第24話:コミュ障、社長からの呼び出しを食らう
「知らない天井だ……」
目を開けた瞬間、私はそう呟いた。
――噓である。
言ってみたくなっただけである。
いつも通り、自分の部屋の天井だ。
知らないどころか、親の顔よりもよく見る光景だった。
――ただ、一つだけその朝はいつもと違った。
とある夢を見ていた。
それだけは覚えている。
でも、その内容が思い出せない。
知らない場所。
大きなモニター。
誰かの声。
胸の奥に落ちるような、妙に澄んだ何か。
……思い出せない。
思い出そうとしても、その輪郭がほどけていってしまう。
「……なんだったんだろう」
怖い夢ではなかった。
でも、楽しいだけの夢でもなかった。
私はしばらく天井を見つめてから、布団を出る。
――あの打ち上げから約1週間ほど。
炎上事件の事後処理はまだ続いていたけれど、あの時みたいに全員が燃えながら走る状況ではなくなっていた。
顔を洗い、髪を整え、朝食を飲み込むように食べ、鞄を持って家を出る。
いつも通り。
いつもの朝。
いつもの通勤。
電車の窓に映った自分は、相変わらず目が少し泳いでいた。
でも、以前よりは少しだけ、背筋を伸ばせている気がした。
たぶん。
たぶんである。
そして、VSPの事務所に着いた。
エレベーターを降り、フロアへ向かう。
「お、おはようございます……」
小さく挨拶しながら入る。
そしてフロアに入った瞬間、足が止まった。
入口近くに、清白さんと姫野さんが立っている。
私を待ち構えていた。
明らかに。
「えっ、あ、あの……お二人とも、どうかしましたか……?」
清白さんがにっこり笑う。
「おはよー、アオちゃん」
「おはようございます……」
「んじゃ、今から”社長”のところに行くよ~」
…………ン?
この人はいま、何て言った?
今から。
社長の。
ところに。
行く。
「…………」
「アオちゃん?」
「…………しゃ」
「しゃ?」
「シャチョー……?」
視界が白くなった。
口元には、明らかに人間が日常生活で出してはいけない量の泡。
「ぷしゅー……ブクブク……」
次の瞬間、私の意識は業務終了した。
「遠藤ぉぉぉぉぉぉ!」
遠くで姫野さんの声がした。
「アオちゃんが死んだ!!」
「この人でなし!……って言ってる場合か!!」
朝だから倒れたんです。
たぶん。
私はゆっくり目を開けた。
フロアの照明が見える。
「あ……今度は本当に知らない天井だ……」
「……いや、お前もお前で何言ってんだ?」
姫野さんの顔が近い。
どうやら、倒れたところを支えてもらったらしい。
床と本格的に邂逅せずに済んだ。
ありがとう、姫野さん。
さようなら、私の尊厳。
「意識は?」
「ギリ……」
「正気は?」
「シャチョー……」
「駄目だ、戻ってねぇ」
姫野さんが額を押さえる。
清白さんは、その横で悪びれもなく立っていた。
「アオちゃん大丈夫そ?いきなり泡吹いたから、びっくりしたよ~」
「誰のせいだと思ってんだ」
「めんご」
「めんごじゃねぇだろ」
「でも、悪い話じゃないんだよ~?」
「それを先に言えっての」
姫野さんが清白さんに詰め寄る。
「過程をすっ飛ばすな。この小心者にいきなり”社長”なんて単語を投げたらこうなるって、分かり切ってただろうが」
「小心者……」
私は小さく復唱した。
いや、確かにミクロン単位のメンタルの小心者ですけど。
至極真っ当な小心者判定を受けてる傷心者ですけど。
「アオちゃん、水飲む?」
「は、はい……」
清白さんから紙コップを受け取り、一口飲む。
少しだけ人間に戻った。
「えっと……また私、何かやっちゃいました?」
「無自覚系主人公みたいなノリやめろ。お前は別に何もやらかしてないから」
清白さんが笑う。
「アオちゃんが何かやらかしたわけじゃないよ」
「本当ですか……?」
「本当」
姫野さんがため息をついた。
「遠藤。落ち着いて聞け」
「はい……」
「呼び出しはお前だけじゃない」
