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第12話:コミュ障、法務部の本質を知る


「さてさて」


九さんは、ぱん、と軽く手を叩いた。


「じゃ、そろそろ本題いこっか」


その瞬間、空気が少しだけ変わった。

さっきまで、ギャルの光量で私を蒸発させかけていた人と同じ人物とは思えないくらい、九さんの目がすっと細くなる。


笑っている。

口調も軽い。

でも、視線だけが資料の上を正確に走っていた。


「今回見るのは、告知用ショートの素材使用まわりね」


「おう。配信内で使う分には許可取れてる。ただ、ショートに切り出して公式SNSに出す時の扱いが曖昧」


姫野さんが資料を渡す。

九さんはそれを受け取ると、ネイルのきれいな指で紙面を押さえた。


「ふんふん。BGM、背景素材、切り抜き元の配信アーカイブ、サムネ候補。あとテロップ案ね」


読むのが速い。

本当に速い。

ギャルの口調で「ふんふん」と言っているのに、目の動きは完全にプロだった。


「アオちゃんもこっち来て見よ」


「えっ、わ、私もですか……?」


「そりゃそうっしょ。議事録まとめたんでしょ?」


「あ、はい……一応……」


「じゃあ当事者じゃん」


当事者。

その言葉に、少しだけ背中が伸びた。

私は姫野さんの横から、そっと資料を覗き込む。

九さんが資料の一部を指で示した。


「まず大前提ね。法務って言うと、全部ウチらが一個一個見てハンコ押してるイメージあるかもだけど」


「あります……」


「だよね。でも、そんなん毎回やってたら現場止まるっしょ?」


「た、確かに……」


「Vtuber事務所って、配信も動画も毎日動くじゃん? BGM、画像、ゲーム、歌、切り抜き、サムネ、グッズ、案件。全部を毎回法務がゼロから見てたら、たぶん配信より先にウチらが干からびる」


「法務部が……干からびる……」


「そう。法務ミイラ爆誕」


「語感が嫌すぎます……」


九さんは笑いながら、資料の端にメモを書き込んだ。


「だから、ウチらの仕事は“全部見ること”じゃなくて、“現場が迷わない地図を作ること”」


「地図……」


「使用OKリスト、NGリスト、確認フロー。ここまでは現場判断でOK、ここから先は法務に投げて、ってラインを作る。地雷マップみたいなもん」


姫野さんが頷く。


「さっきアタシが言ったやつだな」


「そそ。法務ってブレーキ係に見えがちだけど、実際はガードレール作る係なんよ」


九さんはペン先で、とん、と紙を叩いた。


「この道ならアクセル踏んでいいよーって言えるように、先に崖の位置を調べとくの」


その説明は、とても分かりやすかった。


法律。

権利。

許諾。


そういう言葉は、私の中では巨大な壁だった。

でも、九さんの言葉にすると、道と地図とガードレールになる。

怖いものではある。

けれど、形が見える。


「で、今回のこれ」


九さんはBGM欄を指した。


「配信内使用はOKって書いてある。でも、告知ショートに切り出して、公式SNSに投稿する場合の利用範囲が書いてない」


「配信で使っていいなら、同じ素材だから大丈夫……というわけではないんですか?」


私が恐る恐る聞くと、九さんはぱっと笑った。


「アオちゃん、いい質問」


「えっ」


褒められた。

法務ギャルに。


処理落ちしかけたが、姫野さんの視線が横から飛んできた。

落ちるな。

そう言っている気がした。


私は何とか現世に留まった。


「使っていい、って言葉はさ、実はめっちゃ範囲が大事なんよ」


九さんは指を一本立てる。


「配信で流していいのか。動画に入れていいのか。切り抜いていいのか。公式SNSに投稿していいのか。広告に使っていいのか。収益化していいのか。加工していいのか。クレジットがいるのか」


指が一本ずつ増えていく。


「同じ素材でも、“どこで、何に、どう使うか”で話が変わるわけ」


「どこで、何に、どう使うか……」


「そ。だから今回みたいに、配信内使用はOK。でも告知ショート転用は未確認、って時は一回止まる。ここで“まあ大丈夫っしょ”って突っ走ると、あとで関係各所にごめんなさい行脚」


「ごめんなさい行脚……」


「まあ、アオちゃんは行脚する前から謝ってそうだけど」


「ひ、否定できない……」


「ダウト予備軍だな」


姫野さんがぼそっと言った。

九さんはけらけら笑った。


「でもね、ここで止まれるのは大事。止まるって悪いことじゃないから」


その言葉に、少しだけ胸が引っかかった。


止まる。

私は、いつも止まってばかりだ。

怖くて止まる。

不安で止まる。

言葉が出なくて止まる。


周りに迷惑をかけていると思っていた。


「あと、こっちのサムネ候補」


九さんは別の欄を指した。


「この背景素材、配信画面にはOKだけど、静止画としてサムネや告知画像に使っていいかは確認した方がいいかも。素材サイトって、動画利用と画像利用で条件違うことあるし」


