第21話 共鳴
■ 同じ傷を持つ者
ルシアンの執務室は、重厚な石造りの壁に囲まれ、いつもどこか冷え冷えとしていた。だが今夜だけは、暖炉で爆ぜる薪の火が、異様なほどの熱を帯びて感じられた。
イザベラの懐妊の報がもたらした衝撃は、ルシアンの告白によって、私の中で全く別の感情へと変わっていた。
暖炉の火が、彼の金色の瞳に揺らめいている。
「……あなたの、ご両親も」
「ああ。反逆者として、処刑された」
ルシアンは、窓の外の深い闇を見つめたまま、淡々と、まるで他人の昔話でもするように続けた。
「俺は、父が『反逆者』と呼ばれ、民衆に石を投げつけられながら刑場に引かれていく姿を、この城の窓から、見ていた」
「……」
私は、言葉を失った。
処刑台の記憶が、鮮明に蘇る。
民衆の容赦ない罵声。投げつけられる硬い石。アランの冷酷な目。イザベラの勝ち誇ったような嘲笑。
(……この人も、見ていたんだ)
私と同じ「地獄」を。
「俺を生かしたのは、アランの父……現皇帝の『慈悲』ではない。『見せしめ』だ」
ルシアンは、初めて私に、いつもの不遜な嘲笑ではない、心の底からの冷たい笑みを向けた。それは凍てつく北の氷原よりも冷ややかな笑みだった。
「反逆者の息子を、北の僻地に閉じ込め、公爵の地位だけは与えておく。そうすれば、他の貴族たちへの完璧な『見せしめ』になる。逆らえば、ああなるぞ、と」
「……」
「アランは、その全てを知っていて、俺が帝都へ行くたびに、俺に『慈悲』を施すように振る舞った。父の罪を許すのは自分だとでも言うようにな。……反吐が出る」
彼の憎悪は、私のような「裏切り」から来たものではない。
生まれた時から、彼の人生にこびりついていた、呪いそのものだった。
(私は、この人を「復讐の駒」として利用しようとしていた)
(なんと、愚かだったんだろう)
私は、自分の浅はかさを深く恥じた。
彼は、私の共犯者である以前に、私と同じ「傷」を持つ、この世界で唯一の人間だったのだ。
■ 初めての「口づけ」
「ルシアン……」
私は、無意識のうちに彼に歩み寄っていた。
同情ではない。哀れみでもない。
ただ、同じ傷を持つ者として、彼の魂の痛みが、痛いほどに理解できたから。
「俺に、同情などするな」
ルシアンは、私の視線を避けるように、顔を背けた。
「俺は、お前を利用して、アランを潰す。それだけだ」
「……ええ。わたくしも、あなたを利用して、アランを潰します」
私は、彼の冷たい頬に、そっと手を添えた。
彼は驚いたように、私を見た。その金色の瞳が、わずかに見開かれる。
「でも、ルシアン。……わたくしたちは、同じ地獄を知っている」
「……エリアーナ」
「わたくしは、もう、一人で戦うのは嫌です」
私は、彼を見つめ返した。
1周目の人生で、冷たい処刑台の上で感じた、あの絶対的な孤独。
誰にも信じてもらえず、誰にも助けてもらえなかった、あの絶望。
「わたくしと、共に地獄へ落ちてくださいますか?」
それは、復讐の契約を超えた、魂の「共犯」の申し出だった。
ルシアンは、私の目から、全てを悟ったようだった。
彼の中で張り詰めていた見えない糸が、ふっと切れる音がした気がした。
「……お前は、本当に恐ろしい女だ」
ルシアンは、私の腰を引き寄せると、深く、息が詰まるような口づけをした。
それは、愛の口づけではない。
互いの傷を舐め合い、互いの憎悪を分かち合う、血の誓いのような口づけだった。
彼の唇は冷たかったが、その奥にある熱は、私を焼き尽くすほどに熱かった。
(……これで、後戻りはできない)
私は、彼の背中に腕を回し、その熱を受け入れた。
私たちは、完全に「共鳴」したのだ。
■ 次なる戦場
翌朝。
私は、執務室でルシアンと共に、帝国の地図を広げていた。