「え?」
「アタシも、蓮見も、キューちゃんも、スズちゃんも対象だ」
「……全員、ですか?」
「そうだ」
「つまり……共犯……?」
「何でそっち行くんだよ」
「集団犯罪……?」
「違ぇっての」
清白さんが楽しそうに言う。
「チーム遠藤、社長に呼び出しを食らう、の巻」
「チーム遠藤……?」
また新しい単語が来た。
しかも結構エグめの。
「何ですか、その、私を中心にしたような名称は……」
「今回の炎上対応で、アオちゃんを中心に動いたメンバーのこと。便宜上、そう呼ばれてる」
「便宜上で人の名前を旗印にしないでください……」
「いいじゃん、イケてるよ」
「胃が痛いです……」
姫野さんが清白さんを睨む。
「余計な情報を足すな」
「でも事実だし」
「出し方ってもんがあるだろ」
「じゃあミカンちゃん、丁寧に説明してあげて」
「最初からそうさせてくれよ」
姫野さんが私の前に立つ。
「ざっくり言うと、一週間前の炎上対応についてだ」
「はい」
「運営声明、本人動画、修正版告知。あの一連の対応について、社長から直接話を聞きたいって連絡が来た」
「直接……」
「怒られるためじゃない。対応の振り返りと、今後の体制についての面談だ」
「今後の体制……」
「特に、告知や企画まわりで、タレント本人の言葉とファンの受け取り方がズレる問題。そこをどうチェックフローに入れていくか」
私は、紙コップを握った。
「アオちゃんが拾った感覚も、ちゃんと仕組みにしたいんだって」
清白さんが言う。
「もちろん、アオちゃん一人に背負わせる話じゃないよ」
「……はい」
「蓮見ちゃんが表現面を見て、キューちゃんが法務と文言の線を引く。ミカンちゃんが現場で止める。そこに、アオちゃんの“温度差を見る目”も入れる」
「私の……」
「うん。その話を、社長も直接聞きたいって」
社長。
まだ怖い。
でも、さっきとは少し違った。
怒られるわけではない。
私だけが呼ばれるわけでもない。
「……私、ちゃんと話せるでしょうか」
姫野さんは即答した。
「無理に決まってんだろ」
「即答……!けど、おっしゃる通り……!」
「だから一人で話させねぇ。アタシらが一緒にいる」
「でも、社長……」
「社長も人間だ」
「本当ですか……?」
「……悪い、あんま自信もって言えないかもしれん」
「!?」
清白さんがにこにこ言う。
「大丈夫。ウチの社長は怖くはないよ。まぁ怖くは……ね」
「何ですかその含みは……!」
「うーん、日によって違うからなぁ……あの人」
「そんな日替わり定食みたいな……」
「日替わり定食!いいよね、ウチの食堂の日替わり定食。今日は確か生姜焼き定食だったっけ」
「あ、そうなんですか?……じゃ、じゃあ今日は食堂でご飯食べようかな……」
「いいねいいね。あ、そういえばウチの食堂の調理師さんって実は――」
「おぉーい、話題が大気圏を突き抜けたって」
姫野さんが額を押さえた。
「えっ、社長の話してたよな?何でいま昼飯の話になってんの?」
「え?」
「え?じゃねぇよ。逆に何でそこで、え?が出てくる?」
「んじゃ、社長室へゴー」
「おい、聞けや」
「言い方が軽い……」
私は立ち上がる。
膝が少し震えた。
でも、ギリ歩けそう。
社長室へ向かう道中は、いつもより長く感じた。
実際には、そんなに長くない。
けれど、社長室という目的地が付くだけで、精神的に三倍は伸びる。
「アオちゃん、なんか何時にも増してすごいね」
清白さんが言う。
「ななななな何がですか……?」
奥歯がガタガタ言っている。
自分の体なのに、勝手に打楽器になっていた。
姫野さんが噴き出した。
「ぶほっ……お、お前、奥歯鳴りすぎだろ」
「笑わないでください……!」
「ふひっ、や、やめろ、そんな奥歯をカスタネットみたいに……」
「か、かかかかかカスタネット……」
「ぶははははははっ!!」
姫野さんが腹を抱えて笑っている。
ひどい。
人が社長室へ向かう恐怖で震えているというのに。
