第14話 侍女の救出
■ 1:エリアーナの違和感
北のルシアン公爵の居城、黒鷲城に仮の住まいを移して数日が過ぎた。
ここは帝都の華やかな皇宮とは打って変わり、石造りの冷たく堅牢な要塞だ。しかし、どこに誰の耳があるか分からない皇宮よりも、よほど心が安らいだ。
私は、帝都のリステン家(実家)に残してきた父や、最も信頼する侍女のアンナと、ルシアンが用意してくれた秘密の通信ルートを使って毎日連絡を取り合っていた。
塩の流通網の構築は、驚くほど順調に進んでいる。アランは、突如として市場を制圧した「安価な塩」の流通ルートを未だに特定できず、皇宮で焦りと苛立ちを募らせていることだろう。
だが、ここ数日、私には奇妙な「違和感」があった。
(……胸騒ぎがする)
冷たい北風が窓を叩く音を聞きながら、私は暖炉の火を見つめていた。
一度目の人生で経験した、あの処刑台の冷たさと絶望の記憶が、私の脳内で警鐘を鳴らしている。
(イザベラが、皇宮で大人しくしているはずがない)
アランの寵愛を盾にし、夜会で私を「親友を裏切った悪女」に仕立て上げたあの狡猾な女が、塩の専売制が破綻し、自分が不利な状況に置かれたまま黙っているはずがないのだ。
一度目の人生で、彼女は私を完全に孤立させるために、何をしていた?
(……そうだ。彼女は、私の周りから、信頼できる人を一人ずつ奪っていった)
(真っ先に狙われたのが、アンナだった)
私は、アンナがイザベラに「横領」の濡れ衣を着せられ、リステン家を涙ながらに追い出された日のことを、鮮明に思い出した。
あの時、アンナは「私は何もしていません、お嬢様!」と泣き叫んでいた。しかし、当時の私はイザベラの「親友としての忠告」を信じ込み、アンナを冷たく突き放してしまったのだ。
(あの時も、今と同じ……私が大きな成功を収めた直後だった)
一度目の人生では「皇妃に内定した」直後。
二度目の人生である今は「塩の流通でアランに勝った」直後。
イザベラの行動パターンは、驚くほど一致している。
私は、弾かれたように椅子から立ち上がり、すぐさまルシアンの執務室へと向かった。
「ルシアン。帝都にいるあなたの密偵に、至急、リステン家の屋敷の様子を探らせて」
ノックもそこそこに執務室に飛び込んだ私を見て、玉座のような重厚な椅子で書類に目を通していたルシアンが、怪訝な顔で顔を上げた。
「……どうした。何かあったか」
「イザベラが、動く気がする。狙いは、帝都に残してきた私の侍女、アンナよ」
■ 2:アンナへの罠(発覚)
ルシアンの密偵(影)の動きは、私の想像以上に迅速で優秀だった。
半日後、私は帝都からの緊急報告を記した暗号文を受け取り、サァッと血の気が引くのを感じた。
「……やはり」
報告書には、信じがたい、しかし私の悪い予感通りの内容が記されていた。
『本日、バートン伯爵が皇太子の近衛兵部隊を引き連れ、リステン侯爵邸を訪問』
『名目は「リステン家内部のスパイ容疑の捜査」』
『捜査は、エリアーナ様の元侍女、アンナの部屋に集中』
『アンナの部屋の床下から、ヴァレリウス公爵家の金貨(偽造)と、リステン家の機密書類(偽造)が「発見」される』
『アンナは現在、屋敷の一室に軟禁状態。リステン侯爵は、皇太子側近の強引な捜査に激怒するも、動かぬ「証拠」を前に、対応に苦慮している模様』
(……間に合わなかった)
私は、暗号文を握りしめたまま、ギリッと唇を噛んだ。
一度目の人生と、まったく同じだ。いや、一度目よりもはるかに手が込んでいる。今回は、私とルシアンの共闘関係を裂くために、アンナを「ヴァレリウス公爵のスパイ」として仕立て上げたのだ。
「ルシアン!」
私は報告書を握りしめ、再びルシアンの執務室へ走った。
「報告は聞いた。どうする」
ルシアンは、すでに事態を完全に把握していた。その銀色の瞳は、感情を読み取らせないほど冷たく澄んでいる。
「アンナを助け出すわ。今すぐに」
私は、迷うことなく言い切った。
■ 3:ルシアンの「一手」
「無茶だ」
ルシアンが、私の言葉を即座に否定した。
