第18話:コミュ障、怪物の片鱗を見せる
清白さんから届いたメッセージを見て、私はしばらく動けなかった。
『本人は、“無理しなくていい”が消えたのが一番つらかったって』
当たっていた。
いや、当たってほしくなかった。
私が感じた違和感は、ただの思い込みではなかった。
あの人の声は、本当にそこで折れていた。
「遠藤」
姫野さんの声がした。
「口から魂が出かかってんぞ」
「うっ……す、すいません」
私は思わず手で自分の口を塞いだ。
そんな私の様子に、九さんが小さく吹き出した。
「アオちゃん大丈夫そ?魂の規約でも作っとく?」
「やめてください……私の魂にリードを繋ごうとしないでください……」
「リード……!」
「ここぞとばかりに割り込んでこないでください、蓮見さん……」
ほんの少しだけ、場の空気が緩んだ。
でも、火はまだ消えていない。
画面へ戻る。
次の投稿へ印をつける。
すぐに蓮見さんの画面へ時刻と引用元が並び、九さんの分類表へ新しい項目が増えた。
姫野さんが、広報へ短い指示を飛ばす。
私の気づきだけで、何かが決まるわけではない。
そう言い聞かせて、次の投稿を開いた。
『今回の件、本人が悪くないのは分かるけど、何を信じればいいのか分からない』
胸の奥に引っかかる。
「これは……」
言葉が続かない。
姫野さんが待っている。
急かさない。
ただ、次の言葉を待っている。
「本人を……疑っているというより、その……本人と、運営と、告知の、どれを信じたらいいのか……分からなくなってる気がします」
「根拠は?」
「この人、昨日までは本人の言葉を待つって書いてました。でも、今は……本人が話しても、運営が用意した言葉かもしれないって」
蓮見さんが投稿履歴を確認する。
「確認できました。昨夜二十三時四十八分には、本人の説明を待つという投稿があります」
九さんが分類表へ入力した。
【本人ではなく、言葉の出所に対する不信】
「これは声明で本人の気持ちまで説明すると危ないやつだね」
「本人の代わりに話したように見える?」
姫野さんが聞く。
「その可能性ある。まだ一件じゃ決められないけど」
私は次の投稿を開いた。
『本人の口から説明してほしい』
その下には、別の投稿が並んでいる。
『本人に謝らせるのだけは絶対やめて』
反対のことを言っているように見えた。
本人に出てきてほしい。
本人を出さないでほしい。
「……同じ、かもしれません」
「何が?」
姫野さんが聞く。
「言ってることは逆なんですけど……」
二つの投稿を並べる。
「どっちも、本人の言葉を……運営に使われたくないんじゃないでしょうか」
九さんの指が止まった。
「続けて」
「こっちは、本人が自分で選んだ言葉を聞きたい。こっちは、運営の失敗を本人に謝らせたくない」
うまく説明できているか分からない。
それでも、画面に見えた違いを追う。
「出てほしい人も、出てほしくない人も……守ってほしいものは、同じなのかもしれません」
蓮見さんが二つの投稿の拡散元を確認する。
「両方とも、タレント本人への批判はほとんどありません」
「本人を出すか出さないか、だけで決めたらダメってことか」
姫野さんが広報への指示を止める。
「本人説明の準備は続ける。ただし、初期声明と同時に出すかは保留」
「それがいい」
九さんが答えた。
「まだ本人を前に出す理由も、出さない理由も固まってない」
私は次へ進む。
『素材規約も守れない会社が、タレントを守れるわけない』
『誤爆した企業に全部押しつける気じゃないだろうな』
『どうせ数字のために強い言葉へ変えたんでしょ』
投稿は、もう告知文だけを見ていなかった。
素材。
外部企業。
事務所の方針。
過去の出来事まで持ち出されている。
「この人は……」
投稿履歴を開く。
配信への感想は見つからない。
VSPについての投稿も、今回の炎上以降に始まっている。
「タレントさんの言葉より、事務所の管理を見ています」
「ファンじゃないのか?」
姫野さんが聞く。
「分かりません。ただ……少なくとも、履歴には配信を見ていた形が残ってないです」
「推測で属性を決めないのは正解です」
蓮見さんが投稿時刻を記録する。
「今回の件を、企業管理上の問題として見ている層と分類します」
次の投稿。
その次。
さらに、その次。
タレントさんを心配する言葉。
素材規約を追及する言葉。
企業への責任転嫁を警戒する言葉。
以前からVSPを嫌っていた人の言葉。
騒ぎを見つけて、強い言葉だけを引用している人の言葉。
