第44話 皇宮の激闘(ルシアン vs アラン)
■玉座の「怪物」
ひどい有様だった。
ルシアン・ヴァレリウスは、血と黒い瘴気に塗れた皇宮の廊下を駆け抜けながら、短く舌打ちをした。
かつて帝都の象徴として輝いていた壮麗な大理石の柱は砕け、高価な絨毯は引き裂かれ、至る所に兵士や侍女たちの無残な亡骸が転がっている。
「閣下、この先です」
背後を走る「影」の一人が、玉座の間を指差した。
「お前たちはここで待機しろ。中から出てくる魔物がいれば全て斬れ」
「はっ!」
ルシアンは迷うことなく、玉座の間の巨大な両開きの扉の前に立った。
そして、躊躇なくその扉を蹴り破った。
轟音と共に扉が吹き飛び、玉座の間の内部が露わになる。
そこには、エリアーナの報告通り、もはやアランの面影をほとんど残していない一体の「怪物」が、玉座に鎮座していた。
「来たか、ルシアン」
怪物は、アランの声で喋った。
だが、その紅の瞳は理性を失い、ただ純粋な憎悪だけに燃えている。
「アラン。醜い姿になったな」
ルシアンは静かに剣を抜いた。
「貴様も、すぐにこうなる」
アランが玉座から立ち上がる。
その体躯は人間の二倍にも膨れ上がり、全身から黒い瘴気が立ち上っていた。
■悪魔王の「力」
「エリアーナはどうした」
アランが、玉座の階段を一段ずつ下りながら問うた。
「あの女狐はどこだ!」
「残念だったな。ここには俺しかいない」
「!」
「お前の相手は、この俺だ」
ルシアンが剣を正眼に構えると、アランは激昂した。
「ふざけるな!」
アランが絶叫と共に襲いかかってきた。
その動きは人間の限界を遥かに超えており、振り下ろされた巨大な爪が、ルシアンが立っていた場所の大理石の床を粉砕した。
ルシアンはそれを紙一重で躱し、距離を取る。
「どうした! ルシアン!」
アランは余裕の笑みを浮かべた。
「北の覇者が、逃げ回るだけか!」
「ちっ……」
ルシアンは防戦一方だった。
(これが、悪魔王の力か)
(イザベラの比ではないな)
アランが大きく息を吸い込み、黒い瘴気のブレスを放った。
ルシアンは即座に太い柱の陰に隠れる。
瘴気が柱をかすめ、触れた部分の石がジュッと音を立てて溶けた。
だが、ルシアンは冷静だった。
彼は自分の体を見下ろす。
(イザベラの瘴気を一度受けたおかげで、俺の体にはあの呪いへの僅かな耐性ができている)
エリアーナが自らの生命力を分け与えてくれた、あの儀式の影響だ。
常人なら、この濃密な瘴気を吸い込んだだけで即死しているだろう。だが、ルシアンはまだしっかりと立っていられる。
■憎悪 vs 愛
「なぜ立っていられる!」
アランが、瘴気の中から無傷で出てきたルシアンを見て驚愕した。
「悪魔の力とは、その程度か」
ルシアンは剣を構え直し、ゆっくりとアランに近づいていく。
「エリアーナは、貴様に勝ったぞ」
「なに?」
「彼女は、お前への憎悪も、悪魔の呪いも、全て乗り越えた」
「だまれ! だまれ!」
アランが「エリアーナ」という名を聞き、再び逆上する。
「お前は、最後までエリアーナのことしか見ていなかったな」
「……!」
「だが、エリアーナが最後に見ていたのは、お前ではない」
ルシアンは、冷徹な声で静かに告げた。
「俺だ」
その言葉が、アランの精神を完全に崩壊させた。
「う……あああああああ!」
アランは「真実」に耐えられず、完全に理性を失った。
ただ力に任せて、大振りの攻撃を繰り返しながら突進してくる。
(隙だらけだ)
ルシアンは、その大振りな爪の攻撃を冷静に見極め、紙一重で躱した。
そして、アランの懐へと深く潜り込んだ。
■皇太子の「最期」
「アラン」
「!」
ルシアンの剣が、アランの巨大な心臓を捉えた。
「これは、俺の両親の分だ」
ルシアンは、皇室への長年の憎悪を込めた一撃を、アランの胸に深く突き立てた。
「ぐ……」
アランの巨体がビクンと跳ね、動きが止まった。
「そして、これは」
ルシアンは、剣の柄を両手で握り直した。
