第32話 契約の向こう側と開かれる門
■ 偽りの奇跡
大聖堂の包囲から十日目。
ついに、アラン皇太子が北から五万の軍勢を引き連れて帝都に帰還した。
「……すごい威圧感ね」
私は、鐘楼の窓から、帝都の城門を埋め尽くす正規軍の軍旗を見つめていた。
アランは帝都に入ると真っ先に大聖堂の包囲網に合流し、拡声器を使って怒声を響かせた。
「……今すぐ出てこい! さもなくば、この『聖域』とやらを兵士に踏み潰させるぞ!」
彼は大神官の警告を無視し、ついに軍事力で脅迫してきた。
民衆は、アランの軍隊と大聖堂の間に立ち、固唾を飲んで事態を見守っている。
「……イザベラが来たぞ」
ルシアンが、遠眼鏡を覗きながら言った。
イザベラが純白のドレスでアランの隣に立つ。
彼女は、大聖堂の包囲によって食料を得られず苦しんでいる病人や貧民を集めさせた。
「……可哀想な民たちよ」
イザベラは涙を流しながら、彼らに手をかざした。
悪魔王から授かった、強大な「略奪(治癒)」の魔力。
病人の顔色がみるみるうちに良くなり、痩せ細った体に活力が戻っていく。
「……おお!」
「……奇跡だ!」
「イザベラ様は、本物の『聖女』だ!」
民衆がその「奇跡」を目の当たりにし、熱狂した。
■ エリアーナの挑発
イザベラは、民衆の熱狂を背に受けながら、大聖堂の固く閉ざされた門に向かって叫んだ。
「……大神官様! なぜ、貴方は神の『奇跡』に目を閉ざされるのですか!」
門は開かない。
「貴方がたが庇っているのは、この帝都に呪いをもたらした『魔女』です! わたくしは、この『奇跡』の力で魔女と戦う!」
イザベラは民衆に向き直り、両手を広げた。
「皆さま! わたくしに力を貸してください! 大神官様が、魔女の言葉に惑わされています! あの大聖堂から『魔女』を引きずり出し、帝都に真の平和を取り戻すのです!」
「「聖女様、万歳!」」
「「魔女を引きずり出せ!」」
イザベラは、悪魔王の「力」を使い、大神官の「正義」を民衆の「熱狂」で完全に塗り潰した。
(……イザベラ。……なんてことを)
私は、彼女が1周目とは比べ物にならない強大な「力」を手に入れていることを確信した。
私は、大神官の許可を得て、大聖堂のバルコニー(門の真上にある場所)に姿を現した。
「……エリアーナ様だ!」
「……魔女が出てきたぞ!」
民衆がどよめく中、私は拡声器を使い、イザベラに向かって静かに言い放った。
「……イザベラ。わたくしが『魔女』だというのなら、あなた(聖女)が直接、わたくしを討てばよいのではありませんか?」
「……!」
「アラン様の軍隊の後ろに隠れていないで。……怖いのですか? あなたのその『奇跡』の力が、わたくしに通じないのが」
「……だまれ!」
■ 開かれる門
イザベラは、私の挑発に激しく動揺した。
(あの女。……わたくしを見下している!)