最初は、全部が同じ炎に見えた。
けれど、少しずつ違う形が見えてくる。
「……入口が、違います」
もう、次の言葉は喉へ引っかからなかった。
「入口?」
「この人たちは、タレントさんの言葉から入っています」
印をつける。
「この人たちは、素材規約から」
別の印。
「この人たちは、企業案件の管理からです」
九さんが画面を覗き込む。
「でも、今は全員同じタグ使ってるね」
「はい」
「別々の理由で来た人が、同じ炎上に合流してる?」
姫野さんが聞く。
私は、まとめアカウントの投稿を開いた。
『VSP周年企画、タレントへの圧力・素材規約違反・内部情報流出へ発展か』
三つの疑惑が、一枚の画像へ並べられている。
投稿前。
投稿後。
同じアカウントの言葉を追う。
『本人の説明を待つ』
が、
『運営に言わされても信用できない』
へ変わっていた。
『素材は確認中じゃない?』
それが、
『どうせ規約違反を隠すつもりだ』
へ変わっている。
一つの投稿を境に、疑問形が減っていた。
「蓮見さん」
自分から名前を呼んでいた。
「はい」
「まとめ投稿の前後で、同じ人の投稿を重ねてもらえますか」
「……承知しました」
一瞬だけ、蓮見さんの返事が遅れた気がした。
複数の投稿が、時刻順に並べられる。
午前二時十三分。
まとめ投稿。
その直後から。
本人を待っていた人が、本人を疑い始める。
確認を求めていた人が、隠蔽を疑い始める。
企業を責めるなと言っていた人まで、VSPが責任を押しつけるのではないかと警戒し始める。
「……情報が増えたからじゃない」
口から言葉が出た。
「何だ?」
姫野さんが聞く。
「まとめ投稿のあと、新しい事実はほとんど出ていません」
画面を切り替える。
「素材規約は、まだ確認中。管理表示にも、個人情報は入っていない。編集の問題も、昨日から変わっていません」
「それでも、反応だけが変わった」
蓮見さんが言った。
「はい」
次の言葉が、喉へ引っかからなかった。
「まとめ投稿が作ったのは、情報の一覧じゃないです」
全員の視線がこちらへ向いた。
だが、まるで気にならなかった。
画面の中にある言葉だけを見ていた。
「VSPが、どういう会社なのかっていう……一つの話です」
九さんの表情から、軽さが消えた。
「話?」
「タレントさんに強い言葉を言わせる会社」
一つ。
「素材の規約を守らない会社」
二つ。
「確認用の情報も管理できない会社」
三つ。
「本当は別々の問題なのに、並べたことで……全部が、同じ理由で起きたように見える」
――周囲の音が遠ざかっている。
キーボード。
電話。
誰かの足音。
少しずつ消えていく。
残るのは、画面の文字だけだった。
「事故が、会社の意思に変わったんです」
誰も口を挟まなかった。
「数字を優先する会社だから、タレントさんの言葉を変えた」
画面を追う。
「数字を優先する会社だから、素材確認も急いだ」
次。
「数字を優先する会社だから、確認用の動画まで外に出した」
それぞれに、本当に同じ原因があったかは分からない。
けれど、SNSではもう、一つの理由で説明され始めている。
「その話を信じたあとだと……何を言っても、その中に入れられます」
言葉が止まらない。
「素材に問題がなかったと言えば、隠そうとしたように見える」
「先方の名前を出さなければ、かばっているように見える」
「本人が説明すれば、言わされているように見える」
「本人を出さなければ、口を塞いだように見える」
九さんのペンが止まっていた。
蓮見さんの手も、キーボードの上で動いていない。
姫野さんが、こちらを凝視している。
――それすらも、私の目には映っていなかった。
「一つずつ否定するだけじゃ……たぶん、戻りません」
声はもう、喉の奥で潰れなかった。
何度も言い直さなくても、考えたものがそのまま言葉になる。
「今、壊れているのは……言葉そのものじゃないです」
最初に印をつけた投稿を開く。
『彼女がこんな言い方するの、信じたくない』
その次。
『本人の言葉を聞くまでは待つ』
そして。
『もう本人が何を言っても、運営に言わされてるようにしか見えない』
「誰の言葉なのかを、信じる場所です」
フロアから、音が消えた。
「運営が、本人の気持ちまで説明したら……また、本人の声を奪ったように見える」
「本人に、運営の失敗まで説明させたら……今度は、本人を盾にしたように見える」
画面の中で、二つの投稿が並んでいる。
本人から聞きたい。
本人に謝らせるな。
「この二つは、反対じゃない」
誰かに聞かれていることも。
