プロローグ②
そして、オーディション当日。
アオは会場の前で、すでに帰りたくなっていた。
早い。
まだ受付もしていない。
だが、帰りたい。
入口から漂ってくる「ちゃんとした人たちが集まっています」感に、アオの自尊心が秒で蒸発していた。
周囲には、応募者らしき人たちがいた。
明るそうな人。
すでに隣の人と仲良くなっている人。
自己紹介の練習をしている人。
なぜみんなそんなに生命力が高いのか。
アオは心の中で思った。
ここはオーディション会場ではなく、陽キャの品評会なのでは。
だとしたら私はなぜここにいる。
展示ミス?
「次の方、どうぞ」
スタッフに呼ばれ、アオは面接室へ入った。
目の前には、複数の面接官。
机。
椅子。
静かな空気。
そして、こちらに向けられる視線。
アオの喉の門番が、即座に札を下げた。
ごめん、妹よ。私、もうダメみたい。
「遠藤アオさんですね。まずは簡単に自己紹介をお願いします」
「あ、え、えっと……遠藤、アオ、です……その……あの……声、が……」
声が小さい。
自分でも分かった。
持ち前の一級品の声とやらは、どこにもいなかった。
今ここにいるのは、布団の中から出たくない朝の声だった。
「Vtuberを志望した理由を教えてください」
「えっと……その……配信を、見て……すごく、きれいで……あ、いえ、声が……声というか、存在が……その、私も……あ、でも、私なんかが、とか、そういう……すみません……」
喋れば喋るほど、言葉が絡まっていく。
毛糸玉が猫に襲撃されたみたいになっていく。
「あの、緊張されていますか?」
「はい」
即答だった。
そこだけは、非常に明瞭だった。
面接官たちが微妙に優しい顔をした。
優しい顔。
その優しさが、逆に痛い。
アオは悟った。
落ちた。
これは落ちた。
もう今この場で、合否通知の幻聴が聞こえる。
残念ながら、今回はご縁がありませんでした。
ご縁?ご縁ってなんだろう?
私と社会の間には、たぶん最初から縁が結ばれていない。
その後の実技も、惨敗だった。
用意していた台詞は飛び、自己PRは消え、質問への返答はだいたい「あ、えっと」と「すみません」で構成された。
一級品の声?
知らない子ですね。
結果は、ほとんどその場で察せるものだった。
正式な通知を待つまでもない。
残当。
圧倒的残当。
ですよねー、という感想しか出てこなかった。
会場を出たアオは、肩を落として歩いていた。
「……やっぱり、変われないのかな」
小さく呟いた声は、雑踏にすぐ飲み込まれた。
憧れは、遠かった。
想像していたよりもずっと遠くて、しかも自分の足は、思っていたよりずっと遅かった。
いや、遅いどころではない。
スタート地点で靴紐を結ぼうとして転んでいる。
そんな自分が、誰かの前で輝くなんて。
やっぱり、無理だったのかもしれない。
「――ねぇねぇ」
背後から声がした。
アオはびくっと肩を跳ねさせた。
振り返ると、そこに一人の女性が立っていた。
柔らかそうな雰囲気の人だった。
穏やかな表情。
全体的に、春の昼下がりに干した布団みたいな空気をまとっている。
「あ、あの……わ、私、ですか……?」
「うん。遠藤アオちゃん、だよね~?」
名前を呼ばれた。
アオの脳内で警報が鳴った。
なぜ知っている。
いや、オーディション会場なのだから知っていてもおかしくはない。
でも、急に名前を呼ばれると、心臓が一回転する。
「あ、はい……そう、です……」
女性はにこりと笑った。
「少し、お話してもい~い?」
「えっ。あっ。はい。えっと、私、何か落としましたか? 自尊心ならさっき会場に置いてきたんですけど……」
「ふふ。そういうものは、拾って帰った方がいいかも~」
笑われた。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
女性の笑い方は、アオを馬鹿にするものではなかった。
つい口から出た変な言葉を、柔らかく受け止めてくれるような笑い方だった。
「あのさ、さっきの面接をみてたんだけど」
「うっ」
アオはその場で縮んだ。
できればその記憶ごと消えてほしい。
面接を見られていた。
あの惨劇を。
あの「あ、えっと」製造機と化した自分を。
「す、すみません……お見苦しいものを……」
「うんうん。たしかに、とても見てられるものじゃなかったけど」
「ぐはっ」
「まぁぶっちゃけ、流石にアレじゃあタレントとして迎えろっていうのは、ムリだよね~」
「はい……ですよね……」
「でも」
女性は、ゆっくりと言葉を続けた。
「キミのVtuber業界への憧れとか熱意、心意気は十分に伝わったよ。それに――」
アオは顔を上げた。
「……え?」
「緊張で全然声出てなかったけど、実は意外と綺麗な声だったりするんじゃない?」
胸の奥が、変なふうに跳ねた。
褒められた。
妹以外に。
家族以外に。
自分の声を、誰かが聞いてくれた。
「……だからさ」
「運営サイドからウチに貢献してみる気はない?」
「……うんえい、さいど?」
アオは言葉を繰り返した。
運営。
裏方。
タレントではない。
配信する側ではなく、支える側。
それは、アオが思い描いていた未来とは違っていた。
けれど。
「あ、これ。名刺渡しとくね。何か聞きたいことあったら、いつでも連絡ちょうだいね」
女性は名刺を差し出した。
そこには、綺麗な文字で名前が印刷されていた。
清白 メイカ。
VSP――Virtual Stage Production所属。
その下に、連絡先。
アオは名刺を両手で受け取った。
手が震えていた。
「あ、あの……でも、私、全然、その、人と話すのとか、無理で……さっきも、あんな感じで……むしろ、あんな感じが通常営業で……」
「うん」
「うんなんだ……」
「でも、運営のお仕事にもいろいろあるし。資料作り、企画補助、収録準備、タレントのサポート。人前に立つことだけが、Vtuber業界への関わり方じゃないと思うよ~?」
清白は、ふんわりと微笑んだ。
「キミのその憧れを、別の形で使ってみる気はない?」
アオは、答えられなかった。
突然すぎた。
落ち込んで、帰って、布団に潜り込み、今日の面接を思い出して三日くらい呻く予定だった。
なのに、急に別の道を示された。
心が追いつかない。
脳内の処理能力が足りない。
古いパソコンで最新ゲームを起動したみたいに、ファンが全力で回っている。
「……す、すみません」
アオは名刺をぎゅっと握った。
「この話、一旦……持ち帰らせて、ください」
「おっけー」
清白は、少しも嫌な顔をしなかった。
ていうかおっけーって。
「ゆっくり考えなよ。急がなくてもダイジョーブ」
「……ありがとうございます」
頭を下げる。
視線は、やっぱり合わせられなかった。
けれど、胸の奥には、不思議な熱が残っていた。
落ちたはずなのに。
終わったはずなのに。
何かが、まだ続いている気がした。
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