第13話:コミュ障、不穏な気配を嗅ぎ分ける
――法務部へ行ってから数日。
私は、九さんに教わった内容を確認用の一覧へまとめていた。
・配信内使用と、告知への転用は分けて確認。
・BGMは、公式SNSで使える範囲まで確認。
・背景素材は、加工とクレジットの条件も確認。
・迷いやすい項目は、現場用テンプレへ追加。
不安を、そのまま抱えない。
何が怖いのかを分けて、確認する。
文字が正しくても、届き方まで正しいとは限らない。
それは、告知文とショート動画で、すでに二度経験していた。
「遠藤」
「ひゃい」
はい出ました。
アオ語録、今日も元気に出勤中。
横を見ると、姫野さんがエナドリを片手に立っていた。
「法務の確認メモ、まとまったか?」
「あ、はい。一応……じゃなくて、まとめました」
「お」
姫野さんの眉が少し上がった。
「言い直したな」
「はい……たぶん……あっ」
「まだまだ詰めが甘ぇっての」
「はい……」
姫野さんは笑いながら、私の画面を覗き込んだ。
「どれどれ……お、いいじゃん。キューちゃんが言ってた要点、ちゃんと入ってる」
「ほ、本当ですか?」
「本当。あと、この“配信内使用と告知転用は別確認”ってやつ、テンプレに入れとくの大事だな」
「はい。九さんも、同じミスが出るとダルいって……」
「キューちゃんらしいな」
姫野さんはエナドリを軽く呷った。
「法務ってのは、止めて終わりじゃねぇ。次に同じ事故を起こさないよう、迷わない道まで作る」
「道……」
ガードレール。地雷マップ。歩いていい道。
九さんの言葉が、頭の中で一枚の地図になった。
VSPで迷わないための地図。
そして、次の誰かを迷わせないための地図。
「地図、多いですね」
「会社だからな」
「私、すんごい方向音痴なんですけど……」
「今さら言わんでいい」
「うへぁ……」
「でもまあ、迷子になるって分かってる奴は、地図見るだろ」
「……はい」
「迷子になる自覚がないヤツの方がよっぽど危ねぇよ」
姫野さんは、当たり前みたいに言った。
私は少しだけ黙った。
迷子になる自覚。
それも、武器になるのだろうか。
分からない。
でも、少なくとも姫野さんは、それを笑わなかった。
いや、笑う時もある。
というか笑うときしかない。
この人の笑いの沸点は常温よりも低い。
でも、肝心なところでは笑わない。
そこが、少しだけ安心できた。
「じゃ、このメモを蓮見とキューちゃんに共有しとけ。アタシにもCC」
「し、CC……」
「そこで怯えるな。何ならメールじゃなくて社内チャットでもいいから」
「あ、はい……」
私はチャット画面を開いた。
宛先。
姫野さん。
蓮見さん。
九さん。
資料添付。
本文。
本文。
本文。
本文とは。
また日本語がこちらを睨んでいる。
「……えっと」
『先ほどの法務確認の内容について、以下の通り共有いたします。』
……相変わらず文面が固ったい。
見ろやこの文面。
カッチカチやで。
カッチカチやぞ。
『BGM利用範囲について、配信内使用と告知ショート転用は別途確認が必要とのことです。』
これはイケる。
『背景素材についても、静止画利用・加工可否・クレジット表記を確認します。』
イケる。
『現場用テンプレには、配信内使用OKでも告知転用は別確認、という注意文を追加予定です。』
イケる……よね?
最後。
最後が難しい。
よろしくお願いいたします。
それでいい。
それでいいのに、何かもう一言必要な気がしてしまう。
私はしばらく画面を見つめた。
怖い。
送信ボタンが怖い。
小さな紙飛行機のアイコンなのに、なぜこんなに圧があるのか。
この紙飛行機、たぶんオリハルコン製だ。
「お前、送信ボタンとにらめっこしてんのか」
「ひゃっ」
「はよ送れ」
「う、うぅ……!」
ええい、ままよ。
私は目をつぶって、送信ボタンを押した。
――よろしくお願いしまぁぁぁすっ!!(ポチッ)
ピコン。
無事に送れた。
事務所は無事に回っている。
どこぞの小惑星探査機が降ってくることもなかった。
数秒後、返信が来た。
蓮見さん。
『確認しました。分かりやすいです。モフモフ』
……モフモフ?
