもりはない。
今、半分ほど漏れた気もするが。
「話を戻すよ」
私は遠藤の報告書を開いた。
「遠藤について、今回すごかった点を繰り返すつもりはない」
観察眼がある。
違和感を拾える。
情報の変化を、一つの構造として捉えられる。
それを改めて褒めるために、二人を残したわけではない。
私が知りたいのは、その力が平時の仕事で誰を守れるのかだった。
「遠藤はこれまで、画面越しに人を見てきた」
ならば、直接人と向き合った時はどうなる。
声を聞き。
表情を見て。
本人が何を言うか迷っている、その場へ立った時。
同じように何かを拾えるのか。
それとも、人が近すぎることで固まってしまうのか。
「遠藤を、タレント本人の近くへ置いてみたい」
姫野が腕を組んだ。
「タレントマネージャーの主担当は、現時点では不可能です」
「そこまでは任せない」
「対人対応、スケジュール調整、外部折衝。どれも経験が足りません」
「分かってる」
「本人の性格上、タレントの問題を自分の責任として抱え込む可能性もあります」
「それも分かってる」
遠藤は、必要とされると無理をする。
怖くても動く。
それは強さだ。
同時に、会社側が利用してはいけない弱さでもある。
「だから、姫野の下で補助から始めさせたい」
定例面談への同席。
本人確認が必要な素材の読み合わせ。
活動上の希望や懸念の記録。
関係部署へ伝えるための整理。
最初は、その程度でいい。
「正式な異動ではない。適性を見るための経験枠」
「遠藤が断った場合は?」
「そこでおしまい」
「評価への影響は?」
「なし」
「無理をしていると私が判断した場合は?」
「外していい。私への事前確認もいらない」
姫野の視線が、まっすぐこちらへ向く。
「その判断を、私に預けていただけるということですか」
「当然だとも。一番近くで見てる人間だからね」
社長の許可を待っている間に壊れるような配置なら、最初から失敗している。
姫野は短く息を吐いた。
「承知しました」
メイカが、待っていましたとばかりに口を開く。
「私は賛成」
「理由は?」
「アオちゃんが見てるのは、言葉じゃなくて、その言葉を出した人だから」
メイカは、遠藤の資料を見た。
「今までは画面の向こうだった。でも、タレントマネージャーなら、その人が言葉を出す前から近くにいられる」
「近すぎて何も言えなくなる可能性もあります」
姫野が返す。
「それなら、それが分かる」
メイカの声は軽い。
だが、その目は笑っていなかった。
「向いてるって決めたいんじゃない。向いてるかどうかを見たいんだよ」
私も同じだった。
人員配置は、活躍した人間へ与える褒美ではない。
期待という言葉で、逃げ道を塞ぐことでもない。
合わないなら、戻せばいい。
そのための補助配置だった。
「遠藤への打診は、姫野からしてほしい」
「私からですか」
「私とメイカは同席しない」
「えー」
メイカが不満そうな声を出す。
「社長と、自分を拾った運営統括に両側から囲まれて、遠藤が断れると思う?」
メイカが黙った。
想像したらしい。
おそらく、遠藤は話の半分も理解しないまま「やります」と答える。
帰宅してから布団の中で震える。
それは同意とは呼べない。
「断っても評価へ影響しないと、最初に伝えて」
「承知しました」
「その場での返事も受け付けない。考える時間を与える」
「はい」
「担当されるタレント側にも、断る権利を渡す」
新人の教育へ付き合う義務はない。
会社の都合だけで、人間関係を押しつけるつもりもなかった。
私はタブレットを操作し、一人のタレントのプロフィールを表示した。
「候補は、この子」
姫野が画面を覗き込む。
メイカは名前を見るなり、わずかに笑った。
「やっぱり、この子なんだ」
「相性が良いとお考えですか」
姫野が尋ねる。
「分からない」
私は即答した。
「会ってもいない二人の相性を、資料だけで決める気はない」
「では、なぜこの方を?」
「この子は、困っていても困っていると言わない。少なくとも、今の記録を見る限りではね」
炎上の中心にいたタレントは、守りたい言葉が明確だった。
だが、すべてのタレントが、自分の気持ちを言葉にできるとは限らない。
本人自身が、何に困っているのか分かっていないこともある。
その曖昧な場所で、遠藤がどう動くのか。
私はそこを見たい。
「遠藤には、炎上を見抜く人になってほしいわけじゃない」
私は二人を見る。
「タレントと会社の間で、どちらの言葉も勝手に決めない人になってほしい」
本人が大丈夫と言った。
だから大丈夫。
会社が問題ないと言った。
だから問題ない。
そう処理するのではなく。
大丈夫と言った声が震えていたら、立ち止まる。
まだ言葉になっていない気持ちを、勝手に代弁しない。
それでも、見なかったことにはしない。
そんな人間がタレントの近くにいれば、VSPは今より少し強くなれる。
「そこまで行けるかは、まだ分からないけどね」
「だから、確かめる」
メイカが言った。
私は頷く。
姫野は、しばらく画面を見ていた。
「条件があります」
「聞くよ」
「遠藤が何かに気づくことを、業務の前提にしないでください」
声は丁寧だった。
だが、譲るつもりがないことは分かった。
「何も見つけられなかったとしても、評価を下げない。遠藤の報告だけで判断せず、必ず既存の確認手順を重ねる」
「採用」
「清白さんが、面白がって余計な負荷をかけないこと」
「私だけ名指し?」
「当然です」
「それも採用」
「ちょっ、カガリちゃんまで」
メイカが口を尖らせる。
姫野の口元が、わずかに緩んだ。
その表情を見ながら、私は改めて思う。
五人が噛み合ったのは事実だ。
だが、今回は偶然だった。
誰かが気づき、誰かが確かめ、誰かが止める。その流れを、次も偶然に任せるわけにはいかない。
一度だけ成立した連携を、人が壊れずに続けられる形へ変える。
そこから先が、私の仕事だった。
五人全員が万能なわけではない。
むしろ、欠けている部分の方が多い。
だから、組み合わせる意味がある。
「姫野」
「はい」
「遠藤への打診をお願い」
「承知しました」
「本人が受けた場合は?」
「私が責任を持って指導します」
迷いのない返事だった。
「遠藤を頼む」
「お任せください」
崩れない敬語。
保たれた距離。
それでも、その言葉には十分すぎるほどの信頼があった。
私は画面に並んだ二人のプロフィールを見る。
まだ何の関係もない、新人スタッフと一人のタレント。
うまくいく保証はない。
遠藤が何も言えずに終わるかもしれない。
タレント側から断られるかもしれない。
それでいい。
人を配置するというのは、必ず成功する場所を当てることではない。
失敗しても、その人を壊さずに戻せる場所を用意することだ。
遠藤はこれまで、画面の向こうにある誰かの声を守ってきた。
次は、その声を持つ人の隣へ立てるか。
その入口を作るために、私は二人を残した。
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