第17話:コミュ障、最前線に立つ
私は、机の上に置いた自分の手を見ていた。
投稿へ印をつける。
そのたびに、蓮見さんが時刻と引用元を確認した。
九さんが、対応時に触れられる内容かを分ける。
姫野さんは、必要なものだけを広報や関係部署へ送っていく。
私が見つけたものは、そのまま外へ出ない。
誰かが確かめる。
誰かが言葉へ変える。
誰かが、その言葉を使うか決める。
その流れが、少しずつでき始めていた。
「これ……同じ人なんですけど」
投稿者の履歴を開く。
「昨夜は、本人の言葉を待つって……でも、今は、何を言っても信じられないって」
「時刻は?」
姫野さんに聞かれ、画面の隅を見る。
「午前二時二十七分、です」
「まとめ投稿の直後ですね」
蓮見さんが拡散記録へ追加する。
「前後の投稿も確認します」
「本人の言葉を求めてた層まで、本人の発言を信用できなくなってるなら、声明の出し方かなり危ないね」
九さんのネイルが、机を一度叩いた。
「本人を前に出せば解決、ではないってことじゃん」
「まだ、そこまでは……」
慌てて首を振る。
「私が、そう見えただけで……」
「だから、今から確かめる」
姫野さんが言った。
断定する声ではない。
私の気づきを、そのまま答えにしない人の声だった。
「一回、手を止めて」
清白さんの声が、フロアを通った。
大きな声ではない。
それでも、姫野さんの手が止まる。
蓮見さんがキーボードから指を離した。
九さんも、開いていた資料から顔を上げる。
清白さんは、私たちの画面を順番に見た。
「蓮見ちゃん。今の分類、使えてる?」
「使えています」
蓮見さんが、昨夜と今朝の投稿一覧を表示する。
「遠藤さんが印をつけた投稿から、拡散経路と反応の変化を追跡できています。ただし、遠藤さんの印だけで確定はしていません。時刻、引用元、前後の投稿をこちらで検証しています」
「キューちゃんは?」
「一次整理としては普通に有用」
九さんが、分類表を指先で弾いた。
「ただ、感情の推測をそのまま声明には使わない。事実確認と、外へ出せる言葉の線引きはウチがやる」
「姫野」
「拾ったもんを、どの部署に回すかはアタシが決める」
姫野さんはモニターから目を離さなかった。
「全部を追う人手はねぇ。遠藤が止まったところから、優先順位をつける形なら回せる」
清白さんが頷く。
三人とも、迷わず答えていた。
私が画面へつけた小さな印が。
蓮見さんの調査へ渡る。
九さんの確認へ渡る。
姫野さんの指示へ変わる。
その流れを、清白さんはしばらく黙って見ていた。
「分かった」
タブレットを机へ置く。
「編成を変える」
姫野さんが椅子を回した。
「どうする」
「アオちゃん」
清白さんの声がした。
顔を上げると、清白さんはフロアの中央に立っていた。
いつものふわふわした笑顔はない。
軽さもない。
そこにいたのは、ただ真っ直ぐに事態を見ている人だった。
「お願いがある」
その声だけで、背筋が伸びた。
姫野さんも、蓮見さんも、九さんも、清白さんを見ていた。
「今から貴女を中心に置きたい」
私は、意味が分からなかった。
中心。
私を。
何の。
この状況で中心という言葉が出るのは、たぶん良くない。
私の人生経験上、中心に置かれるとだいたい失敗する。
中心とは危険地帯である。
人類はもっと隅を大切にするべきだ。
「あ、あの……中心とは……」
声が情けなく裏返った。
清白さんは、私を見たまま言う。
「アオちゃんを、対応チームの起点に置く」
「え……?」
「投稿の裏側にある感情。何に傷ついてるのか。何に怒ってるのか。何を怖がってるのか。そこを、まずアオちゃんに拾ってもらう」
無理。
真っ先に、それが浮かんだ。
「む、無理です……!」
私は、反射で言っていた。
「私にそんなこと、できるはずがない……!」
考えるより先に、声が落ちた。
清白さんは笑わなかった。
「何が怖い?」
何が。
全部だった。
それでも、一つだけ選ぶなら。
「私が……最初になることです」