自分が何を話しているのかも。
もう、ほとんど意識していなかった。
「混ぜないでほしいんです」
一つずつ。
見えているものを置いていく。
「運営の責任と、本人の気持ちを」
「事実の確認と、感情の説明を」
「会社が守るべきものと、本人にしか言えないことを」
息を吸う。
不思議と苦しさはない。
「最初の声明で、全部を解決しなくていい」
自分のものではないような声が、静かにフロアを通った。
「でも、誰の責任で、誰の言葉なのか。その境目だけは、先に戻さないといけない」
九さんが、ゆっくり資料へ視線を落とした。
蓮見さんは、私が開いた投稿群を見ている。
姫野さんは何も言わない。
「表では、三つの問題が燃えています」
編集。
素材。
外部共有。
「でも、ファンの中で燃えているものは、一つです」
画面に、タレントさんの元配信が残っている。
無理はしなくていい。
全部追わなくていい。
生活を優先していい。
「VSPは、この人の言葉を預けてもいい場所なのか」
その瞬間。
それまで別々に見えていた投稿が、一つの線でつながった。
「守るのは、素材だけじゃない」
言葉が落ちる。
「契約だけでも、企業との関係だけでもない」
もう、迷いはなかった。
「タレントさんの声と、ファンが信じてきた距離です」
――その瞬間、場の空気が変わっていた。
けれど、私は気づかなかった。
ただ、最後の投稿を見ていた。
まだ何かある。
まだ拾えるものがある。
そう思って、次の画面へ進もうとした。
その時だった。
「遠藤」
姫野さんの声がした。
私はようやく顔を上げた。
姫野さんが、目を見開いていた。
九さんは、普段の軽い顔を忘れたみたいにこちらを見ていた。
蓮見さんは、完全に手を止めていた。
「……え?」
そこで初めて、私は自分が何か変なことをしたのだと気づいた。
「い、今、私……何か……?」
言葉を続けようとした瞬間、世界が戻ってきた。
音。
視線。
人の気配。
自分の心臓。
全部が一気に戻ってきた。
「…………」
無理だった。
処理できない。
今、何をした。
何を言った。
誰の前で。
何のテンションで。
「ぷしゅぅ………」
変な音が出た。
というか口から煙が出た。
「お、おい、遠藤?」
姫野さんが近づく。
「大丈夫か?顔色悪いぞ」
「ちょっと……頭が……」
「頭?」
「頭が、オーバーヒートしたみたいで……」
「よく分からねぇけど休め」
蓮見さんが、ものすごい速度で私の前に水を置いた。
「糖分も必要です。チョコあります」
「なぜ……」
「小動物の緊急補給用に」
「小動物って私のことですか……?」
「はい」
「はいじゃないですけど」
でも、チョコは受け取った。
九さんが、少しだけ息を吐いた。
「うん。ガス欠だね、完全に。むしろよく保ったまである」
「九さん……」
「アオちゃん、完全にキマッてた。ゾーンっていうか、覚醒?的な」
「……か、覚醒?」
覚醒なんて大層なことはしていない。
ただ無我夢中に、目の前にある人の感情に手を伸ばし続けただけだ。
――何なら、途中から完全に無意識だったし。
姫野さんが、私の肩に手を置いた。
いつもより、少しだけ優しい手だった。
「遠藤。少し休め」
「でも、まだ投稿が……」
「休め」
声が強くなる。
私は反射的に背筋を伸ばしかけたが、体がついてこなかった。
画面の端に、見覚えのない列が増えていた。
【事実が変わった地点】
その隣。
【物語が変わった地点】
さらに、その隣。
【誰の言葉かを信じられなくなった地点】
自分で作ったはずだった。
けれど、いつ作ったのか思い出せない。
「お前、今かなり無理したろ。目が完全にどっか行ってたぞ」
「だから、休め。これは命令」
「……はい」
私は小さく頷いた。
蓮見さんが、チョコの包装を開けてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます……」
「食べてください。さっきの遠藤さんは、かなり貴重でした」
「餌付けしながら観察しないでください……」
「努力します」
「善処じゃないんですね……」
「進歩しました」
九さんが「いや草」と小さく笑った。
その笑い声が、少しだけ事務所の空気を柔らかくする。
私はチョコを口に入れながら、ぼんやりと思う。
甘い。
脳に染みる。
オーバーヒートした脳内が少しだけ鎮火する。
でも、完全に止まっているわけではない。
さっきの声は、もう出ないかもしれない。
あの澄んだ感覚は、自分ではよく分からなかった。




