■37.夕暮れの花畑で
「あらぁ、聖女サマは飲みに行かないのぉ?」
「もちろん僕様たちのおごりだぞ!」
「勧誘。秘伝のタレ仕込みの揚げ手羽先が評判の店を予約済み」
「うっ手羽先……すみません、お誘いは嬉しいのですが、今夜はヴァルディさんが二日目カレーを用意してくださっていて」
空高く跳躍して観客たちの頭上を一気に飛び越えたヴァルディは、舞台横でまさに打ち上げに勧誘されているシェリネを発見した。いつぞやのように、ピトフィたちとの間に割って入るように着地する。
「帰るぞシェリネ!」
そして有無を言わさずシェリネを抱き上げ、速やかに離脱。その間わずか三秒。手際のいい誘拐である。
あっという間に攫われていくシェリネは、それでも律儀に「お疲れさまでしたー……」という弱々しい悲鳴を上げた。
シェリネを抱えたヴァルディは、花畑にやってきた。
本当は自宅へ直帰するつもりだったのだが、シェリネから「帰る前に、お花畑に寄り道してもいいですか?」とお願いされたので、進路変更したのだ。
前回と同じ「失恋岩」に降り立ち、シェリネと並んで座る。
夕空の下で見る花畑は、昼間に訪れるのとはまた違った美しさがあったが、今のヴァルディは景色を楽しむ気になどなれなかった。
「やっぱりここは綺麗ですね!」
「ああ、うん」
生返事をすると、シェリネが心配そうに覗き込んできた。
「ヴァルディさん、何かあったんですか?」
「何かって?」
「なんだか、こう、えーと、憤慨してらっしゃる……?」
ヴァルディはギクッとした。憤慨ではないが、波立った心境であることは図星なのだ。しかしシェリネの前で、このどうしようもない感情を口に出したくない。何か憤慨に相応しい事柄はないものかと考えてみる。
「……そうだ。お前に文句があるんだ」
ちょうどいい案件を見つけたヴァルディは、怖い顔でシェリネを睨み付けた。
「よくも『今夜は寝かせない・フィーチャリング魔王様』などというふざけた曲を歌ってくれたな」
シェリネは「えっ!?」と仰け反り、すぐにしおらしく「すみません」と謝った。
「そうですよね。魔王様から聞いた幼少ヴァルディさんの愛らしさを、まだまだ充分に表現できてませんでしたよね。力不足で申し訳ないです」
「そこじゃねえよ! そもそも俺のことで作詞作曲するなって話だ! っていうかあのわけの分からん曲名はなんだ」
「す、すみません。でも曲名に反して、今夜はよく眠れる効果があるんですよ。安眠の祈りを込めて歌いましたので。聖女の力のお墨付きです!」
「安眠効果はどうでもいいんだよ。っていうか聖女の力使ってたのかよ。そんな大事なものをこんなどうでもいい行事で使うなよ」
呆れるヴァルディに、シェリネは照れ笑いを浮かべた。
「心を込めて歌うと、つい力が乗っちゃうんです。ただ今回は対象が大人数でしたから、たぶん大した癒しの効果は出ていません。せいぜいその日の安眠を約束したり、指のささくれが治るくらいです」
「微妙に嬉しい効果ではある」
「えへへ」
心配して、驚いて、しおれて、誇って、はにかんで。
いつもと変わらず、忙しない情緒を素直に顔に出すシェリネを見ているうちに、ヴァルディは「愛おしい」をつくづく実感して、そして、ようやく認めた。
これが決して、所有物に対する愛着などではないことを。
シェリネにとって自分が特別ではないことが耐え難いほどに、自分にとってシェリネは特別であることを。
認めてしまうと、もう駄目だった。ふざけた曲への憤慨のせいにして黙っておこうとした気持ちが、溢れ出てしまう。
シェリネの顔を見れなくなったヴァルデイは、膝を抱えて俯いた。
「……シェリネ、今日、楽しそうだった」
「はい! ヴァルディさんはいかがでしたか? 屋台がたくさん……」
「全然楽しくなかった」
シェリネが固まる気配がした。
ヴァルディは一瞬深く後悔したが、もう撤回できないし、一度溢れたものを堰き止めることもできなかった。
「行かなきゃよかった。楽しくなかった」
楽しくなかったなんて嘘だ。最初こそ度肝を抜かれたし、最後まで会場のノリにはついて行けなかったが、それでもシェリネの歌を聴くのは楽しかった。
シェリネが大勢のために歌う、自分はその中のひとりに過ぎないと自覚するまでは、ちゃんと楽しかったのだ。
「シェリネが他のやつらのために歌ってるの聴いても、全然楽しくなかった」
「ヴァル……」
「シェリネは俺の捕虜なのに。俺が欲しいって言って手に入れたのに」
「……え?」
「泣かせてやろうと思って捕虜にしたのに、人間なんか嫌いなのに、なんで、お前のことで、こんなに悩まないといけないんだ!」
感情の爆発に呼応して、握った拳からボッと炎が立ち上った。
しまったと思ったがもう遅い。今まで必死に隠そうとしたことを、こんな風に勢いで明かしてしまって、もうどうしようもなくなったヴァルディは自棄になった。
「俺がお前を捕虜にした魔族だ! お前の国の兵士を皆殺しにした! 魔界の端っこで出張中の上司とかいねえよ! そもそも俺は捕虜の見張り番なんかじゃない! 火竜が炎と無関係なわけないだろうが! なんで簡単に信じてんだよ!」
「――」
「俺は! お前の想像通り、大勢殺しても何も思ってない無慈悲なやつだ! お前に言われてちょっと考えてみたけど、やっぱり何も思えなかったんだ! 悪いと思えなくて悪かったな! でも仕方ないだろ! 人間なんか嫌いなんだから! だってあいつら、俺が魔族だって理由で、俺の、もう思い出せないけど、たぶん大事なもの、燃やしたくせに」
拳の炎が消える。
「聖女だって、そういう人間だと思ってたのに。魔界に喧嘩を売った生意気な奴だから、虐めまくってやろうと思ってたのに。どうせ俺のこと、穢らわしい魔族だとか悪魔だとか言うと思ってたのに……なんで神とか羊……」
感情をぶちまけ続けるうちに、ヴァルディは失速していった。
花畑に静寂が戻る。
静けさに耐えきれなくなったヴァルディは、反応が怖くて見ないようにしていたシェリネのほうへ、恐る恐る視線を向けた。