昨夜の熱はどこへやら、二人の間には、いつもの冷徹な空気が戻っていた。だが、その底には、以前にはなかった確かな「信頼」が流れていた。
「さて、共犯者殿。次はどう動く?」
ルシアンが、地図の上に駒を置きながら尋ねる。
「イザベラが懐妊したことで、アランは完全に調子に乗っていますわ」
私は、地図の「南部」を指差した。
「アランの次なる失策は、ここです」
「南部……? 豊かな穀倉地帯だが、アランの直轄地ではないか」
「ええ。だからこそ、です」
私は、1周目の記憶を辿った。
1周目、アランはイザベラを溺愛するあまり、彼女のために莫大な予算をつぎ込んで「離宮」を建設した。
その予算は、どこから出たのか。
「アランは、南部の『治水事業』の予算を凍結し、それをイザベラの離宮建設に流用します」
「……なんだと?」
ルシアンが、眉をひそめた。
「南部の治水は、帝国の食料庫を守る生命線だぞ。それを止めるなど、正気の沙汰ではない」
「アランは、正気ではありませんわ。イザベラという『聖女』に狂わされているのですから」
私は、冷酷に笑った。
「そして、今年の春……南部は、観測史上最悪の『大洪水』に見舞われます」
「……お前、なぜそんなことまで分かる?」
ルシアンが、私の顔をまじまじと見つめる。
「わたくしは『魔女』ですから」
私は、悪戯っぽく微笑んだ。ルシアンは、小さくため息をつきながらも、口元を緩めた。
「それで? お前は、その洪水を利用して、アランをどう潰す気だ?」
「潰すのではありません。……『救う』のです」
私は、駒を「北」から「南部」へと動かした。
「アランが見捨てた南部の民を、わたくしたちが『北の力』で救済します。そうすれば、南部の民心は、完全にアランから離れ、わたくしたちのものとなる」
「……なるほど。アランの失政を、俺たちの手柄に変えるというわけか」
「ええ。ですが、アランに気づかれずに、大量の物資を南部に運び込む必要があります」
「それは、どうする?」
私は、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「お父様(リステン侯爵)の出番ですわ。アランの経済制裁を逃れて南へ移動させた『リステン家の資産』が、ここで火を噴きます」
■ 嵐の前の静けさ
私は、アンナを呼び、父への密書を託した。
『お父様。例の計画を実行に移す時が来ました。南部の境界線に、ありったけの小麦と治水用の資材を集めてください』
アンナは、密書を受け取ると、恭しく頭を下げた。
「承知いたしました、エリアーナ様。……それにしても、お嬢様」
「何かしら、アンナ」
「昨夜から、公爵閣下との空気が、随分と……その、柔らかくなったような気がいたしますが」
アンナが、少しからかうような目で私を見る。
私は、思わず頬が熱くなるのを感じた。
「な、何を言っているの、アンナ! わたくしたちは、あくまでビジネスパートナーよ!」
「ふふっ、そういうことにしておきます」
アンナは、楽しそうに笑って部屋を出て行った。
「……優秀な侍女だな」
ルシアンが、書類から顔を上げずに言った。
「ええ、わたくしの自慢の侍女ですわ」
私は、少しムッとしながら答えた。
帝都では、イザベラの懐妊を祝う宴が、連日連夜開かれていることだろう。
アランは、自分が帝国の頂点に立ったと錯覚し、勝利の美酒に酔いしれているはずだ。
だが、彼は知らない。
その足元で、彼を玉座から引きずり下ろすための、巨大な「濁流」が、すでに静かに、だが確実に動き始めていることを。
「さあ、アラン。あなたの愚かさが、あなた自身を滅ぼすのよ」
私は、北の空を見上げながら、冷たい復讐の炎を再び燃え上がらせた。
今度は、一人ではない。
隣には、私と同じ炎を宿した、頼もしい共犯者がいるのだから。




