第21話:コミュ障、ファンとタレントの橋渡しをする
――運営声明が公開されてから、一時間ほどが過ぎた。
SNSの勢いは、まだ衰えていない。
『運営が責任を認めたのは分かった』
『でも、本人はどう思ってるの?』
『本人に謝罪させるのだけはやめて』
事実を知りたい人。
本人の言葉を待つ人。
それでも信じられない人。
反応は、まだ一つにはまとまっていなかった。
「スタジオから接続入るぞ」
姫野さんの声に、背筋が伸びる。
蓮見さんがモニターを切り替えた。
――画面の向こうには、収録スタジオにいる清白さんとタレントさんが映っていた。
目元にはまだ少し赤みが残っている。
けれど、呼吸は落ち着いているように見えた。
『聞こえてる?』
「聞こえてる」
姫野さんが答える。
『本人と相談して、文章じゃなく、自分の声で伝えたいって』
隣でタレントさんが頷いた。
声は少し硬い。
それでも、自分で選んだ伝え方だった。
「まず一回、最後まで通す」
姫野さんが言う。
「途中で気になっても止めねぇ。こっちはメモだけ取る」
『了解』
清白さんが収録スタッフへ合図を送る。
「遠藤」
「ひゃい」
姫野さんたちが一瞬だけ顔を見合わせた。
「正常だな」
「鳴き声確認ヨシ」
九さんが頷く。
「確認項目にしないでください……」
小さな笑いが落ちたところで、収録が始まった。
タレントさんがカメラを見る。
『みんな、心配をかけてしまって、本当にごめんなさい』
声が揺れる。
『今回、私の言葉が違う形で伝わってしまって、たくさんの人を不安にさせてしまいました』
『“ちゃんとついてきて”という言葉も、私が話したものではあります。でも、無理をしてほしいと思って言ったわけではありません』
一度、言葉を切る。
『私は周年企画を楽しみにしていました。だから、少し気持ちが入りすぎていたのかもしれません』
胸の奥に引っかかった。
それでも、最後まで聞く。
『これからも、みんなと一緒に楽しんでいきたいです。また応援してもらえたら嬉しいです』
収録が終わった。
清白さんが水を渡し、タレントさんの呼吸が落ち着くのを待つ。
姫野さんがこちらを見る。
「九」
「危ない内容はない。でも、運営側の責任を本人が背負いすぎ」
九さんがメモを指す。
「“気持ちが入りすぎた”だと、今回の原因を本人のテンションへ寄せて見える」
「蓮見」
「映像と音声に問題はありません。ただ、全体的に謝罪の比重が高い気がします」
私もSNSの投稿を見直した。
『本人に謝ってほしいわけじゃない』
『自分が悪いみたいな顔をさせないで』
『何を思ってるのかだけ聞きたい』
収録の中で、一番長かったのは謝罪だった。
でも、待たれているのは謝罪ではない。
「遠藤」
「は、はい」
「何が引っかかった」
「その……最初から最後まで、戻ってきてもらうために話しているように聞こえました」
「戻ってきてもらう?」
「また応援してほしい、とか……」
言葉を探す。
「でも、今のファンの人たちは、戻るか決める前に……タレントさんが運営に使われていないかを見ている気がします」
蓮見さんが該当する投稿を表示する。
「本人への謝罪要求より、運営責任を背負わされることへの警戒が多く確認されています」
――画面の向こうで、清白さんがタレントさんを見る。
『今、一番言いたいことは?』
すぐには答えなかった。
少し考えてから、タレントさんが口を開く。
『無理してほしかったわけじゃない、です』
一度、唇を結ぶ。
『また見に来てほしい。でも、今すぐ前と同じ気持ちに戻って、って言うのも違う気がして』
清白さんは続きを待つ。
『また見たいと思った時に、戻ってこられる場所にしたいです』
SNSで見た言葉が浮かんだ。
『それでもファンでいていいよね?』
『今は少し離れたい。でも、それで裏切ったことになるのかな』
「今の言葉……残した方がいいと思います」
自分から声が出ていた。
「“戻ってきてほしい”だけだと、戻らなきゃいけないみたいに聞こえるかもしれません。でも、“戻ってこられる場所にしたい”なら……急がせていないので」
九さんが頷く。
「企画は続けたい。でも、今すぐ楽しめとは言わない。そこは両立するね」
もう一度、収録を始める。
『今すぐ、前と同じ気持ちに戻らなくても大丈夫です』
そこまではよかった。
『少し離れていても……また一緒に楽しみたいと思った時に、見に来てくれたら……』
声が硬くなった。
意味は間違っていない。
けれど、少しだけ、お別れのように聞こえた。
「一旦ストップ」
姫野さんが言った。
収録が止まる。
「どうだ、遠藤」
「言葉は合っていると思います。でも……離れていく人を送り出しているみたいに聞こえました」
「なるほどな……なら、どう変える?」
説明しようとする。
けれど、間や語尾の違いを言葉にできなかった。
「一度……私が読んでもいいでしょうか」
言った瞬間、心臓が跳ねた。
姫野さんはすぐに許可しなかった。