「最初?」
「私が変だって言ったら、皆さんが動くんですよね」
清白さんは、すぐには答えなかった。
それが肯定に思えて、指先が冷たくなる。
「それで、私が間違っていたら……」
自分が間違えることより、その間違いでこの人たちを動かすことの方が怖かった。
「アオちゃんの言葉だけでは動かさないよ」
清白さんが、私の画面を指した。
「アオちゃんが、引っかかった場所へ印をつける」
次に、蓮見さんを見る。
「蓮見ちゃんが、時刻と引用元を調べて、根拠を確かめる」
「承知しました」
「キューちゃんが、外へ出せる情報と、まだ出せない情報を分ける」
「そこはウチが止める」
「姫野が、どこから動かすか決める」
「優先順位と他部署への指示はアタシが持つ」
最後に、清白さんは自分の胸へ手を置いた。
「採用するか決めるのは、あたし。何を外へ出すか決めるのも、あたし。結果の責任を取るのも、あたし」
誰も異議を挟まなかった。
姫野さんさえ、何も言わずに清白さんを見ている。
普段は、姫野さんをからかっては怒られている人なのに。
今は、その一言で三人の役割が決まっていく。
――いつもの「スズちゃん」ではない。
目の前の清白さんが、急に遠く見えた。
「……清白さんって」
私は、思わず呟いていた。
「一体、何者なんですか……?」
言ってから、自分でも驚いた。
このタイミングで?
今?
大炎上中の事務所で?
人類の会話として成立している?
たぶん成立していない。
けれど、口から出てしまったものはしゃーない。
姫野さんが目を見開いた。
蓮見さんが固まった。
九さんが「え、そこ?」という顔をした。
そして、清白さんは。
「あれ?」
――さっきまでの風格が、ふっと消えた。
「私、言ってなかったっけ?」
「えっ」
私は固まった。
姫野さんが、額に手を当てる。
「たぶん……言ってねぇな」
「スズちゃん、マジで言ってなかったん?」
九さんが目を丸くする。
「たぶん、面接の時にふわっと言った気がする」
「ふわっとで済ませる肩書きじゃないんよ」
蓮見さんが、静かに言った。
「遠藤さんは、清白さんが何者かを知らずにスカウトされていた……?」
その言い方が、なぜか研究報告みたいだった。
やめてほしい。
私は実験体ではない。
たぶん蓮見さんの中ではモルモットだけど。
「あー、えっとね」
清白さんは、自分を指さした。
「改めまして。私、VSPの運営統括プロデューサーの清白メイカです」
時間が止まった。
運営。
統括。
プロデューサー。
単語が、頭の中で一つずつ転がる。
つまり。
事務所の。
かなーり。
ものすごーく。
エライ人。
「…………ひゅっ」
私は、口を開けた。
声は出なかった。
代わりに、何かが出た。
魂だった。
たぶん。
私の魂は、口からふわっと出て、天井近くまで浮かんだ。
あ、天井。
昨日の二割がいた場所だ。
こんにちは。
また来ました。
「遠藤ぉぉぉぉぉ!」
姫野さんの声が聞こえた。
次の瞬間、姫野さんが私の肩を掴んだ。
「戻れ!今、幽体離脱してる場合じゃねぇ!」
「遠藤さんの魂、天井付近にあります」
蓮見さんが冷静に報告する。
そして、清白さんが天井を見上げる。
「今日はずいぶん高いね」
「言ってる場合か!」
九さんが、笑いをこらえながら口元を押さえていた。
「待って、情報量キャパい。アオちゃん、運営統括だって知らずにスカウト受けてたの?事件性高すぎワロタなんだけど」
「事件は!今!現場で起きてんだよ!」
どこぞの湾岸署の巡査部長のような口ぶりで、姫野さんが私の背中をぶっ叩いた。
「遠藤、戻ってこい!深呼吸しろ!」
「……はっ!」
私は言われるまま、息を吸った。
魂が戻ったかどうかは分からない。
ただ、肺には空気が入った。
世界が少しだけ戻る。
清白さんが、少し困ったように笑っていた。
「ごめんね、アオちゃん。言ってなかったね」
「い、いえ……グフッ……こちらこそ、存じ上げず……大変失礼を……」
「いまグフッって言った?」
