第15話 刺客
■ 1:アンナの報告と新たな日常
アンナが北の黒鷲城に来てから、数日が過ぎた。
彼女は、私が「親友を裏切った悪女」として帝都で噂されていることも、私がルシアン・ヴァレリウス公爵と「契約婚約」を結んだことも、全て知った上で、私の側に仕えることを選んでくれた。
「エリアーナ様が、どのような決意をなさったのか、私にはわかりません。ですが、以前のエリアーナ様が、どれほどイザベラ様を信じ、そしてアラン殿下に尽くしておられたか、私は誰よりも近くで見て知っております」
アンナは、私の手を取り、涙ながらに言った。
「そのエリアーナ様が、全てを捨てて選ばれた道です。きっと、私には想像もつかないほど深い理由があるのでしょう。私は、最後までお嬢様にお供いたします」
「ありがとう、アンナ」
私は、アンナという最も信頼できる味方を得て、北の地での生活基盤を本格的に整え始めた。
帝都のリステン家(父)との連絡役はアンナに任せ、私はルシアンと共に、アランへの次の「一手」を計画していた。
塩の専売制の破壊、そしてアンナの救出劇。私たちは、アランの顔に二度も泥を塗った。
帝都の社交界では、皇太子アランの威信は大きく揺らぎ始めているはずだ。アランが、このまま黙っているはずがない。
「……ルシアン。近いうちに、アランは動くわ。今度こそ、もっと直接的で暴力的な手段で」
「だろうな。あの男の薄っぺらいプライドは、今頃ズタズタだろうからな」
ルシアンは、執務室で愛用の長剣の手入れをしながら、冷たく、しかしどこか楽しそうに答えた。
「公爵領の警備は、すでに三倍に増やした。この黒鷲城にいる限りは、お前もアンナも安全だ」
「だと、良いのだけれど」
私は、胸騒ぎを覚えていた。
アランは、正攻法で勝てないとわかると、必ず「裏」の卑劣な手を使う。一度目の人生で、私に毒殺未遂の濡れ衣を着せたように。
■ 2:夜の散策
その夜、私は自室の執務机で、父から届いた帝都の経済状況に関する機密書類に目を通していた。
「エリアーナ様、少しお休みになられては? 顔色が優れません」
アンナが、温かいカモミールティーを淹れてくれた。
「ありがとう、アンナ。……少し、風に当たってくるわ」
私は、書類から顔を上げ、凝り固まった気分を転換させるために部屋を出ることにした。
黒鷲城は、帝都の宮殿とは違い、華美な装飾は一切ないが、堅牢で機能的な城だ。冷たい石造りの廊下を歩いていると、不思議と心が落ち着く。
「ルシアンは、どこに?」
「公爵様なら、城壁の視察に行かれております。今夜は冷えますから、と」
ルシアンは、私が北に来てから、毎晩のように自ら城壁を見回り、警備の兵士たちに声をかけて回っている。「冷血公爵」と呼ばれ恐れられているが、彼が領民や兵士から絶大な信頼を得ている理由が、私にもわかってきた。彼は、守るべきものを決して見捨てない男なのだ。
私は、厚手の外套を羽織り、アンナの「お供します」という制止を振り切って、一人で中庭へと向かった。
(……空気が、冷たくて気持ちいい)
帝都の生ぬるい空気とは違う、北の澄んだ夜気が、私の火照った頭を冷やしてくれる。
中庭のベンチに座り、雪雲の隙間から覗く月を見上げた、その時だった。
■ 3:刺客の襲来
ヒュッ、と。
空気を切り裂く、小さな、しかし鋭い音。
本能的な「死」の気配。
私は、処刑台で培われた(あるいは、死の淵から蘇ったことで研ぎ澄まされた)反射神経で、ベンチから無様に転がり落ちた。
ドスッ!
私が直前まで座っていたベンチの背もたれに、黒い「矢」が深く突き刺さっていた。
(……刺客!?)
「……チッ。外したか」
闇の中から、黒装束の男たちが、音もなく現れた。その数、五人。手には鈍く光る短剣が握られている。
「なぜ、エリアーナ様が一人でこんな場所に……」
「好都合だ。公爵閣下の命令だ。あの女を、静かに『処理』しろ、と」
(公爵閣下……? ルシアンが? いや、違う!)
私は即座に思考を巡らせた。
(あいつら、アランの手の者だ! そして、私を殺した後、その罪をルシアンになすりつけるつもりだ!)
なんという卑劣な策か。私を暗殺し、その罪をルシアンに着せれば、リステン家とヴァレリウス家の同盟は完全に崩壊する。アランにとっては一石二鳥の完璧な計画だ。
「……誰か! 誰か来て!」
私は大声で叫ぼうとしたが、背後に回り込んだ一人の男が私の口を乱暴に塞ぎ、私を羽交い締めにしようとした。
「無駄だ。ここは城の中心から一番遠い中庭。叫び声など届かん」
男の太い腕が、私の首に回る。息が詰まる。
(……ここまで、なの……?)