「エリアーナの、絶望の分だ」
彼は、エリアーナへの深い「愛」を込め、剣をさらに深く抉り込んだ。
黒い血が噴き出し、アランの口からごぼっと音が漏れる。
「エリ……ア……ナ……」
アランは、その巨体を支えきれず、ゆっくりと床に崩れ落ちた。
彼の体から悪魔王の力が抜け落ち、黒い塵となって空気中に溶けていく。
やがて、玉座の間に残ったのは、ルシアンと、床に転がる皇太子の冠だけだった。
(終わった)
ルシアンは剣の血を払い、鞘に納めた。
そして、玉座の間の窓から、遠くで燃え盛る大聖堂の方角を見つめた。
「エリアーナ……無事でいろよ」
彼は呟き、再び皇宮の廊下へと駆け出していった。
■「影」たちの戦い
ルシアンが玉座の間でアランと死闘を繰り広げている間、廊下では「影」たちが皇宮内の魔物を相手に奮闘していた。
「数が多すぎる!」
影の一人が叫びながら、黒い瘴気を纏った魔物の爪を剣で受け止める。
彼らは皆、ルシアンから「瘴気への対処法」を叩き込まれた精鋭だ。だが、皇宮内に溢れ返る魔物の数は予想を遥かに超えていた。
「退くな! 閣下が戻るまで、この廊下は絶対に通すな!」
影のリーダー格が叫び、仲間を鼓舞する。
彼らはルシアンの命令通り、玉座の間への廊下を死守し続けた。
やがて、玉座の間の方角から轟音が響いた。
次いで、静寂。
「……終わったか」
影のリーダーが息を呑んだ瞬間、玉座の間の扉が内側から開き、ルシアンが姿を現した。
「閣下! ご無事ですか!」
「問題ない」
ルシアンは、血と瘴気で汚れた軍服を一瞥し、短く答えた。
「アランは?」
「片付けた」
その一言で、影たちの間に安堵の空気が広がった。
「残りの魔物を掃討しろ。俺は大聖堂へ向かう」
「はっ!」
ルシアンは影たちに後を任せ、皇宮の外へと走り出した。
■帝都の「夜明け」
皇宮の外に出ると、帝都の空が白み始めていた。
東の地平線が薄紅色に染まり、夜の暗闇が少しずつ後退している。
ルシアンは立ち止まり、帝都の全景を見渡した。
市街地の各所でまだ炎が燻っているが、魔物の姿はほとんど見えない。
エリアーナと父・リステン侯爵が指揮した掃討作戦が、確実に成果を上げているのだ。
(あいつは、やり遂げた)
ルシアンは、遠くで煙を上げる大聖堂を見つめた。
炎の勢いは、先ほどより明らかに弱まっている。
(エリアーナ……)
彼は馬に跨り、大聖堂へと向かって馬を走らせた。
帝都の石畳を蹄の音が響き渡る。
途中、避難していた民衆が恐る恐る家の外に顔を出し始めていた。
彼らはルシアンの姿を見て、口々に叫ぶ。
「ルシアン閣下! アラン皇太子は!?」
「討ち取った」
ルシアンは馬を走らせながら、簡潔に答えた。
「帝都は、守られた」
その言葉が波紋のように広がり、民衆の間から歓声が上がった。
泣き崩れる者、抱き合う者、神に感謝を捧げる者。
帝都の夜明けが、確かに訪れようとしていた。
ルシアンは歓声に振り返ることなく、ただ一点——大聖堂だけを見つめて馬を走らせ続けた。
(待っていろ、エリアーナ)
(俺が、必ず行く)
皇太子アランという「怪物」は、ここに終わった。
しかし、真の敵——悪魔王との決着は、まだついていない。
ルシアンはそれを誰よりも知っていた。
だからこそ、彼は急いだ。
愛する者のもとへ。
二人で、最後の戦いに臨むために。
■玉座の「冠」
ルシアンが大聖堂へ向かう前に、一つだけやらなければならないことがあった。
彼は玉座の間に引き返し、床に転がる皇太子の冠を拾い上げた。
黒い瘴気に汚れた、かつては帝国の権威の象徴だった金の冠。
ルシアンはそれを無造作に窓の外へと投げ捨てた。
「帝国の次の在り方は、俺が決めることではない」
彼は静かに呟いた。
それはエリアーナへの言葉でもあり、自分自身への言葉でもあった。
アランを討ち取ったことで、帝国の皇位継承は宙に浮いた状態になる。
だが今は、そんなことを考える時間はない。
ルシアンは玉座の間を後にした。




