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プロローグ①


——遠藤アオは、極度の人見知りである。


どれくらいかと言うと、コンビニで店員さんに「袋いりますか?」と聞かれただけで目が泳ぎ、そのままレジ横のホットスナックケースに視線が吸い寄せられ、唐揚げ棒と魂の交信を始めてしまうほどだった。


「……あ、え、えっと……だ、大丈夫、デス……」


声は出る。

一応、出る。


ただし、相手の目を見た瞬間、喉の奥に住んでいる小さな門番が「本日の営業は終了しました」と札を下げる。

——閉店ガラガラ。


結果として、アオの言葉はだいたい半分くらい消える。

消えた半分は、たぶん異世界にでも転生している。


「お姉ちゃんさぁ」


家に帰るなり、妹の遠藤妹が呆れた顔で言った。


「またレジでフリーズしたでしょ」


「し、してない」


「じゃあなんで袋もらってないのに、商品を腕で抱えて帰ってきてるの」


「……レジ袋代、もったいないなって……」


「いや、そんなん3円とかでしょ。毎回余計なもん買ってくるくせに何言ってんだか」


「ぐふっ」


妹は容赦がなかった。

妹という生き物は、姉の尊厳を節約対象に含めない。

必要なときに必要なだけ削りとる。


——いや、誰がケバブやねん。


けれど、アオはそんな妹を嫌いではなかった。

というより、家族以外とまともに会話できないアオにとって、妹は数少ない安全圏だった。


「でもさ」


私は地面を拭きながら、ふと顔を上げた。


「お姉ちゃん、声だけはほんと一級品なんだけどね」


「……声、だけ」


「そこ拗ねるとこじゃないよ。褒めてるから。ちゃんとしてれば声優とか目指せたんじゃない?」


「ちゃんとしてればって……」


——声だけは。

昔から、そう言われることがあった。


家族には。

妹には。


けれど、学校でも、バイト先でも、誰かの前に立った瞬間、その声はどこかへ逃げていった。

本当の声は、いつも自分の中にだけ響いていた。

誰にも届かない場所で、ひっそりと。


だからアオは、自分の声を武器だと思ったことがなかった。

武器というより、抜けない剣だった。


伝説の剣。

ただし台座から1ミリも動かない。


——持ち主がコミュ障すぎるせいで。





その夜、アオは何となくネットを眺めていた。

おすすめ欄に流れてきた動画を、ぼんやりと見ていた。


ゲーム実況。

歌ってみた。

切り抜き。

動物動画。

猫が箱に突撃して失敗する動画。


そして、その中に、一つだけ妙に目を引く配信があった。

画面の中で、ひとりのVtuberが笑っていた。


透き通った声だった。

水面に月明かりが落ちるみたいに、静かなのに、すっと胸の奥まで届く声。

それでいて、リスナーとのやり取りは軽やかで、コメント欄は恐ろしい速さで流れている。


『えー? それはさすがに私悪くなくない? 今のはゲーム側が空気読んでなかっただけでしょ!』


コメント欄が笑いで埋まる。


『ちょ、待って待って! みんな今の見た!? 見たよね!? 私だけが悪いみたいな空気やめよ!?』


また笑いが流れる。

アオは画面を見つめたまま、息をするのを忘れていた。


すごい、と思った。

この人は、何万人もの視線を浴びながら、ちゃんと笑っている。

ちゃんと喋っている。

ちゃんと、そこにいる。


アオなら、三人に見られた時点で心臓が退職届を出す。

十人なら内臓が労働組合を結成する。

なのに、彼女は。


画面の向こうの彼女は、とても眩しかった。


「……私も」


思わず、声が漏れた。


「私も、あんなふうに……なれたら」


その瞬間、自分で自分の言葉に驚いた。


——あんなふうになれたら。

今まで、そんなことを本気で考えたことはなかった。

変わりたいとは、ずっと思っていた。


でも、それは雨が止んでほしいとか、朝起きたら人類が全員ちょっと優しくなっていてほしいとか、そういう現実味の薄い願望に近かった。


けれど、画面の向こうにいる彼女を見ていると、その願いに形ができてしまった。


——VTuber。

姿を出さなくてもいい。

本名を出さなくてもいい。

顔も、住んでいる場所も、現実の自分も、すべて表に出す必要はない。


だからこそ、アオは思ってしまった。

それなら。

こんな自分でも、声だけなら。

中身の自分を隠したままなら。


——もしかしたら、誰かに届くかもしれない。





数日後。


アオは、大手Vtuber事務所のオーディション応募フォームを前に、マウスを握りしめていた。

手汗でマウスがしっとりしている。

マウスからしたら迷惑な話である。


「……送る。送るだけ。送るだけだから。応募ボタンは爆発しない。多分。いや、もしかしたらメンタルは暴発するかもだけど、物理的にはしない」


独り言が止まらない。

壁打ちだけは得意だった。

相手がいない会話なら、アオはわりと饒舌だった。


人類さえいなければ、私はそこそこ喋れる。

それは果たしてコミュニケーション能力と言えるのか。


——んなわけない。

うん、残当。


「お姉ちゃん、まだ押してないの?」


背後から妹の声がした。


「ぴょっ」


アオは飛び上がった。


「ノック!ノックして!」


「したよ。三回も。返事なかったじゃん」


「ビックリしすぎてに死にかけたんだけど……!」


「いや、こんなところで死なないでよ。まだ何も成し遂げてないじゃん」


「『死せる孔明、生ける仲達を走らす』……ってコト!?」


「じゃかあしいわボケ」


妹は呆れながら画面を覗き込んだ。

そして、応募フォームの一番下にある送信ボタンを見て、にやりと笑った。


「押しなよ」


「無理」


「判断が早い」


「だって、送った瞬間、世界が変わるかもしれないし」


「……変えたいんじゃないの?」


「それは……そうだけど……」


妹はアオの肩に手を置いた。

珍しく、からかうような声ではなかった。


「声は、本当にいいんだからさ。出してみなよ。外に」


アオは画面を見た。

応募ボタンが、そこにある。

小さな四角。

でも、今のアオには、断崖絶壁の向こう側にある橋みたいに見えた。


怖い。

怖すぎる。

でも。


画面の向こうで笑っていた、あのVtuberの声が頭をよぎった。


あんなふうに、誰かを笑わせられたら。

あんなふうに、誰かの時間を少しだけ明るくできたら。

アオは目をぎゅっと閉じて、クリックした。


送信完了。

その四文字が表示された瞬間、アオは椅子の上で固まった。


「……送っちゃった」


「送ったね」


「……世界、変わるかな」


「まずはお姉ちゃんが風呂入るところから変えようか」


「いや厳しいって」


「厳しいんだ……」


それでも、アオはほんの少しだけ笑った。

笑えたことに、自分で少し驚いた。


怖い。

不安。

後悔もちょっとある。


いや、ちょっとどころではない。

すでに胃が会議を開いている。


だが、それでも。

送信ボタンは、確かに押せた。

遠藤アオの人生にしては、それはなかなかの大事件だった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
かなり好きな導入でした。 主人公のアオが目を合わせるのが苦手、という部分が、ただ設定として説明されるのではなく、コンビニで視線を外した先のホットスナックケースの商品をそのまま買ってしまう。 場所の描…
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