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第25話:コミュ障、社長の人物像を知る

タレントマネジメント部に戻ってきた私たちは、ひとまず自席近くの小さな打ち合わせスペースに座った。


社長面談は午後に延期。

理由は、社長のガチ寝坊。


天下のVSPのトップが、寝坊。

からの、『やっべ、いま起きたわ』。


――午前中の予定がぽっかり空いた。


本来なら、炎上後の確認フロー整理や通常業務に戻るべきなのだろう。

けれど、あいにく朝イチで泡吹いてから即座に仕事へ切り替えられるほど、私のメンタルは高性能ではない。


「じゃあ、せっかくだし」


清白さんが言った。


「午後までに、アオちゃんに社長の説明をしておこうか」


「お願いします……」


知らないから怖い。

相手がどういう人なのか分かれば、少しは落ち着くかもしれない。


「まず、名前は大澄カガリ」


清白さんが言った。


「大澄……カガリさん」


私はその名前を、口の中で繰り返した。


――大澄カガリ。


なんだろう。

すごい名前だった。


澄んだ大地に、篝火が灯るような。

厳かで、強くて、どこか神話めいた響きがある。


「女性……ですよね?正直意外です」


「うん。あたしと同い年」


――すごい。

若くして、この最大手Vtuber事務所の社長になっただなんて。


きっと、ものすごく威厳のある人なのだろう。

冷静沈着で、判断が速くて、言葉に重みがあって、社員が背筋を伸ばすような。

そんな、強い人。


私は、少し緊張しながら聞いた。


「あの……大澄社長って、どんな方なんですか?」


清白さんは、にこっと笑った。


「男子小学生」


「…………ん?」


私は、清白さんを見た。

清白さんは笑っている。

姫野さんは、何も言わずに視線を逸らした。


「…………ふぅーっ」


私は深呼吸をしてから、もう一度水を飲んだ。

きっと聞き間違いだ。

寝坊の衝撃で、脳がまだ正しく言語処理できていないのだろう。


「すみません。もう一度お願いします。大澄カガリ社長って、どんな方なんですか?」


清白さんは、変わらぬ笑顔で言った。


「男子小学生」


「…………」


やはり、聞き間違いではなかった。

聞き間違いであって欲しかった。


私はゆっくり姫野さんを見る。

そして、清白さんを指さす。

口だけがぱくぱく動いた。


声は出なかった。

人間、本当に困惑すると、声帯よりも先に口が魚になるらしい。

姫野さんは、ものすごく深く頷いた。


「あぁ、気持ちはスゲェよく分かる」


「…………!」


「そうだよな。何言ってんだこの狂人って普通は思うよな」


「ミカンちゃん?」


清白さんの笑顔が少し固まる。

姫野さんは止まらなかった。


「社長の説明を求められて第一声が男子小学生はない。ありえん。いくら事実でも、出し方ってもんがある」


「事実なんですか……?」


私はようやく声を絞り出した。

姫野さんは、気まずそうに目を逸らす。


「……まあ、否定はできん」


「うそーん……」


天下のVSPの社長。

その中身が男子小学生。

私の中の社会常識が、また一つ死んだ。


清白さんは、珍しく少しだけ頭を抱えた。


「え、待って。アオちゃんまでその顔する? あたし、そんなに変なこと言った?」


「言ってる」


姫野さんが即答する。


「その……言いにくいんですが……」


私も小さく続いた。

清白さんが胸を押さえる。


「アオちゃんにまで……」


「とうとう新人にすら侮られ始めたな、スズちゃん」


「侮られてないもん……ないもん」


私は慌てて首を振った。


「あ、いえ、侮っているわけではなく……ただ、その……社長さんの説明として、男子小学生という言葉が出てくるとは思わなくて……」


「おい、めちゃくちゃ気を遣われてるぞ」


「傷口に丁寧なガーゼ貼られた感じがする」


清白さんは本当に少しションボリした。


あの清白さんが。

ふわふわ狂人こと清白さんが。

ションボリしている。


「でもね、アオちゃん」


清白さんは気を取り直したように背筋を伸ばした。


「男子小学生って言ったけど、ちゃんとすごい人なんだよ」


「そ、そうですよね……」


「ブレーキがないだけで」


「ブレーキがない……」


「すんごい遅刻魔なだけで」


「遅刻魔……」


「あと、人をイジる時にセンシティブな物言いをしてくるだけで」


「いや、あの……もう余裕で3アウトなんですけど……」


見た目は大人、頭脳は子供。

センシティブという概念なし。

遅刻常習犯。


――社長という概念が、どんどん崩れていく。


だが、私はまだ諦めきれなかった。


そもそも、どうしてその人が社長になったのか。

そこにはきっと、壮大な理念や、業界を変える信念があったに違いない。


「あの……大澄さんが社長になったのって、やっぱりすごい理念があったからなんですか?」


清白さんの目が輝いた。


「よくぞ聞いてくれました」


――来た。

私は思った。


やはり。

やはりそうなのだ。

ここから語られるのだ。


VSP創業の理念。

タレントを守るための思想。

エンタメへの情熱。


清白さんは、胸を張った。


「カガリちゃんが社長になった一番の理由はね」


「はい」


「社長になれば、遅刻しても重役出勤ってことにできそうだったから」


「…………」


世界が静寂に包まれた。


「……もうやめようかな、この会社」


気づいたら、口から出ていた。


怒るでもない。

嘆くでもない。

ただ、無情な現実を悟った声だった。


姫野さんが吹き出した。


「あの遠藤が辞職を視野に入れるレベルまで追い込まれたぞ」


「アオちゃん、ステイステイ。今のはかなり端折った説明だから」


「端折ってこれですか……?」


