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第26話:コミュ障、社長という概念に疑念を抱く


「君が……噂の新人ちゃんかぁ」


その言葉が、社長室の中で妙に響いた。

私は入口で固まったまま、どうにか頭を下げる。


「は、はじめまして……遠藤アオです……」


声が小さい。

自分でも分かるくらい小さい。


でも、大澄社長は面白そうに目を細めただけだった。


「おー、ちっさい声だねぇ」


「社長?」


清白さんが即座に言った。


「初手で威嚇しないであげてくださいね」


「威嚇じゃないってば。感想だよ感想」


「感想で人を刺さないでください」


「ごめんて」


大澄社長は、まるで悪びれていない顔で片手を上げた。


「でも、なるほどね。清白が拾ってきたって聞いてたけど、確かに変わった子だ」


「へ、変……」


「社長」


今度は姫野さんの声が低くなる。

大澄社長は、慌てた様子もなく笑った。


「褒めてる褒めてる。うちでの“変”は、才覚の裏返しだからさぁ……おおむね」


「その広辞苑、社外秘でお願いしますね。外に出たら普通に炎上案件なもんで」


センシティブのタガが外れ始めた大澄社長に、九さんはキッチリ釘を刺しておく。


「法務が言うと重いなぁ」


大澄社長は軽く笑い、デスクの前に並んだソファを指差した。


「まあ座って。立たせたまま話すと、私が偉そうに見える」


「社長は実際に偉いです」


蓮見さんが淡々と言った。


「カンナちゃん、そういう事実を突きつけるのやめてよぉ」


「蓮見です」


「相変わらず距離あるぅ」


「あります」


九さんが肩を震わせている。

姫野さんは額を押さえていた。


私は、何とかソファに座る。

清白さん、姫野さん、蓮見さん、九さんもそれぞれ腰を下ろした。


社長室の空気は、思ったより重くない。

大澄社長の言動が軽すぎるせいもある。


――けれど、その軽さに押し流されるわけでもなかった。


部屋に飾られた歴代ライブのポスター。

トロフィー。

古い集合写真。


その一つ一つが、ここまでVSPが積み重ねてきたものを物語っている。

男子小学生のような人が座っているのに、部屋そのものには妙な重みがあった。


「ま、そろそろ本題に入ろうか」


大澄社長は、そこで一度、全員の顔を見渡した。

さっきまでの軽い笑みは残っている。


――けれど、その目だけは少し違っていた。


ふざけている人の目ではない。

会社のいちばん上から、全体を見ている人の目だった。


「今回の件さ」


大澄社長は、机の上で指を組んだ。


「私は、単なる確認ミスだとは思ってないよ」


社長室の空気が、少し変わった。


「確認用投稿が出た。告知文の温度がズレた。素材確認が追いつかなかった。ファイル名管理が甘かった」

「それら一つ一つは、たしかに現場のミスに見える」


大澄社長は淡々と言う。


「でも、それを一個ずつ潰して終わりにしたら、たぶんまた別の形で燃えるだろうよ」


私は、膝の上で手を握った。

また別の形で燃える。


――その言葉が、妙に重かった。


「VSPが大きくなった。部署も増えた。案件も増えた。タレントの影響力も、ファンの数も、外部企業との関係も、全部大きくなった」


大澄社長は、壁に飾られたライブポスターへ視線を向ける。


「その成長に、仕組みの方が追いついてなかった。各部署は自分の仕事をちゃんとやっていた」

「でも、最後に“これは本人の声として届くか”を見る場所が曖昧になっていた」


大澄社長は、そこで一度言葉を切った。


「そこを曖昧なまま野放にしていたのは、現場じゃない。会社を大きくすることを優先した、経営側の設計ミスだ。最終的な責任は私にある」


誰も反論しなかった。


「制作は見栄えを見る。広報は拡散を見る。営業は先方との約束を見る。法務は燃えない線を見る。マネジメントはタレント本人の状態を見る。どれも必要だし、どれも間違ってない」


