第33話 破魔の光と聖女の正体
■ 聖域での対峙
大聖堂の重厚な扉が、重々しい音を立てて開かれた。
外の喧騒とは裏腹に、大聖堂の内部は冷たく、そして静寂に包まれていた。
ステンドグラスから差し込む光が、石造りの床に幾筋もの光の帯を作っている。その光の帯を踏み越えて、一人の女が足を踏み入れた。
イザベラ。
かつて私の親友であり、私を裏切り、死へと追いやった女。
そして今、悪魔王の力を借りて「偽りの聖女」として民衆を扇動している女だ。
「……随分と、静かですこと」
イザベラは、大聖堂の広大な身廊を見渡し、薄く笑った。
彼女の肌は、陶器のように白く、透き通っている。しかし、その瞳の奥には、かつての彼女にはなかった、狂気的な光が宿っていた。
悪魔の力を取り込みすぎた代償なのだろうか。彼女の美しさは、もはや人間のそれではなく、どこか禍々しさを孕んでいた。
「……イザベラ」
私は、祭壇の前に立ち、彼女を静かに見据えた。
私の隣にはルシアンが、そして背後には大神官が控えている。
「……あなた、自分が何をしているのか、わかっているの」
私は、静かに問いかけた。
「……わかっていますわ。……わたくしは、『正義』を執行するのです」
イザベラは、アランや民衆の前で見せる「か弱い聖女」の演技を、完全に捨て去っていた。彼女の声には、隠しきれない傲慢さと、私への強烈な憎悪が滲み出ている。
「……あなたさえ、いなければ。……アラン様も、民衆も、わたくしだけを見てくれる」
「……あなたは、悪魔に魂を売ったのね」
私がそう告げると、イザベラの笑みがピタリと消えた。
「……何を、言って……」
「わたくしには、わかるわ。……あなたから、わたくしを回帰させた、あの男……悪魔王と同じ、酷く腐った匂いがする」
「……かいき?」
イザベラは、私の言葉の意味がわからないようだった。彼女は、自分が誰の掌の上で踊らされているのか、その本当の意味を理解していないのだ。
■ 瘴気の暴走
「……もう、どうでもいいわ」
イザベラは、考えるのをやめたようだった。彼女の瞳に、再び狂気が宿る。
「……ここで、あなたを殺めれば、全て終わる」
イザベラが、私に向かって手をかざした。
その瞬間、彼女の白い手から、黒い「瘴気」のような魔力が立ち上った。
「……!」
ルシアンが、私の前に素早く立ち塞がり、剣を構えた。
「……ルシアン公爵。あなたも、『魔女』の味方なのですね」
イザベラは、冷たく言い放つ。
「……黙れ。その禍々しい力。……それが、お前の正体か」
ルシアンの低い声が大聖堂に響く。
「……ええ、そうよ!」
イザベラが、甲高い声で叫んだ。
「これは、わたくしの『力』! あなたも、あの女も、ここで消えなさい!」
イザベラの手から、黒い瘴気が一気に放たれた。
ドゴォォン!
ルシアンが、それを鋼鉄の剣で受け止める。
だが、次の瞬間、信じられないことが起きた。
ルシアンの鍛え上げられた剣が、瘴気に触れた途端、まるで長い年月を経たかのように赤く錆び、ボロボロに崩れ始めたのだ。
「……! なんだ、これは!」
ルシアンが驚き、後ろへ飛び退く。
「……フフフ。……わたくしの力は、『生命力』を吸い取る力。……金属も、人間も、関係ないわ」
イザベラは、高笑いした。
彼女は、大聖堂の門前で病人を「治癒」していたのではない。彼らの生命力を奪い、それを自らの魔力に変換していたのだ。
その恐るべき真実に、私は背筋が凍る思いがした。
「……大神官! ルシアン! 今よ!」
私は、叫んだ。
もはや、言葉を交わす時間は終わった。
■ 破魔の鏡
私の合図と同時だった。
私たちが隠れていた祭壇の両脇から、大神官と、彼が率いる数十人の神官たちが一斉に姿を現した。
彼らは全員、手にあるものを抱えていた。
それは、巨大な「鏡」だった。
「……!」
イザベラが、そのおびただしい数の鏡に、一瞬怯んだ。
「……な、何を、する気……」
「……イザベラよ」
大神官が、中央の、最も大きく、そして神聖な装飾が施された鏡……『破魔の鏡』を、イザベラに真っ直ぐに向けた。
「……その悪魔の力を、神の御前で晒すがいい!」
