第二話 人のいる場所 2
町を出る前、広場の端を通った。
石造りの水場のそばに、煮込み料理の屋台が出ていた。
女が大鍋をかき混ぜている。
白い豆と刻んだ根菜が、赤みを帯びた汁の中でゆっくり煮えていた。表面には油が小さな輪を作り、柄杓を動かすたびに香草の緑が浮かんでは沈む。
肉の脂と玉ねぎ、それに黒胡椒の良い香りが湯気に混じって広場へ広がっていた。
エルフは足を止めた。
鍋のそばには粗く切った黒パンが籠に積まれている。
客のひとりがパンを汁に浸していた。パンの表面が煮汁を吸って色を濃くし、柔らかく沈む。男は椀を持ち上げ、汁をひと口すすった。熱さに目を細め、それからパンを口に運ぶ。
何かを言った。
屋台の女が笑った。
男も笑った。
エルフは大鍋の中を見た。
豆は一度煮こぼしてあるのだろうか。根菜の大きさはバラバラで、小さなものは煮崩れて汁に溶け、大きなものは形を残している。肉は先に脂を出し、その脂で野菜を炒めたのかもしれない。香草の匂いが生きているのは、火を止める少し前に加えたからだろう。
食べてみたい。
今度は、先ほどの木の実よりも強く思った。
腹が空いているわけではなかった。
朝、家を出る前に黒パンとチーズをひと切れ食べている。
それでも大鍋の中で煮えている煮込みは、家で自分が作るものとは違う味がするはずだった。
小さな鍋で自分だけのために作ったものではなく、人の多い町で誰かの腹を満たすために大鍋でに煮込まれたもの。そこにはひとり分では生まれない味の違いがあるかもしれない。
彼はそれを知りたかった。
屋台の前に置かれたテーブルには、ひとり分の席が空いていた。
そこへ座り、椀を受け取る自分を想像した。
女がこちらを向き注文を聞く。代金を渡す。長椅子に座れば、隣には人がいる。話し声が聞こえる。何かを尋ねられれば返事をしなければならないかもしれない。
そんなことを考えているうちに、空いていた場所に別の客が腰を下ろした。
それを見て、エルフは歩き始めた。
残念だったのかどうか自分でもわからない。
ただ、あの煮込みがどんな味だったのかは少し知りかったような気がした。
森へと帰る道は、来たときよりも長く感じた。
油の瓶が荷物の中で揺れないよう籠の中の包みの位置を直す。小麦粉は湿気を吸わないようしっかりと布でくるみ、豆の袋は塩や砂糖と分けて一番上に置いてある。
買った品物を傷めないことに気を配っていれば、余計なことを考えずに済む。
森へ入り獣道へ逸れると、町の音は背後で途切れた。
代わりに鳥が鳴き、枝の間を風が通り抜ける。
木々の根元には、朝にはなかった茸が顔を出していた。
傘は薄茶色で、縁に透明な水滴が並んでいる。
エルフはしゃがみ込み、ひとつずつ確かめた。食べられるものだった。
いくつか引き抜き、小刀で根本の土を削り落とすと、そっと籠に入れた。
茸は水で洗うと旨味や香りが逃げるものがある。
汚れや土はこれでいい。水気は家に着いたら布で拭き取ろう。
これはどんな味のする茸なんだろう。焼くのがいいか、煮込みに入れるか。
新しく見つけた茸のことを考えているうちに、広場の煮込みのことは頭の中から少しずつ薄れていった。
家へ帰り着いたのは、日が傾く前だった。
扉を閉め、閂をかける。外套を脱いで扉の脇にかけると、荷物を台の上に置き、ひとつずつ包みをほどいて買ってきたものを棚にしまう。塩や砂糖は壺へ移し、油は光の当たらない場所へ。豆は乾いた瓶に入れ、小麦粉の袋は口を縛り直しておく。
それから籠の茸を取り出し、布で雨粒をそっと拭き取った。
夕食は豆と茸の煮込みにした。
玉ねぎを刻み、ゆらりと煙のたつ鍋に油を落とす。熱を受けた油がさらりと揺れたところへ玉ねぎを入れた。じゅわりといい音をさせて玉ねぎの甘い匂いが立った。切り口は最初こそ白いが、木べらで混ぜるうちに透き通っていく。そこへ茸を加える。
芳醇な香りがふわりとただよう。
きっと、広場のあの煮込みよりも美味しくなるに違いない。
そう思った。