そこで、大澄社長は私を見た。


「でも、全部正しくても、タレント本人の声が歪むこともある」


胸の奥が、少しだけ詰まった。


「今回、遠藤が拾ったのはそこだ」


私は反射的に下を向きかけた。

けれど、大澄社長の声が続く。


「ただし」


その一言で、私は顔を上げる。


「遠藤がいたから助かった、で終わらせたら駄目なわけよ」


大澄社長の声は、静かだった。

でも、逃げ場がなかった。


「それは、遠藤を便利なセンサーにするだけだから」


――私は息を呑んだ。

姫野さんの表情が少し引き締まる。

蓮見さんも、九さんも黙って聞いていた。


「違和感を拾える人間は貴重だ。でも、貴重だからって、その人に全部乗せたら当の本人が潰れる」

「会社として一番やっちゃいけないのは、“あの子がいるから大丈夫”って空気を作ること」


大澄社長は、はっきりと言った。


「それは仕組みじゃない。れっきとした甘えだ」


「あの……」


気づけば、声が出ていた。

全員の視線が集まりそうになって、喉が縮む。


それでも、大澄社長だけを見て続けた。


「私が……気づけなかった時も、同じように止められるようにする、ということですか……?」


「そう」


大澄社長は、迷わず頷いた。


「君を仕組みにするんじゃない。君が見つけた観点を、会社の仕組みに残すんだ」


清白さんも静かに頷く。


「アオちゃん一人に負荷をかけない。それは、私の仕事でもあります」


その言葉に、社長室が静まり返った。

私は、胸の奥をぎゅっと掴まれたような気がした。


怖い言葉だった。

でも、守るための言葉でもあった。


「今後に向けて、いまやるべきことは大きく二つ」


大澄社長は指を二本立てる。


「ひとつ。告知・案件・動画・グッズの確認フローに、“本人の声として届くか”という観点を正式に入れること」


続けて、もう一本の指を見る。


「もうひとつ。誰かが拾った違和感を、蓮見が表現に落とし、九が危険な線を引き、姫野が現場を止め、清白が本人へ繋ぐ。この連携を、偶然の産物で終わらせないこと」


大澄社長は、私へ視線を向けた。


「今回は、その最初の違和感を遠藤が拾った。でも、次も遠藤が拾うとは限らない」

「誰が気づいても、同じように止めて、繋いで、確認できる形にする」


清白さんが、静かに頷いた。


「チーム遠藤、ですか」


九さんが言う。


「悪いけど、それは今回だけね」


大澄社長は即答した。


「遠藤に看板まで背負わせたら、今言ったことと同じになるからねぇ」


「本人のメンタルにも悪いです」


「はい……とても……」


私が小さく答えると、大澄社長は笑った。


「名前は後でいいさ。大事なのは、部署をまたいで“声の歪み”を見られる仕組みを作ること」


「でも、フローを増やせば、その分だけ確認は遅れますよ」


姫野さんが言った。


「全部を重くするつもりはないよ」


大澄社長はすぐに答えた。


「タレント名義で外に出るもの。本人の発言として受け取られるもの。権利や契約へ影響するもの。まずは対象をそこへ絞る」


「“本人の声として届くか”って、判断基準としてはだいぶ曖昧じゃない?」


九さんが首を傾げる。


「それな。感覚だけで運用したら、今度は確認する人によって線がズレるっしょ」


「だから、観点を分解するんだ」


大澄社長は机を指で軽く叩いた。


「本人確認は取れているか。本人の意図と告知の温度がずれていないか。どの言葉を誰が確認したか記録されているか。最後に止める人間が明確になっているか」


九さんが小さく頷く。


「ああ。気持ちをルールにするんじゃなくて、気持ちが歪まないための確認点を作る感じね」


「そういうこと」


心の歪み。

その言葉は、妙にしっくりきた。


「タレント本人、ファン、外部企業、スタッフ。今回、全部守ろうとしたから苦しかった。でも、社長の仕事はそこを見ることなんだよ」


大澄社長は、少しだけ肩をすくめた。


「誰か一人を悪者にすれば、その場は楽になる。先方が悪い。制作が悪い。広報が悪い。本人確認が甘い。そうやって切れば、一瞬だけ火は弱まる」


大澄社長の声が、少し低くなる。


「でも、次からスタッフは報告をためらう。タレントも企業も、この会社が自分を守るとは思えなくなる」


私は、思わず息を止めた。


「誰かを吊るして静かになっただけの会社は、同じ失敗を見えないところで繰り返す。だから今回は、誰か一人を差し出して終わりにしなかった。それでいい」


姫野さんが、わずかに息を吐いた。