「帝都はアランの庭だ。今、リステン家の屋敷にヴァレリウスの兵を送ってアンナを奪還すれば、それこそ『リステン家が北と通じていた』という、アランとイザベラの筋書き通りの証拠を与えることになる。リステン侯爵の立場も危うくなるぞ」
「では、アンナを見殺しにしろと?」
「……」
ルシアンは私の問いには答えず、無言でテーブルの上に帝都の詳細な地図を広げた。
「アンナは、まだ『容疑者』だ。バートン伯爵も、リステン侯爵の手前、すぐにアンナを皇宮の地下牢に連行することはできん。屋敷で軟禁したまま、侯爵に『北に通じている娘(お前)と縁を切れ』と圧力をかけるための交渉材料に使うだろう」
「……つまり、アンナはまだ屋敷にいるのね」
「ああ。だが、明日にはどうなるか分からん」
ルシアンは、地図の一点を指差した。
「リステン家の屋敷は、ここだ。皇宮からは遠い。だが、バートン伯爵の屋敷とは目と鼻の先だ」
「……それが、何?」
「今夜、リステン家の屋敷を、バートン伯爵の『私兵』が襲うとしたら、どうだ?」
「え……?」
私は、ルシアンの言葉の真意を測りかねて目を瞬かせた。
「表向きは『強盗』だ。武装した強盗団が屋敷に押し入り、混乱の中で『スパイ容疑者』であるアンナが偶然殺害される。……アランやイザベラなら、口封じのためにやりかねん手だ」
「そんな……!」
「だが」
ルシアンの整った唇に、氷のように冷たく、残酷な笑みが浮かんだ。
「その『強盗団』を、我がヴァレリウスの『影』が屋敷に侵入する前に捕らえ、リステン侯爵に突き出したらどうなる?」
「……!」
私は、息を呑んだ。
「リステン侯爵は、アンナを殺そうとした『強盗』が、実はバートン伯爵の手の者であることを知る。そして、アンナの『無実』と、皇室側が捏造した罠であることを完全に確信するだろう」
ルシアンの策は、イザベラとバートンの罠を、さらにその上から逆手に取るという、悪魔のように鮮やかな一手だった。
■ 4:公爵邸への引き抜き
ルシアンの計画は、その日の夜、完璧に実行された。
深夜、リステン家の屋敷を、黒装束に身を包んだ「強盗団」が襲撃した。
しかし、彼らが屋敷の塀を乗り越えようとした瞬間、闇の中に待ち構えていたルシアンの「影」たちによって、誰一人として声を上げる間もなく無力化された。
捕らえられた「強盗」たちは、紛れもなくバートン伯爵の私兵であり、彼らの懐には「アンナの確実な殺害」と「バートン伯爵からの多額の報酬」を示す密書の証文が入っていた。(もちろん、ルシアンが影に命じて事前に用意させた精巧な偽物だが、本物以上に本物らしい出来栄えだった)。
翌朝。
リステン侯爵は、娘の婚約者であるルシアンが極秘に送っていた「影」に屋敷を救われ、同時に、皇太子の側近が侍女を口封じに殺そうとしたという「動かぬ事実」を突きつけられた。
父の怒りは、頂点に達した。
その日の午後、父は皇宮に対し、烈火のごとく強硬な抗議文を送りつけた。
『昨夜、我が屋敷が強盗に襲撃された。スパイ容疑をかけられた侍女も恐怖で錯乱状態にある。これ以上の不当な捜査は、名門リステン家への侮辱とみなす』
バートン伯爵は、自らの私兵が捕らえられ(実際にはルシアンの影だが)、決定的な証拠を握られたことで、何も言い返すことができなかった。アランもまた、強盗事件の不手際を理由にバートン伯爵を叱責するしかなかった。
そして、その日のうちに。
アンナは、父の「静養と護衛」という名目で、厳重な警護のもと帝都を脱出し、北の黒鷲城へと送られてきた。
「エリアーナ様……!」
黒鷲城の客間に通されたアンナは、私を見るなり床に泣き崩れた。
「よく、無事で戻ってきてくれたわ、アンナ」
私は、冷たい床に膝をつき、震えるアンナの体を強く抱きしめた。
一度目の人生で失った、最も信頼できる侍女。
私は、今度こそ彼女を守り抜いたのだ。
(イザベラ。あなたの負けよ。あなたは、わたくしから、もう誰も奪えない)
私は、アンナの背中を撫でながら、北の空の向こう、帝都にいるはずのイザベラに向けて、冷たい勝利の宣言を心の中で叩きつけた。