彼女の心の中で、悪魔王の声が響く。
『……行け、イザベラ。あの女を殺せ。あの聖域の中で殺せ』
「……イザベラ! 待て、どこへ!」
アランの制止も聞かず、イザベラは悪魔王の力に突き動かされるように、大聖堂の門に向かって一人で歩き出した。
「……開けなさい! わたくしは聖女イザベラ! 神の家に入る資格があります! 魔女と一対一で対決する!」
彼女のその無謀な行動に、民衆がさらに熱狂する。
「そうだ! 魔女と直接対決だ!」
「開けろ! 門を開けろ!」
私はバルコニーから大神官の元へ戻った。
「……大神官様。民衆が門を破ろうとしています」
「……やむを得まい」
大神官は神官たちに命じた。
「……門を開けよ。イザベラのみ中へ通せ。民衆は外で見守らせよ」
ギィィ……と。
あの日、私たちを守るために閉ざされた大聖堂の重厚な門が、今、一人の「偽りの聖女」を招き入れるために、ゆっくりと開かれた。
外から差し込む眩しい陽光を背に受けて、イザベラが勝利の笑みを浮かべながら、一人堂々と聖堂の中へと足を踏み入れる。
その姿は、かつて私が知っていた「臆病で心優しい親友」の面影など微塵も残していなかった。彼女の背後には、見えない悪魔の影が黒々と付き従っているように見えた。
(……イザベラ。あなたを、わたくしたちの『舞台』に引きずり込んだわ)
私は、小さく息を吐き、覚悟を決めた。
聖堂の薄暗く、ひんやりとした内部。私とルシアン、そして大神官が、イザベラの前に立ちはだかる。
「……久しぶりね、エリアーナ様」
イザベラが、まるで旧友との再会を喜ぶような、しかし氷のように冷たい声で言った。
「ええ。……その白い髪、とてもよく似合っているわよ、イザベラ」
私は、彼女の代償によって変色した髪を指して、皮肉を込めて微笑み返した。
かつては共に笑い合った二人の女が、今、帝国の命運を賭けて、神の御前で殺し合おうとしている。
決戦の火蓋が切られた。
■ 契約の向こう側
魔界。
悪魔王は、玉座で人間界の「盤面」を不機嫌そうに眺めていた。
(……つまらん)
計画は順調だったはずだ。エリアーナを回帰させ、ルシアンという憎悪の塊と接触させた。
二人の憎悪がアランとイザベラを追い詰め、帝国を二分する「内戦」の火種が撒かれた。
イザベラにも力を与え、憎悪の「代理戦争」を楽しもうとしていた。
(……だが)
悪魔王の最大の「誤算」。
それは、大聖堂の奥深くで、エリアーナとルシアンが「憎悪」で結びつくことをやめてしまったことだった。
『……エリアーナ』
『……ルシアン。あなたは、アランをどうしたいの?』
『俺は、決めている。……殺す』
『……わたくしたちは、やはり共犯者なのね。憎悪でしか繋がれない』
その時、ルシアンがエリアーナの手を強く握り、胸に引き寄せたのだ。
『……俺は、お前がアランへの憎悪を失ったとしても。……俺は、お前を手放すつもりはない』
『……ルシアン……!』
『お前が俺の憎悪の共犯者でなくなってもいい。……俺の、ただ一人の女として側にいろ』
『……わたくしも同じよ、ルシアン。……わたくしを、あなたの共犯者としてではなく……妻として側に置いて』
悪魔王は、その「契約の向こう側」の光景を思い出し、吐き気をもよおした。
「……くだらん」
憎悪こそが人間の最も純粋なエネルギーだと信じていた。
だが、あの二人は憎悪を乗り越え、「愛」と「信頼」という別の力で結びついてしまった。
(……エリアーナの憎悪が薄れている。このままでは、俺の『糧』が消える)
悪魔王は、エリアーナの魂との繋がりが弱まっているのを感じ、苛立ちに玉座の肘掛けを砕いた。
「……許さん。俺の最高傑作が、あんな陳腐な感情に毒されるなど」
彼は、大聖堂の中でイザベラと対峙するエリアーナの姿を、暗い欲望の瞳で見つめた。
「……思い出させてやろう、エリアーナ。お前がどれほどの絶望を味わい、どれほどの憎悪を抱いて死んでいったかを。……お前のその『愛』とやらが、どれほど無力なものかを」
悪魔王の周囲に、どす黒い瘴気が渦巻き始める。
彼は、イザベラという「人形」を通して、大聖堂そのものを破壊し、エリアーナの魂を再び憎悪の底へと引きずり落とすための、最後の、そして最悪の仕掛けを発動させようとしていた。
ついに、人間同士の権力闘争は終わりを告げ、超越者たる悪魔王が直接牙を剥く「真の絶望」が幕を開けようとしていた。