九さんが小さくツッコむ。
姫野さんは、私の肩を支えたまま言った。
「いいか遠藤。スズちゃんはエライ。エラそうとかじゃなくて実際かなりエライ。事務所で社長の次にエライ」
「むふーん」
「でも、今まで通りでいい」
「今まで通り……」
清白さんを見る。
胸を張っている。
威厳は、すでに半分くらい消えていた。
でも。
この人は、ただふわふわしているだけではない。
姫野さんのような、VSPの精鋭たちを束ねている人だ。
――そして、誰にも届かなかった私を、最初に見つけた人。
今、その人が私を必要だと言っている。
「アオちゃん」
清白さんが、改めて私を見た。
さっきの圧は少しだけ和らいでいる。
でも、真剣さは消えていなかった。
「どうか、私たちに力を貸してください」
静かな声だった。
命令の形ではなかった。
肩書きで押し切る声でもない。
本当に、私の力を必要としている人の声だった。
私は、息を呑んだ。
人生で、ここまで真っ直ぐに必要とされたことがあっただろうか。
目も合わせられない。
返事は鳴き声になる。
送信ボタンに怯える。
観葉植物に会釈する。
そんな私が。
今、この大炎上の真ん中で。
力を貸してほしいと言われている。
怖い。
無理だと思う。
逃げたいと思う。
でも。
昨日、あの一文を見た時、私は嫌だと思った。
あの人の声が、違う形で届くのは嫌だった。
なら。
私がここで全部できる必要はない。
上手に言える必要もない。
震えながらでもいい。
ただ、気づいたものを手放さないこと。
それだけは、しなければいけない。
私は、震える手を握った。
「……わ、私に、できることがあるなら」
声は、やっぱり震えていた。
それでも、握った手を机の下へ隠さなかった。
「やります」
姫野さんが、私を見ていた。
蓮見さんも。
九さんも。
清白さんも。
私は、深く息を吸った。
「その……ちゃんとできるか分かりません。たぶん、途中でまた固まります。魂も抜けるかもしれません」
「魂は抜くな」
姫野さんが即座に言った。
「検討します……」
「そこは断言しろ」
「前向きに検討することを検討します……」
「政治家か」
九さんが小さく笑う。
その笑いで、ほんの少しだけ空気が戻った。
「でも、気になったところは言います」
私は、画面を見た。
燃えている言葉。
怒っている言葉。
悲しんでいる言葉。
傷ついた言葉。
その向こうにあるものを、全部正確に読めるわけではない。
でも、昨日みたいに。
何かが違うと思ったなら。
その声が、違う形になっていると思ったなら。
「怖くても……言います」
清白さんが、静かに頷いた。
「ありがとう」
その一言だけで、胸が詰まった。
姫野さんが、私の肩を軽く叩く。
「優先順位と他部署への指示はアタシがやる。お前は勝手に全部抱えんな」
「はい」
蓮見さんが、隣のモニターへ時系列を表示した。
「投稿時刻、引用元、拡散経路はこちらで確認します。感覚だけで説明する必要はありません」
「はい」
九さんが共有資料を開く。
「出せる情報と、まだ出せない情報はウチが分ける。変な単語使いそうになったら止めるから、そこは任せて」
「……はい」
「対応文まで行ったら、最後は読み合わせもする。文字だけでオッケー判定はしない。そこは後ね」
清白さんは、タブレットを持ち直した。
「私はタレント本人と話してくる。アオちゃんが拾ったものと、本人の言葉を繋げる」
「……はい」
一人でやる仕事ではなかった。
私の前には、炎上した投稿。
隣には、蓮見さん。
後ろには、姫野さん。
九さんは、同じ資料を開いている。
清白さんは、タレント本人へ繋がっている。
中心は危険地帯だと思っていた。
けれど、ここには一人で立っているわけではない。
「始めるぞ」
姫野さんの声が落ちる。
私は画面を見た。
怖い。
文字の多さだけで、喉が狭くなる。
それでも、最初の投稿を開く。
一つの言葉へ印をつけた。
その瞬間。
私の周りで、四人が同時に動き始めた。




