第四話 二人目の迷い人 2
男が十分に温まるまでの間、エルフは煮込みを器に盛り、男はそれを食べながら台所の様子を眺めていた。
壁に吊るされた乾燥ハーブや瓶に詰められた保存食、使い込まれた鍋。道具は多くないが、どれも手入れが行き届いている。
「よく料理をするんだな」
「作らなければ食べられないからな」
「そりゃそうだ」
男は煮込みを口に運び、しばらく味わってから頷いた。
「うまいな。干し肉のいい出汁が出ている」
エルフは何も答えなかった。
料理を褒められることに悪い気はしなかった。
けれど、腹が減っていれば何でもうまく感じるものだ。そう考えながらも、エルフは男があっという間に器を空にするのを何となく見ていた。
食べ終えると、男は兎を持ち上げた。
「そろそろいいかな。台所を借りるよ」
「何がいる」
「まずは包丁とまな板。それから塩、胡椒があれば少し。あとスキレットと油」
エルフは言われたものを出した。男は道具を受け取るたびに置き場所を尋ね、使い終わったらどこへ戻せばいいかを確認した。勝手に棚を開けたり調味料を手当たり次第に使ったりはせず、欲しいものがあるたびに必ずひと言かけた。
その振る舞いは、思いのほか心地よかった。
男はまず、兎の肉を確かめた。
射ってすぐ血抜きをし、雪の中を持ち歩いたせいで冷えてはいるが、状態は悪くない。皮を剥ぎ、内臓を外し、余計な脂を切り落としていく。必要な部分を切り分け、骨についた肉も無駄にしないよう丁寧に削ぎ落とす。
すべての手つきに迷いがなかった。
エルフはいつの間にか、その作業を食い入るように見つめていた。
男は肉に塩を振り、粗く砕いた胡椒をまぶした。
「この草を使ってもいいか?」
エルフは男が手に取った草を見た。
「ああ、森で採ったものだ。使えるのか」
「これは肉の臭みを抑えるのに使う香りの強い草なんだ。少しもらうよ」
男は葉を指先で揉み、香りを確かめてからひとつ頷くと、大ぶりのスキレットを弱火にかけて油を落とし、香草を入れる。しばらく熱した後に肉を置くと、じゅわっと良い音がした。音とともに香ばしい匂いが立ち上る。
男は肉をすぐには動かさなかった。表面が焼き固まるのを待ち、焼き色がついてから裏返す。空いた場所に刻んだ香草の残りと薄切りにした芋と酒を加えた。木べらでゆっくり混ぜて蓋をしたあと、残った骨と端肉を小鍋に入れて煮始めた。
「料理屋では、いつもこうして作るのか」
エルフが尋ねると、男は鍋から目を離さずに答えた。
「いや、店ではもっと大勢の分を作るから、こういうのはあんまり作らねぇな。大鍋で煮込んだり、何種類も同時に火にかけたりすることが多い。まぁでも基本は同じだよ。食材をよく見て、どうしたら一番客に旨いと思ってもらえるかを考える。それだけだ」
「……それだけ、か」
「難しく考えすぎると、かえってうまくいかないこともあるからな」
男は笑った。
エルフは、その言葉を頭の中で繰り返した。
食材をよく見る。
どうしたら一番うまいと思うかを考える。
彼自身もずっとそうしてきた。
森で採ったきのこの種類を見分け、実の熟し具合を確かめ、肉の状態を見て火加減を調整する。誰かに教わったわけではなく自分で試し、失敗し、食べられるものを増やしてきた。
料理をする上ではあたりまえのことだろう。
でも同じことを考える人間が目の前で料理をしている。
そのことがなぜか、少し不思議だった。
やがて男は蓋を開け、煮汁の味を確かめた。
少しだけ塩を足し、火を強めて水分を飛ばす。肉の表面には艶があり、香草と焼けた脂の香りが台所に広がっていた。最後にスキレットを傾け煮汁を肉に絡めてから、男は肉と芋を皿に盛りつけた。
飾り立てた料理ではなかった。
焼き色のついた兎の肉に、ほっくりとした芋が添えられている。皿の端には煮詰めた汁が少しだけ流れ、香草の緑がその上に散っていた。骨から取ったスープは小さな器に注がれ、湯気を立てている。
男はそれを食卓に運んだ。
「待たせたな。たいしたものじゃないが、今夜の礼だ」
エルフは、皿を見た。
料理はすべて知っているものだった。焼いた肉も、炒めた芋も、スープも。自分でも作ろうと思えば作れる。
けれど、目の前の皿は自分が作ったものではなかった。
自分が食べるために選んだ食材でもなく、自分が焼き具合や味を決めたものでもない。この男がエルフのために作った料理だった。
「冷める前に食べてくれ」
男に促され、エルフは皿の前に座った。
肉をひと口分だけ切り分ける。
表面にはしっかりと焼き色がついているのに、噛むとほろほろと口の中でほぐれ、コクのある肉汁が広がって、香草と胡椒のピリッとした後味と香りが追いかけてくる。つまり、とても美味しかった。
エルフはもうひと口食べた。
男は向かい側に座り、自分の分を食べながら上目でちらりと様子を伺う。
「口に合ったか?」
「……ああ」
「そうか、よかった」
それだけ言うと、男は自分の皿に視線を戻した。褒め言葉を強要するでもなく、感想を待ち構えるでもない。自分が作ったものを相手が食べている姿を見て、ほっとしたように笑っただけだった。
エルフは、その顔をしばらく見ていた。
誰かと食卓を囲んだことがないわけではない。ずっと昔、まだ家族や仲間といる頃には食事を共にすることもあった。何年も前、森で怪我をしていた人間に食事を与えたこともある。
けれど、それらはすべて、食べ物を分け合ったというだけだった。
だが今夜、この男はエルフのために料理をした。
彼の家の台所で、彼の道具を使い、彼の好みを尋ねることもなく。
それでも、エルフが食べることを考えて味を整えた。
「……うまい」
ようやく口にすると、男は顔を上げた。
「本当か?」
「嘘をついてどうする」
「いや、そうだな。料理人としては、うまいと言ってもらえるのが一番うれしいんだ」
男は照れたように笑った。
エルフは視線を皿に落とした。
その笑顔を見ていると、もっと何か言わなければならないような気がした。
うまい。それは本当だ。
香草の使い方も火加減も、肉の扱いも、参考になるところがある。
あとで自分でも試してみたいと思う。
だけど、言葉を重ねて言う必要があるのかがわからなかった。
だから残りの肉を黙って口に運んだ。
男もそれ以上は尋ねなかった。
食事の間、ふたりはときどき料理の話をした。
男は店で使う香辛料のことを話し、エルフは森で採れる草や乾燥させたきのこの保存方法について答えた。どちらも相手に何かを教えようとしていたわけではない。
話しているうちに自然と会話が続いただけだった。




