第35話 開かれた門と真実の亡骸
■イザベラの「最期」
私の心には、達成感も安堵もなかった。
イザベラは死んだ。
ルシアンが、私の代わりに、彼女の心臓を貫いた。
私が躊躇ったせいで、私が「かつての親友」の面影を振り切れなかったせいで、ルシアンが瘴気を全身に浴びて倒れた。
今、彼は大神官の懸命な治療を受けながら、大聖堂の奥で意識を失ったまま横たわっている。
(……私のせいで)
私は、イザベラの亡骸を見下ろした。
悪魔の力が消えた今、彼女の体は、かつての美しさの欠片もなく、ただ爛れた醜い亡骸として、大聖堂の石畳の上に横たわっていた。
(……これで、終わったの?)
(……私の復讐は、これで終わったの?)
答えは出なかった。
私が求めていた「復讐」とは、何だったのだろう。
アランへの怒り。イザベラへの憎悪。処刑台の記憶。
それら全てを胸に抱えて、2周目の人生を走り続けてきた。
なのに今、目の前に「結果」が転がっているのに、私の心は、恐ろしいほど静かだった。
静かで、冷たくて、そして空っぽだった。
(……ルシアンが、死ぬかもしれない)
その「恐怖」だけが、今の私を満たしていた。
■悪魔王の「誤算」
同時刻。魔界。
悪魔王は、玉座で忌々しげに舌打ちをしていた。
「……あのクソ女め。……使えん」
イザベラに最後の「力」を与え、エリアーナと相討ちさせるか、あるいは大聖堂ごと吹き飛ばし、帝都を大混乱に陥れるはずだった。
だが結果はどうだ。
イザベラは死んだ。
大聖堂は無事。
そして、何よりも気に食わないのが。
「……ルシアン。……あの男」
悪魔王は、ルシアンがエリアーナの「代わり」にイザベラを殺した瞬間を思い出していた。
(……エリアーナの『憎悪』が足りぬと思ったが)
(……あの男の『愛』が、俺の『憎悪(の計画)』を上回っただと?)
馬鹿馬鹿しい。
愛だの、信頼だの、そんな「不確定」なものが、純粋な「憎悪」に勝つなどありえない。
(……だが、イザベラは失った)
(……エリアーナの魂は、『愛』に汚染され、もはや、俺の『糧』にはなりそうもない)
悪魔王は、盤面を見つめ直した。
■悪魔王の「次の手」
(……まだだ)
悪魔王は新たな「駒」に目をつけた。
(……アラン)
皇太子、アラン。
彼は今、大聖堂の外で、イザベラが中に入ったまま、何の音沙汰もなくなったことに焦れている。
(……あの男は、どうだ?)
(プライドは高い。……だが、エリアーナに負け続け)
(イザベラ(聖女)を失い)
(世継ぎ(子供)も失った)
(……その『絶望』は、なかなか、美味そうだ)
悪魔王は、エリアーナとルシアンを直接潰すのをやめた。
(……アランを使おう)
(イザベラに与えた、あの「力」を、今度は、アランに与えれば)
(……あの男なら、プライドを守るため、喜んで俺の手先となるだろう)
悪魔王は、エリアーナとルシアンへの「苛立ち」を、アランという「駒」を使って晴らすことに決めた。
(……見ていろ、エリアーナ)
(お前が、憎悪を捨てた、その『代償』を)
(お前が愛を選んだ、その『罰』を)
(……今度は、アランが、お前に与えてくれるだろう)
悪魔王は満足そうに笑みを浮かべた。
■開かれた「門」
大聖堂の大広間。
ルシアンは、大神官の「聖水」による懸命な治療により一命を取り留めていた。
だが悪魔の「呪い」は深く、彼の意識は戻らない。
その時。
「……エリアーナ様!」
神官が、血相を変えて走ってきた。
「……外で、アラン殿下が……!」
私は、ハッとして顔を上げた。
(……そうだった。まだ終わっていなかった)
私は、ルシアンを神官たちに任せ、大神官と共に、大聖堂の「門」へと向かった。
外ではアランが軍隊を前に叫んでいた。
「……イザベラは、どうした! 魔女め!余の聖女をどうした!」
アランはまだ、イザベラが「聖女」だと信じている。
「……大神官様。……門を開けてください」
「……エリアーナ嬢。……正気か」
「……ええ」
私は、覚悟を決めた。
「……イザベラの『真実』を、民衆とアランに見せるときです」
大神官は、頷いた。
ギィィ……。
再び、大聖堂の「門」が開かれる。
門の外にはアランと五万の軍勢。
そして、帝都の全民衆。
門の内には、私と大神官。
そして。
神官たちに運ばれてきた、悪魔の力(瘴気)が消え、ただの醜い亡骸となったイザベラの体が横たわっていた。
「……な……」
アランが、その変わり果てたイザベラの姿を見て絶句した。
「……イザベラ?」
民衆も息を呑んだ。
(……あれが聖女様?)
