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第20話:チーム遠藤、活路を見出す


九さんが修正した初期声明案を広報チャンネルへ送ったあと、フロアの空気がわずかに変わった。


火はまだ消えていない。

SNSでは、VSPの名前が燃え続けている。


それでも、何を混ぜてはいけないのかは見え始めていた。


運営が説明すべき責任。

タレントさんにしか話せない気持ち。

企業や素材に関する、確認途中の事実。


次に必要なのは、それらを分けたまま、外へ出す言葉へ変えることだった。


「初期声明は広報確認待ち。法務チェックはこっちで継続」


九さんが画面を見ながら言う。


「本人からの発信は?」


姫野さんが聞いた。

蓮見さんがモニターを切り替える。


「清白さんが本人の意思を確認中です。形式も含め、まだ決定していません」


「先に動画ありきでは進めねぇ」


姫野さんが即座に言った。


「本人が何を伝えたいかを確認してからだ」


「はい」


蓮見が頷く。


「ただ、ファンが一番聞きたいのは本人の声です。運営声明だけでは、届かない層があります」


九も頷いた。


「声明文は火を冷やせる。でも、温度を戻すには本人の言葉がいる」


温度を戻す。


その言葉に、姫野は短く息を吐いた。

今回、燃えた原因の一つは、温度のズレだった。


音声の温度。

字幕の温度。

ファンが受け取った温度。


それを戻すには、本人の言葉と、運営の説明を切り分けなければならない。

そして、そのためには、アオが拾ってきたものが必要だった。


姫野は、少し離れた席を見る。


「遠藤、戻れるか」


アオの肩が跳ねる。


「ひゃい」


鳴いた。

姫野、蓮見、九の三人が一瞬だけ顔を見合わせる。


「お、正常だな」


「素晴らしい鳴き声です」


「鳴き声確認ヨシ」


「どんどん人間扱いされなくなっていく……」


アオがか細く抗議する。


その反応を見て、姫野は少しだけ安心した。

戻ってきている。

少なくとも、さっきのように目がどこかへ行ってはいない。


「今から、もう一回お前に投稿を見てもらう」


姫野は言った。


「ただし、さっきみたいに突っ走らせる気はねぇ」


姫野はモニター横に簡単なメモを出す。



【遠藤稼働ルール・暫定】

一、一回の作業は八分以内。五件に達した場合も終了。

二、「違和感」「仮説」「確認できた根拠」を分けて共有する。

三、蓮見さんが事実関係を検証し、九さんが対外利用の可否を判断する。

四、遠藤が中止を求めた場合は即時終了。続行を希望した場合でも、最終判断は姫野さんが行う。

五、呼びかけへの反応が遅れる、周囲への反応がなくなる、休憩指示後も作業を続けようとする場合は即時中止。



思ったよりも本格的だった。

しかも、タイトルの横に小さく【暫定】と書かれている。


「……私、危険物みたいになってませんか」


「扱いを間違えたら、お前自身が潰れるんだ。今はこれくらいでいい」


「そんな……」


九さんが、ルールの欄外へ一行書き加えた。


【鳴き声が消えたら要警戒】


「それは正式項目に入れないでください……」


「観測しやすいじゃん」


「人間の状態を鳴き声で確認しないでください……」


九さんは冗談めかして言った。

けれど、その目は笑っていなかった。


蓮見さんが、別の列を追加する。


【通常時の発話状態】


「記録しないでください……」


「比較対象が必要です」


「私の日常的な挙動不審が、正式な管理項目に……」


「安心しろ」


姫野さんが私の肩を叩いた。


「社外秘だ」


「違う、そうじゃない……」


小さな笑いが落ちた。


その間にも、九さんの画面では法務確認が進み、蓮見さんは拡散経路の整理を続けている。

姫野さんも、広報と制作の進捗を確認していた。


笑っていても、仕事は止まっていない。


「いいか、遠藤」


姫野さんが、もう一度ルールを指した。


「さっきの二の舞にするつもりはない」


「……はい」


「一回だけ異常に当たるやり方なんざ、仕事じゃねぇ。明日も明後日も安定して使える形にして、初めて運用だ」


言葉が胸へ落ちた。


もう一度、あの状態にならなければ役に立てない。

どこかで、そう思い始めていた。


けれど、姫野さんは最初から、それを求めていなかった。


「一人で全部見なくていい」


蓮見さんが、選別した投稿を別の画面へ表示する。


「時刻帯、拡散経路、主な論点が偏らないよう、こちらで代表例を抽出しました」


「片っ端から読ませたら、また処理量で飛ぶからね」







九さんが言う。


「アオちゃんは違和感を拾う。母集団の確認はカンナちゃん。外へ使えるかはウチ。続けるかはミカンちゃん」


「姫野だ」


「そこ今いる?」


「常にいる」


姫野さんはタイマーを八分に設定した。


「仕切り直すぞ」


「……はい」


「一件目」