そんなことを話しながら歩いていたときだった。
――突如、清白さんのスマートフォンが震えた。
清白さんが画面を見る。
その瞬間、表情が変わった。
いつもの軽い笑みが消える。
「……」
姫野さんがすぐに気づいた。
「スズちゃん?どうかしたのか」
清白さんは、ゆっくり顔を上げた。
「……社長からのメッセージ」
空気が固まる。
社長から。
このタイミングで。
私の心臓が、また変な動きを始める。
何だろう。
あの清白さんが何時になく神妙な面持ちだ。
「二人とも」
清白さんが低い声で言った。
「大変……」
姫野さんの表情が鋭くなる。
「どうした。何があった?」
私も息を呑む。
まさか、炎上の続報で何か。
新しい火種。
社長から緊急指示。
いや、もしかして、私が入口で泡を吹いたことがもう社長に伝わって――
清白さんが、スマートフォンの画面をこちらへ向けた。
そこには、社長からのメッセージが表示されていた。
『やっべ、いま起きたわ』
『てなわけで面談は午後からに変更ってことで』
『ごめんちゃい』
沈黙。
廊下に、深い沈黙が落ちた。
私は画面を見た。
姫野さんも画面を見た。
清白さんは、深刻そうな顔のまま、こちらを見ている。
「……」
「……」
「……」
次の瞬間。
私と姫野さんは、ほぼ同時にズッコケた。
「なんっでだよッ!」
姫野さんの叫びが廊下に響く。
私はその横で、膝から崩れていた。
――社長からの連絡。
いま起きたわ。
からの、ごめんちゃい。
情報量が多すぎる。
いや、少なすぎるのかもしれない。
どちらにせよ、私が朝イチで吹いた泡は何だったのか。
「社長さんが……寝坊……?」
私は呆然と呟いた。
清白さんは、いつもの笑顔に戻っていた。
「うん。寝坊だね」
姫野さんがゆっくり立ち上がる。
「大変……!じゃねえだろ……!」
「大変でしょ?」
「そりゃそうだけど……!」
「いつも通りだったね」
「いつも通り……?」
私は、壁に手をつきながら立ち上がった。
足の力が抜けている。
社長室に行かなくてよくなった。
少なくとも今は。
安堵。
脱力。
困惑。
泡吹き損のくたびれ儲け。
「午後から……なんですね」
「そうみたい」
清白さんがスマートフォンをしまう。
「じゃあ、時間空いたし、一回戻ろっか」
「軽い……」
姫野さんが額を押さえる。
「とりあえず、蓮見とキューちゃんには連絡しとく」
「よろしく」
姫野さんが即座に言った。
清白さんは、けろっと笑う。
「まあまあ。午後まで時間できたし、ちょうどいいじゃん」
「何がですか?」
「アオちゃん、ウチの社長のこと知らないよね?」
「あ、はい。正直何も……」
「時間もできたし、軽く教えておいてあげるよ」
「あ、ありがとうございます……」
姫野さんがため息をついた。
「とりあえず戻るか。遠藤、水もう一本飲め」
「はい……」
「あと午後までに、泡吹かないようにしておけよ」
「どうやって……?」
「知らん」
清白さんはにっこり笑った。
「まず社長を小動物だと思います」
「……無理です。GG」
「開幕GGやめてね。……んーじゃあ観葉植物だと思います」
「社長に会釈しそうなので駄目です……」
姫野さんが、深く息を吐いた。
「前途多難だな」
「本当に……」
本当にすいません。
小心者のコミュ障で、マジすいません。
――それはそうと、VSPの社長ってどんな人なんだろう?
さっき、清白さんは「社長の寝坊はいつも通り」って言ってたけど。
……まさか、ウチの社長って寝坊助だったり?
いやいや、んなわけない。
流石に天下のVSPのトップが遅刻魔だなんてことあるわけないよ(笑)
……ないよね?
ここまで読んでくださりありがとうございます。
第1章完結済み、現在は第2章「タレントとの邂逅編」を更新中です。
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