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私がおそるおそる手が触れた方を見ると、そこにはたしかに手があった。そのまま腕、肩へと視線をずらし首の上へと視線を向ける。そして再びギョッとした。
この人はなんでこんなところに座っているのだろう。それも当たり前のように。鍛錬の途中ではなかったのだろうか。
「アドレアン様・・・。どうしてこちらに?」
私が訊ねるとアドレアン様は首をかしげるようにしながらこちらを見た。」
「どうしてって、鍛錬の途中だからだろ。」
「その鍛錬の途中の人が、どうして椅子に座って紅茶なんて飲んでるんですか!」
アドレアン様の反対の手には、私が飲むはずだった紅茶のカップが握られている。おかしい。さっきまでは誰もいなかったはずなのに、この人はいつの間にこんなところに座ったのだろう。そしていつの間に私の紅茶をかすめ取っていたのだろうか。
「少し休憩。」
「休憩って・・・。アドレアン様何もしていなかったじゃないですか。」
「お前が来る前はクリストフに指導してたんだよ。」
「それってちょっとの間じゃないですか。私の紅茶を飲んでまで休憩するほどじゃないでしょう?」
「だってお前飲んでなかっただろ。」
「たしかにまだ飲んでませんでしたけど!」
私達が口論、というか私が一方的にアドレアン様にまくしたてていると、気づいた執事が私の分のカップを運んできてくれる。執事から紅茶の入ったカップを受け取り笑顔でお礼を言うとアドレアン様の方に向き直る。
「よかったじゃないか、新しい紅茶がもらえて。」
「そういう問題じゃありません!
なにサボってるんですか。だいたいいつの間に来たんですか?さっき見回したときは誰もいなかったのに。」
「お前が白けた顔して試合を見てた頃だな。」
「ああ。なんだか辺境伯家に行ってウィリアム様とオルファス様の試合を見てきたからか、変に目が肥えちゃったんですよね。」
「だろうな。辺境伯家の2人とここの騎士じゃ格が違うだろう。」
「やっぱりそうなんですか?」
「王都の騎士達はここ何十年も戦いに身を置いたりはしていない。小競り合いが起きたり、盗賊や猛獣が出たとかで頻繁に実践を経験してる辺境伯家の騎士達とじゃ比べる方が可哀そうだろ。」
「いろいろと違うんですね。」
「だからこそ、クリストフにはいい心境の変化があったんだろうしな。」
「アドレアン様も行ってみたいと思いますか、辺境?」
「もちろん興味がないといえば噓になるな。」
「辺境伯家での鍛錬は憧れるものですか?」
「強さを求めようと思えば、それ以上の場所はないだろう。なにせ最前線だからな。王都で騎士になるとしても、経験しておいて損はない。」
「やっぱりアドレアン様も行きたいですよね。」
「なんだよ、変な言い方するなよ。」
「いえ、私達来年も行く約束してるんです。」
「そう言ってたな、知ってる。」
「私は遊びに行くだけですけど、お兄様は鍛錬に行きます。」
「だから何だよ。」
「アドレアン様も行きたいですよね。」
「何が言いたいんだよ。」
「クレアに話してみます。今日はクレア来てないですけど、今度は一緒に来るので。」
「は?」
「アドレアン様も一緒に行きましょう、辺境。」
「なんでそうなるんだよ。」
「だって行きたいですよね?お兄様も鍛錬してるんですよ?アドレアン様も鍛えてもらったっていいじゃないですか。」
「だからどうしてそうなる。」
「オルファス様からもお墨付きをいただいているじゃないですか。勝ち逃げされるの嫌なんですよね?」
「いや、今の俺じゃ勝ち目はない・・・ってそうじゃない。なんでそんな話になってんだよ。」
「いいじゃないですか。一緒に行きましょうよ、辺境ー。」
「俺にだって都合があるんだよ。」
「じゃあズバリ聞きます。都合って何ですか。」
「なんでもいいだろ。」
「アドレアン様の手紙には大した都合がありそうなことは書いてませんでしたよ?」
「鍛錬したりとか、家の仕事手伝ったりとか、いろいろあるんだよ。」
「家の仕事はともかく、鍛錬は辺境伯家の方がより密度の高いものができますよね?経験して損はないって言いましたよね?」
「なんでそんなに連れていきたがるんだよ。」
「私が一緒に行きたいからじゃだめですか?」
「だからなんで?」
「うーん・・・なんででしょう。なんとなく?」
「なんとなくで誘うなよ・・・。」
アドレアン様はため息を吐くと、カップの中の紅茶を飲み干して立ち上がる。
「どこに行くんですか?」
「鍛錬。当然だろ?」
「ああ、そういえば。
頑張ってください、応援してます。」
「はいはい。ま、俺の相手クリストフだけどな。」
「そうなんですか?お手柔らかにお願いします。
あ、でもビシバシしごいてやってください。」
「どっちだよ。」
「ビシバシやっちゃってください。」
「わかった。」
そう言うとアドレアン様は当たり前のように鍛錬に混ざっていった。アドレアン様の宣言通り、次はお兄様とアドレアン様の試合のようだ。私は両手を胸の前で握ると心の中でお兄様を応援した。