幕間:清白主催のお疲れ様会②
会議室には、すでに食べ物が並んでいた。
ピザ。
唐揚げ。
ポテト。
サンドイッチ。
サラダ。
そして、なぜか大量のプリン。
「プリン多くないですか……?」
私が思わず呟くと、清白さんが胸を張った。
「疲労には糖分だからね」
「糖分の解釈が小学生なんよ」
九さんが椅子に座りながら言う。
「でもプリンは正義です」
蓮見さんが静かにプリンを一つ確保した。
「お前、そういう時だけ動き早ぇな」
姫野さんが呆れる。
「生存戦略です」
「プリンで生存戦略すんな」
それぞれが席につく。
清白さんは一番奥に座ったが、体がまだ小刻みに震えていた。
蓮見さんはそれを見て、眉をひそめる。
「清白さん、本当に大丈夫ですか」
「大丈夫大丈夫。関節がパニックしてるだけ」
「無理すんなよ年寄り」
「ほーう?また言いやがったねぇ。残業代カットじゃ足りないかぁ?」
懲りない姫野さんに半ギレの清白さんがメンチを切る。
そんなやりとりをしながらも、全員が食べ物を取り始めた。
昨日、あれだけ張り詰めていたのが嘘みたいだった。
いや、嘘ではない。
昨日の炎上は、確かにあった。
まだ続報も残っている。
信頼だって、完全には戻っていない。
でも今だけは、誰もそれを口にしなかった。
まず食べる。
まず休む。
まず人間に戻る。
清白さんが言っていた「人間に戻る日」というのは、案外本当に必要なことなのかもしれない。
「……こほん、じゃあ」
清白さんが紙コップを持ち上げた。
「昨日は本当にお疲れさまでした。まだ全部終わったわけじゃないけど、ひとまず、最初の山は越えました」
その声に、少しだけ場が静かになる。
でも、清白さんはすぐに笑った。
「というわけで、今日だけは難しい話をなるべく禁止。食べて、飲んで、寝落ちしない程度に喋ろう」
「寝落ちしない保証はないです」
蓮見さんが言った。
「するなよ。会議室で寝るなよ」
姫野さんが釘を刺す。
「善処します」
「政治家か」
昨日から何度目か分からない政治家認定だった。
全員で紙コップを軽く掲げる。
「お疲れさまでした」
声が重なる。
それだけで、少し肩の力が抜けた。
私はサンドイッチを手に取った。
食べ物を口に入れた瞬間、胃が驚いた。
そういえば、昨日まともに食べていなかった気がする。
人間、食べ物を食べると体に戻ってくる。
私は昨日、何度か魂が外部に出かけていたので、なおさらそう思った。
「遠藤さん」
蓮見さんが言った。
「はい」
「夢の話をしてもいいですか」
「あ、そうでした。すごく引っ張ってましたよね」
「はい。構成上、ここが適切です」
「夢に構成を持ち込まないでください……」
蓮見さんはプリンの蓋を開けながら、淡々と言った。
「夢の中で、遠藤さんが巨大なモルモットになっていました」
沈黙。
私はサンドイッチを持ったまま固まった。
「……はい?」
「巨大なモルモットです」
「聞き間違いじゃなかった……」
姫野さんが額を押さえる。
「もうこいつ病気だろ」
「失礼です。かなり象徴的でした」
九さんが笑いをこらえながら聞く。
「それで? 巨大アオちゃんモルモットは何してたん?」
「事務所を守っていました」
「おっふ、急に英雄譚」
「炎上しているフロアの真ん中で、遠藤さんモルモットが前足で火をぺしぺし消していました」
「弱そう!」
私は思わず叫んだ。
「巨大なのに、ぺしぺしなんですか!?」
「はい。すごくカワイかったです」
「蓮見、お前目が怖いって」
姫野さんが低く言う。
蓮見さんは、まったく悪びれずプリンを一口食べた。
「でも、火は消えていました」
「ぺしぺしで……?」
「はい」
私は少し想像してしまった。
巨大なモルモット。
前足で火をぺしぺし。
燃えるVSP。
それを見守る社員。
駄目だ。
絵面が終わっている。
「つまり、蓮見的にはアオちゃんは巨大モルモット型防火設備ってこと?」
九さんが言う。
