第55話 瘴気の残滓とイザベラの最期
■遺体安置所の調査
大聖堂の地下には、広大な遺体安置所が設けられていた。
そこには、アランの暴走による炎上と、四魔人による破壊の犠牲となった数多くの人々が運び込まれていた。静寂に包まれた冷たい石造りの空間には、祈りの香の匂いと、拭いきれない死の気配が混ざり合って漂っている。
私はルシアンと共に、その場所を訪れた。
表面上は内戦の惨劇の犠牲者たちだったが、私はその裏に、悪魔王の深い関与を疑っていた。四魔人が討ち果たされ、アランが死んだ今でも、悪魔王の影は帝都から消えていない。その痕跡を確かめる必要があった。
「大神官様。イザベラが倒れた場所を見せて頂けますか」
私が案内役の大神官に尋ねると、彼は深く皺の刻まれた顔を曇らせた。
「あそこは瘴気が強く残っています。危険です、エリアーナ様」
「大丈夫です、大神官様。悪魔王の痕跡を、どうしても確かめたいのです」
私が決意を込めて言うと、ルシアンも無言で頷いた。
大神官は重いため息をつき、松明の明かりを頼りに、私たちを安置所のさらに奥、一部が崩落した遺跡のような一角へと案内してくれた。
■イザベラの残した痕跡
イザベラが倒れた場所は、異様な空気に包まれていた。
大聖堂の聖なる力と、おぞましい悪魔の瘴気が激しくぶつかり合った痕跡が、床の石畳を黒く焦がし、ひび割れさせている。空気が重く、息をするだけで肺の奥が冷たくなるような感覚があった。
ルシアンが、鋭い金色の視線で空間を探る。
「これはただの瘴気ではない。悪魔の契約の痕跡だ」
ルシアンが、焦げた石畳の破片を拾い上げながら結論づけた。
「イザベラは、自分の意志で悪魔と契約し、悪魔王の道具になったのだ」
私は胸が締め付けられる思いだった。
かつては友と呼び合った少女。アランの愛を巡って私を裏切り、偽りの聖女として民衆を扇動した彼女の最期は、あまりにも惨めで、そして愚かなものだった。
私たちが瓦礫の隅を調べていると、煤にまみれた一冊の手記を発見した。
それは、イザベラが倒れる直前まで肌身離さず持っていたであろう、豪奢な革装丁の日記帳だった。
「これは……イザベラの手記……」
私は震える手で、その手記を開いた。
大半のページには、聖女としての慈善活動の記録や、アランへの盲目的な愛が、流麗な文字で綴られていた。しかし、最後の数ページに差し掛かると、筆跡は狂ったように乱れ、紙面には闇の瘴気が滲み出していた。
■嫉妬と狂気の記録
手記の終盤には、イザベラの狂気に満ちた独白が、ページを破るほどの強い筆圧で記されていた。
『エリアーナ様は全てを持っている。高貴な血筋も、美しさも、そして私の愛するアラン様まで奪った』
『私は聖女になる。悪魔様が私に力をくれた。あの憎きエリアーナ様を焼き尽くす力を』
『アラン様は私に怯えている。ざまあみろ! 私は権力も、愛も、全てを手に入れるのだ!』
文字の隙間から、彼女の生々しい嫉妬と憎悪が溢れ出してくるようだった。
手記は完全に憎悪に支配されており、最後の行は、黒い瘴気の塊で塗りつぶされていて読むことができなかった。
「彼女は憎悪に支配され、悪魔王の道具として最期を遂げたのね……」
私が呟くと、ルシアンが私の隣に立ち、静かに言った。
「愛も権力も、憎悪の鎖でしか手に入らなかったのか……。哀れな女だ」
ルシアンの言葉には、嘲笑ではなく、深い哀悼の響きがあった。
イザベラは、私から全てを奪おうとした。しかし、彼女が本当に欲しかったものは、アランの愛でも権力でもなく、「自分自身の価値」だったのかもしれない。悪魔王は、彼女のその空虚な心に付け込み、嫉妬という名の憎悪を注ぎ込んだのだ。
■真の脅威の認識
私たちは、冷たい瓦礫の上で立ち尽くした。
イザベラの手記は、私たちの復讐が正しかったことを証明していた。アランもイザベラも、自らの欲望と憎悪によって自滅したのだ。
しかしそれ以上に、この手記は私に恐ろしい真実を突きつけていた。
悪魔王は、私の憎悪を「器」とし、イザベラの憎悪を「道具」とした。悪魔王にとって、人間の感情は全てチェス盤の駒に過ぎないのだ。
「ルシアン。悪魔王の狙いは、憎悪そのものよ」
私は、手記を閉じながら言った。
「私たちが憎悪を捨てて、幸福になればなるほど、彼は怒り、契約を破棄されたと見なすわ。彼にとって、私たちの愛は最大の脅威なのよ」
ルシアンが私の肩を強く抱き寄せた。
彼の体温が、地下の冷たい空気を和らげてくれる。
「悪魔王は、俺たちの愛を恐れている。エリアーナ」
ルシアンの金色の瞳が、暗闇の中で力強く光っていた。
私たちは確信した。悪魔王は「憎悪の概念」そのものであり、私たちが手に入れた幸福を破壊することこそが、彼の最後の目的であると。
四魔人との戦いは終わったが、それは単なる前哨戦に過ぎなかった。悪魔王の真の標的は、私とルシアンの「魂の繋がり」そのものなのだ。