私は、一歩、前に出た。
「……アラン殿下。……これが、貴方が愛した『聖女』の正体です」
私の声が、静まり返った広場に響き渡った。
広場に集まった民衆の間から、ざわめきが広がる。
「……あれが……聖女様……?」
「……あんな姿……まるで、悪魔の……」
「……嘘だ。嘘だ! イザベラは聖女だ! 魔女が、何かしたに決まっている!」
アランが、震える声で叫んだ。
だが、その叫びに呼応する声は、以前より、ずっと少なかった。
民衆は、目の前の「真実」を、自分の目で見ていた。
奇跡を起こしていたはずの「聖女」の亡骸が、悪魔の瘴気に爛れた醜い姿であることを。
「……大神官様」
私は、大神官に目を向けた。
大神官は静かに頷き、民衆に向かって、深く澄んだ声で語りかけた。
「……民よ。この女が行っていた『奇跡』は、神の御業ではない。……悪魔の力を借りた、偽りの奇跡であった」
「……!」
「……この大聖堂に奉納されている『破魔の鏡』が、彼女の力の『本性』を暴いた。……神聖なる聖域において、悪魔の力は長くは続かぬ」
広場が、しんと静まり返った。
アランの顔が、怒りと混乱と、そして初めて見せる「恐怖」で歪んでいくのを、私は静かに見つめた。
(……さあ、次よ)
(……アランと、悪魔王の、本当の「最後の戦い」が、今、始まる)
私は、冷たい風の中に立ちながら、ルシアンが目を覚ます日を待ちわびていた。
彼が戻るまでに、私がこの戦いに決着をつける。
それが、今の私にできる、彼への唯一の誓いだった。
広場の向こうで、アランが再び叫び声を上げた。
「……魔女め! 余の聖女を返せ! お前が、お前が何かしたに決まっている!」
彼の声は、もはや皇太子のそれではなかった。
理性を失った、ただの男の絶叫だった。
(……アランは、もう限界ね)
私は、静かに思った。
イザベラを失い、世継ぎを失い、南部の民心を失い、バートン伯爵を失い。
そして今、「聖女の奇跡」という最後の切り札まで、民衆の目の前で崩れ去った。
残るのは、五万の軍勢と、悪魔王から与えられるかもしれない「次の力」だけだ。
(……悪魔王は、必ずアランを使う)
私は確信していた。
悪魔王は、イザベラという駒を失った。次の駒は、絶望の淵に立つアランしかいない。
アランは、プライドのためなら悪魔に魂を売ることも厭わないだろう。
それが、彼という人間の、本質だから。
広場では、アランの叫び声が続いている。
五万の軍勢が、じりじりと大聖堂の門に近づいてくる。
だが私は、もう恐れていなかった。
未来の知識は尽きた。
悪魔王の次の手も読めない。
それでも。
私には、ルシアンがいる。大神官がいる。アンナがいる。父がいる。
そして、この帝都の民衆が、今、「真実」を目にした。
それだけで、十分だった。