「防火設備ではありません」
蓮見さんは真顔で訂正した。
「守護獣です」
「もうダメだこいつ」
姫野さんが即座に言った。
「アオちゃん守護獣説、いいじゃん」
「いや、何が……?」
九さんが笑う。
私はサンドイッチを小さく齧る。
どうして私は、炎上対応の翌日に巨大モルモット守護獣認定を受けているのだろう。
世の中は不思議である。
清白さんがくすくす笑っていた。
「でも、夢って意外と本質を突くからね」
「……本質?本質って言いましたか今」
「アオちゃん、昨日は本当に火の中でぺしぺししてたよ」
「ぺしぺし……」
「大きな消火器じゃなくて、小さな手で、ここが熱い、ここも熱いって教えてくれた」
その声は軽かった。
でも、言葉は少しだけ真面目だった。
私は、手元のサンドイッチを見る。
昨日、自分が何をしたのか。
まだよく分かっていない。
ただ、怖い投稿を見て、引っかかったところを言った。
本人の言葉と、ファンの言葉の間で、違和感がある場所を伝えた。
それだけだ。
でも、それをみんなが形にしてくれた。
蓮見さんが分類して。
九さんが危なくない言葉にして。
姫野さんが現場に通して。
清白さんがタレントさんにつないでくれた。
私一人では、何もできなかった。
でも、何もできなかったわけでもない。
「遠藤」
姫野さんが唐揚げを取りながら言った。
「昨日のこと、まだ自分の中で整理できてねぇだろ」
「……はい」
「だろうな」
姫野さんは、紙皿に唐揚げを乗せる。
その所作は雑なのに、声はやけに穏やかだった。
「でも、昨日お前がいなかったら、たぶん対応はもっと遅れてた」
私は顔を上げる。
姫野さんは続ける。
「もちろん、お前一人でどうにかしたわけじゃねぇ。そこは勘違いすんなよ」
「は、はい」
「でも、お前が最初に引っかかった。そこから蓮見が形にして、キューちゃんが線を引いて、スズちゃんが本人につないだ。そういう流れだった」
九さんが頷く。
「アオちゃんの感覚って、法務的には分類不能なんだけどさ」
「分類不能……」
「でも、現場には必要だった。何に傷ついてるのか、何を守りたいのか。そこを拾える人って、意外と少ないんよ」
蓮見さんも静かに言う。
「遠藤さんは、声の温度を見ています」
「声の温度……」
「はい。本人が伝えたい温度と、ファンが受け取れる温度。その差を見つけられます」
声の温度。
その言葉が、胸の奥に残った。
私は、自分の声すらまともに出せない。
それなのに、誰かの声が別のものに変わってしまうことだけは、怖いくらい分かった。
それが才能なのか、ただの怖がりなのかは、まだ分からない。
でも、昨日はそれが役に立った。
「アオちゃん」
清白さんが、紙コップを両手で持ちながら言った。
「自信を持て、とは言わないよ」
私は、少しだけ驚いた。
清白さんは笑っている。
でも、その目は静かだった。
「いきなり自信を持てって言われても、無理でしょ?」
「……はい」
「だから、まずは覚えておいて」
清白さんは、ゆっくり言った。
「アオちゃんの不安は、ちゃんと使える」
胸の奥が、少し熱くなった。
「怖がることも、気にしすぎることも、何度も立ち止まることも、全部そのままだとしんどい。でも、誰かと一緒に使えば、誰かを守る確認ポイントになる」
九さんが小さく頷く。
「それ、キューちゃんも前に言ったっしょ。不安は武器になるって」
「はい……覚えてます」
「昨日、実証されたね」
実証。
その言葉が、少しだけ重い。
でも、嫌ではなかった。
私は、今まで自分の不安を、邪魔なものだと思っていた。
人より怖がる。
人より気にする。
人より立ち止まる。
だから遅い。
だから駄目だ。
そう思っていた。
でも昨日、その不安が何かを拾った。
誰かの声を、元の形に戻す手伝いをした。
「……私」
私は、ゆっくり口を開いた。
全員がこちらを見る。
その視線は、怖い。
でも、前ほど逃げたくはなかった。
