第22話:コミュ障、炎上の焼け跡に想いを馳せる
――収録データがフロアへ届いた。
蓮見さんが、すぐに編集画面を開く。
「前後の不要部分を削除します。発言中の間には触れません。音量のみ基準値へ調整します」
画面の中で、タレントさんが一度視線を落としている。
次の言葉を探していた時間。
昨日の編集なら、たぶん切られていた沈黙だった。
「そこは残してください」
私が言うと、蓮見さんは該当部分へマーカーを置いた。
「本人からも、残したいという申告がありました。編集対象から除外します」
「字幕は全文。同じ書体、同じ大きさ」
九さんが横から確認する。
「強調色なし。単語だけ抜いた字幕もなし。投稿文にも感情を誘導する表現は足さない」
「BGMは?」
姫野さんが聞く。
「使用しません」
蓮見さんは即答した。
「今回は、音楽で感情を補う必要がありません」
切らない。
飾らない。
必要以上に強くしない。
本人が話した言葉を、本人が選んだ間のまま外へ出す。
映像としては、地味だった。
けれど昨日、意味を変えたのは、見栄えを良くするために加えたものだった。
「書き出します」
ファイル名が表示される。
【本人メッセージ_公開確認用_01】
「最終版ではないんですね……」
「本人確認前なので、最終ではありません」
「本当の最終版とかも……」
「作りません」
「最終版2……」
「管理事故を増やそうとしないでください」
蓮見さんが真顔で返した。
九さんが小さく息を漏らす。
「おぉ、珍しいもん見た。カンナちゃんがアオちゃんにツッコんでるー」
「確かに、今のは結構貴重だな」
「二人とも、私のことを何だと思ってるんです?」
蓮見さんがジト目で姫野さんと九さんの方を見る。
完成した映像が、スタジオへ送信された。
――数分後、清白さんから通話が入った。
画面の向こうには、タレントさんも座っている。
目元には疲れが残っていた。
『最後まで見てもらったよ』
姫野さんが清白さんではなく、タレントさんへ尋ねる。
「この映像を公開したいですか」
少しの間があった。
タレントさんは、停止した画面をもう一度見る。
『……はい』
小さくても、はっきりした声だった。
『これで出したいです』
「切ってほしいところは?」
蓮見さんが確認する。
『ありません。でも、最後の前で黙っているところは、残してください』
「理由を伺ってもよろしいですか」
『ちゃんと考えて話したって、残したいので』
「承知しました」
蓮見さんが、本人の回答と確認時刻を記録する。
九さんも公開承認の項目へチェックを入れた。
本人がそう言った。
だから出した。
その経緯まで、あとから確認できる形で残している。
「公開後の体制を確認するぞ」
姫野さんが各部署の画面を開く。
「本人への連絡はマネジメントで受ける。本人に直接見せる反応は選別。素材と情報管理の続報は、この動画と混ぜずに準備を続ける」
「批判は消さない」
九さんが続ける。
「厳しい意見と、脅迫や個人攻撃は別。都合が悪いからって法務に投げないで。違法性があるものだけ、こっちで切り分ける」
「公開データ、本人承認記録、編集履歴は保全します」
蓮見さんが答える。
「元データとの差分も保存済みです」
清白さんは画面の向こうで、タレントさんへ視線を向けた。
『こっちは私が見る。公開後も、本人へ無理に反応を確認させない』
「頼む」
全員の役割が決まる。
タイトルは短かった。
【今の気持ちをお話しします】
サムネイルにも、大きな文字はない。
「遠藤」
「ひゃい」
姫野さんが私の顔を見た。
「鳴き声」
「まだ止めてません……」
「公開した瞬間に止まりそうな顔してんだよ」
否定できなかった。
蓮見さんがタイマーを八分へ設定する。
「公開後に遠藤さんが確認する反応は、こちらで抽出します」
「全部見ちゃダメなんですか」
「ダメです」
「即答……」
「暫定ルールです」
逃げ道はなかった。
姫野さんがスタジオへ最終確認する。
