第58話 愛の誓いと最終決戦前の夜明け
■夜明けの静寂
昨夜の凄惨な精神攻撃から一夜が明け、帝都には静かな朝が訪れていた。
ルシアンの私室の窓から差し込む朝日は、信じられないほど穏やかで、澄み切っていた。私はソファでルシアンの腕に抱かれたまま、その光を眩しそうに見つめていた。
「気分はどうだ、エリアーナ」
ルシアンが、私の髪を優しく撫でながら尋ねてくる。
彼の目元には微かな疲労の色が浮かんでいた。一晩中、私が再び幻覚に囚われないよう、一睡もせずに見守ってくれていたのだ。
「ええ、もう大丈夫よ。昨夜のことが嘘みたいに、心が静かだわ」
私は左手を持ち上げ、薬指に光る鋼の指輪を見つめた。
悪魔王は、私の心に残る最も深い傷——処刑台の記憶を抉ることで、私を再び憎悪の底へ引きずり込もうとした。しかし、ルシアンの存在とこの指輪が、私を現実へと繋ぎ止めてくれた。
■ アンナの懸念と忠誠
扉がノックされ、侍女のアンナが静かに入ってきた。
「エリアーナ様。夜が明けました。コーヒーと焼きたてのパンです」
アンナの表情には安堵が滲んでいた。
私の幸福が彼女の幸福だと知っている。
「ありがとうアンナ。私の大切な友だち」
アンナはコーヒーを差し出しながら、私の左手の指輪を見つめた。
「ルシアン様の指輪……。本当にお似合いでございます」
アンナは私の薬指の指輪を見て、感動の息を漏らした。
私はコーヒーカップを置き、アンナの柔らかな肩に手を置いた。
「アンナ。貴女はもう自由よ。摂政公妃の侍女は危険が多すぎる。私の故郷、北の領地へ戻って良いのよ」
アンナはまっすぐに私の目を見つめた。
その瞳は、揺るがなかった。
「何を仰います、エリアーナ様。私は貴女様の侍女です。私は貴女様の覚悟を知っています」
「貴女様が愛と責任を選んだのなら、私は貴女様の、その光を守ります。どこへも行きません」
アンナは、強く忠誠を誓った。
私は彼女の愛に、心から感謝し、抱きしめた。
「悪魔王の攻撃は退けた。だが、奴がこれで諦めるとは思えない」
ルシアンが、私の肩に手を置いて言った。
「大神官に相談しよう。奴の残滓を完全に祓う方法があるはずだ」
「ええ。大聖堂へ行きましょう」
私たちは身支度を整え、皇宮を出た。
外の空気は冷たかったが、どこか清々しさを感じさせた。これが「嵐の前の静けさ」であることは分かっていたが、それでも、ルシアンと並んで歩くこの時間が、私には何よりも愛おしかった。
■ 大聖堂への道
私たちは、摂政公邸の門を静かに出た。
ルシアンが最小限の警護兵を連れ、帝都大聖堂へ向かう。
朝日が帝都の瓦礫の街並みを照らし、黄金色に輝かせていた。
道すがら、復興作業に従事する帝都の民衆が、私たちに気がつき歓声を上げた。
大聖堂へ向かう大通りには、すでに多くの民衆の姿があった。
復興作業に向かう者、市場へ買い出しに行く者。彼らは、臨時摂政公であるルシアンと、その隣を歩く私の姿を見つけると、足を止めて深く頭を下げた。
「摂政公閣下、エリアーナ様! 帝都をお救いいただき、ありがとうございます!」
「どうか、我々をお導きください!」
口々に感謝と祝福の言葉が投げかけられる。
一周目の人生で、私を「悪女」と罵り、石を投げつけてきたのと同じ民衆たち。しかし今の私には、彼らに対する憎しみは微塵もなかった。彼らもまた、アランやイザベラの扇動に踊らされ、悪魔王の影に怯えていた弱き者たちに過ぎないのだから。
私はルシアンと顔を見合わせ、静かに微笑み返した。
憎悪の連鎖を断ち切り、この国に真の平和をもたらすこと。それが、二度目の人生を与えられた私の、そして復讐の果てに愛を見つけた私たちの、新たな使命なのだ。
■ 結:破られた青空
私たちは大聖堂前の広場に到着した。
大聖堂は炎上したが、崩壊は免れていた。
大神官様は中で祈りを捧げているはずだ。
私は、ルシアンとアンナに微笑みかけた。
「平和よ……。ルシアン、憎悪のない朝だわ」
■黒い侵食
しかし、私たちが大聖堂の広場に足を踏み入れた、その時だった。
突然、足元の石畳が不気味な地鳴りを立てて震え始めた。
「地震か……!?」
ルシアンが私を庇うように抱き寄せる。
だが、それは自然の脅威ではなかった。澄み切っていたはずの朝空が、まるで墨汁を零したかのように、急速にどす黒く染まり始めたのだ。
「空が……!」
広場にいた民衆たちが、恐怖に満ちた悲鳴を上げて逃げ惑う。
太陽の光は完全に遮られ、帝都は一瞬にして真夜中のような暗闇に包まれた。そして、その真っ暗な空の中心から、ドロドロとした漆黒の瘴気が、滝のように大聖堂の屋根に向かって降り注いできた。
『……愚カモノメ』
空気を震わせるような、重く、邪悪な声が響き渡った。
昨夜、私の脳裏に直接響いたあの声。悪魔王の声だった。
「ルシアン!」
ルシアンは瞬時に剣を抜き、空を睨みつけた。
「来たか 悪魔王」
「エリア―ナ様……!」
「大丈夫よ!アンナ」
私は、不安になるアンナの手を握った。




