■38.優しくて親切なヴァルディさん
「……」
シェリネは、ぽかんとしていた。
彼女があれほど対峙するのを恐れていた魔族がヴァルディなのだと、そう真実を明かされたにも関わらず、どうにも怯えた様子がない。
もしかして伝わってないのだろうか。カルドロの腹筋を目撃した時のほうが余程怯えていた。ヴァルディも腹筋を見せるべきなのだろうか。
「……俺の話、ちゃんと聞いてたか?」
「は、はい。しっかりと。大変な衝撃を受けています」
こくこくと頷くシェリネ。驚いているのは間違いなさそうだが、やはり、ヴァルディが恐れていたような、拒絶や嫌悪の感情が見て取れない。
「なんで、お前は……」
最初にシェリネと牢屋で言葉を交わした時に抱いた疑問が、ぶり返してきた。
なぜこいつは人間のくせに、魔族を怖がらないのだろう。
救い難い能天気なのか。か弱い見た目に反して異様に肝が据わっているのか。
否、シェリネはそのどちらでもないはずだ。
「なんでお前はそう、初めて会った時から俺の前で平気そうにしてるんだ? 人間は魔族を嫌うものだろ。でもお前の態度は普通だ。いや、それが普通じゃないから聞いてるんだけど。俺は魔族だぞ。なんで俺を怖がらないんだ。答えろよ」
以前にも一度、シェリネが魔族を怖がらない理由を聞いたことがある。
その時は、「最初の魔族がヴァルディだったから」だと回答をもらって、それで納得してしまったが、よく考えるとその回答では足りないのだ。
なぜ、最初のヴァルディを受け入れたのか、その答えになっていない。
「えっと……」
詰問されたシェリネは戸惑いを見せた。しかし戸惑い以上の感情はないようで、やはり怯えの色はない。
「うーん……」
これが救い難い能天気であれば、「魔族も友達!」と健やかな思想が返ってきただろうし、肝が据わっているのであれば、「怖くない!」と快活な否定が返ってきたのだろう。
シェリネの回答は、やはりそのどちらでもなかった。
「私は幼い頃に聖女候補に選ばれてから、ほとんど神殿に籠もっていたので、外のことにはあまり詳しくないのですが……」
シェリネは真剣に問いかけてきたヴァルディと同じくらいの真剣さで、考え考え、口を開く。
「神殿には毎日、聖女の歌による癒やしを求めて、怪我や病気の人々が大勢やってきました。私は歌う前に、なぜ怪我をしたのか、どういう症状なのかを訊ねるんです。その人に寄り添った歌でないと、癒しの力を充分に発揮できませんから」
なぜか質問とは関係のなさそうな話が始まる。訝しがるヴァルディに、シェリネは微笑んだ。
「でも、魔族のせいで怪我をしたり病気になったという方は、今までひとりもいませんでしたよ」
「……」
「神殿に来る皆さんは外の話を聞かせてくれます。パンが値上がりして大変だという悲しい話、飲むチーズケーキが流行っているという楽しい話、本当に色々なことを。でも、魔族にひどいことをされたという話は、やっぱり一度も聞いたことがありませんでした」
「……」
「神殿で勉強した昔話や伝承では、『魔族は悪い存在』とされています。どの本にもそう書かれていました。けれど、少なくとも私の時代では、私の周りでは、実際に魔族から悪さをされた人なんて、誰もいませんでした」
こちらを見つめる彼女の瞳は、輝きを帯びていた。
初めて会った日に、牢屋で紅茶を手渡した時と同じ、心からの感謝と尊敬で。
「私が出会った最初の魔族がヴァルディさんでした。最初にヴァルディさんが教えてくれました。優しいって。親切だって。本の記述と全然違うって」
これまでは度々シェリネを直視できなくなる一瞬があったが、今は逆に、一瞬たりとも目を逸らせなくなる。
「だから私は、ヴァルディさんを怖いと思いません。今も。これからもずっと」
ひたむきな眼差しで言い切られ、ヴァルディは悟った。
最初の対応のせいで、ヴァルディはとんでもなく優しくて親切な存在として、シェリネの中で確定されてしまったのだと。
あんなの、捕らえた聖女の目があまりにも死んでいたからつい動揺してしまった、それだけのことなのに。
「っ、俺は、お前を散々虐めるつもりで捕虜にしたんだぞ」
「でもまだ虐められてないです」
「お前の国の兵士を殺しまくった」
「戦わずに侵略されろなんて言えないです」
「俺の上司、つまりは俺に会うのがめちゃくちゃ怖いって言ってたくせに」
「上司さんの存在がヴァルディさんの巧妙な嘘だと知って安心しているところです」
「俺は優しくないし親切でもない」
「優しくて親切の代名詞がヴァルディさんです」
こちらが何を言おうが、揺らぎやしない。
それくらい、もう取り返しの付かないほど、彼女にとってのヴァルディは。
「優しくて、親切で、お料理の腕前はまさに神で、お箸の使い方だって教えてくれて、たくさんの人を殺したことを悪いと思ってないことを悪いと思っていて、膝を抱えて床に横転している捕虜を見たら紅茶を出して励ましてしまう、そんな溢れんばかりの慈愛と温かい心の持ち主、それがヴァルディさんです!」
シェリネは胸を張って、そう断言した。
そして圧倒されて声も出ないヴァルディに、なお畳み掛ける。
「だから私は、今日は誰よりもヴァルディさんに、一番楽しんで欲しくて……全然楽しくなかったと聞いて、ちょっと死にそうなほどの衝撃を受けたのですが」
「死っ、ち、違うんだ、その」
「でもヴァルディさんのための歌なら、楽しんでいただけるんですよね」
シェリネは力強く立ち上がった。
「ここに寄り道させてもらったのが、実はそのためでして。ヴァルディさんには、特別な歌を聴いて欲しくて」
「――特別」
「はい。あ、特別と言っても、ただの聖歌の替え歌なんですけれど。ヴァルディさんを題材に一から作詞作曲した歌のほうがよろしければ、『今夜は寝かせ……』」
「替え歌でいい」
すかさず替え歌を所望したヴァルディに、シェリネは笑顔で頷き、目を閉じた。
「それでは聞いてください。『ヴァルディさん神曲』」
残り2話で完結です。




