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処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!  作者: 秦江湖


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第29話 北への出立と聖域の門

■ 北の国境線での咆哮




北の国境線。冷たい風が吹き荒れるアラン皇太子の本陣。




「……大聖堂だと?」




アランは、帝都からの緊急報告書を三度読み返し、そして怒りに任せてくしゃくしゃに握り潰した。




「あの女狐……! あの魔女め!」




アランは、ルシアンが北の領地(黒鷲城)に籠城していると信じ込み、帝国正規軍のほぼ全てをこの北の辺境まで移動させていた。




その結果、帝都はもぬけの殻となった。




そして、その「空き家」に、最大の敵であるルシアンとエリアーナが、まんまと入り込んだのだ。それも、唯一、アランの皇太子としての権力が及ばない「聖域(大聖堂)」に。




「……アラン様」




隣で、イザベラが不安そうにアランの腕に触れる。彼女もまた、エリアーナの狡猾な一手に動揺を隠せないでいた。




「……おのれ……おのれ、エリアーナァ!」




アランは、エリアーナの策略に完璧に敗北したことを悟り、怒りで顔を真っ赤にして震えていた。




彼は、全軍の指揮官たちに向かって怒鳴りつけた。




「……今すぐ、全軍、帝都へ反転させる! 北の包囲は解け!」




「……はっ! しかし、殿下。五万の軍勢の移動には、最低でも十日はかかります」




「構わん! 今すぐだ!」




アランは、北で無駄足を踏まされた屈辱に歯噛みした。




(待っていろ、エリアーナ。ルシアン)


(大聖堂ごと、お前たちを焼き払ってやる)




アランの心の中で、神への畏敬の念すらも、復讐の炎によって焼き尽くされようとしていた。




「……殿下、落ち着いてくださいませ」




イザベラが、アランの肩にそっと手を置いた。




「軍を急いで戻せば、兵士たちの疲労はピークに達します。それに、大聖堂を武力で包囲すれば、大神官様だけでなく、民衆の反発も招きかねません」




「……では、どうしろと言うのだ! このまま奴らを野放しにしておけと!?」




アランが怒鳴ると、イザベラは静かに首を振った。




「いいえ。……わたくしに、考えがございます」




彼女の瞳の奥で、何かが冷たく光った。




「軍事力ではなく、もっと別の『力』で、あの魔女を大聖堂から引きずり出すのです」




アランは、その言葉の意味をまだ理解していなかったが、イザベラのただならぬ気迫に押され、小さく頷くしかなかった。






■ 大聖堂の静寂




大聖堂に保護されてから、四日目の朝。




「……来たわね」




私は、大聖堂の鐘楼の小窓から、外の様子を伺っていた。




大聖堂の周囲を、帝都に残っていた近衛兵たちが幾重にも取り囲み、封鎖線を築いている。彼らは槍を構え、大聖堂の門を睨みつけているが、中には入ってこない。




「……アランも、まだ理性が残っているようね。聖域に軍隊を突入させる、という暴挙には出られない」




「……時間の問題だろうな」




ルシアンが、私の隣で同じく外を眺めている。




「アランは、北から軍を呼び戻している。十日後、ここは大軍に包囲される」




「……」




「大神官は、俺たちを守ると言った。だが、アランが本気になれば、あの爺一人に何ができる」




ルシアンの言葉は正しかった。




私たちは、安全な「砦」にいるようで、実際にはアランの掌の上にある「籠」の中に自ら入ったのだ。




(……でも、それこそが狙い)