「……!」
神官たちが、一斉に神聖なる詠唱を始めた。
大聖堂に満ちていた「聖気」が、彼らの祈りに呼応するように鏡に集束していく。
そして、それは眩いばかりの「光」となって、イザベラに一斉に降り注いだ。
「……いや……」
イザベラが、その「聖なる光」に触れた瞬間だった。
「……あああああああああああああ!」
イザベラが、鼓膜を劈くような絶叫を上げた。
彼女の、陶器のようだった美しい肌が、まるで強力な酸で焼かれたように、ジュウジュウと音を立てて爛れ始めた。
「……あつい! 痛い! やめて!」
彼女が苦し紛れに放った黒い瘴気は、『破魔の鏡』の光に触れた途端、吸い込まれるように霧となって消滅していく。
悪魔の力は、神聖な聖遺物の前では、その本性を隠し通すことはできない。
「……これが。……これが、あなたの『正体』よ、イザベラ」
私は、床に転がり、爛れていく彼女の姿を、冷たく見下ろした。
これが、他者の生命力を奪い、偽りの奇跡を演じてきた女の、真の姿だった。
■ エリアーナの葛藤
「……あ……ああ……」
イザベラは、震える自分の両手を見た。
そこには、かつてアランを魅了した、美しく滑らかな手はなかった。
悪魔の魔力が暴走し、皮膚が黒く変色し、まるで醜い「怪物」のような手が、そこにあった。
「……いや……いやああああああ!」
イザベラは、自分の変わり果てた姿に絶叫した。
『破魔の鏡』の力。それは、悪魔の力を暴走させ、術者が奪ってきた生命力を奪い返す力だ。
イザベラは、もはや聖女ではなく、醜い一匹の化け物へと変わり果てようとしていた。
(……これで、終わる)
私は、静かに息を吐いた。
(彼女の「正体」を、外で待つアランと民衆に見せれば……わたくしたちの勝利だ)
私は、そう確信した。
長かった復讐の、一つの大きな区切りが、今まさに訪れようとしていた。
だが。
「……たすけて」
イザベラが、爛れた顔で、私に向かって手を伸ばした。
「……たすけて、エリアーナ、さま」
その声は、1周目、私が処刑台に向かう時、彼女がアランの腕の中で見せた「嘲笑」を含んだ声ではなかった。
それは、私がまだ彼女を「親友」だと信じていた頃の、あの、か弱く、私に縋り付いてきた「イザベラ」の、そのままの声だった。
「……!」
私の足が、ピタリと止まった。
(……何を、今更)
(こいつは、わたくしを裏切り、殺した女)
(こいつは、わたくしから全てを奪った女)
(……ここで、こいつを見殺しにすれば、わたくしの復讐は……)
『……殺せ』
ふいに、悪魔王の冷たい声が、私の頭の中に直接響いた。
『その女を殺せ。……憎悪を、思い出せ。お前が味わった苦痛を、そいつに与えてやれ』
「……エリアーナ! 何をしている!」
ルシアンの、焦燥を含んだ声も聞こえる。
私は、目の前で苦しみ、死にかけているイザベラと。
私の中の、黒く渦巻く「憎悪」と。
その二つの間で激しく板挟みになり、一歩も動けなくなってしまった。
剣を振り下ろすことも、手を差し伸べることもできず、私はただ、醜く這いずり回るかつての親友を、呆然と見下ろすことしかできなかった。
(……わたくしは、復讐者のはずよ)
(憎悪を燃やし、この女を踏み躙るために、2周目の人生を生きてきたはずよ)
なのに、なぜ。
なぜ、この瞬間、私の心は凍りついたように動かないのか。
大神官が、心配そうに私の名を呼ぶ声が聞こえる。ルシアンの怒声も聞こえる。だが、それらは全て遠い世界の出来事のように、私の耳には届かなかった。
私の目には、ただ一つの光景だけが映っていた。
爛れた手を私に向かって伸ばし、「たすけて」と囁くイザベラの姿だけが。
(……あなたは、わたくしの親友だった)
(本当に、そうだったのかしら)
(わたくしが信じていた「友情」は、最初から偽りだったのかしら)
それとも、どこかの時点で、本物の友情が、歪んでしまったのだろうか。
答えは、もう出ない。
イザベラは、今まさに死にかけている。
そして私は、それを止めることも、終わらせることも、どちらもできないまま、ただ立ち尽くしていた。