蓮見さんが投稿を表示する。


『何でもいいから、本人が本当はどう思っていたのか聞きたい』


目で追う。

胸の奥に、小さく引っかかった。


「違和感は?」


姫野さんに聞かれる。


「えっと……『何でもいい』は、本当に何でもいいという意味ではない気がします」


「仮説は?」


「説明の内容より……本人さんが、自分で話していると分かることを求めている、のかもしれません」


「根拠」


投稿者の履歴を開く。

昨夜の投稿。

今朝の投稿。

「この人は、運営から説明が出ること自体には反対していません。でも、それだけだと本人さんの言葉か分からないって……」


蓮見さんが時刻と履歴を確認する。


「確認できました。運営声明を拒絶しているのではなく、本人の意思が別に示されることを求めています」


九さんが分類表へ加える。


【本人が自分の言葉で話していることの確認】


「謝罪要求ではないね」


「はい。たぶん……謝ってほしいより、奪われていないと知りたいんだと思います」


姫野さんが頷く。


「次」


二件目には、書かれている以上のものを見つけられなかった。


「違和感はありません。運営の失敗を、本人の謝罪で終わらせないでほしい。それ以上は、この投稿だけでは分かりません」


蓮見さんが頷き、九さんが【運営声明で扱う】へ移した。


無理に裏側を作らない。

見えないものは、見えないまま渡す。


三件目を開いたところで、タイマーが鳴った。


「あと二件――」


「終了」


「でも、五件まで……」


「八分か五件。先に来た方で終わりだ」


姫野さんが画面を閉じる。


「まだできます」


「ルール四」


「本人の自己申告は参考にしない……」


自分で読み上げて、肩を落とした。

九さんが笑う。


「ルール作った直後に、必要性を自分で証明するのやめて。説得力ありすぎて草」


「遠藤さん」


蓮見さんが紙コップを差し出す。


「休憩です」


「……はい」


紙コップを受け取る。

作業を止められることには、少し焦りがあった。


投稿は増えている。

今も誰かが傷ついているかもしれない。


それでも、先ほどのように何も見えなくなるまで続ければ、拾ったものを渡すことすらできなくなる。

水を一口飲んだ時、清白さんからチームチャットへメッセージが届いた。


『本人と話せたよ』


全員の視線が画面へ集まる。

続けて、長いメッセージが表示された。


『本人の了承を取ったので、本人が話した内容を、できるだけそのまま共有します』


その一文を見て、九さんが頷いた。


「メイカちゃん、所感と本人発言を分けてきたね」


清白さんからのメッセージが続く。


『「無理してついてきてほしかったわけじゃない」』

『「全部見て、全部買ってって言いたかったんじゃない。来られる時に来て、一緒に楽しんでほしかった」』

『「周年は中止したくない。売上のためじゃなくて、みんなと一緒に楽しみにしてきたものだから」』

『「心配してくれたファンに、自分たちが騒いだからこうなったと思ってほしくない」』


一行ずつ読むたび、昨日の配信で聞いた声が戻ってきた。


強くついてきてほしかった人ではない。

置いていかれるファンを作りたくなかった人だった。


本人の言葉を聞きたい。

本人に謝らせないでほしい。

企画を中止しないでほしい。

別々に見えた言葉が、本人の本音と重なっていく。


清白さんから、さらにメッセージが届く。


『今は泣いてる。でも、自分の言葉で話したいと言ってる』


姫野さんが、すぐに口を開いた。


「泣いてることは外へ出さない。いいな?」


「同意」


九さんも即答した。


「本人の涙は、事実確認の材料でも、火消しの素材でもない」


蓮見さんが、本人動画の欄を開く。


「現在の状態で、すぐに撮影することも避けるべきです」


「泣いてる本人を出せば、同情は集まるかもしれないな」


姫野さんは低く言った。


「でも、それをやったら、今度は運営の失敗を本人の涙で隠すことになる。また本人を使うだけだ」


言葉の届け方を、運営の都合で変える。

それが今回の始まりだった。

炎上を止めるためなら、本人の涙を使っていい。

そんなはずはない。


「……あの」


声が出た。

三人がこちらを見る。


「今すぐ話してもらうより……落ち着いてから、ご本人が自分で選んだ言葉で話してもらう方がいいと思います」


「全文台本は?」


蓮見さんが聞く。


「作りすぎない方が……」


言葉を探す。


「全部こちらで整えたら、また、誰の言葉なのか分からなくなるかもしれません」


九さんが頷いた。


「構成と地雷だけ共有。本文は本人の言葉を優先。それが妥当だね」


「事実と違う部分、先方との調整が必要な部分、本人に背負わせない部分だけ止める」


姫野さんが役割を分ける。


「本人へ何を言わせるかじゃない。本人が言いたいことの中から、今出しても本人を傷つけねぇ形を作る」


失言を防ぐなら、最初から最後まで整えた台本を渡すのが、一番安全に思えた。