「本当はもっとちゃんとあるよ。カガリちゃんは誰よりも根性あるし、面倒見もいいし、タレントのためなら自分が泥を被るのもためらわない人だし」


「最初からそっちを言ってください……!」


「でも、全部事実だし……」


「事実が邪魔をしてくる……」


姫野さんが頷く。


「まあ、社長がイカれてんのは事実だ」


「ミカンちゃん、言い方」


「でも、間違いなくあの人がいたからVSPはここまでデカくなった」


姫野さんの声が、少しだけ変わった。


「現場が無茶できたのも、タレントが勝負できたのも、最後に責任を取るって言い切る人が上にいたからだ」


私は姫野さんを見る。


さっきまで笑っていた顔とは違っていた。

本気で言っているのが分かった。


「口は悪いし、遅刻するし、ノリは小学生だが」


「擁護が後退しました……」


「でも、人を見る目と、芯の強さは誰にも負けない」


清白さんも静かに頷いた。


「うん。社長は、自分には厳しくて、人には優しい人だよ。ちょっと言葉選びが暴走列車なだけで」


「ちょっと……?」


「ごめんウソ。だいぶ、だね」


「ですよね……」


清白さんは困ったように笑う。

けれど、嫌そうではなかった。


「でも、だからこそ、みんなついてきたんだよ。あの人が諦めないから。あの人が最後まで走るから。あの人が、自分より先に人のことを見てしまう人だから」


その言葉は、さっきまでの男子小学生説明とはまったく違っていた。


何を言われるか分からない怖さはある。

魂が抜けそうな予感もある。

でも、ただ高い場所から見下ろされるような怖さではなくなっていた。


「まあ、午後に会えば分かるよ」


清白さんが言う。


「たぶん、アオちゃんの想像している社長像の三割くらいは粉砕される」


「七割は残るんですか……?」


「どうだろ。二割かも」


「減った……」


「でも、大丈夫。カガリちゃんは人を見る目はあるから」


「カガリちゃん……?」


「あ」


清白さんが口元を押さえる。

姫野さんがじとっと見る。


「仕事中だぞ、一応」


「はい。社長です」


「清白さんと社長さんって、仲がいいんですか?」


私が聞くと、清白さんは少しだけ笑った。


「うん。親友。あと、まあ、義姉妹みたいなものかな」


「義姉妹……」


「でも仕事中は社長と部下。そこはちゃんと分けてるよ」


「スズちゃんがちゃんと?」


姫野さんが言う。


「ミカンちゃん、今日あたり強くない?」


「あいにく今朝から寝坊助社長とすっ飛ばし上司に振り回されてるもんで」


「許してちょんまげ」


「そういうとこだよ」


そんなやり取りをしているうちに、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。


社長は怖い。

でも、得体の知れない神棚ではない。

ギリ人類……のはず。







――午後。

今度こそ、本当に社長室へ向かう時間が来た。


午前中に一度途中まで向かったせいか、さっきよりは少しだけ足が動く。

本当に少しだけ。


姫野さんは私の隣を歩いている。

清白さんは前を歩く。

今度はスマートフォンも静かだった。


「社長、今度は起きてますよね……?」


私が小声で聞くと、清白さんが振り返る。


「うん。さっき“起きた。私ってばエラすぎ”って連絡来た」


「自分でエラいって言ったんですか……?」


「言った」


姫野さんが低く唸る。


「あの人、ほんと自由だな……」


社長室前に着くと、そこにはすでに二人がいた。

蓮見さんと九さんだった。


蓮見さんは壁際に静かに立っている。

手にはタブレット。

九さんはスマホを片手に、にやにやしていた。


「お、来た来た。いやーまさか、1日に2回も社長室に行くハメになるとはねー」


「いや、ホントに……」


「しかも理由が社長の大寝坊っていうね」


「こんなことあるんですね……」


蓮見さんが、私をじっと見る。


「顔色は、思っていたよりも良好ですね」


「そ、そうですか……」


「うん、全員そろったね」


清白さんの表情が、少しだけ仕事の顔になる。

ふわふわした空気は残っている。

でも、声の芯が変わった。


「じゃあ、入るよ」


その瞬間、私の心臓が跳ねた。


社長。

VSPのトップ。


大澄カガリ。

男子小学生。

遅刻常習犯。

そして、VSPをここまで大きくした不撓不屈の人。


情報が多すぎる。

私の頭の中で、社長像が渋滞していた。


清白さんが扉をノックする。


「清白です。チーム遠藤、全員そろいました」


中から、声が返ってきた。


「おー、入って入ってー」


かっる。

あまりにも軽い。


その声を聞いた瞬間、私は思った。

――あ、この人、たぶん本当に男子小学生だ。


清白さんが扉を開ける。

社長室の中は、思ったより明るかった。


大きなデスク。

壁に並ぶ資料棚。

窓の向こうには、街が見える。


その中央に、一人の女性がいた。

足を組み、椅子に浅く座り、片手をひらひら振っている。


白のメッシュが入った黒髪のショートボブ。

青と黒を基調とした眼。

整った顔立ち。

黙っていれば、圧倒的に絵になる人だった。


――黙っていれば。

ここ大事。テストに出ます。


「うんにゃ、今朝はすまんね。余裕で目覚まし貫通しちったわ」


第一声で、威厳は消し飛んだ。

私は、社長室の入口で固まった。


大澄カガリ社長は、にやっと笑う。


「んで、君が噂の新人ちゃん?」


「…………」


声が出なかった。

やっぱり、社長は怖い。


ただし、その怖さは私が想像していたものとは、だいぶ方向が違っていた。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


第1章完結済み、現在は第2章「タレントとの邂逅編」を更新中です。


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