「本人も、今この画面を見てるんですね」
『うん』
清白さんが答える。
『隣にいるよ』
「分かりました」
姫野さんが一度息を吐く。
「よし、公開するぞ」
――蓮見さんがボタンを押した。
動画が、公式アカウントへ表示される。
最初の数秒は、何も起きなかった。
やがて再生数が動く。
共有数が増える。
コメントが一つ、二つと流れ始めた。
『本人の声を聞けてよかった』
『離れてもいいって言ってくれるの、この子らしい』
『周年を楽しみにしてた気持ちまで消えてなくて安心した』
胸の奥に、小さな熱が灯る。
けれど、その下へ別の言葉が並んだ。
『動画は見た。でも運営は信用できない』
『これも結局、運営が用意した台本でしょ』
『素材と情報管理の説明はまだ?』
『本人を出して同情を集めようとしてるようにしか見えない』
『しばらく離れます』
熱が、すぐに冷えた。
私たちは、何度も確認した。
本人が言葉を選んだ。
本人が映像を見た。
本人が公開を決めた。
それでも、その過程を知らない人には、また運営が用意した動画に見える。
「……届かない人も、いるんですね」
声が漏れた。
「いる」
姫野さんはすぐに答えた。
慰める声ではなかった。
「一本の動画で信用が戻るなら、こんな時間まで残ってねぇ」
「……はい」
「離れる奴もいる。何を出しても台本だと思う奴もいる。素材と情報管理の説明が終わってねぇって批判も、そのとおりだ」
――九さんが反応を分類していく。
【本人への共感】
【運営不信継続】
【未解決事項への指摘】
【離脱表明】
【個人攻撃・脅迫確認】
「好意的な投稿だけ集めて、鎮火しましたはナシね」
九さんの声から、普段の軽さが消えていた。
「本人への直接攻撃は減ってる。でも運営不信は普通に残ってる。ここから続報ミスったら、また燃える」
「現時点で、反応が好転したとは断定できません」
――蓮見さんも数字を確認している。
「動画の趣旨が伝わった層は存在します。ただし、判断保留と否定的反応も相当数あります」
機械的な報告だった。
それでも蓮見さんは、タレントさんが残してほしいと言った沈黙の部分を、何度も確認していた。
「編集上の問題は?」
姫野さんが聞く。
「現時点では確認されていません」
蓮見さんは、少し間を置いて続ける。
「今回は、加える判断より、加えない判断の方が重要でした」
昨日とは反対だった。
見栄えを作る技術ではなく。
本人の言葉を壊さないために、技術を使った。
画面の向こうで、清白さんがタレントさんと何かを話している。
――やがて、通話の音声が戻った。
『本人は、公開してよかったって』
誰も歓声を上げなかった。
清白さんも笑っていない。
『でも、コメントを見られる状態ではない。今日はもう休ませるよ』
「それでいい」
姫野さんが答える。
『それと』
清白さんの声が少し低くなった。
『今回、本人の言葉を守れたとは思ってない』
私は顔を上げた。
『一度、運営の都合で変えた。それを、元の場所へ戻そうとしただけ』
姫野さんは何も言わなかった。
九さんも、蓮見さんも手を止めている。
『戻せたものもある。でも、なくした信用まで戻ったわけじゃない。そこは、これから私たちが引き受ける』
清白さんは、隣にいるタレントさんへ目を向けた。
『本人に背負わせないで』
「分かってる」
姫野さんが答えた。
短い声だった。
だが、その言葉には迷いがなかった。
――通話が終わったあとも、フロアの作業は続いた。
素材利用条件の確認。
外部共有が起きた経路の調査。
関係企業への説明。
再発防止策の整理。
動画を出したからといって、事件が終わるわけではなかった。
「姫野さん」
自分でも理由が分からないまま、名前を呼んだ。
「あん?」
「今回……守れたんでしょうか」
姫野さんは、すぐには答えなかった。
画面に並ぶ反応を見る。
好意的な言葉。
厳しい言葉。
もう戻らないという言葉。
「全部は守れてねぇ」
やがて言った。