必要な説明も漏れない。

余計な言葉も出ない。

けれど、その方法で本人に話してもらえば、また同じ疑いが残る。


運営が用意した言葉を、本人へ読ませているだけではないのか。

今回、取り戻さなければならないものを、同じ方法でもう一度遠ざけることになる。


「構成と、避けるべき表現だけ共有」


九さんが言った。


「本文は本人の言葉を優先。事実と違う部分、先方との調整が必要な部分、本人に背負わせちゃいけない責任だけ、こっちで止める」


姫野さんが頷く。


「本人に何を言わせるかじゃねぇ。本人が言いたいことを、本人を傷つけずに外へ出せる形へ整える」


清白さんから、次のメッセージが届いた。


『本人には、今すぐ撮影しないと伝えました。まず休んでもらいます』

『話す内容は、本人と一緒に決める。運営側だけで完成台本は作らない』


姫野さんが鼻から短く息を吐く。


「良い段取り。さすがだな」


九さんがメッセージを指で送る。


「んで、外へ出す順番」


画面へ三つの欄を作った。


【一、運営声明】


確認用投稿が一時公開された事実。

本人の最終確認を経ていない告知文と編集内容が含まれていたこと。

素材と外部共有について、現在確認している範囲。

責任の所在。

次の報告時期。


【二、本人メッセージ】


本人が本来伝えたかったこと。

周年を一緒に楽しみたいという意思。

ファンを責めていないこと。

運営上の失敗に対する謝罪は背負わせない。


【三、修正版告知】


本人確認済みの文脈。

素材利用条件の確認。

先方との合意。

公開日時の再調整。


「一個の長文で全部説明しない」


九さんが言う。


「運営の事実説明と、本人の気持ちと、企画の再告知。それぞれ役割が違うから」


「最初は運営声明だ」


姫野さんが決める。


「本人を出す前に、責任の所在をこっちへ戻す」


「そのあと、本人が話せる状態になってから本人メッセージ」


蓮見さんが続ける。


「最後に、権利関係と先方確認が完了した修正版告知です」


順番が決まっていく。


炎上しているから、すぐ本人を出す。

説明が必要だから、全部を一度に話す。

企画が危険だから、中止する。


どれも、早く決めたようには見える。


けれど、早いことと正しいことは同じではない。

姫野さんたちは、今すぐ鎮火するためではなく、その先で別のものを燃やさないために順番を決めていた。


清白さんから、もう一件メッセージが届いた。


『それと、アオちゃんへ』


名前が出た瞬間、紙コップを持つ手に力が入った。


『「無理しなくていい」を拾ってくれて、ありがとうって』


呼吸が止まる。

胸の奥が、急に熱くなった。


「遠藤」


姫野さんの声が飛ぶ。


「呼吸」


「は、はい……!」


慌てて息を吸う。


「魂は社内に置いとけ」


「努力します……」


「そこはハイと言えよ」


九さんが小さく笑った。

清白さんから、最後の一文が届く。


『返事はいらないって。今はちゃんと休んで、だって』


私は紙コップを見つめた。


「……私が、勝手に引っかかっただけなのに」


誰へ向けたわけでもなく、言葉が漏れる。


姫野さんは何も言わなかった。

蓮見さんも。

九さんも。


ただ、その言葉が消えるまで待っていた。

やがて姫野さんが、画面へ向き直る。


「よし。運営声明を確定に持ってく」


「りょ。本人責任に見える文言は全部落とす」


九さんが作業を再開する。


「蓮見。本人メッセージの構成は骨組みだけ作れ」


「本人の発言、確認事項、使用を避ける表現に分けます」


「遠藤は休憩継続」


「まだですか……?」


「お前、今また呼吸忘れただろ」


「……はい」


「ルール四」


本人の自己申告は参考にしない。

私は小さく紙コップへ口をつけた。


火は消えていない。


声明を出して、さらに燃える可能性もある。

本人の言葉が、疑われるかもしれない。

修正版の企画が、受け入れられないこともある。


まだ、何一つ成功していない。


それでも。


運営が説明すべきこと。

本人にしか話せないこと。

企画として改めて届けること。

それらを混ぜずに出す順番は決まった。


姫野さんが、広報チャンネルへ最終確認を送る。

九さんが法務上の表現を整える。

蓮見さんが、本人へ確認する骨子を作る。

清白さんは、タレント本人のそばにいる。

私はルールどおり、何もせずに休んでいた。


何もしないことが、今の自分に割り振られた仕事だった。

画面の端に、広報からの返信が表示される。


『運営声明案、代表確認へ回します』


姫野さんが、その一文を見た。


「ここからだな」


誰も、うまくいくとは言わなかった。

ただ、次に出す言葉を、もう一度誰かから奪わないための準備だけが進んでいた。


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