一度目の人生は処刑台。二度目の人生は、名もなき刺客の手で。
私の復讐は、こんなところで終わってしまうのか――。
「――誰が、届かんと言った?」
地を這うような、絶対零度の冷たい声が響いた。
次の瞬間、私を押さえつけていた男の体が、くの字に折れ曲がり、数メートル先まで吹き飛んだ。
■ 4:冷血公爵の戦い
月明かりの下に立っていたのは、ルシアンだった。
その手には、執務室で手入れしていたはずの、抜き身の長剣が握られている。
「……ルシアン!」
「下がっていろ、エリアーナ」
ルシアンの銀色の瞳が、獲物を狩る獣のように、鋭く、そして残酷に光っていた。
「……ヴァレリウス公爵! なぜ、貴方がここに!」
刺客たちが、予想外の登場に激しく動揺している。
「俺の城で、俺の婚約者に、指一本触れようとは。……貴様ら、アランの飼い犬か?」
「……知ったからには、生かしてはおけん! 公爵ごと、ここで始末しろ!」
刺客たちが、一斉にルシアンに襲いかかる。
だが、それは、あまりにも無謀で愚かな戦いだった。
「冷血公爵」にして「北の死神」の名は、伊達ではなかった。
ルシアンの剣が、閃く。
それは、踊るような、しかし一切の無駄がない、圧倒的な死の舞踏だった。
「がぁっ!」
「ひぃっ!」
一人、また一人と、黒装束の男たちが、悲鳴を上げる間もなく血飛沫を上げて倒れていく。ルシアンの動きは速すぎて、私の目には剣の軌跡が銀色の糸のようにしか見えなかった。
数分後。
中庭には、へたり込む私と、静かに佇むルシアンと、血の海に倒れた五人の刺客だけが残されていた。
ルシアンは、剣についた血を無造作に払い、私に向き直った。
「……怪我は?」
「な、ないわ。あなたは……?」
「かすり傷だ」
彼は、自分の左腕に浅く刺さった矢を、表情一つ変えずに引き抜いた。私を庇った時のものに違いない。
「……やはり、アランは、待てない男らしい」
ルシアンは、倒れている刺客の一人の襟元を掴み、その内側に縫い付けられた紋章(アランの近衛兵だけが使う、隠し紋)を私に見せた。
「……ありがとう、助かったわ」
私が震える声で礼を言うと、ルシアンは鼻で笑った。
「礼はいい。お前は、俺の『切り札』だ。こんなところで死なれては、寝覚めが悪い」
彼はそう言って、地面に落ちていた私の外套を拾い上げ、私の肩にかけ直すと、そのまま私を軽々と抱きかかえた。
「……! 自分で歩けるわ!」
「うるさい。震えている女は、大人しく運ばれていろ」
冷血公爵の腕は、彼の言葉とは裏腹に、驚くほど力強く、そして温かかった。私は、その温もりに抗うことができず、そっと彼の胸に顔を埋めた。
■ 5:新たな火種
ルシアンの腕に抱かれたまま、私たちは黒鷲城の奥深くへと戻っていった。
廊下ですれ違う兵士たちが、血に濡れたルシアンの姿と、彼に抱き抱えられる私を見て息を呑むが、ルシアンの冷ややかな一瞥を受けて慌てて道を空ける。
「……刺客の死体は、どうするの?」
私が胸の中で小さく尋ねると、ルシアンは前を向いたまま答えた。
「綺麗に箱詰めにして、アランの元へ送り返してやる。ヴァレリウス公爵家からの『手厚い返礼』としてな」
その言葉には、明らかな殺意が込められていた。
「アランは、俺の城で俺の所有物に手を出した。これは、北の公爵家に対する明確な宣戦布告だ」
「所有物……」
「不満か? 契約上の婚約者とはいえ、お前は今、俺の庇護下にある。それを侵す者は、誰であろうと容赦はしない」
彼の言葉は乱暴だったが、その声の響きには、私を確実に守り抜くという強烈な意志が込められていた。
一度目の人生で、誰も私を守ってくれなかった処刑台の記憶が、少しずつ、しかし確実に、ルシアンの温もりによって上書きされていくのを感じる。
(アラン……あなたは、越えてはならない一線を越えたわ)
私への暗殺未遂。そして、ルシアンへの濡れ衣の画策。
アランの焦りは、もはや致命的な愚行へと変わっていた。この一件で、ルシアン・ヴァレリウスという男の真の恐ろしさを、彼らは思い知ることになるだろう。
私は、ルシアンの腕の中で、次なる反撃の構想を静かに練り始めていた。
復讐の炎は、冷たい北の地で、かつてないほど激しく燃え上がろうとしていた。