「ファンとの信用も、企画への期待も、会社の評判も傷ついた。離れた奴もいる。本人だって、もう傷ついてる」
はっきりした声だった。
「守ったんじゃなくて、これ以上奪わないところまで戻しただけだ」
九さんが椅子にもたれたまま、画面を見る。
軽い調子ではなかった。
「ウチができるのは、言っちゃダメなことを止めることと、本人に背負わせる責任を切ること。信じてもらえるかは、今日の声明じゃ決まんない」
蓮見さんも静かに続ける。
「技術的に正しい映像を作っても、それだけで本物だと信じてもらえるわけではありません」
編集履歴の画面を閉じる。
「ですが、少なくとも今回は、本人が残したいと判断した部分を削除しませんでした」
清白さんから、短いメッセージが届いた。
『本人、もう眠ったよ』
その下へ、もう一文。
『今日はここまで。みんなも必ず休んで』
姫野さんがメッセージを見て、鼻から息を吐いた。
「自分は現場に泊まる気のくせによく言うわ」
九さんが小さく笑う。
「それミカンちゃんもじゃん」
「姫野だ。あと帰る」
「ガチ?」
「帰らねぇと遠藤が真似するだろうが」
突然名前が出て、肩が跳ねた。
「し、しません……たぶん」
「ほら見ろ」
「今ので残業禁止対象です」
蓮見さんが告げる。
「対象が増えていく……」
一瞬だけ、笑いが落ちた。
火が消えたから笑ったのではない。
張り詰めたままでは、次の仕事まで持たないから笑った。
――タイマーが鳴る。
「遠藤、終了」
「……はい」
私はSNSの画面から手を離した。
最後に見えたのは、二つの投稿だった。
『まだ運営は信用できない』
そのすぐ下に。
『でも、本人が今すぐ戻らなくていいって言ってくれたのは、少し救われた』
どちらも、公開した結果だった。
片方だけを見れば、失敗にも成功にもできる。
けれど、本当はどちらも消せない。
私は、同じフロアにいる三人を見る。
姫野さんは、続報の期限を各部署へ送っている。
蓮見さんは、本人の承認記録と編集履歴を保存している。
九さんは、批判と個人攻撃を一件ずつ分けている。
画面の向こうでは、清白さんがタレントさんのそばに残っていた。
私は、ファンと本人の間に生まれたズレを拾った。
誰か一人が解決したわけではない。
姫野さんが、私の気づきを仕事の順番へ変えた。
蓮見さんが、確かめられる事実と映像へ変えた。
九さんが、外へ出せる言葉と責任の境目を守った。
清白さんが、本人の意思を聞き続けた。
そのどれか一つでも欠けていたら、私は見つけた違和感を抱えたまま、何もできなかった。
画面には、タレントさんが言葉を探した短い沈黙が残っている。
本人が、切らないでほしいと選んだ時間。
昨日は、本人が残したかった言葉が消えた。
今日は、本人が残したいと決めたものが残っている。
炎上は、なくなっていない。
失った信用も戻っていない。
傷は、きっとこれからも残る。
周年企画が始まれば、今回のことを思い出す人もいる。
二度と戻らない人もいる。
それでも。
タレントさんの声を、運営が作った別の声へ変えない。
本人が残したい言葉を、本人の意思で外へ出す。
その一点だけは、五人でかろうじて守った。
守れた、という言葉が正しいのかは分からない。
清白さんの言ったとおり、奪ったものを元の場所へ戻そうとしただけなのかもしれない。
それでも昨日よりは、少しだけ正しい場所にある。
誰も終わったとは言わなかった。
焼け跡は残っている。
ここから、何を積み直せるのかも分からない。
ただ、次に外へ出した声が。
――誰のものなのかだけは、もう間違えなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
VSP大炎上編は今回で一区切りとなります。
次回からは、今回の件を受けての打ち上げ回と、第1章の締めに入っていく予定です。
アオがVSPの中で少しずつ居場所を見つけていくところまで、見守っていただけると嬉しいです。