「ルシアン。アランが、わたくしたちをどうすることもできない『十日間』。……これが、わたくしたちの反撃の時間よ」






■ 大神官との対立




その日の午後。




アラン(北の陣営)からの「勅命」を持った使者が、大聖堂の門前に現れた。




私とルシアンは、大神官と共に、門の内側からその使者と対峙した。




「……大神官様! 皇太子殿下からの、厳命である!」




使者は、大神官に対し、無礼にも怒鳴りつけた。




「その聖域に隠れている『国賊』ヴァレリウス公爵と、世継ぎを呪い殺した『魔女』エリアーナを、ただちに引き渡されよ!」




「……」




大神官は、その言葉にも一切動じなかった。




彼は、静かに、しかし凛とした声で答えた。




「……お断りする」


「……なっ!」




「この二人は、『神の保護』を求めた信者である。神の法廷によらず、彼らを『魔女』『国賊』と断罪することは、神への冒涜である」




「……ぐっ! それを承知の上で、アラン様は命令されているのだ!」




「ならば、皇太子殿下にお伝えせよ」




大神官は、その老いた瞳で使者を射抜いた。




「……神の道に背く者に、帝国を統べる資格はない、と」




「……き、貴様……!」




使者は、大神官がアランを真っ向から「否定」したことに、激しく動揺した。




「……覚えておれ! 正規軍が帝都に戻られれば、貴様らごと反逆者として処断するぞ!」




使者は、それだけ言い残し、慌てて逃げ帰っていった。






■ 民衆の「目」




使者が去った後、私は大神官に深々と頭を下げた。




「……大神官様。わたくしたちのために、皇太子殿下と……」




「……エリアーナ嬢」




大神官は、私を静かに見つめた。




「わしは、貴女のために動いたのではない」




「……え?」




「わしは、この帝国の『秩序』と、『神の法』のために動いているだけだ」




「……」




「アラン殿下は、法を曲げ、イザベラを寵愛し、その子を『世継ぎ』と呼んだ。そして今、法によらず、貴女を『魔女』と断罪した。……あれは、皇帝の器ではない」




大神官の言葉は、冷徹だった。




「……ルシアン公爵」




大神官は、ルシアンに向き直る。




「貴公の父君は、無実の罪で処刑された。……わしは、あの過ちを、二度と繰り返させはしない」




「……大神官殿」




ルシアンが、初めて彼に敬意のこもった視線を向けた。




「……だが」




大神官は、大聖堂の門の隙間から外を眺めた。




包囲する兵士たちのさらに外側。帝都の民衆が、この「聖域での攻防」を遠巻きに、不安そうに見守っている。




「……あそこを見よ」


「……民衆、ですね」




「そうだ。アランは、兵士でわしらを囲んでいる。だが、わしらは、あの『民衆』という名の兵士に囲まれている」




「……」




「この『十日間』。……どちらが、あの『民衆』の心を掴むか。……それこそが、この戦の勝敗を決めるだろう」




大神官の言葉に、私は改めて、この「聖域での戦い」の真の意味を理解した。




これは、軍事力ではなく、「正義」と「人心」を奪い合う情報戦なのだ。




アランが武力で大聖堂を制圧すれば、彼は「神を恐れぬ暴君」として歴史に名を刻むことになる。だが、もし民衆が「エリアーナは本当に魔女だ」と信じ込み、自らの手で大聖堂の門をこじ開けようとすれば、大神官といえども彼らを武力で制圧することはできない。




「……民衆の心、か」




ルシアンが、忌々しそうに呟いた。




「俺の父が処刑された時も、民衆は『国賊の死』を歓呼して迎えた。奴らは、真実などどうでもいい。ただ、自分たちの不満をぶつける『分かりやすい悪』が欲しいだけだ」




彼の言葉には、過去の深い傷からくる人間不信が滲んでいた。




「……そうね。民衆は愚かかもしれない」




私は、ルシアンの隣に立ち、彼と同じように門の隙間から外を見つめた。




「でも、わたくしたちは、その『愚かな民衆』の心を動かさなければ、ここから生きて出ることはできないわ」




「……どうするつもりだ?」




「今はまだ、耐える時間よ。アランが焦ってボロを出すか、あるいは……」




私の脳裏に、イザベラの顔が浮かんだ。




彼女が流産したという事実は、すでに密偵を通じて私たちの耳にも届いていた。




全てを失った彼女が、このまま大人しく引き下がるとは思えない。




(……イザベラ。あなたは必ず、動くはずよ)




私たちは、この大聖堂という舞台で、帝国の未来を賭けた最後の心理戦に挑むことになる。




嵐の前の静けさが、重く、冷たく、聖堂の空気を支配していた。



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