第24話
白衣姿の卯月さんは、そっと掴んでいた手を離した。
「それで・・・どうしてここに?」
「・・・怒ってますか?」
「・・・怒ってるんじゃなくて戸惑ってるんだよ。」
動揺を隠し切れない彼の瞳は、何度も瞬きされるまつげに妨げられながら、何を言葉にすればいいかと困惑の色を濃くしていく。
「えっと・・・卯月さんの白衣姿が見たくて・・・。」
「・・・・・・・・え・・・?」
小首を傾げてしばし停止する彼に重ねて言った。
「俺が質問する番です。・・・どうしてそんなに動揺してるんですか?講義を俺に見られたらまずいなんてことないでしょう?単純に俺がここにいることに驚いたんですか?なら・・・卯月さんなら少しは喜んでくれると思ってました・・・。」
俺の言葉を飲み込むようにしながら、彼は尚も気まずそうに目を伏せた。
「・・・・・」
「すみません・・・何も連絡しないで来てしまって・・・。」
彼の中で、何か知られたくないことがあるということは明白だった。
けれどそれを俺に口にする程、信用して貰えていない。
それは当たり前かもしれないし、問い詰めるのはあまりにも不条理だ。
俺が立ち去ろうと一歩を踏み出すと、慌てたように彼は口を開いた。
「誘いがあって・・・・・・・アメリカの大学に移ろうかと考えてた・・・・」
「・・・・・」
卯月さんは目を合わせないままに、言葉を少しずつ吐き出した。
「自分から・・・別れを言うのが・・・・つらくて・・・」
「それが・・・・卯月さんのするべきこと・・・?」
「・・・時間を忘れて仕事に明け暮れたら、何か感覚が変わって・・・もう思い出さないんじゃないかと思ってた。」
白状するような口調は辞めて、彼は寂しそうに笑みを見せた。
「灯は・・・俺がどこにいても変わらないかなぁと思ってね。」
「・・・・卯月さん・・・・・・・もっと・・・単純な会話をしましょう。」
いつも二人きりの時間で見ていた彼の表情じゃなかった。
「友達なら・・・腹を割って話そうって、言ったじゃないですか。」
卯月さんは俺のその言葉に、次第に涙を浮かべて見つめ返した。
「俺は友達とは思ってないよ・・・」
「・・・え・・・ひど・・・・」
卯月さんはまた乱暴に俺の腕を掴んで、廊下の壁に押し付けられたかと思うと、更に乱暴に唇が重なった。
「んん・・・!」
校内だし彼の体を力いっぱい押したけど、今まで感じたことないくらい強い力で抱きしめられていた。
食い荒らすようなキスなのに優しく絡まる舌がいやらしくて、引きはがそうとする自分の手が何故だか震えだしてくる。
遠くの方で廊下にいる生徒たちの声が反響して耳をかすめるのに、彼は一向に止めようとしなかった。
そのうち頭が真っ白になってきて、縋りつくように彼の首に腕を回した。
以前は寂しいとすら思っていなかったのに、今は本能的に彼が欲しいと思っている自分が、何だかやるせない。
やがてそっと息をついて離れた彼の、潤んだ瞳が目に入ると同時に、体の力が抜けてずるずると座り込んだ。
「灯・・・」
彼が俺の名前を呼ぶと、何故だかボロボロ涙がこぼれてくる。
卯月さんは慌てて目の前に座り込んでまた抱きしめた。
「ごめ・・・ごめんね・・・。・・・灯・・・会いたかった・・・。」
そっと彼の柔らかな髪に手を当てて撫でると、また猫みたいにすり寄ってくる。
「・・・・・それで・・・遠くに行っちゃう決心ついたんですか・・・?」
「・・・行かないよ・・・離れたくない・・・。」
「後悔しないんですか?」
「・・・灯は?」
涙を拭いながらまた見つめ返す彼が、いったいどんな心境なのかわからないけど、単純な会話をしようと言い出したのは俺だ。
「・・・行かないで・・・。」
彼はようやく安心したように笑みを見せて、またきつく抱き着いた。
「苦しい・・・」
「ふふ・・・灯・・・大好き。」
「・・・ちょっとはわきまえてくださいよ・・・ここ大学ですよ先生。」
「・・・腰砕ける程気持ちいいと思ったくせに。」
「・・・っ・・・もう立てますから!」
彼の体を今度こそ押し返すと、嬉しそうなのにまだ泣きそうな顔をする彼は、手を差し出して一緒に立ち上がった。
それからまた腰を屈めて、今度は大事にキスをする。
「・・・まだ仕事あるんだ・・・。」
「・・・そうでしょうね。」
「鍵渡すから、待っててくれない?」
「・・・あの・・・・」
「ん?」
「・・・忘れてるかもしれませんけど・・・卯月さんのうちに行ったの一度だけだし、酔っ払って介抱されてた時ですよ?さすがに覚えてません。」
「あはは、そっか・・・そうだね。じゃあ・・・仕事終わったら灯のうち行っていい?」
「・・・いいよ。」
卯月さんは、ふわふわの髪を揺らして、堪えるような笑みを浮かべて視線を逸らす。
人気のない校舎の隅はずっと静かで、もう二度と訪れることもなさそうな所だ。
「あ・・・卯月さん」
「・・・ん~?」
「・・・・」
彼が一瞬だけ不服そうな表情をしたのを見逃さなかったので、言い直すことにした。
「望奈人、ツーショット写真撮らない?」
「・・・え・・・どうして?」
「・・・理人に見せつけたいから。」
「ふ・・・いいよ?そういうことなら。」
誰もいない廊下で二人きりの写真を撮影した。
画面を改めて見つめると、何とも美麗な彼のお顔が、無加工なのに素晴らしくてちょっと腹立たしい。
同じように俺の肩に寄り添いながら、望奈人は画面を覗き込んだ。
「灯って・・・写真映りいいんだねぇ・・・可愛い・・・」
「可愛い・・・?望奈人に可愛いなんて言われるの心外すぎる・・・。」
「え・・・ごめん・・・。」
「俺を可愛い可愛い飼い猫みたいに思ってるの?」
「んふ・・・・・」
睨みつけたはずなのに彼は唇を結んで笑いをこらえてから、取り繕うように真面目な顔をした。
「いや・・・これから二度とそう思うなって灯が言うんだったらやめるよ・・・」
「無理そうじゃんそれ・・・。・・・じゃあ一先ず帰るので・・・お仕事頑張ってね、先生。」
飄々とそう返すと、彼は何だか物足りなそうにしていたけど、大人しく見送ってくれた。
「・・・最初から素直に話してれば早かったかな。」
同じく物足りなさを抱えながら、意味もなく足早に大学を出て、駅へと向かう。
「・・・あれ・・・?」
駅から大学まではほんの5分ほどだったように思う。
ため息をついて自分の方向感覚の無さをさっさと認めて、地図に頼るためにスマホをポケットから取り出そうとすると、手が滑って地面にかしゃんと音を立てて落ちた。
慌てて拾い上げようとした時、隣で通り過ぎようとしていた人が、代わりにそっと拾い上げてくれた。
「どうぞ。」
「あ・・・ありがとうございます。」
小柄な学生らしき青年がにこやかに手渡してくれた。
一緒に歩いていた卯月さんくらい背の高い男の子が、再び青年の手を取って歩き出す。
その時ふと手元が震えて、幸いにも少々の傷で済んだスマホが通知を出していた。
友人の中では古株の、中高の同級生からのメッセージだった。