「同じ画像なのに……?」


「うん。同じ画像でも、使い方が変わると条件が変わることがある。権利って、わりとそういう細かいとこで牙をむく」


「牙……」


「噛まれると痛いよー」


「怖い……」


「怖いって感覚は正しい。怖いから確認する。怖いからリストを作る。怖いから事故る前に止まる」


九さんは、私を見た。


「だからアオちゃんみたいなタイプ、法務確認には向いてるとこあるよ」


「わ、私が……?」


「うん。“これ大丈夫かな”って引っかかれる人は強い」


「でも、私はただ不安なだけで……」


「その不安、ちゃんと使えば武器じゃん?」


武器。

その言葉が、頭の中でゆっくり響いた。


不安が。

武器。


私の中では、不安はいつも足枷だった。

重くて、冷たくて、動けなくなるもの。

でも、九さんはそれを、武器と言った。


「もちろん、不安だけで全部止めちゃうと現場は回んないよ?」


「あっ、はい……」


「だから、確認フローがある。ここは自分で確認。ここは先輩に聞く。ここから先は法務に投げる。そうやって、不安を“ただ怖い”から“確認すべきポイント”に変えるわけ」


「不安を……確認すべきポイントに……」


「そ。めっちゃ大事」


九さんは手元の資料に、さらさらとメモを書いた。

字がきれいだった。

ギャルなのに。

いや、だから偏見はよくない。


「今回なら、対応は三つかな」


九さんは資料を姫野さんへ向ける。


「一つ。BGMの利用範囲を素材元に確認。配信内使用だけじゃなく、告知ショートへの使用、公式SNS投稿、収益化の有無まで聞く」


「おう」


「二つ。背景素材はサムネ・告知画像への転用可否を確認。加工の可否とクレジット表記も見る」


「了解」


「三つ。現場用に“配信内OKでも告知転用は別確認”って注意文をテンプレに足す。今後同じミス出るとダルいから」


「助かる。テンプレ化しとくわ」


会話が速い。


でも、不思議とさっきの打ち合わせより分かりやすかった。

九さんが、要点を分けてくれているからだ。


何を見るか。

なぜ見るか。

どこに確認するか。

次からどう防ぐか。


「アオちゃん」


「は、はい」


「今の三つ、議事録に足せそう?」


「えっ、あ、はい……たぶん……」


「たぶん?」


姫野さんが横から圧をかける。

私は背筋を伸ばした。


「……足せます」


「よし」


姫野さんが満足そうに頷いた。

九さんもにこっと笑う。


「いいじゃん。じゃあアオちゃん、今回の法務確認メモ、あとでミカンに見てもらいな。最初は完璧じゃなくていいから、確認ポイントを書き出す練習ね」


「はい……!」


「あ、あと」


九さんは少しだけ声を低くした。

といっても、怖い声ではない。

軽いまま、でも芯がある声だった。


「権利確認って、相手を疑う仕事じゃないからね」


「疑う仕事じゃない……」


「そう。素材を作った人、使うタレント、編集する人、配信を見る人。みんなが嫌な気持ちにならないための確認。誰かの好きとか頑張りを、後から揉め事にしないための仕事」


その言葉は、すとんと胸に落ちた。

法務は、怖い場所だと思っていた。


誰かを裁く場所。

ミスを見つけて怒る場所。


でも、違う。

少なくとも、九さんの言う法務は違う。

誰かが安心して走れるように、先に道を整える場所。


「……守るため、なんですね」


私が小さく言うと、九さんはぱっと笑った。


「そ。アオちゃん、理解早いじゃん」


「……どうも」


九さんが笑う。

姫野さんも笑う。

私は顔を熱くしながら、資料をぎゅっと持った。


「じゃ、キューちゃん。この件、確認投げる文面はこっちで作って送るから、あとで見てくれ」


「りょー。危なそうならうちが直接見るわ。あと、素材リストのテンプレ更新案も投げとく」


「助かる」


「アオちゃんも、迷ったら聞いてね」


「は、はい……」


「勝手に谷底ダイブされる方が、こっち泣くから」


「谷底……」


「法務的な谷底」


「怖い……」


「だから最初に地図を作ってあげんの」


九さんはそう言って、軽くウインクした。

眩しい。

やはり太陽。

ただし、さっきより少しだけ、怖くない太陽だった。


「……ありがとうございました、九さん」


「キューでいいよー」


「そ、それは、まだ……」


「じゃ、次回チャレンジで」


「チャレンジ制……」


「アオちゃん、伸びしろしかないじゃん」


私は何と返せばいいか分からず、名刺を胸元で軽く握った。


法務部。

権利管理。

著作権。

利用範囲。

確認フロー。


まだ全部は分からない。

けれど、ひとつだけ分かった。


怖がることは、全部が悪いわけではない。

怖いから、止まれる。

不安だから、確認できる。

その不安が、誰かを守るための地図になることもある。


「……姫野さん」


「あ?」


「法務部って、やっぱり強いですね」


「だろ?」


「でも、裁判所ではありませんでした」


「まだ裁判所だと思ってたのかよ」


「今は……ギャルがいる地雷マップ制作部、くらいです」


「何その部署」


九さんが横から親指を立てた。


「それ、ちょっとアゲかも」


「んでだよ。会社の部署名で遊ぶな」


姫野さんが即座に突っ込む。

九さんは笑った。

私はつられて、少しだけ笑った。


法務部は、まだ怖い。

でも、もうただの怖い場所ではなかった。


VSPの地図に、また一つ、新しい場所が増えた。

太陽みたいなギャルがいて。

難しいことを、ちゃんと分かる言葉にしてくれて。

私の不安を、少しだけ肯定してくれる場所。


私は、資料を抱え直した。

次にやることは、法務確認メモの追記。


怖い。

でも、やることは見えている。


地図がある。

だから、たぶん。

少しだけなら、歩ける。


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