大澄社長は、今度は少しだけ笑う。


「ただ、繰り返しになるけど、もう一度言っておく。事務所としての信頼は、まだ戻ってない」


――その言葉に、空気が締まる。


「運営声明を出した。本人動画も出した。修正版の告知も出した。反応は少し落ち着いた」


大澄社長は、そこで言葉を切る。


「でも、それは“許された”んじゃない。“これからも見る”という猶予をもらっただけだ」


私は、SNSに流れていた言葉を思い出した。


まだ様子見。

完全には信用していない。


でも、本人の声は聞けてよかった。


「これから戻していくんだよ」


大澄社長は言った。


「次の告知で。次の案件で。次の確認で。次の対応で。VSPは変わったって、時間をかけて見せる」


その声には、妙な熱があった。


「謝罪で信頼は戻らない。運用で戻す。積み上げで戻す。そこを間違えたら、何度でも炎上し続ける」


社長室が静かだった。

私は、大澄カガリという人を初めて少しだけ見た気がした。


寝坊する人。

男子小学生みたいなノリの人。

口が悪くて、軽くて、周りを振り回す人。


でも、その軽さの奥で、会社全体を見ている人。

誰か一人を差し出して終わらせることを、絶対にしない人。


「だから」


大澄社長は、私たち全員を見た。


「今回の対応は成功じゃない。起きてしまった失敗を、次へ進める形にできた。それだけだ」


その言い方は厳しかった。

でも、不思議と否定された感じはしなかった。


「でも、その“それだけ”ができたことは、すごく大きいよ」


大澄社長は、私たち全員を見渡した。


「仕組みを追いつかせられなかった責任は、私たち経営側にある。その穴を、現場のみんなが最悪の形になる前に塞いでくれた」


――そして、軽く頭を下げた。


「ありがとう。よくやってくれたね」


誰も、すぐには喋らなかった。

その一礼は、軽くなかった。

VSPのトップが、現場へ向けた感謝だった。


「これから忙しくなるよ」


大澄社長は顔を上げ、にっと笑った。


「再発防止、続報、フロー整備、タレントケア、ファンへの信頼回復。やることは山ほどある」


「でしょうね」


姫野さんが言う。


「なので、みんなには引き続き地獄を見てもらいます」


「言い方ヤバ」


九さんが即座に突っ込む。


「社長、それ普通にパワハラじゃんね」


「じゃあ訂正。適切な労務管理のもと、ほどよく地獄を見てもらいます」


「いやなんで地獄を残したん?」


清白さんが笑う。

蓮見さんが静かに言う。


「地獄にも分類が必要です」


「カンナちゃん、違うそうじゃない」


私は、思わず少しだけ笑ってしまった。


怖かった社長室。

怖かった社長。

でも、今は少しだけ分かる。


この人は清白さんと同じだ。

軽口で場をかき乱す。


――けれど、必要な時にはちゃんと背負う。

だから、みんなこの人についてきたのだ。


「さて」


大澄社長が手を叩いた。


「今日はこれ以上長く拘束するつもりはない。やるべきことは、まだ山ほどあるからね」

「フローのたたき台は清白と姫野に詰めてもらう。蓮見には制作側の確認点、九には法務と権利関係の線引いてもらって、遠藤には実際に使ってみて引っかかった場所を出してもらう」


「はい」


蓮見さんが頷く。


「了解です」


九さんも軽く返す。

私は少し遅れて頭を下げた。


「は、はい……」


「遠藤ちゃん」


「はいっ」


「今日はもう泡吹かないで帰ってね」


「吹きません……タブン……」


「多分なんだね」


「保証が……」


「そこは保証しておくれよぉ」


姫野さんが横で笑いをこらえている。

清白さんもにこにこしていた。


大澄社長は、最後にもう一度私を見る。


「君は、面白いものを拾うことができる」


その声は、さっきより少しだけ静かだった。


「だから焦らなくていい。潰れない程度に、しっかり成長していくんだよ」


私は、何も言えなかった。

代わりに、小さく頷いた。


「……はい」


――今度の返事は、さっきよりほんの少しだけ、声になった気がした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


今回のお話やアオたちのやり取りを面白いと感じていただけましたら、ページ下部の★評価で応援していただけると嬉しいです。


次回も水曜21時に更新予定です。


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