「条件は?」
「文章を固定してください。あと……できれば皆さん、こちらを見ないでください」
九さんが即座に椅子を回した。
「視線撤収」
蓮見さんも、私の画面からスタジオ映像を消す。
残ったのは、一文だけだった。
【今すぐ気持ちを戻さなくても大丈夫です。少し離れていても、また一緒に楽しみたいと思った時に、見に来てくれたら嬉しいです】
「三十秒だけだ」
姫野さんが言う。
「評価じゃねぇ。聞こえ方の確認だけしろ」
「……はい」
――文字を見る。
上手に読もうとは考えない。
聞いた人が、追い出されたと感じないか。
それだけを確かめる。
「今すぐ、気持ちを戻さなくても大丈夫です」
いつものように、声が喉の奥で潰れなかった。
文字だけを見ている間、その声は、押しつけるでも引き止めるでもなく、モニターの向こうへまっすぐ渡った。
「少し離れていても――また一緒に楽しみたいと思った時に、見に来てくれたら嬉しいです」
言い終えたあと、一拍だけ返事がなかった。
――そしてスタジオ側から、息を吸う音が聞こえた。
『あ……今の』
タレントさんの声だった。
『同じ言い方をしたいんじゃなくて……何を言いたかったのか、分かった気がします』
清白さんが尋ねる。
『ん?何を?』
『戻ってきて、じゃなくて。戻りたいと思った時に、まだここにいるよって言いたかった』
胸の奥が熱くなる。
「遠藤」
「ひゃい」
姫野さんたちが、一瞬だけ顔を見合わせた。
「正常だな」
「おっけ、鳴き声復帰。終了ヨシ」
九さんが頷く。
「なんか腑に落ちないです……」
「暫定ルールは継続だ」
姫野さんが、蓮見さんの画面を指した。
「SNSは蓮見が選んだ反応だけを見る。一回八分。収録が途中でも、時間が来たら一度外れろ」
「……はい」
「自分で延長すんなよ」
「しません……たぶん」
「今ので監視強化です」
蓮見さんがタイマーを表示した。
「なんで自分から墓穴を掘るんですか……」
蓮見さんは音声モニターを見ていた。
「『離れていても』で押し出さず、その後の言葉へつないだため、拒絶ではなく選択肢として聞こえました」
私には説明できなかったものを、蓮見さんが言葉へ変える。
「今の声を本人へ再現させるなよ」
姫野さんが言った。
「声真似の収録じゃない。意味を確認しただけだ」
『分かってるよ』
――清白さんがタレントさんへ向き直る。
『アオちゃんと同じように言わなくてもいいよ。今、自分の中に戻ってきた言葉を、自分の声で話してごらん』
『……はい』
収録が再開された。
『みんなへ。少し落ち着いたので、今の気持ちを自分の言葉で話します』
声は震えていた。
けれど、急いではいない。
『無理してついてきてほしかったわけではありません。全部見たり、全部買ったりしてほしかったわけでもありません』
『私は、周年をみんなと一緒に楽しみにしていました。その気持ちは、今も変わっていません』
一度、呼吸を整える。
『今回の経緯や対応については、運営から説明があります』
『私は、私が本当に伝えたかったことを話します』
最後に、小さく息を吸った。
『今すぐ、前と同じ気持ちに戻らなくても大丈夫です』
声は、私の声とは違った。
配信で何度もファンへ話しかけてきた、その人自身の声だった。
『少し離れていても、また一緒に楽しみたいと思った時に、見に来てくれたら嬉しいです』
――収録が終わる。
終わった後も、すぐには誰も口を開かなかった。
『今の言葉を、公開したい?』
清白さんが確認する。
『はい。今のは、私が言いたかったことです』
「九」
「確認できてない事実には触れてない。運営責任も背負わせてない」
「蓮見」
「編集は音量調整と前後の処理だけにします。間は残します。字幕も全文を同じ大きさで表示します」
昨日は、字幕が声を塗り替えた。
今度は、余計な強調を足さない。
「遠藤。今の反応と、ズレはあるか」
――SNSを見る。
『本人の言葉が聞きたい』
『無理に出てこなくていい』
『今すぐ前みたいに応援できるかは分からない』
『周年を楽しみにしていた気持ちまで、なかったことにはしたくない』
「……大きくは離れていないように見えます」
それでも、断定はしなかった。
「ただ、その……公開後も、運営が言わせたと思う人はいる……と思います」
「そりゃ、そう受け取る奴もいる」
姫野さんは即答した。
「全員を納得させる動画なんか作れるわけない。だから、本人の意思をねじ曲げてないかだけ確認する」
清白さんが、画面越しに頷く。
『じゃ、最終映像を本人にも見てもらって、公開するかもう一度決めるね』
「頼む」
収録データが保存された。
公開されるのは、私の声ではない。
私の声は、タレントさんが自分の言葉へ戻るまでの間を、一度だけつないだ。
それだけだった。
動画が届くかは分からない。
信じてもらえる保証もない。
――それでも今度は、画面の向こうへ渡す言葉が、運営の作った別の声へ変わってはいなかった。




