第16話 疑念と共犯
■ 1:刺客の後処理
ルシアンの腕に抱かれたまま執務室に戻ると、扉の奥からアンナが血相を変えて飛び出してきた。
「エリアーナ様! ご無事で……!」
「大丈夫よ、アンナ。かすり傷一つないわ。……この方のおかげでね」
私がそっとルシアンを見上げると、彼は私を丁寧にソファへ降ろし、すぐに控えていた側近のガレス副団長に鋭い指示を出し始めた。
「刺客は五人。全員生け捕りにした。地下牢へ放り込んでおけ」
「……え?」
私は思わず声を漏らした。
あの中庭での凄惨な乱戦。ルシアンの剣は容赦なく彼らを切り裂いていたように見えたが、まさか。
「峰打ちだ。殺しては、アランの仕業だと白状させられんからな」
なんという男だろうか。
あの暗闇の中で、私を庇いながら五人の暗殺者を相手にし、その全員の急所を外し、生け捕りにしたというのか。私は、ルシアン・ヴァレリウスという男の底知れない実力に、改めて背筋が寒くなるのを感じた。
「アンナ。エリアーナのために、温かい飲み物を。それから、お前も今夜はここに泊まれ。この部屋が城で一番安全だ」
「は、はい! 公爵閣下」
アンナが小走りで部屋を出ていくと、広い執務室には、私とルシアンの二人だけが残された。
暖炉の火が、パチパチと乾いた音を立てて燃えている。
重く、そして奇妙なほど静かな沈黙が続いた。
先に口を開いたのは、ルシアンだった。
■ 2:ルシアンの疑念
ルシアンは、執務机の前に立ち、ソファに座るエリアーナを静かに見つめていた。
(……おかしい)
ルシアンの胸中に、拭い去れない違和感が渦巻いていた。
つい先ほど命を狙われたばかりの令嬢だというのに、彼女はあまりにも冷静すぎる。恐怖で泣き叫ぶことも、震えることもなく、ただ静かに暖炉の火を見つめている。
ルシアンは、今夜の襲撃における彼女の行動を反芻した。
(なぜ、俺は、あの中庭に間に合ったのか)
彼女が夜の散策に出る前、ほんのわずかに見せた緊張の色。それを察知したからこそ、ルシアンは密かに後を追ったのだ。
(なぜ、エリアーナは、刺客の第一撃の矢を、紙一重で避けられたのか)
偶然ではない。彼女の身体は、矢が放たれる一瞬前に、すでに回避の動作に入っていた。まるで、暗闇のどこから矢が飛んでくるかを、あらかじめ知っていたかのように。
塩の密輸ルートの看破。
侍女アンナを救出した際の手回し。
そして、今夜の刺客のタイミング。
全てが、彼女の持つ「知識」によって、ギリギリのところで回避され、あるいは利用されている。それは、リステン侯爵家の優秀な情報網をもってしても、説明がつかない精度だった。
「……エリアーナ」
ルシアンは、静かに、しかし逃げ場のない声で問いかけた。
「お前は、一体、何者だ?」
■ 3:エリアーナの「告白」
ルシアンの銀色の瞳が、私を真っ直ぐに見据えている。
その瞳には、射抜くような鋭い光が宿っていた。
「……何者、とは?」
「惚けるな。お前の『知識』は、リステン家の情報網だけでは説明がつかん」
私は、膝の上で両手を強く握りしめた。
「塩の密輸ルート。アンナへの罠。そして、今夜の刺客のタイミング。……お前は、アランの思考を『読んでいる』。いや、まるで『未来』を知っているかのようだ」
ルシアンの指摘は、恐ろしいほど的を射ていた。
私は息を呑んだ。
ここで、「一度死んで回帰した」と告白すべきだろうか?