「ずっと、自分は運営に向いてないと思っていました」
声が少し震える。
でも、続けた。
「人前に出るのも苦手で、話すのも遅くて、すぐ固まって……タレントにもなれなくて、運営でも足を引っ張ってばかりだと思っていました」
姫野さんは何も言わない。
蓮見さんも、九さんも、清白さんも。
黙って聞いてくれている。
「でも昨日、少しだけ思いました」
私は、手元の紙皿を見る。
「私が怖がるところに、誰かが見落としたものがあるなら」
言葉を探す。
「それを、皆さんが形にしてくれるなら」
胸が詰まる。
でも、今度は飲み込まなかった。
「私にも、ここでできることがあるのかもしれないって」
言い終わると、会議室が静かになった。
沈黙が怖い。
でも、嫌な沈黙ではなかった。
最初に口を開いたのは、姫野さんだった。
「あるよ」
短い言葉だった。
でも、迷いがなかった。
「お前には、ここでやることがある」
九さんが笑う。
「てか、もうやったじゃん」
蓮見さんが頷く。
「昨日の遠藤さんは、非常に優秀でした」
「言い方……」
「非常に大切でした」
「言い直しが急に優しい……」
清白さんが笑った。
「アオちゃん、ようこそ」
「え?」
「VSP運営チームへ」
その言葉に、胸が止まりかけた。
私はもう入社している。
席もある。
社員証もある。
メールアドレスもある。
でも、清白さんが言ったのは、そういう意味ではないと分かった。
本当の意味で。
ここにいていい。
ここで役に立てる。
そう言われた気がした。
姫野さんが、少し照れくさそうに視線を逸らす。
「まあ、最初からチームだけどな」
九さんがにやっと笑う。
「ミカンちゃん、照れてる?」
「照れてねぇ」
「耳赤いよ」
「エナドリのせいだ」
「万能だなエナドリ」
蓮見さんがプリンを食べながら言う。
「遠藤さんは、正式に守護獣兼温度計兼運営スタッフになりました」
「肩書きが渋滞しています……」
「名刺に入れますか?」
「絶対に入れません」
「残念です」
本当に残念そうだった。
私は、少しだけ笑ってしまった。
笑えた。
昨日はあんなに怖かったのに。
まだ全部が解決したわけではないのに。
それでも、ここで笑えている。
それが、少し不思議だった。
清白さんがプリンを手に取る。
「じゃあ、改めて」
全員が顔を上げる。
「炎上対応第一波、お疲れさまでした。これからまだやることはある。でも、昨日みたいに一人で抱えない。ちゃんとチームでやる」
清白さんは私を見る。
「アオちゃんも、その中の一人ね」
私は、深く頷いた。
「……はい」
今度は、ちゃんと声が出た。
「よろしくお願いします」
姫野さんが少し笑う。
「おう。よろしくな、遠藤」
九さんが紙コップを掲げる。
「よろしく、アオちゃん。法務部にもまた来てね。今度は炎上じゃない時に」
「ぜひ……炎上じゃない時に……」
蓮見さんもプリンを掲げる。
「よろしくお願いします。次は巨大モルモットの夢の続編を見ます」
「そこは見なくていいです」
「努力します」
「見る気ですね……」
清白さんが笑う。
会議室に、小さな笑いが広がる。
昨日の火は、完全には消えていない。
外にはまだ燻りがある。
事務所が失った信頼も、これから少しずつ取り戻していくしかない。
でも、少なくともここには、もう一度立ち上がろうとしている人たちがいる。
私はプリンの蓋を開けた。
甘い匂いがした。
昨日の焦げた匂いとは、まったく違う匂いだった。
「……いただきます」
小さく言って、スプーンを入れる。
その瞬間、蓮見さんがこちらを見た。
「遠藤さん、プリンを食べる姿も良いですね」
「普通に食べさせてください……」
姫野さんが笑い、九さんが吹き出し、清白さんがぷるぷるしながら拍手した。
まだ、何もかも元通りではない。
でも。
私は、ここで笑っていた。
それが、昨日の火のあとに残った、最初の小さな光だった。