えっ、業務連絡の返信が『モフモフ』なんてことある?
続いて、九さん。
『アオちゃん、共有えら。要点ちゃんと拾えてて良き。これなら次から現場も迷わずイケそうじゃん?』
えら。
要点ちゃんと拾えてる。
私は画面を見たまま固まった。
褒められた。
法務ギャルに、チャットで。
太陽のようなまばゆさだ。
ただの文字のはずなのに。
やばい、体が溶けてきた。
これ以上はイケナイ。
「おい、遠藤」
「はい……」
「おい、どうした。なんか液状化してきてんぞ」
「イケナイ太陽……」
「何言ってんだコイツ」
――その時、フロアの奥から軽い足音が近づいてきた。
「ミカンちゃーん」
姫野さんの口元が引きつる。
「……スズちゃん。あと、ミカンちゃんやめろ」
清白メイカさんが、タブレットを片手に歩いてきた。
「アオちゃんもいるね」
「ひゃい」
「お、今日も良い返事」
「今のは返事として成立していたのでしょうか……」
「六割くらい?」
「残り四割は……?」
「観葉植物への挨拶成分とか」
「…………ファッ!?」
何故バレたし。
清白さんは、いつものようにニヨニヨしていた。
「で、何の用だよ」
「ちょっと確認してほしいものがあって」
清白さんがタブレットを持ち上げる。
「周年企画の告知まわり」
「営業とグッズ側で進めてる、企業コラボ込みのやつか?」
「それ。告知ショートの仮案が上がってきたの」
姫野さんがエナドリを机へ置いた。
「制作には?」
「仮素材は来ています。ただ、まだ粗いです」
いつの間にか、蓮見さんが隣に立っていた。
相変わらず、気配がない。
「本人確認は?」
「企画全体は了承済み。告知文と切り抜き方は、まだ一部確認前」
「先方には?」
姫野さんが聞く。
「確認用のURLとサムネ案までは共有済み。修正が出たら差し替える予定だね」
「了解。まずこっちで中身を見るぞ」
――最終確認前。
企画への了承と、告知文への了承は同じではない。
この文面を「確認済み」へ入れるには、まだ早い。
「で、何を見ろって?」
姫野さんが聞く。
清白さんはタブレットを操作し、画面をこちらへ向けた。
告知ショートの仮サムネと、短い台詞案。
明るい色。
華やかなデザイン。
周年らしい特別感。
ぱっと見ただけなら、問題はなさそうだった。
けれど、一文だけ目に止まる。
【今回は本気で取りに行くから、みんなもちゃんとついてきて】
強い言葉だった。
周年企画を盛り上げるための呼びかけ。
そう読める。
けれど、「ちゃんと」の二文字だけが目に残った。
「遠藤?」
姫野さんがこちらを見る。
「どうした」
気のせいかもしれない。
強い告知に慣れていないだけかもしれない。
それでも、分からないから確認する。
「……確認なんですけど」
私は、画面の一文を指差した。
「この『ちゃんとついてきて』は、本人が実際に言った言葉ですか?」
清白さんがタブレットへ目を落とした。
「元になった発言はあるよ。ただ、告知用に少し整えてる」
「どのくらい……変えていますか?」
「そこは、まだ本人の最終確認前」
姫野さんの指が、机を一度叩いた。
「この箇所は本人確認待ち。蓮見、確認用までは進めていい。一般公開は返事が来てから」
「了解です」
「遠藤。他には?」
もう一度、画面を見る。
言葉以外に、変なところは見つからない。
まだ。
「……今は、そこだけです」
「分かった。気づいたら追加で言え」
「はい」
清白さんが、該当箇所に「本人確認待ち」の印をつけた。
蓮見さんは元素材のフォルダを開き、仮案との比較を始める。
確認は、正しい手順へ戻った。
――それでも、「ちゃんと」の二文字だけは、頭の奥から消えなかった。