(……いや、ダメだ)
もし回帰を打ち明ければ、必然的に悪魔王との契約のことも全て話さなければならなくなる。
そんな荒唐無稽な話を、この極めて合理的な思考を持つ北の公爵が信じるはずがない。もし信じたとしても、「悪魔と魂の契約を交わした女」など、危険すぎて側に置くわけがない。
私は、ルシアンを騙すことを選んだ。
「……未来、ですって? そんな、まさか」
私は、自嘲気味に、少しだけ悲しげに笑ってみせた。
「わたくしに、そんな神秘的な力はありませんわ」
「では、あの『知識』は、なんだ」
「……ルシアン。あなたは、アラン殿下をどれだけご存知?」
「……どういう意味だ」
私は、ゆっくりと立ち上がり、ルシアンの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「わたくしは、彼の婚約者候補として、最も近い場所で彼に仕えてきました。彼の思考の癖、彼が窮地に陥った時に頼る人間、彼が邪魔者を排除する時に好む手段……」
私は目を伏せ、傷ついた女の演技を重ねる。
「わたくしは、彼を愛していたからこそ、彼の全てを、知りすぎてしまったのです」
「……」
「わたくしの『知識』は、未来予知などではありません。……アランという人間を、骨の髄まで知り尽くした『経験』と『分析』の、残酷な結果ですわ」
真実(回帰)を、嘘(経験という言葉)で塗り固める。
アランへの深い理解が、結果的に未来予測と同等の精度を生み出しているのだと、そう説明したのだ。
■ 4:共犯者
ルシアンは、黙って私を見つめていた。
彼の銀色の瞳は、私の言葉の真偽を値踏みするように細められている。
彼が、私の言葉を完全に信じたとは思えない。
私の説明には、まだいくつか論理的な飛躍があることを、彼ほどの知性が見逃すはずがないからだ。
だが、彼は、それ以上は追求しなかった。
「……そうか。ならば、お前の『経験』とやらは、俺の黒鷲騎士団の武力以上に、アランへの脅威だな」
ルシアンはゆっくりと歩み寄り、私の目の前に立った。
長身の彼に見下ろされると、不思議と威圧感よりも、守られているような安心感を覚える。
「エリアーナ。お前が何者でも構わん」
「……え?」
「お前が本当に『未来』を見ている魔女なのだとしても、アランへの『憎悪』だけで動いている復讐鬼なのだとしても、どちらでもいい」
彼は、革手袋に包まれた大きな手で、私の顎をそっと持ち上げた。
強制ではなく、ただ私の目を彼に向けさせるための、優しい仕草だった。
「お前は、俺の『共犯者』だ。それだけで、十分だ」
「……ルシアン」
彼の言葉が、冷え切っていた私の胸の奥に、温かいものを落としていく。
悪魔王でさえ「憎悪の連鎖」という条件付きでしか私を認めなかった。だがこの男は、私が何者であろうと、共に戦う共犯者として受け入れると言ってくれたのだ。
「今夜は、もう休め。アンナが戻ってきたら、隣の寝室を使え」
ルシアンは、それだけ言うと私から手を離し、再び執務机の書類へと目を戻した。
彼の銀色の瞳には、まだわずかな疑念の欠片が残っていたが、それ以上に「共犯者」を見る、確かな「信頼」の色が宿っていた。
私は、彼が私を信じようと「努めて」くれたことに、胸が熱くなるのを感じた。
(この人は、アランとは違う)
(この人を、私の復讐の道具として利用するだけでは、いけない)
私は、初めて、契約婚約者である彼に対し、憎悪以外の、別の感情を抱き始めていた。
それは、暗く冷たい復讐の道に咲いた、一輪の温かい花のような感情。
だが同時に、私の心の奥底で、冷たい影が警鐘を鳴らしていた。
(……愛に傾けば、魂を奪う)
悪魔王との残酷な契約。
私がルシアンに惹かれれば惹かれるほど、それは私自身の破滅を意味する。
そして、私が「愛」に目覚めつつあることを、高みで見物しているであろうあの悪魔王が、不愉快に思わないはずがなかった。




