第10章 外れの墓
夕方五つの鐘が、窪地の底で重なった。
一打目の響きが石垣のあいだで消えないうちに、二打目が来る。三打目、四打目。五打目が鳴るころには、窪地じゅうが一つの低い唸りになっていた。俺は、打った数だけを数えた。響きのほうは数えない。数えられない。
俺は前掛けのかくしから、革の小袋を出した。中には銅貨が一枚。十日の夕方、エーリカが置いていったものだ。
外れの墓、とエーリカは言った。谷の外れのどこかだろう。どちらの外れかは聞いていない。訊けば早いが、谷で道を訊けば、訊かれた者は答える。答えた者は、俺がどこへ行くのかを知る。
広場の端で迷っていると、ナルが来た。ハクの手を引いていた。
「西の外れ」とナルは言った。俺が何を探しているのか、訊かなかった。知っているのか、見当をつけたのか。どちらにしても、ナルは訊かなかった。「壁の下。案内する」
ヴェイは、来なかった。
*
西の路地は、狭かった。
家と家のあいだを、人一人がやっと通れる幅で、土の道が曲がりながら続いている。戸口の布の隙間から、夕方の煮炊きの煙が出ていた。どこの家でも、祭りの夜の支度をしているらしい。豆と、獣脂と、焼いた魚の匂いが、路地に低く溜まっていた。
ハクは、ナルの手を放して先を歩いた。
「この先、二十と……たくさん歩く」とハクは言った。数えようとして、途中で諦めたらしい。
「たくさんですね」と俺は言った。
「チィがいつも、たくさんって言うから」とハクは言った。「うつった」
ナルが、後ろで小さく笑った。
路地の終わりで、家が途切れた。
その先は、城壁だった。南の壁が、谷の西の端で北へ折れて、窪地を囲む角になっている。角の内側の、日の当たらない一画に、平たい石がいくつか、土に埋めてあった。
石に、字はなかった。名前も、日付も、印もない。ただの平たい石だ。いくつあるのか、数えなかった。数える気にならなかった。
石と石のあいだに、誰かが薄荷を植えていた。夕方の湿り気で、葉の匂いが少し立っていた。
誰が植えたのか、と思った。思っただけで、訊かなかった。谷の者はふだん来ない、とナルは言う。それでも、薄荷は誰かが植えて、誰かが水をやっている。葉は、乾いていなかった。
壁の角は、日が当たらない。夏でも、ここだけ土が冷たい。靴の裏から、その冷たさが上がってきた。広場の土の熱を吸っていた靴の裏が、少しずつ冷えていった。
*
「街が葬る所」とナルは言った。「谷の墓じゃない。谷の者は、ふだん来ない」
谷には谷の葬り方がある、と昔ヴェイから聞いたことがある。どう葬るのかは、聞かなかった。
ハクが、石の一つのそばにしゃがんだ。石の縁の土を、指でつついた。
「母さん」とハクは言った。「シグおじさんのお墓は——」
「ハク」とナルが言った。声は低かったが、短かった。「灯の皿を数えておいで。百三十一、ちゃんとあるか」
ハクは、母の顔を見上げた。それから立ち上がって、広場のほうへ走っていった。走りながら、数えはじめた。
「いち、に、さん……」
声が路地の奥へ遠ざかっていった。十五のあたりで、声は「たくさん」になった。それから、聞こえなくなった。
兄妹だ。
*
俺は、革の袋の口をほどいて、銅貨を一枚出した。
どこにでもある銅貨だった。縁も欠けていない。
俺は銅貨を、石の上に置いた。
置いた音は、しなかった。銅貨は平たい石の上で、夕方の空の色を少しだけ映した。
ナルは、それを見ていた。何も訊かなかった。俺も、何も言わなかった。言うことがなかった。頼まれたものを、頼まれた所に置いた。それだけだ。
城壁の上を、夕焼けが渡っていった。灰色の石が、上のほうから順に赤くなって、また灰色に戻っていく。壁の角の上に、鴉人の影が一つ見えた。昼から広場の壁にいた、あの鴉人だろう。こちらは見ていなかった。北の空を見ていた。
*
戻り道、ナルは前を歩いた。
路地は暗くなりはじめていた。家々の戸口に、獣脂の灯がともっていく。灯がともると、布の色が少しだけ濃く見えた。
広場が近づいたところで、ナルが言った。
「あの人は、ここへは来ない」
前を向いたままだった。
「一度も」とナルは言った。
あの人、が誰のことか、訊く必要はなかった。
俺は何も言わなかった。ナルも、それ以上は言わなかった。言わないことを、ナルは選んだのだろう。灰狼の妻は、訊かれなければ言わない。訊かれないように、先に少しだけ言っておくこともある。
広場の手前で、ナルは立ち止まった。
「粥が、まだ残ってる」とナルは言った。「夜の分。食べていって」
それは、訊かなくても分かる話だった。
「いただきます」と俺は言った。
広場の南の壁の根元に、子どもたちが集まりはじめていた。素焼きの小皿が、壁の根元の石の出っ張りの上に、端から一つずつ並べられていくのが見えた。皿の数を、ハクが大きな声で数えていた。今度は、たくさんにならずに数えていた。
前掛けのかくしの革の袋は、空になって、軽かった。




